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2008年 01月 28日

食料自給を考える/大雑把な数値計算/16

さて、昨日の課題だが、簡単な計算をしてみよう。
明治初年を仮に1870年とする。後は1945、1960、2005年だ。夫々、敗戦の年、戦後最初
の農業基本法の制定、最近。各年の人口総数は3300、7200、9430、12700万人。
耕地面積、農業戸数、農業人口は、前述の通り1870年から1960年まで、600、600、1400
に対して、2005年が465、285、312。夫々を第一期、二期、三期とする。

人口増加率は、年率(複利計算)にして1.046%、1.80%、0.65%
1870、1945、1960、2005年の各年の耕地面積あたりの人口扶養力が1町歩当り5.5、
12、15.7、27.3人。第一期の75年間に約二倍、第二期の15年間に約三割増加しているが、
これを年率で比較すると一期、二期は1.046%、1.50%と増加した。第三期は45年間で
約二倍になったが、年率増加率は1.24%と第二期よりも、むしろ低下している。
農家一戸あたりの耕作面積は1960年までに約百年間は変わらず、その後の45年間で1.63
haまで拡大した。しかし、これを面積当り人口扶養力からみると農業機械化が進み、農業生産
力は向上しているはずなのに、戦後初期の15年より最近45年間のほうが耕地の効率的利用
の面では、却って低下している。

次に人口総数と農業人口数を比較すると、第一期に人口総数は約3900万増加したが農業
人口は変わらなかった。人口総数の6-7割は就業人口と考えてよいから、その大部分は農業
以外の第二次産業に吸収された。農業人口も増えただろうけれど、それは農業からの流出また
は退出を補うだけで絶対数は変わらなかった。これは一方では、僅かながら農業生産力が
向上し、人口増加に見合う程度の人口扶養力を獲得したが、農家そのものの家族扶養力は
向上しなかったとも考えられるし、或いは工業発展力が就業人口の増加数に見合う程度だった
か、人口増加率によって制約されていたかの、どちらかである。
とはいえ、江戸時代の人口の定常状態と比較すると(人口の超長期推移、参照)第二次世界
大戦までの人口増加率、従ってまたそれを支えた農業生産力の向上には目覚しいもの
がある。
次に第二期には、人口総数は2230万人増加した。この間も農業戸数も農業就業人口も変わ
らなかった。ということは工業の急速な発展によって農村人口は工業に吸収されていったけれ
ど、また工業開発がどんどん進められ都市化が進んだけれど、農業にはまだ後継者がいた
し、農村あるいは農村共同体という地域構造は基本的に維持されていたと予想される。
ところが第三期になると、総人口は3300万人増加した。つまり江戸時代の日本がそっくりもう
ひとつ出来たのと同じだけの人口が増加した。一方、耕地面積も農業戸数も大幅に減少した。
特に農業就業人口の1100万人の減少は、一方では農業生産力の向上で面積当りの必要
労働力の著しい減少を示しているが、他方では後継労働力の喪失、従ってまた農業の将来的
な再生産の可能性を著しく不安定にしている。これは取りも直さず農業の産業としての将来性
の喪失の反映である。
更に、耕地、農家戸数、農業人口の揃い踏みの減少は、第三期の工業発展が農村という地域
構造そのものを破壊して進んでいることを示唆している。第二期に比べて第三期に耕地の効率
的利用が後退し、またこの間に食料自給率が急速に低下したことも、農業の再生産構造の
破壊、農村共同体の解体の反映とみなして良いのではないか。

第三期の始まりの農業基本法は経営規模の拡大、農業生産性の向上、需要構造の変化に
対応した選択的拡大を柱とする農業構造の改善を目指した。
40余年の成果として、どうなったか??(以下の数字は、山下前掲書から引用)
農家規模、すなわち農家一戸当りの耕地面積は、日本1.6haに対して、アメリカ197.2、
EUは18.4である。一戸当りの平均耕地面積の拡大率を見ると、1980年から2000年にかけ
てドイツは14.9⇒36.3、フランスは25.4⇒42.0に対して、日本は1.2⇒1.6に過ぎない。
国土面積、ひいては耕地面積の狭さは如何ともしがたい。しかし農家の流出に伴って耕地の
集積が、なぜ進まなかったのか?これを農地価格の面からみると、10a当りの価格が、
アメリカ1.5万円、フランス3.8万、イギリス6.7万、ドイツ14万に対して日本は169.7万円
(いずれも1995年価格)である。資本投下対象としての耕地は、日本では絶対的に採算が
取れない構造になって居る。
農業担い手の絶対数が減少し、最近では耕地の小作料は低下しているが、それでも農産物
価格の低下で借り手そのものが居なくなり、今では転売はもち論、借り手さえなく、耕作放棄地
が拡大している。
このような各国の比較は、明らかに日本の農政の失敗を示唆しているものであって、このような
結果を、個々の農家の行動様式に求める(例えば「補助金に寄生する兼業農家」とか「ホリエ
モンと同じ思考で営農している」農家とか)とすれば、本末転倒も甚だしい。
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by agsanissi | 2008-01-28 13:38 | 考える&学ぶ
2008年 01月 26日

食料自給を考える/食料自給率はなぜ下がった?/15

NB:13回に農業総産出額の「構成比グラフ」が見当たらないと書いたが、やや古い資料
があった。出所が明記されていないが、多分、平成8、9年の農業白書だろう(参照)。
「農業総産出額の品目別構成の推移」として昭和35年から平成7年までの構成比グラフ
が載っている。いま、手元にないので確認できないが農業白書の「付属統計書」が販売され
ているが、長期的な推移を俯瞰するには、白書本体より便利だ。なお「白書」本体は、
農水省の「白書情報」(参照)からアクセスして、読みたければ全文読める。但し、付属統計表
は載ってない(こっちの方が価値があるのにね!)
以下は、全くの余談だけれど、「日本国勢図会」、「白書の白書」など、2-3年前のものは
BookOffで百五円で売られている。これで全体を俯瞰し、必要があれが、最新の資料を
当該官庁のサイト(参照)で確認すれば便利だし、安上がりだ。
***********************************

農業の本質的資源は、太陽と水と土地だ。太陽はどうにもならないが、水と土の賦存量は、
決まっているが、社会的・個人的に「利用可能量」は、この順番で制御可能性があり、社会
システムによって有効量は規制される。
「水資源」については、いずれまとめて扱ってみようと思うが、簡単に水資源機構の「地球と水
の科学館」(参照)の
・地球の水の量
・多くの水は輸入されている、を参照。
特に農業用水に関しては、関心のある人は「世界の水資源とわが国の農業用水」(平成15年
2月、農水省農業農村整備部会企画小委員会の報告書、参照

8回に「支配領域の領民を養えない政治的支配は崩壊する」と書いた。略奪、交易、援助、
生産、いずれにせよ一定量の食糧確保は他の如何なる資源を措いても絶対不可欠である。
「戦争の際に決定的な資源は食料ではなく石油である」(参照)と阿呆なことを云う人もいる
けれど、実際にそうかね?
60余年前に、日本は石油をストップされて、対米開戦を決意したけれど、実際にこの戦争で
死んだ兵士の七割は、戦闘で死んだのではなく、餓死したとされている(参照、他に秦郁彦
「現代史の争点」など)。食糧補給の見通しもなしに兵士を戦場に送り出した参謀連と同類の
阿呆だね。
山下氏は、「食料安全保障はエネルギーの安全保障と対比されることが多い。しかし石油や
電気がなくても江戸時代の生活に戻ることは可能であるが、食料がなくては江戸時代の生活
にさえ戻ることができない
」11.p
農業機械を動かす石油の輸入ができなくなれば農業生産が行われなくなるというのは生産
要素間の代替性を考慮しない議論である
(日本の石油類の総消費量のうち、農林水産業と
食品製造業の割合は6%に過ぎない)」24.pと書いている。
同じあり得ない想定をするにしても、どっちがまともな議論か分からん人は、石油を飲んで電灯
線を尻の穴にでも突っ込んで生きていくのかね?!

