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2008年 01月 15日

食料自給を考える/農業の工業化または工業的農業/6

食料自給の問題とはやや離れるが、もう少し、工業的農業の問題にこだわって見よう。

工業的農業の拡大とともに、食品由来の疾患の蔓延が指摘されている。
google で「食品由来疾患」と検索すると、約16万件ヒットする。大別すると
・疫学的アプローチによる疾患の分析
・食品の製法・流通・保存など食品側からの分析
・食生活の変化に伴う疾患予備軍(生活習慣病)の増加など食文化的な分析
僕が、主に関心を持っているのは、主題そのものからして後二者が中心。

04 年11 月、メキシコシティで開催された世界保健研究フォーラム年次大会で
工業的畜産はつぎの世界的な健康危機か?」と題する報告が発表された。
主な論点を摘記すると、
・食肉の「工場」生産体系の始まり
第二次世界大戦後、経済的に最も豊かな国々は、増大する食肉需要を、莫大な頭数の
家畜を戸外や密閉施設内で飼育することで賄ってきた。工業的畜産の時代の始まりで
ある。抗生物質、成長促進剤、穀物中心の不自然な飼料の投入は、当時から現在に至
るまで牛のフィードロット(肥育場)、養鶏場、養豚場に欠かせないものとなっている。

・工業的畜産施設の問題点
工業的畜産がもたらす大量の家畜排泄物は、大気と水を汚す恐れがある。工業的畜産
施設では、家畜が生まれてから屠殺されるまでの間に、疾病の治療や成長促進のため
大量の抗生物質が与えられる。家畜への抗生物質の過剰使用は、耐性菌の出現と関連
があるとされている。工業的畜産はこのほか、食品由来感染症、新興の人畜共通感染
症、肥満、糖尿病、心臓病など非感染性疾患の増加に直接、間接の影響を及ぼしている。

・今後も食肉需要はアジアを中心に急増する
国連食糧農業機関(FAO)によれば、畜産分野の成長が最も急なのはアジアで、その次
が中南米及びカリブ諸国である。畜産物の消費も、今後15 年間、これらの地域で最も
上昇する見通しである。2020 年には、発展途上国の国民は、1980 年代の2 倍に当る、
1 人当り39kg 以上の肉を消費するようになる。しかし、世界の食肉の大半は、引き続
き先進「工業」諸国の国民によって消費され、その1 人当りの消費量は、2020 年には
100kg に達するとみられる。これは牛1/2 頭、ニワトリ50 羽、豚1 頭に相当する量で
ある。

・工業的畜産施設の拡張に伴う環境汚染の懸念
工業的畜産は今日、アルゼンチンからブラジル、中国からインド、南アフリカから東欧まで、
世界中で営まれている。世界の肉牛の43%はフィードロット(肥育場)で育てられる。工業
的畜産ではしばしば、不自然な穀物飼料と、増体を早め過密施設での疾病蔓延を防ぐため
の抗生物質が与えられる7)。世界の豚とニワトリの半数以上が工業的畜産で飼養されている。
畜産は先進工業国が優位を占める産業であるが、途上国でも急速な成長と生産の集約化が
進行している。
これらの地域では、世界で最も人口密度が高く成長の急な都市の近郊や、ときに都市の中
にも多数の工業的畜産施設があるため、周辺の水、大気、土地の汚染が懸念される。

・工業的畜産とは?
工業的畜産とは、産肉量を最大化しつつコストを最小化する、集約的「生産ライン」方式で
家畜を飼養するシステムである。工業的畜産を特徴づけるものは、高密度及びまたは
密閉飼育、強制的な高い増体速度、高度の機械化、低い必要労働量である。具体的な例
としては、採卵用バタリー養鶏、肉用子牛のクレート飼いなどがある。工業的畜産という
言葉は、後に意味を拡大して、遺伝子組み換え動物を使った畜産も含むようになっている。
○ニワトリ
世界の採卵鶏47 億羽のうち4 分の3 がバタリー養鶏で、1 ケージに10 羽も詰め込まれた
状態で飼養されている。ケージは何段にも積み重ねられ、中にいるニワトリはほとんど身動き
ができない。毎年、世界で440 億羽のブロイラー鶏が肉用に育てられている。これらは
ケージには入れられないものの、成長を早めるために内部を薄暗くした不毛な鶏舎で密飼い
されている。工業的畜産のニワトリはしばしば跛行を起し、心臓発作で死ぬことも多いが、
これは、不釣り合いに大きくなった体を心臓が支え切れないためである。
○豚
世界の豚25 億頭の半分が工業的畜産で飼養されている。工業的畜産で飼養される雌豚の
多くは、ほとんどの時間を狭い枠に閉じ込められて過ごし、向きを変える、巣をつくる、
地面を掘るなど、豚本来の行動をとることができない。ストレス下にあるこれらの雌豚は、
しばしば人工授精によって、生涯のうちに何腹もの子豚を出産させられる。
○牛
牛の多くは幼齢期を牧場で過ごすが、屠殺の数週間前になると、増体のためにフィード
ロットに集められ、不自然な穀物飼料を給与される。過密で不衛生な環境で過ごすため、
食肉処理施設に到着するときは牛が排泄物にまみれていることもしばしばである。