さて、耕地だ。
これは「日本に農業はいらないか?」でも触れたことがあるが(何回目か忘れた)、明治から
1960年まで、約百年にわたって不変の三数字と云われた農地600万ha、農家戸数600万戸
農業就業人口1400万人というのがある。それがいま、465、285、312になった(参照)。
平成19年の耕地面積の概要、都道府県別面積、拡張・かい廃(宅地転用、耕作放棄など)など
は「農林水産統計」を参照。最近の制度的な問題については「農地制度について」(平成16年
3月の農水省資料、参照)。

大まかなことを云うと、農地は40年余に130万ha減少した。この間に公共事業で新たな農地
造成が100万あるから、実際の農地減少は230万、このうち半分が宅地や工業用地など都市
的用途への転用。都市近郊の優良農地から転用されていくだろうとは、誰にも推測できる。
まだ、厳密な分析はしていないが、農地の減少(減少率の変化及び減少要因)はインフレから
デフレ時代への転換に対応して二段階に分かれるだろうと、僕は想定している。
取敢えず、山下氏の指摘の中から注目すべきものをいくつか。
兼業農家の所得は農外所得の増加により、勤労者世帯を上回っているとともに、農地の宅地
等への転用によるキャピタル・ゲインにより彼らの資産は増加した。毎年のキャピタル・ゲインは
農産物生産額の60%にもなる。農業の所得率は30%なので、キャピタル・ゲインは農業所得
の二倍に相当する。...土地のゾーニング(農用地の区画線引き)がしっかりしてない日本で
は、都市近郊農家は農地転用が容易な市街化区域内へ自らの農地が線引きされるされること
を望んだといわれる
。54-55.p(これは、いまや昔の夢だ)
土地持ち農家のこのような行動はいまや圧倒的多数となった勤労者の反感を買った。
”農家栄えて農業滅ぶ”という状況にもかかわらず、農業に対する反発も高まった
。55.p
農地の減少の半分は植林や耕作放棄等による農業内的かい廃である。ここでも高米価、生産
調整の影響が見られる。消費の減少している米の価格を高くすることによって消費=供給を更
に減少させる一方、他の産品については米との相対的な収益を不利にすることにより、生産
意欲を減退させることになった。(中略)
このような農業内的かい廃のほうが1994年以降都市的かい廃を上回っている。1995-99年
の5年間で都市的かい廃10.5万に対して農業内的かい廃は12.6万haである。これは1994
年以降生産調整規模が拡大しているにもかかわらず、米価が低下していることを反映したもの
と考えられる
。56.p(要するに土地を引受けても収益見通しがないから、引受けてがなく耕作
放棄されているということだ)。

農業所得よりも土地の値上がり益の収入のほうが多く、かつ米の生産性向上に励むよりも生産
調整に協力して何もしないか、大豆や麦を捨て作りにしておいた方が収入があがるような状況
を、何十年にもわたって集落ぐるみ、村ぐるみ、農協ぐるみ、半ば強制されて、それで「意欲ある
農業生産者」など、どう逆立ちしたら育てられるのだ?!
このように歪んだ農業構造や農業の頽廃は、確かに戦後の米偏重・高米価政策に由来する
けれど、僕は、単にそれだけが要因とは考えない。日本人は稲作農耕民だ、日本の農耕文化
の基底は稲作文化だという歴史的な思い込みが深く係っていると考える(土を考える/日本人は
稲作農耕民か/8、「環境」と云う殺し文句、参照)。
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by agsanissi | 2008-01-26 07:24 | 考える&学ぶ
2008年 01月 25日

食料自給を考える/食料自給率はなぜ下がった?/14

新たに二冊の本を読んでみた。
【WTO時代の食料・農業問題】/梶井功/03年4月
【国民と消費者重視の農政改革】/山下一仁/04年8月
山下氏の論文・コラムなどは経済産業研究所(RIETI)のサイト(参照)にまとめられている。
いずれも読むに値する優れた論文だと思っている。

まず食生活の変化を考えてみよう。
これは多くの人が指摘していることだけれど、敗戦後の占領政策及び対米従属政策と相俟って
文化的植民地化現象を第一段とすれば、多国籍企業の席捲に拠る「マクドナルド化する社会」
化現象を第二段と、僕は専ら考えてきた。
例えば、【WTO時代の食料・農業問題】で指摘しているが
敗戦後の日本の栄養政策、そして食生活についての指導は「欧米に比べ、我々の食生活は
後れている。もっと肉を食べ、牛乳を飲むようにしなければならぬ」というものだった。米と味噌
汁に替わってパンと牛乳が食生活近代化の象徴として、「米を食えば頭が悪くなる」といった
デマゴギーまで交えて奨励されたものである。それがアメリカの穀物輸出戦略に従ったもので
あることは、今日では良く知られている。学校給食を含めて、アメリカの輸出戦略が最も成功し
た事例として日本の食生活転換がしばしば語られることを指摘しておこう
(参考文献として高島
光雪【日本侵攻アメリカ小麦戦略】、トレージャー【穀物戦争】を挙げている)。
選択的拡大を生産政策の軸に据えていた農業基本法の食生活の認識も、欧米型に近づくこと
が食生活近代化であり、所得水準の上昇が必然的にそういう方向での食生活の変化をもたら
すということだった。
145.p
要するに、食生活の高度化・多様化とは、決して自然に進んだのではなく、アメリカの小麦戦略
の結果だというわけだ。従って、「選択的拡大」政策は、対米従属の農家選別政策だとして野党
や組合は反対し、結果として農業構造変革の足を引っ張り、自給率低下の一因をなした。

最近まで、僕も専ら、アメリカナイズされた生活文化の受容の一側面という捉え方をしてきた。
しかし中国の変化を見ていると、必ずしもそればかりじゃないのではないか、ひょっとすると生活
が豊かになり、都市化すると共に、向かっていく「高度化・多様化」の一側面かもしれないという
疑念を(何%か)抱いている(もっと平たく言えば、豊かになれば美味いものを食いたくなるのが
人情だ。粉食と粒食文化の違いは、どう関わる?)

例えば、【食糧争奪】に、中国の食生活の変化に伴い「質」の追求とそれに伴う専用小麦の不足
が起きているとして、次のように書いてある。
中国では90年代後半から、都市部を中心に主食が米食からパン食に移行しつつある。日本の
60年代後半と同様、通常、パン食への移行は、都市化の加速と女性の社会的進出などが絡
み合って進行する。これに伴って、中国の小麦需要も純硬質小麦、月餅などに用いられる軟質
小麦から、パンやケーキ・菓子用の強力粉、マカロニ用のセモリナとケーキ用の薄力粉の原料
小麦などの専用小麦に移行している。
105.p
また、今後の肉類の消費量について、アジア型に向かうのか西洋型に向かうのか、二つの見方
があるという。すなわち、
03年の日本の一人当たりの年間の肉類供給量は43キロに対し、米国は125キロ、フランスは
111キであり、アジアでは中国が52キロ、台湾77キロ、韓国49キロと少なく、「アジア型」とも
言える食料消費パターンがある
。(今後、一段の経済成長に伴って、「西洋型」にまで進むのか
どうか?)87.p
この件に関して、今後の注目点は
・中国もまた、アメリカナイズされた生活文化の受容者とみるかどうか、
・インドは、宗教的禁忌の影響が強いが、今後の経済成長と共に食生活がどのように変わって
いくのか(第三回食料の未来を描く戦略会議で配布の参考資料2の「食料をめぐる国際情勢と
その将来に関する分析」の21-23頁で、インドの食糧需給について、多少、言及している。
)、
・肥満対策として、欧米諸国で「日本型食生活」が再認識され始めている。今後、ある種の回帰現象が起きるのかどうか。

60年代以降の食生活の急激な変容が、アメリカの「小麦戦略」を始めとした文化的植民地化の
結果なのか、経済成長・都市化に伴う生活の高度化・多様化の一般的結果なのか、いずれで
あるにせよ農政の対応の如何によっては、その結果は違ったものになったはずだ。次に、この
点を考えてみよう。
山下氏は、【国民と消費者重視の農政改革】の「農業問題とは何か」と題する第一部の第二章
で「特殊な日本、食料自給率はなぜ低下するのか」をテーマに扱って、
・自然の制約による国際競争力のなさ
・政策の失敗による国際競争力の低下
・食料安全保障の基礎である農地の減少
以上の三点について分析している。的確な指摘をいくつか摘記しておく。
「自然の制約」については、多くを触れるまでもない。
土地という生産要素の相対的に少ないわが国は、土地集約型産業である農業には比較優位を
持ちにくい。日本の耕地面積は487万haに過ぎず(2000年)、アメリカの78分の1、EUの27
分の1に過ぎない。但し、規模の点を除けば、日本の気候・風土は農業に適している。
37.p
この「自然の制約」を超克するために、戦前は軍部を中心に国土生命線論を唱え、大東亜共栄
圏構想を打ち出し、或いは移民政策を奨めた。戦後も、一時オーストラリアの土地買収構想な
ど囁かれた。今後は、水や土地が、国際的に「食糧生産」の隘路になってくれば、その程度に応
じて「日本の気候・風土」は、相対的な比較優位にはプラスになりうる。
また視点を変えれば、植物工場構想では、相対的には土地の制約を超えられるし(この点では
資本競争になるから、小農は耐えられない)、或いは「他人の土俵」(規模)では勝負せず、「自
分の土俵」(質)で勝負するか、そもそも「勝負」などという考えを超克してしまうか(決して、意図
的にではないにしても、第二種兼業農家の生き残りは、結果的には、これに等しい)。
「政策の失敗」に関しては、
高度成長期以降の農政は消費者から離れていった。これを端的に示すのが食料自給率の低
下である。自給率の低下はわが国農業生産が食料消費から乖離し、消費の変化に対応できな
くなった歴史を示している。(中略)
農業基本法は所得が高まるにつれて消費が拡大すると見込まれた畜産、果樹等に農業生産を
シフトさせ、食生活の急速な変化に対応させようとした。しかし、実際には米について消費の減
少とは逆行するような政策が採られた。米価が重点的に引上げられたため、米と麦等他作物の
収益格差は拡大していった。選択的拡大のためには、消費の減少する米の価格を抑制し、消
費の増加している麦等の価格を引上げるべきであったが、これとは逆の政策が採られた。当時
これは麦の安楽死政策と呼ばれた。更に、兼業化が進み二毛作から単作化に移行したことも
耕地利用率を下げ、食料自給率を低下させた。
45.p
高米価はわが国農業の構造改革を遅らせ、国際競争力に低下をもたらした。46.p
需給均衡を無視した米価の引上げにより過剰を発生させ、米の需要減少の中で過剰をますま
す拡大させながら30年以上も生産調整を続けてる。...米が過剰になるまでは政府も農家も
反収向上に努めた。(中略)しかし、生産調整開始後は、反収向上による国際競争力強化という
道は、米の過剰を悪化させ生産調整強化につながる恐れがあるため、閉ざされた。
47.p
地価の上昇により農地の資産保有的志向が高まったことに加え、高米価によりコストが高く規
模の小さな兼業農家でも自家飯米を生産したほうが米を買うよりも有利であったため農地を賃
貸しようとはしなかった。
48.p
都市の拡大により農村地域の地価も上昇し、農地転用を期待した農家の資産的な土地保有が
高まったため、意欲ある農家への土地集積は進まなかった。
51.p

「米価の極端な統制」によって、コメ以外の作物を作らなくなったという池田氏の指摘は一面の
事実だ。そのお蔭で生産調整と米価の低落を食らって、農家は自縄自縛に陥っている。「コメ
さえつくっていれば確実に元がとれる」時代はとうに終わっている。「非効率な兼業農家が残」っ
たのは、高米価政策と補助金のためばかりではない。まして兼業農家が残ったことが自給率
低下の「最大の原因」と云うとすれば、単なる言い掛りに過ぎない(尤も、自給率低下の最大の
原因は、「米価の極端な統制だ」という文節にのみ掛かるとすれば、一面の事実を衝いてはいる
が、兼業農家を最大のガンと思わせる意図的な悪文だ。)農業基盤整備など農業助成に名を
借りた公共事業の最大の「寄生者」は、関連企業と周辺取巻きの有象無象であって、兼業農家
などとはお笑いだ。(続く)
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by agsanissi | 2008-01-25 08:27 | 考える&学ぶ
2008年 01月 24日

食料自給を考える/食料自給率はなぜ下がった?/13

食料自給問題の周辺部ばかりをウロウロしてきた。そろそろ本丸に攻め込もうか。

日本の食料自給率の長期的推移を見ておこう。基礎資料は農水省の食料自給率資料室の
中 の「日本の食料自給率」(参照)にカロリー及び生産額ベースの自給率推移(昭和35年-
平成17年度)が載っている。推移グラフを俯瞰するには「社会実情データ図録」(参照)の方が
便利で、ここには主要国の自給率推移の国際比較も載っている。

自給率を測るに、カロリー、生産額、穀物自給率その他、何で測るのが適正かという議論が
ある。カロリーで測れば野菜はカロリーが低いからとか、逆に油脂・畜産物は高いとか、その
ためにバイアスがかかるから云々とか、主食である穀物自給率で測るのが適当だとか、いろ
いろ議論がある。いろいろなデータを比較して、目的に応じて、適当なデータを選べば良いし、
拙ければ他のデータと照合すればよいので、予め視野を制限する必要はない。

カロリーベースで「実情データ図録」を見ると、1960年から80年までの20年間に急激に下が
り、80-85年は横ばい、80年代半ば以降、再び緩やかに下がってきている。穀物自給率も
ほぼ同様の傾向。93年に大きく下がったのは、大冷害の年で北東北沿岸部では一粒のコメも
取れなかった(この年の夏に僕は初めて普代を訪れた、あの時の寒々として畑の光景は忘れ
られない)。
自給率低下の長期的傾向は、奇しくもインフレ時代からデフレ時代への転換と一致している。
これは偶然か、何か内的関連があるのか?
一方、自給率の国際比較を見ると、小国と大国、或いは大陸国家と島国、水及び耕地を含めた
自然資源などの要素が、自給率の絶対値を制限していると感ずる。仮に国土面積が同じでも
平野か山岳か、砂漠か森林か、凍土かステップかの違いで自給可能性は全く違ってくる。
また社会経済システムの違いによっても、自給率は制約を受ける。工業の発展が相対的に
低く、農業人口の比率が高い場合は自給率は高くなるし、工業が発展し、社会システムの中で
前々回に触れた迂回生産の比率が高くなれば、また農業の機械化などによって農業生産力が
発展し、農業人口比率が低くなれば、国際競争力に対応した産業特化の割合に応じて自給率
は増幅されて増減する。この面では、池田氏の指摘する素朴な比較優位の議論(12/06の
食料自給を考える/2を参照)も、一般論としては成立する(現在では、「ある国は、その国に
相対的に豊富に存在する生産要素を多用して生産される財に比較優位を持ち、そうでない財に
比較劣位を持つ」というヘクシャー・オリーン理論に取って代わられているが、ここでは深入りし
ない)。

食料自給率の低下を、別の角度から視覚的に表示したものに
「第一回食料の未来を描く戦略会議」の配布資料3「今、我が国の食料事情はどうなっているか」(参照)の中の
・6頁に「私達の食生活の姿は大きく変化した」(昭和40年度と平成17年度の比較、カロリー
ベースの自給率は、この間に73%から40%に低下した)
・10頁に畜産物・油脂類の消費増加に伴う品目別の自給率低下の図示
・12頁に国内農地のみで食料供給する場合の想定メニュー
などが載っている。
また「第二回会議」の配布資料「今、世界の食料に何が起きているのか」(参照)の中の
・8頁に平成18年度のカロリーベースの「品目別自給率」の帯グラフが載っている。グラフの
縦・横を掛けた面積比が、そのまま自給率或いは対外依存率を引上げたり引下げたりする
寄与率を表している。

以上のグラフを見て、直ぐに分かることは、食料自給率の低下の直接的要因は食生活の変化
(急激な洋風化と云っても良い)と、農業生産構造がそれに対応できなかった点にあること。
一般論として、需要構造が変動して、供給体制が対応できなければ、代替品によって置き換え
られ、当該産業は衰退する。逆に供給体制の変革で需要構造が変動し、当該産業の供給構造
が激変する場合もある。需要側・供給側のどっちに変革のきっかけがあろうと、変化は反対側に
及ばざるを得ないし、両者相俟って加速化する場合もあろう。
馬車が鉄道に取って代られ、絹・木綿が化繊に変わられ、天然が合成に変わられ、石炭が
石油や原子力に代わられたように、60年代に始まる約20年間の食生活の急激な変化に
よって日本の農業生産構造も急激に変化した。
・1910年以降の「食生活の変化」グラフ⇒「社会実録データ図録」(参照
・農業生産構造の変化⇒「日本の統計」の中の7-6「農業総産出額」(excelグラフ、参照
視覚的には、もっと適切な構成比グラフが、どこかのサイトにあったけれど見当たらないので、
取敢えず大まかな構成比だけを参考のために表にしておく。単位は兆円、()内は%
(参考に、昭和30年から平成16年度までの農業総産出額の推移グラフを挙げておく)

        総額    米    野菜   果実    畜産
1965    3.17  1.37  0.37   0.21   0.73
              (43.2)(11.7)(6.6)   (23.0)
1980   10.26   3.07  1.90   0.69   3.21
              (29.9)(18.5)(6.7)   (31.2)
1995   10.31   3.05  2.29   0.92   2.58
              (29.6)(22.2)(8.9)   (25.0)
2004    8.79   2.00  2.16   0.77   2.45
              (22.7)(24.5)(8.7)   (27.9)

構成比の変化を見れば、それなりに食生活の変化に対応する努力はしてきた。しかし充分に
対応できず、その隙間を埋めるように外国農産物が流入し、かつ自由化と相俟って国内農業は
敗退した。
また80-85年以降は、食生活の急激な変化は一応収まるが、耕地の縮小、耕作放棄、農業
人口の新たな減少と老齢化などで、国内農業生産そのものが縮小する。特に米の生産調整
及び米価の低迷によって、専業農家が激減し、最近は第二種兼業がほぼ七割(農業収入以外
の所得が中心の農家)を占め、農業総敗退という事態に立ち至って、一段と食料自給率が低下
している。
以上のグラフ及び構成表を俯瞰するだけでも
自給率が半減したのは、単なる都市化の影響ではない。最大の原因は、米価の極端な統制
だ。コメさえつくっていれば確実に元がとれるので、非効率な兼業農家が残り、コメ以外の作物
をつくらなくなったのだ。こういう補助金に寄生している兼業農家がガン
」(参照
という言い草が、根拠のない言い掛り(暴力団並みの難癖ですね)とわかる。
規模別・経営形態別の経営分析や米の生産費のカバー率(販売費が生産費の何%をカバー
出来ているか)を見てみれば、直ぐに分かるが、要するに米生産の赤字を兼業収入でカバー
しているから、兼業農家が生き残っているだけで、「補助金に寄生」など阿呆かとしか云いよう
がない。仮に、兼業農家がコメ生産から総退出すれば、穀物自給率は10%程度に、食料
自給率は20%程度になるのじゃないかな?(続く)
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by agsanissi | 2008-01-24 12:25 | 考える&学ぶ
2008年 01月 23日

食料自給を考える/閑話休題/12

穀物相場の短期的変動を追いかけた所で、それで自分の畑作物の次年度の作付面積を考慮
するほどの直接的連動性もないし、かと言って「短期的」変動を即「長期的」見通しに読み替え
て、将来の不安を煽るような記事は僕の本意ではないから、あやふやな見通し記事など関心が
ない。とはいえ「食糧市場の動向」に触れたせいか、多少、気になる記事が眼に付くようになった。それに触れる前に、最近、疑問に思っている二三のことを心覚えとして書いておく。

・80年代を境にインフレ時代からデフレ時代に転換した。デフレ時代はいつまで続くのか、
原油高騰、資源価格の高騰を背景に再びインフレ時代に再転換する(した)のか?
・日本もアメリカも膨大な財政赤字を抱えている。アメリカの好景気を支えてきたのは財政
赤字と貿易赤字で、要するに借金で贅沢をして来たに過ぎない。この赤字の積み増しが
いつまでも続くはずはないし、かつてこのような赤字は超インフレによってチャラにされてきた。
事実、「超インフレ時代」がやってくるという予測はいくらもある。
・アメリカのサブプライム問題と株式市況の崩落は、タイムラグをおいたデフレ時代の到来を
告げるのか?とすれば世界的なデフレ時代は、まだまだ続くと見るべきだろう。
・現在の資源高騰(原油、穀物、金、レアメタルなど)は、超インフレ時代の前触れなのか、
それとも資源高騰で世界的なデフレ圧力は一段と強まるのか?
・いわゆる先進諸国とBRICs諸国との対応は、二極分化する可能性があるのか?

僕は、自分で農業を始めてからこの十数年、意図的に外部情報を遮断してきた。余計な雑音
などに眼もくれず、ひたすら深山幽谷で農作業に明け暮れ、自立した生活を確立するよう努め
てきた。作物生理学や農業技術には関心を払ってきたが、農政や農業構造、食料自給など
関心を払ったことはなかった。一昨年は、偶々、目にした投稿をきっかけに「日本に農業はいら
ないか」などを書いたけれど、余りに近視眼の阿呆な論考に腹が立って筆が滑っただけ。
それでも、最近は僕の畑作農業の足元を、いろいろな意味で揺るがしかねない政策変更や
構造変化が身近に起きている。今更、それでジタバタする程のことはないけれど、これから
「農のある生活」を営もうという人には、この構造変化や政策変更は何がしかの重要な意味を
持って来るかも知れない。そんなわけで、多少は農政「天気」にも、眼をくれようかと心配りを
し始めた。とはいえ、十数年のブランクは否み難く、全く見当違いな藪睨みをしているのでは
ないかという懸念は払拭されない。閑話休題の余談なんて変だけれど、以上は余談。

昨日の東京新聞Web版に「水不足、食糧難加速と予測」の記事が載っている。
国際農業研究協議グループ(CGIAR)の傘下の「国際水管理研究所」が各国のバイオ燃料
増産計画などを基に、2030年にバイオ燃料を生産するために新たに必要となる水資源量や
土地を予測した結果、
バイオ燃料生産の急拡大が、ただでさえ深刻なアジアの水資源問題や世界の食糧問題を
さらに悪化させ、貧しい人々の暮らしを圧迫する危険性がある

と警告したというものだ。
一般的に「作物の要水量」(参照)として、水が農業生産の制限要因になることは知っている
けれど、国際的には水の制約が「食糧問題」の隘路になりうると、どれほど自覚しているだろうか、少なくとも僕は「食糧争奪」を読むまでは、そんな自覚を持っていなかった。
水の「制約問題」は、次のような問題を提起する。
・中国の経済成長と食生活の変化で、中国人が日本人並みの「食生活」をする
ようになれば、中国の水不足と相俟って、忽ち食糧輸入大国(今でも充分に大国
だが)に変容する。今度こそ、レスター・ブラウンが提起した「中国人を誰が養うか」
参照)という懸念が、本当の懸念になる可能性がある。
・遺伝子組換え技術は、食糧不足の救世主のように云われているが、「大量の
水資源を使った略奪型農業という側面」持っており、化成肥料と同様に、別の
形で自然資源の荒廃を一段と促進する可能性がある。
・アジアの中では相対的に水資源の豊かな日本は、農業放棄という形での自国
の水資源の浪費と食糧輸入という形での他国の水資源の浪費という二重の浪費
を、いつまで続けられるだろうか?

今日のDiamond on line に「穀物相場の高騰を誘引!非遺伝子組み換えプレミアム」という
記事が載っている(参照)。
昨年は、大豆で約9割、トウモロコシで7割以上が遺伝子組み換えになった。
作付け比率が減りつつある非遺伝子組み換え作物は、遺伝子組み換え作物との分別管理
など手間がかかる。
そのため、輸入元の商社などが穀物価格に数パーセントのプレミアムを上乗せして、米国
の農家に非遺伝子組み換え作物を栽培させてきた。(中略)
ところが、穀物価格の高騰で状況は一変。農家の実入りは3~5倍になり、BMWやベンツ
などの高級車をどんどん買えるほどカネ持ちになった。
そのため、「わざわざ手間をかけてまで、プレミアムをもらう必要はないと考える農家が増え
ている」(商社関係者)のだ。それでも非遺伝子組み換え作物を栽培してもらおうとするなら、
さらにプレミアムを積み増しするしかない。(中略)
ここ数年でプレミアムの額はかつての3倍に跳ね上がった。今年は、さらに3倍になるとの
見方もある。
すでにその兆候はある。一年前、東京穀物商品取引所で、食用に使われる「Non-GMO
大豆」(非遺伝子組み換え)の先物価格が、飼料用などに使われる「一般大豆」(遺伝子組み
換え)を上回る幅は、10%程度だった。
ところが、非遺伝子組み換えの価格が2倍になった今年は、35%程度まで拡大している。
豆腐や味噌などを作る中小食品メーカーには、原材料価格の上昇分を製品価格に転嫁でき
ず、倒産や廃業に追い込まれる企業も少なくないが、今年はさらに厳しさを増しそうだ。


ダイズは、トウモロコシ作付けとの競合で作付け面積が減っている。
「米国産大豆の減産分を埋め合わすことは可能か」という記事(参照)を見ると、一段と厳しい
ようだ。
米農務省(USDA)発表の12月需給報告(WASDE)によると、作付面積の減少に伴い
生産高が前年度の31億8,800万Buから25億9,400万Buまで減少した結果、期末
在庫も5億5,500万Bu(在庫率は18.0%)から1億8,500万Bu(同6.2%)まで引き下げ
られており、2003/04年度以来の需給逼迫状況が下値を強力にサポートしている。(中略)
今年度の大豆逼迫状況を解消するには、トウモロコシに対して大豆相場の水準を相対的に
押し上げ、農家の大豆に対する生産意欲を高める必要がある。しかし、大豆はさび病発生
などのリスクがあることに加え、南米産の生産状況次第で価格が暴落するリスクもあるため、
農家は大豆生産に慎重な姿勢を崩していない。このまま年明け後の面積争奪戦に突入すれ
ば、大豆の作付面積は伸び悩み、一段と需給逼迫リスクが意識されることとなるだろう。

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by agsanissi | 2008-01-23 13:09 | 考える&学ぶ
2008年 01月 22日

食料自給を考える/食糧市場の変貌/11


大した脈絡もなしに気の向くままに読んでいる。一昨日辺りから
1.【環境危機をあおってはいけない】/ビョルン・ロンボルグ/03年6月
2.【グローバリゼーションと日本農業の基層構造】/玉真之介/06年3月
3.【食糧争奪】/柴田明夫/07年7月
4.【フェルマーの最終定理】/サイモン・シン、などの本を読んでいる。
グローバリゼーションと食糧争奪は読み終わった。環境危機はものすごく面白い本だけれど、
脚注がやたらに多く(2930もある!)、それを丹念に拾っていると、繰り返し中断されて不愉快
だから、素読と精読で二度目を読んでいる。

【フェルマーの最終定理】の最初のほうに、科学理論と数学理論の違いが出てくる。科学理論
は、手に入る限りの証拠にもとずいて「この理論が正しい可能性は極めて高い」と云えるだけな
のだ。いわゆる科学的証明は観察と知覚をよりどころにしているが、そのどちらもが誤りをまぬ
がれず、そこから得られるものは真実の近似でしかないのである、と指摘した上で、B・ラッセル
の言葉を引用している。
逆説的に見えるかもしれないが、精密科学はどれもみな近似に支配されている

社会科学は、精密科学には程遠い。まして市場分析などというものの多くは、「科学」というも
おこがましく、思惑と欲に引きずられた雑音に等しく、変動グラフの上げ下げと共に一喜一憂を
繰り返す後追い分析か、短期的変動を「長期」と錯覚するか長期的変動の変わり目を「短期」的
変動と軽視するか。しかも不思議なことに、一つの流行の流れが決まってしまうと、それを補強
するような証拠ばかりが次々と挙げられる。
地価高騰の真っ最中には、まだまだ挙がるという挙証が自信たっぷりに語られるし、仮に最初
の変わり目に遭遇しても、次のリバウンドを期待して奈落へと引きずり込まれていく。
【環境危機をあおってはいけない】の最初のほうに「環境論争では、すごく短期のトレンドをもと
にして、一般論が展開されるのをよく見かける」と批判している。実はこの本は、これでもか、
これでもかというほど執拗に短期的トレンドを「一般的」傾向とする「環境論者」の思い込み
小気味良く追究している。
気象変動に関するニューズウィークの記事が引用されている。
地球の気候パターンが激しく変動を始めており、こうした変動が食糧生産の大幅な減少につな
がるかもしれない暗い兆候が現れつつある。これは地上のあらゆる国にとって深刻な政治的問
題を引き起こす。食糧生産の低下はごく近い将来、ひょっとするとほんの10年ほど先に始まる
かもしれない。

さて、この引用をした上でこう批判している。
今日僕たちが聞く温室効果の心配と実によく似てはいるのだけれど、実はこれは1975年の
記事で「冷えゆく世界」と題されている。当時はみんな、地球寒冷化を心配していたのだ。

どうです、付和雷同が本能のマスコミは勿論、科学者を含めて自分の忘れっぽさに反省を促し
てくれそうな話題豊富なこの本に魅力を覚えませんか?!

さて、望遠鏡を顕微鏡と取り違えたり、その逆に微視的なものを巨視的に錯覚したり、とかく
空間的・時間的スケールの縮尺を適正に測れないのが、我々の観察眼だけれど、様々なレベ
ルのスケールがあり、スケールの取り方によって、真実はまるで違って見えることがあるものだ
と認識しているのはまだましなほう。自分の見ているものが唯一の真実などの思い込みは迷惑
この上ない。無駄話はこれくらいにして...。

【食糧争奪】の中から、一昨日・昨日の引用と多少はダブル点もあるが、興味を引かれた二三
の指摘を紹介しておく(引用文は、簡略化のため多少書き換えた部分もあるが、文意は変えて
いない)。

・穀物市場は「薄いマーケット」/三つの脆弱性
第一に、生産量に対して貿易量が10-12%に限られ、輸出国の国内生産量の変動を増幅
する形で貿易量に反映される傾向がある。
第二は、主要な輸出国が米国、カナダ、オーストラリア、南米、中国に限られている。
第三は、穀物輸入国も日本、韓国、台湾などのアジア諸国に限られている。
このような脆弱性を持つ穀物市場に、最近、新たな構造変化が起きている。①穀物需給の逼迫
傾向が強まっている。②小麦市場に、新たに旧ソ連圏などの新たな輸出国が台頭しているが、
その生産量は天候に左右される傾向が強く、市場の安定性には寄与しない。③伝統的な穀物
輸入国のEUに加えて、中国、インドが新たな穀物輸入大国に転じつつある。
31-32.p

・穀物メジャー
70年代初めに、旧ソ連への大量穀物輸出をきっかけに、その存在が知られた。80年代に米国
の農業不況下で企業再編が進み、90年代にグローバル化の進展を背景にスケールメリットと
中核企業への特化を狙いとした再編が加速した。
最近の穀物需給構造の変化を受けて、第一に、伝統的な輸出基地であり圧倒的な穀物生産力
と輸出力をを持つ米国内で集荷力と販売力を強化して、国内市場での専有率を高める。第二
に、近年、穀物生産・輸出量が飛躍的に拡大しているブラジル、アルゼンチンでの集荷体制及
び輸出拠点を確保すること。第三は、日本、韓国、台湾、東欧諸国に加えて中国、東アジア諸
国に進出して販売拠点を築くこと。以上三点が、穀物メジャーの戦略だ。
45.p

・「高い資源時代」
世界経済のけん引役が、90年代までの日・欧・米の先進国から、00年代に入ってからは中国
を中心とする世界人口の四割を超えるBRICs(ブラジル、ロシア、インド、中国)など新興市場
国に移ったことを背景に、「高い資源時代」に均衡点が変化した。世界経済を牽引しているのは
人口八億人弱の先進国ではなく、人口約三十億人のBRICs諸国の経済発展である。90年代
までは、経済がサービス化・ソフト化されていたため、いくら成長してもエネルギー・資源需要に
は直決しなかった。BRICs諸国の成長は「もの作り」であり、そのためのインフラ整備である。
それは地球規模でのエネルギー・資源多消費型経済発展であり、需要ショックといった形で
世界の石油需要の急増と直決する。
63-4.p

・水問題
地球上の水の量は13.8億キロ立法㍍、内淡水は0.35億(2.5%)、その内三分の二は南極の
氷雪で、比較的利用しやすい河川・湖沼の水は0.01%にすぎない。148.p
世界の年間の水使用量は、1950年1350キロ立法㍍から00年5189キロ立法㍍に約4倍
近くに増加した。一方、人口一人当たりの水供給可能量はアフリカでは20.0から5.1千立法
㍍に、アジアでは9.6から3.3に減少した。
148.p
世界の農業地域で水不足が進行していくにつれて、今後、農産物貿易は作物生産に必要な水
の量によって決定されることになりそうだ。水不足がすでに深刻なアジア諸国は、最大の食糧
輸入国になり、自らは工業製品の最大輸出国になる可能性が高い
。151.p

・フードシステムの構造変化
生産された農水産物が、実際に「食品」として消費者の手元に届くまでには、様々な段階を経ている。この中間過程の複雑さは、ある程度まで「A」の歴史的な広がりに対応している。A=家族の場合は、中間過程はせいぜい「調理」を想定すれば充分だが、食肉や小麦粉その他諸々の添加物がマクドナルドのハンバーグとして我々の口に入るまでの一連の中間過程は、流通・加工・製品流通・販売と多段階の複雑な経路を辿っている。一般に、これは迂回生産と呼ばれ、
迂回経路が複雑になるほど付加価値が高まると見なされている(以上は、僕の文)。
この一連の過程全体を、仮にフードシステムとして捉えると、このシステムの
入口の農業生産額は10.1兆円(+漁業2.9兆円、2000年の数字)、出口の飲食料最終消費
額80兆円。最終消費額の規模は80年に44兆円→90年に64兆円→00年に80兆円と着実に
拡大してきた(この部分については「我が国食料市場をめぐる環境変化」の二頁「食の生産・消
費のフローチャート」を参照せよ)。
90年代のグローバリゼーションの下で、フードシステムに構造変化が起きていることを、次の
ように指摘している。
①外国産原料資源(半製品)の輸入が急増する一方、②国内農業(生産)が縮小、③さらに、消費面でも外食産業・中食産業の成長などを背景に、日本のフードシステム構造そのものが変化している。具体的には、食品産業の海外生産シフトが加速し、国内産業との分離が進んでいる点である。この結果、日本のフードシステムが海外のそれに一部ビルトインする格好となり、国内農業と食品産業の関係が以前より緩やかになりつつある。
特に、この傾向は冷凍野菜市場で顕著である。日本の冷凍野菜の輸入は、90年の30.5万トンから2000年74.3万トンへと拡大、この過半は中国からの輸入である。一方、この間、国内の冷凍野菜生産量は10.1万トンから9.2万トンに減少するなど、国内での生産・雇用の空洞化現象が生じている。
232.p

2000年時点では、食品産業の海外生産比率は製造業全般(14.5%)に比べて、まだ微々
たるものだが(3.2%)、これは取り残された結果と見るのか、これから大いに伸びる数値と
見るか、見解の分かれるところだ。しかし製造業をはじめ食品産業の出口と中間付近の産業
が、収益率の拡大を求めて海外に移転し、あるいは海外の多国籍企業にビルトインされ、国内
産業が空洞化していくとすれば、取り残された農業分野は「空洞」居住者の格好の住処には
なり得ないだろうか。
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by agsanissi | 2008-01-22 10:04 | 考える&学ぶ
2008年 01月 21日

食料自給を考える/世界の食糧市場/10

続き、
・小麦需給の逼迫
▽すべては豪州の大干ばつによる小麦価格の高騰から始まった。北半球でも、欧州、ウクライ
ナやカザフスタン等の黒海沿岸諸国、またカナダも2 年続きの干ばつに見舞われ、生産量が減
っている。
▽小麦の期末在庫率が急速に落ち込み、1973 年の食糧危機の際の期末在庫率(21.2%)
を大きく下回るレベルまで低下している。全体としては消費量も生産量も伸びているが、消費の
伸びに生産が追いつかず、世界の在庫が取り崩されている状況にある。臨界点を超えつつある
状況の中で豪州の大干ばつが起こり、ここにかなりの投機マネーが入ってきた。
▽米国の小麦は今年わずかながら増産されたものの、エジプト、バングラデシュ、フィリピン、
インドなどが先を争って米国小麦の買い付けに走っている。その結果、来年は米国の小麦在庫
が1960 年代並みの低水準まで下がってくる。小麦価格が上がればトウモロコシ・大豆に伝播
する。小麦の2 割程度は家畜のエサに回っているためだ。
▽トウモロコシは大半が飼料用で、いままでは小麦との間で値段の引き下げ合いをしていた。
しかし小麦在庫がこれだけ減ると、飼料に回る部分がなくなり、トウモロコシのエサ用需要が増
える。そのトウモロコシはエサ用だけでなく、バイオエタノール向けの新しい需要も増えている。

・食料需要とエネルギー需要の競合
▽米国のトウモロコシは今年、歴史的大増産となった。エサ需要、エタノール原料需要の増加
を見越して農家が作付けを大幅に増やしたためだ。大豆の作付けを減らしてトウモロコシを増
やした結果、大豆生産量はガタ落ち、トウモロコシは過去最高水準に達した。だからといって
トウモロコシ在庫が来年に向けて大きく積み上がる状況にはない。一方で大豆は来年に向け、
期末在庫率が7%台まで急速に落ち込んでいく。
▽小麦は世界的な需給逼迫傾向があり、大豆も米国の減産によってタイトになる。トウモロコシ
の生産量は増えたが、バイオエタノール向け原料需要が急増し、米国では昨年ついに輸出需
要にほぼ並んだ。今年は輸出需要を大きく上回る構図になっている。
▽ブッシュ大統領のエネルギー政策もエタノール需要を後押ししている。今後10 年のうちにガ
ソリン消費量を二割削減し、代わりにトウモロコシ原料のエタノールを中心とする再生可能燃料
の生産を350 億ガロンまで増やすという(昨年で7 倍だ)。350 億ガロンのエタノールを作るた
めには、米国の全トウモロコシ生産量をエタノール向けに回す必要がある。
▽世界の穀物需給の流れは、期末在庫率の動きに集約して表れる。期末在庫率をみる場合、
3つの視点が重要だ。どういう方向に向かっているか、スピードはどうか、レベルはどうか、の3
つだ。これを当てはめると、在庫率は下がる方向にあり、2000 年に30.2%だった在庫率が、
いまでは15%に半減するという早いスピードだ。そしてこの比率は、食糧危機が起こった
1973 年の期末在庫率15.3%をも下回るレベルとなる。今後の穀物需給にはかなりの注意が
必要だ。

・中国のインパクト
▽中国の実質経済成長率は今年上半期で11.5%で、年間を通しても11%台半ばを維持する
勢いだ。中国の経済成長は、世界の資源の消費や価格の動きと重ね合わせることができるほ
どインパクトが大きい。
▽中国の食糧で無視できないのはトウモロコシと大豆だ。どちらも国内需要が急増している
作物だが、中国政府は、トウモロコシは増産して国内で賄おうとしているが、大豆は輸入を増や
している。ブラジル、アルゼンチンという大豆生産国が現れたためで、大豆輸入は3000 万㌧
を超え、世界の大豆貿易量7000 万㌧のうち半分近くが中国の輸入に回っている。
▽トウモロコシは米国に次ぐ輸出国だったが、輸出余力が落ち込み、輸入国に転じるのではな
いかともいわれる。トウモロコシは米国が世界の生産量の4 割、貿易量の6~7 割を占め、
中国が輸入国に転じれば米国から輸入するだろう。その米国ではバイオ燃料向け需要が急増
し、輸出余力が落ちている。中国が輸入を始めたら、限られた量のトウモロコシをめぐる争奪戦
が始まる。
▽食糧をめぐるいまの環境は、食糧危機前後と類似点が多いが、スケールアップされている。
当時はソ連(現ロシア)が大量の大豆をシカゴから買い付け、価格が一気に高騰したが、今回は
中国の動きがこれに置き換わった。

・特定作物への依存
▽世界で大量に商業生産されている作物は約150 種類あり、すべて足すと44 億㌧だ。コメ、
トウモロコシ、大豆という特定の作物に依存している。農業近代化の中で生産性を上げてきた
が、特定の作物に世界が大きく依存するという生産構造のぜい弱化を招いた。その特定作物の
すべてが需給逼迫傾向にある。
▽1973 年の食糧危機後の場合、世界は穀物の作付面積と単位収量を増やし、生産量を増
やすことで対応できた。しかし今回は状況が異なる。世界の人口が増え続ける中で、穀物の
収穫面積は1980 年をピークに減少傾向に転じている
。また、かつては灌漑農業を導入する
ことが単位収量の増加につながったが、これも頭打ち傾向にある。
▽食糧需給をみる場合、「水資源はふんだんにある」という前提で計画が立てられていた。需要
が拡大すれば価格が上がり、供給が増えて需給が均衡するというモデルだが、今後は水の
問題が深刻にかかわってくる。
▽淡水利用できる水資源は地球全体でもごくわずかにすぎないが、工業化・都市化が進む
ほど、河川の水は工業用水等に使われる。農業利用できる部分が減り、地下水をくみ上げる
から、地下水が枯渇したり水位が低下する。穀物生産の増加と灌漑用水面積の増加はパラレ
ルで推移しており、灌漑用水が今後増えるのは難しい状況にある。
▽小麦1㌧を生産するのに必要な水の量は1150 ㌧、大豆は2300 ㌧、牛肉なら1 万6000
㌧に達する。水自体は増えない中で、水の需要量はどんどん増えている。将来の食糧需給を
みる上で、今後は水の制約という条件を決して無視するわけにはいかない

・遺伝子組換え作物のリスク要因
▽ブッシュ大統領は遺伝子組み換え作物を導入して収量を上げるとうたっているが、どうするか
というと密植をする。密植すれば普通は害虫が発生するが、遺伝子組み換え作物は食べた害
虫が死ぬから収量が上がる。しかしこれは、大量の水資源を使った略奪型農業という側面もあ
る。遺伝子組み換えは商業化から10 年余りで、評価が定まっていない。水の問題など新たな
リスク要因が顕在化する中、本当に安定的なのか疑問だ。これを頼りに食糧生産の拡大を図る
のはリスクが大きい。
▽水の制約、土地の制約、地球温暖化といった変化の中で食糧供給が増えにくい。一方で食
生活は豊かになり、需要が減らない。2000 年以降の食糧需給の特徴は、旺盛な消費の伸び
に供給が追いつかない構図だ。そこに大干ばつ等が重なって需給が逼迫している。今回の需
給逼迫はかなり深刻と言っていい。
▽日本の状況は、食料自給率が40%を切り、農業就業人口・農家戸数・作付面積とも減り
続けている。世界の食料需給が逼迫傾向にある中、食糧輸入を通じて大量の水と農地を輸入
し、国内では耕地470 万㌶のうち1 割近くが耕作放棄されている。水資源も他国は5~6 割
を利用しているが、日本では地形や気候の制約もあるものの2 割しか利用されていない。

◆「高い資源の時代」を迎え、水と土地の制約を受け、食糧もまた有限資源化していく中で
今後、長期にわたって国際的な穀物争奪戦が熾烈化していくとすれば、いままで
・高い関税障壁によって高価格を維持し低生産性農業を保護する農政が国際的非難攻撃
を浴びせられたのと同様に、これからは
・国内の水資源や土地資源を手付かずに放置したまま、金に飽かせて国際市場から食糧を
買いあさり、その何分の一かを無造作に廃棄している食料輸入大国に非難攻撃が浴びせら
れる時代が来ないと、果たして言い切れるだろうか?!
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by agsanissi | 2008-01-21 10:11 | 考える&学ぶ
2008年 01月 20日

食料自給を考える/世界の食糧市場/9


昨日の話の続きで、A=世界とした場合の問題を考えてみよう。この場合、購買力ある需要に
対しては自給率は、常に百で安定しており、在庫率に応じて価格の高低があるだけだ。
グローバリズムは、端的にこの立場に立っている。グローバリズムの究極的な終着点は、
国家的・地域的障壁が取り除かれ、地球全体がやがて開かれた「市場」の競争下に置かれ、
資源及び労働力は最も「合理的」に配分され、そのお蔭を以て世界はますます豊かになると
いう想定だろう。だから食料自給などという阿呆なことを考えるより「普段から輸入ルートを確保
しておくほうが供給不足には有効だ」となる(池田blog「食料自給率という幻想」参照)。

世界をひとつの「共同体」と見た場合(社会主義体制の崩壊とIT革命による国境を越えた情報の「共有」、金融の自由化などは、部分的にはそれを実現しているかに見える)、世界的な富
及び分配の偏在、その結果としての一握りの先進諸国の飽食と他方での飢餓状態という矛盾
を依然として内包しているが、グローバリズムはこの矛盾を緩和するか、それとも先鋭化するか?
グローバリズムは、部分的には国民国家の枠組みを超克しているが、この枠組みそのものを
廃止(「止揚」と表現したいところだが)したわけではない。従って食料の交換と分配をめぐる
争いは、複数の多国籍企業と国家とを交えた複雑なせめぎ合いになるのだろうか?そのせめぎ
合いは緩和される見通しなのか、それとも熾烈化するのか?

昨年12/11に、「温暖化によって何が起こり、どう対応できるのか ―農林水産業に与える影響の評価とその適応策―」と題する第28回農業環境シンポジウムが開かれた(参照)。その講演の
一つに、「これからの日本を取りまく食糧事情」と題する丸紅経済研究所の柴田明夫氏の
レポートがある。当日「配布資料」の要約(参照)を見ると、
世界の食糧市場を見るうえでの「六つの視点」が提起されている。
・均衡点の変化
・世界の食糧在庫の変化
・中国のインパクト
・特定作物への依存
・急速に普及する遺伝子組み換え作物
・三つの争奪戦の始まり

ここには簡単なレジュメしか載っていないが、11/28に農水省主催で東京国際フォーラムで
開かれた「アグリビジネス創出フェア2007」での柴田氏の講演要旨(「バイオ燃料と世界食糧市場」、参照)から、補足的説明を付加しておく。柴田氏は、他に去年の7月に「食糧争奪」という本
参照)を出版している。まだ読んでないが、以下に紹介する内容に比較して特記したい点があれ
ば、改めて紹介する。

・均衡点の変化
▽原油価格が高騰し、ここ数年は金属資源の価格も2~4 倍に高騰している。こうした動きに
ついて私は、長く続いた「安い資源の時代」が終わりを告げたとみている。価格の均衡点が上方
にシフトし、「高い資源の時代」に入った。
▽食糧はこれまで、水と太陽光と土地さえあればいくらでも再生産可能な無限の資源とみられていた。しかし水の制約、土地の制約を考えると、食糧も有限資源化していく流れの中にある。その中で、いままでの価格帯が上方に大きくズレ上がる形で、価格の均衡点の変化が起こってくる。

・世界の食糧在庫の変化
▽世界の穀物の年間消費量に占める在庫比率はいま、1970 年代以降で最低のレベルまで下がっている。これは、中国の影響も大きい。また世界で商業生産されている食糧は約150 種類。そのうち半分以上はコメ・小麦・トウモロコシ・大豆・イモ類など4~5 種類作物に大きく依存する構造になっている。農業の近代化の成果でもあるが、生物の多様性の面からみると脆弱な構造といえる。しかも世界が頼りにしているコメ・小麦・トウモロコシ・大豆がいずれも需給逼迫傾向にある。
▽原油価格の高騰でガソリン価格が上がり、代替燃料としてバイオエタノール、バイオディーゼルの需要が増えている。これらを考え合わせると、3 つの分野で争奪戦が始まる可能性が高い。
ひとつは、限られた穀物をめぐる国家間の争奪戦。2 番目は、エネルギー市場と食糧市場に
おける穀物争奪戦。3 番目は、水と土地をめぐる工業・農業間の争奪戦だ。こういう中で価格の均衡点がズレ上がる可能性が高い。
▽シカゴ市場における穀物価格をみると、過去20 年問にわたって「均衡点の変化」といえる
ような大きな動きは起こっていなかった。それがいま起こり始めている。小麦の価格が昨年秋口から高騰し、1996 年に記録した過去最高値を抜き去った。今年に入って1ブッシェル当たり9㌦60 ㌣まで上がった。最近は8 ㌦前後で調整されているが、この先、何が起こるか。大豆・トウモロコシ価格に伝播し、大豆と小麦の価格差が縮まる。
▽小麦の高騰は、世界的な小麦在庫の不足が原因だ。大豆の方が割安となれば、大豆が
買われる。実際、大豆は1ブッシェル11 ㌦近くまで高騰している。家畜にとっては、トウモロコシが主食、大豆粕がおかずという補完関係にある。大豆の値段が上がると、トウモロコシ価格も引っ張り上げられる。このような上方修正が全体として始まっている。
▽原油価格は1960 年代まで、1 バレル2 ㌦前後だった。1970 年代のオイルショックを
経て、1980 年代はじめには瞬間的に40 ㌦まで上がった。20 倍になったわけだ。上がり過ぎた価格はその後修正され、1980 年代後半から1990 年代までは20 ㌦弱が落ち着きどころだった。いまでは90~100 ㌦に迫るところまで高騰している。実に5 倍だ。
▽この間の穀物価格はどうか。穀物価格も1960 年代までは低位安定だった。1973 年の
食糧危機を経て穀物価格は上方にシフトしたが、その後約30 年にわたって、小麦であれば
1ブッシェル3 ㌦程度、トウモロコシなら2 ㌦程度を中心とする値動きに落ち着いていた。いま小麦は9 ㌦に迫ろうとし、トウモロコシは4 ㌦というレベルにきている。全く新しい価格均衡点への変化が始まっている。 (続く)
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by agsanissi | 2008-01-20 14:11 | 考える&学ぶ
2008年 01月 19日

食料自給を考える/「自給率」という幻想/8

食料自給という概念を、「Aが消費する食料はAが生産する」と、最も素朴に解釈する。
この場合、「A」に何を入れるのが適当だろうか?

現代では、一般的には「国民国家」を入れる。しかし多国籍企業のように部分的に国家の政治的支配の及ばない経済的領域が広がると共に、国民国家を主体にした食料自給率の概念は、事実上、空洞化する可能性があることをイカードのレポートは示唆している。
言い換えれば、「国家の後退」と共に、国民国家の枠組みを分母とする自給率は必ずしも国民的な食料確保の政治的保障にはならないというわけだ。
一方、国民国家の枠組みを取払ってしまえば、食料自給率の割合がどうであれ、食料確保の不安が忽ち襲ってくる。無政府状態に陥った場合は勿論のこと、投機的取引や流通途絶で部分的・一時的な食料の遮断が起きただけでも、不安が不安を呼び、パニックに陥る可能性はなきにしも非ず。「納豆を食べればやせられる」という阿呆なテレビ放送をきっかけに、僅か数日
とはいえスーパーの店頭から納豆が消えてしまったことを思い起こせば、ある種の社会的条件
の下では食料買付パニックの起こりうる可能性は、単なる杞憂とも云えない。問題は絶対的不足ではないし、「日本がすべての国と全面戦争に突入」して「食料の輸入がゼロになる」という
非現実的想定でもない(11/29、池田信夫氏の想定を参照)。
投機的市場では、突然、架空需要が何倍・何十倍にも膨れ上がり、どれだけが実需でどの部分が架空かの区別もつかず、実際の商品は市場から消えてしまい、価格が跳ね上がり、調達に右往左往する事態は珍しくもなんともない。しかもそれが「投機的」市場かどうか、本当のところは過ぎてみなければ分からない。生産財であれ、非生産財であれ、必需品であれ、非必需品であれ、金融商品は勿論、石油・土地・穀物・トイレットペーパー、何であれ投機的取引の対象になりうる。
飽食・自給率の低さ・市場不安などの諸条件は、これにある種の社会的条件が重なれば、投機的取引の格好の餌食になりやすい。
我々は「国民国家」という枠組みを、あたかも自然の賜物のように錯覚しているけれど、ユーゴ、アフガン、イラクのように、突然、暴力的に破壊されてしまう場合もあれば、東欧諸国のように内部的に崩壊してしまう場合もあれば、国家的枠組みは健全でも、マレーシア、台湾、韓国、アルゼンチンのように国民総生産を上回るような投機的資金の餌食にされたり、日本のように投機的サイクルの自己崩壊で国民総生産の何分の一かを一挙に喪失してしまう(戦争を上回る
国富の喪失だ)場合もある。年金基金のような、一見盤石のように見えたものさえ、突然、その内実が如何に危ういものか思い知らされたりする。「ねじれ国会」のような国会機能の部分的
喪失は、時に片肺飛行のような危うさを伴っている。

歴史的には、A=「国民国家」は自明の理ではない。
とはいえ、「A」に個人なり家族なりを入れるのが適当ではないとは、すぐに分かる。
仮に、家族を人間の社会的存在の最小単位と考えれば、A=家族とするのは、必ずしも不可能ではないが、原始社会を想定したにしても合理的とは云えない。一家族だけで継続的に安定して、家族が必要とする年間(或いは一世代間)の食料の総量を生産できるとは限らないから、
家族間での交換と分配は避けられないし、従って一共同体なり共同体間の交換と分配も不可避である。同時に、食料の生産技術が発展するにつれて、一家族や一共同体では消費しきれない余剰食料が生産されるようになれば、この面からも蓄積や交換は不可避となる。
男女間であれ、家族間であれ、世代間であれ、親族間であれ、地域間であれ、分配と交換が始まるとともに、交換の空間的な広がりに並行して、「A」に入れるべき合理的な概念は拡張される。要するに、歴史的発展と共に「A」の合理的概念は拡張される。
食料生産は人間存在の基礎であるから、政治的支配は食料生産手段、すなわち土地及び労働力の所有または占有を前提とする。食料生産にとっては政治的支配は必ずしも前提ではないが、政治的支配にとっては食料生産手段の獲得(その方法の如何を問わず)は絶対的な前提である。支配領域の領民を養えない政治的支配は崩壊する(*)。逆に、政治的支配領域の拡張は、概ね食料生産手段としての土地及び労働力の領有と並行している。
(*)「一般的には」というべきか。ソ連、中国、朝鮮のように何百・千万の民を
飢餓に曝して生き延びた国家もあるし、ドイツやカンボジアのように何百万の
民を意図的に抹殺した国家もある。

食料生産力が発展して、食料生産に携わらないという意味での「遊休民」が増加すると共に、
政治的支配領域の拡張は自己目的化する。
全般的な社会的生産力が発展して、交易が一般化すると共に、食料生産には携わらず、また政治的な領域支配の拡張も求めず、専ら交易によって生活し、交易によって食料を調達する民も現れた(カルタゴなど、現代の日本もやや近いか?)。彼らにとっては、交易という生き方そのものが食料調達を保障している。従って交易の安全を確保する軍事力と植民地都市の建設が不可欠であった(この点では、現代日本はやや不備か)。
交易は、政治的支配領域を超えて絶えず広がろうとする志向を持っている。政治的支配が、
交易を自らの領域内に包摂しようとする一方、交易がそれを超克しようとする争いは、その発生以来現在に至るまで連綿と続いている。現代の争いは国家の後退、市場の復権、新自由主義、グローバリズムなどの概念で表現されている。
「国民国家」が、歴史上に登場したのは、せいぜい16世紀以降、更に政治的支配領域が今日の「国家」と概ね一致するのは、たかだか60年余のことであり、それ以前は、19世紀後半以降、列強諸国の植民地支配は一般的であった。アメリカは植民地獲得競争には、直接には参加しなかったけれど、入植者から見た未開拓地に侵食して、相対的に不足する労働力をアフリカ諸国から奴隷労働として調達した。また政治的支配領域を必ずしも国外に求めなかったけれど、経済的支配領域の拡張には昔も今も積極的である。
植民地支配が一般的な時代は、植民地本国は帝国全体を「A」と認識した。イギリスのような富者の帝国は、食料生産地という認識は相対的に薄く、日本のような貧者の帝国は満州殖民のように食料供給地の拡張意識が強かった。軍部は食料自給を必死の命題に掲げ満州、朝鮮、台湾領有を、文字通りの意味でも・軍事的な意味でも「国土生命線」と捉えていた。他方、被植民
地国にとっては、自らの「祖国」を持たず、A=国民国家とする食料自給率など何の意味も持た
なかった。

というわけで、政治的・経済的支配領域の歴史的拡張とともに、「A」の自然の認識領域は絶えず拡張され(*)、A=国民国家とされるに至って、いまや最終段階に達したのかもしれない。
と同時に、多国籍企業の登場で(或いはグローバリズムによって)国民国家は形骸化する憂き目に曝されている。
グローバリズムに身を委ねれば、「食料自給率」などは、形骸化した分母に囚われた非合理的妄念に過ぎないと見えるし、グローバリズムの負の側面に注目すれば、形骸化した「国民国家」に代わる新たな分母の発見に努めざるをえない。
(*)一方、消費対象が「食料」だという特殊性によって、食文化(または食習慣)・
保存性・鮮度などによって、「A」に入る合理的範囲は制限される。しかし保存
技術や冷凍技術の開発は、この「制限」を拡張する。食文化もまた、グローバ
リズムによって相対化される(「マクドナルド化する社会」)。

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by agsanissi | 2008-01-19 09:29 | 考える&学ぶ
2008年 01月 17日

食料自給を考える/農業の工業化または工業的農業/7


次に、google で「工業的農業」と検索すると、三日前は約38.3万件、今日は56万件ヒット
した。何故か、僕の書いた記事が二番目と三番目に出てくる。三番目の記事は三年前に書い
たもので遺伝子組換え作物と農業の工業化との関係を指摘して、
GM作物の導入は、その単純化された機械化体系とも結びついて、農業の工業化を一段と
促進した。そしてまたこのような工業化された農業が、都市資本なり工業資本なりにとって、
農業を魅力的な投資対象に変質させたからこそ、アルゼンチンの例に見られるような爆発的
なGM大豆の拡張となったのだ。

と書いてある。
二番目には12日の記事が早速、検索対象になっている。余談はこれくらいで...。

「The New Farmer」のサイトに「農業経済 一般教書演説」と題するミズーリ大学名誉教授
ジョン・イカードの02年11-12月のレポートが載っている。そのうち第一部「工業的な農業
の論理的帰結」の部分の要点を摘記すると、

・現在、アメリカの農業は「大きな転換期」を迎えています。私たちが知っている家族農業
や自立した地域社会を基盤とする農業は、農場の機械化による運営と地域社会の衰退に伴っ
て工業的な農業へと急速に変化していっています。このような変化により、大きな危険が
生ずると共に、大きなチャンスも与えてくれます。

・第2次世界大戦後、化学技術――特に商業用化学肥料と農薬――は工業化を促進させました。
そして最近まで、農業の工業化が進む過程で引き起こされたもっとも顕著な結果は、農場の
大規模化、農場の減少そして農家世帯数の減少でした。それでも生産者や家族経営農家、また
農業の重要性を理解している人達は、何をどのように、誰のために生産するのか、それが農地
や周囲の人々にどのような影響を与えるのか、ということに配慮し意思決定を下していました。

・現在進行中の農業の「企業化」はまさしく工業化の最終段階といえます。新技術は常に事業
を拡大し、その都度新規投資を必要としてきたため、最大規模の農家を除く一般の農家は皆、
必要な額の資金をうけることができなくなるという状態に陥っています。農家の多くは、これ
まで投資資本を強化するために同族会社を形成してきましたが、加速する農業の工業化に
必要な資本提供を受けることができるのは公営企業だけとなってきており、その数は増えて
います。...農地や基礎的な生産施設のほとんどは、まだ農家や同族会社により所有されて
いますが、生産は次第に巨大な農業関連企業による管理下へと移行してきています。

・食料システムへの企業の支配力が増すにつれ、契約農家よりも低コストで生産している独立
した農家でさえ、競争に打ち勝つのは困難だと認識するようになってきています。現在企業は、
新技術、特にバイオテクノロジー関連の大部分を掌握しており、農家は契約協定を通してしか
それらを入手できません。

・株式上場の大企業のように株主の数が増え、基本的に所有権から経営が離れてしまうと、
意思決定は企業の利益や発展に影響されます。こうした企業の資本のほとんどは投資信託と
年金基金によって運用され、株主は、すべてではないとしても、投資の価値が上がることに
最大の関心を持つ傾向があります。このように企業に管理された農業はこれまでの農業とは
根本的に異なるものとなります。

・アメリカ人は自国の農業をコントロールできなくなっています。何を、どれだけ、どこで、どの
ように、誰が生産するかは、アメリカ人によってではなく、ますます多国籍企業によって決定
される傾向にあります。...契約協定では誰に決定権が与えられるかが決められますが、
大部分において、農家は地主やトラクターの運転手や養豚場の管理人と同じように見なされ
ており、本来の役割をもつ「農家」として見なされていないことは確かです。

・多国籍農業関連企業はアメリカ農業への支配力をますます強化し、無国籍で世界の至る所
に株主を持っているのです。今後さらに多国籍企業は、アメリカ国外で生産する方がより儲かる
と認識するでしょう。トウモロコシ、大豆、豚肉、牛肉、綿、米などの主要農産物を生産する
場合、南アメリカ、オーストラリア、南アフリカ、中国のような地域と競争するには、アメリカの
農地や労働コストは高すぎるのです。

・世界市場での生存競争に生き残るためには、アメリカの生産者は、土地と人間の両方を搾取
する契約協定を受け入れざるを得なくなるでしょう。大規模な飼育場での養鶏や養豚の工業化
は、大企業による搾取の代表例と言えます。

・大企業がアメリカでの農業を撤退する前に、アメリカの農村地域の多くは"第3世界"に見ら
れる不毛の地へと化してしまっているでしょう。河川や地下水は汚染され、小さな沼に廃棄物
は捨てられ、表土は破壊され疲弊し、帯水層は枯渇し、農村地域の犯罪、未熟な労働者、農村
地域の消滅――これらは、農業の企業化による負の遺産となるでしょう。

・食料の海外依存に対して懸念の必要はないと主張する経済学者は数多くいます。世界的
経済発展の新時代において、アメリカが農業そのものを超えて進化するのは必然であり、食料
は世界各地で安く生産され、もっと低価格で購入できるようになっている今日、アメリカ国内の
土地と労働力に対してもっと高い使用価値をあたえるべきだと助言しています。しかしながら、
もし危機がやって来た時に、食料自給のできない国家は、自衛力のない国家と同じくらい安全
ではないのです。(引用は以上)

食料自給との関係で、このレポートで興味深いのは、農業が多国籍企業の支配下に置かれ
意思決定権を失うとともに、農業もまた工業と同様に「空洞化」し、やがては「食料を自給でき
ない国家」に転落する可能性があるという指摘である。
農産物輸出大国で、食料自給率120-30%のアメリカが、やがて「食料を自給できない国家」
に転落する可能性があるという、一見、逆説的指摘が奇異でも何でもないところに、国家の
意思決定権をも部分的に超えてしまった多国籍企業の支配する現代の産業社会の逆説的
現実がある。

第二部は「消費者の関心が高まる持続可能な農業
第三部は「新しいタイプの農業者
関心ある方は、同サイトで読んで頂きたい。

第二部で、次のように書いている。
農業の根本的な目的は、太陽エネルギーを(植物光合成の働きを用いて)人間に有用な形に
変換することであるにもかかわらず、その農業に様々な機械が導入され、再生不可能な化石
燃料を燃焼して使うことによって、太陽から取り出すエネルギーより大きいエネルギーを
消費するようになってしまったのです。
...
産業の時代は過ぎ去り、目の前にはなにか全く別のものが私たちを待っています。農業は
いまだ工業化の支配から逃れられないでいますが、企業化は工業化の発展過程の最終段階です。すでに先進国世界の他の多くの国々では、工業化を超えた方向へと進もうとしています。

この思想は、11/29に再引用した、「耕す生活」の冒頭の僕自身の考え方と完全に一致する。
そこで僕は「農業は、工業から独立して自分の足で立てばよい」と書いた。しかし「自分の足」
で立つとはどういうことか、発酵学や微生物学との結びつきがその基礎を築くのではないかと
の感じを持っているが、僕にはまだ漠然としか見えていない。
イカード氏は、第三部で「新しい農業」の特徴を三点指摘した上で、「最後に、この新しい
農業者にとって、農業とは生計を立てる一手段であるだけではなく一つの生き方を表明する
ものです」と述べている。
この思想も、奇しくも「耕す生活」の冒頭で
人生の後半生に入って、あえて百姓という生き方を選んだのは、戦後社会を支えてきた、こう
いう考え方に対するアンチテーゼだ。もう、そんな生き方は行き詰ったという、僕自身の生き
方を賭けたささやかな狼煙だ。

と書いた考え方と、完全に一致する。それでもなお、抽象的に留まっているのは否めない。
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by agsanissi | 2008-01-17 08:19 | 考える&学ぶ