・食品由来疾患の実態
食品由来疾患には誰もがかかる可能性がある。しかし、とりたてて問題にしたくない症状
(下痢)を特徴とするために診断も報告もされないことが多く、事の重大性が認識され
にくい。食品専門家が見落としているのは、食品由来疾患は世界で最も広がっている健康
問題の1 つで、WHO の推定では、報告された数の300 ~ 350倍は発生しているという点で
ある。米国では毎年、食品由来疾患のために約7,600万人の患者、32 万5,000 件の入院、
5,000 人の死亡が発生している。このうち、既知の病原体によるものだけを数えると、
患者1,400 万人、入院6 万件、死者1,800人という数字になる。

・食品の生産工程に伴う原因
FAO によると、畜産の商業化と集約化の流れは、食の安全にかかわる様々な問題を生み出
している。工業的畜産施設の、過密でしばしば不衛生な環境と、不適切な排泄物処理は、
動物の疾病や食品由来感染症の蔓延を加速する。たとえば、大腸菌O157: H7 型は、家畜
排泄物で汚染された食品を人が食べることで、動物から人に伝わっていく。東アングリア
大学のイアン・ラングフォード博士によれば、過密な環境で飼養された家畜は、しばしば
糞便まみれで食肉処理施設に到着することがあり、それが食肉中の微生物の増殖と拡散の
下地をつくっている。博士によると「問題は、消費者が食品に十分気を配るかどうかでは
なく……食品の生産工程にある」
(以上は「工業的畜産はつぎの世界的な健康危機か?」からの引用)
この報告書では、素材の製造工程のみの「工業化」が指摘されているが、実際には素材の
生産から、それが加工され我々の口に入るまでの一連の工程全体が、工業的な品質管理を
受けていることは、まるで機械部品のようなマクドナルド店員の対応振り(20年ほど入って
ないから最近はどうなのか知らないが...)にも現れていた。

やや古い資料だが、
・国立医薬品食品衛生研究所安全情報部の「食品安全情報」(04/01/07)の中の
食品微生物関連情報は、OECD諸国の食品由来疾患の状況をその典拠とともに、簡単に紹介
している(参考)。
07/12にWHOは
・Foodborne disease outbreaks: Guidelines for investigation and control
と題する164頁ほどの報告書を公表しているが、まだ読んでない(参照)。


04/07に、WHO は食品由来疾患を大幅に減少させるために、調理中または食事中に、
家庭と職場で実践すべき簡単な「5つの鍵」戦略を発表した。この5つの鍵とは、手と調理器具
を清潔に保つこと、生の食品と加熱済み食品を分けること、食品には完全に火を通すこと、
食品を安全な温度域で保存すること、水と生の食材は安全なものを使用すること等である。
参考
これらは適切な指摘で、確かに「Key strategy」には違いないが、「食品の生産工程」その
ものに由来する疾患には如何ともなし難い。

風土と食文化の不可分の関係という視点から、食生活の急速な変容が及ぼす社会的な影響
には深い関心を払っているが、食品由来疾患の視点からは、食肉の「工業的製法」のみなら
ず、肉食と草食(あるいは穀物食)との違いにも注目する必要がある。
「工業的畜産はつぎの世界的な健康危機か?」には、次のようは調査報告が載っている。
05 年、イングランドとウェールズという工業的畜産が支配的な地域で実施された調査は、
人に感染する食品由来疾患の「乗り物」、つまり媒介食品に注目したもので、貝や果物から
鳥肉に至るまで、各種の食品の比較が行われた。そこから、つぎのような結論が得られた。
 ・鶏肉による食品由来感染症がつねに疾患の増加原因であったのに対し、植物性
  食品に由来する疾患は、調査集団に軽微な影響しか与えていなかった。
 ・食品由来疾患がニワトリから伝わるリスクは、調理済の野菜または果物の
  5,000 倍であった。
 ・レッドミート(牛、小羊、豚の肉)のリスクは低かったが、死亡への寄与率は
  高かった。
 ・食品由来疾患の影響の低減は、主として鶏肉の汚染防止に依存する。

植物性食品については、いわゆる「生活習慣病」との関連でも食物繊維の積極的な摂取が
薦められているが、食生活の変化に伴って実際には減少傾向である。
古いものだが、参考資料として、取り敢えず
高コレステロール血症の改善、虚血性心疾患および糖尿病の予防のための
食物繊維の適正摂取量
」を挙げておく。
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by agsanissi | 2008-01-15 11:47 | 考える&学ぶ
2008年 01月 12日

食料自給を考える/農業の工業化または工業的農業/5


続き、
コロラド州グリーリーの臭いは、町の姿が見えもしないうちから鼻を突く。忘れがたい臭い
だが、説明するとなると難しく、いわば生きた動物と、肥やしと、ドッグフードに練りこむ
家畜の死骸とをつき混ぜたような臭いだ。...
グリーリーは近代的な工場の街だ。肉牛がその生産システムの中心にあって、労働者の手と
機械とで、大きな去勢牛をちっぽけな真空パック詰めの牛肉に変身させている。アメリカ人
が今日、一年間に口にする数十億個のファーストフード製ハンバーガーは、このグリーリー
のような町々からやって来る。過去20年間のあいだに、牛の飼育と精肉加工の過程に工業化
の波が押し寄せ、牛肉生産のありようは根底から変わった。あわせて、牛肉を産出する街の
ありようも変わる。ファーストフード・チェーンやスーパーマーケット・チェーンの需要に
応えて、大手食肉業者は、賃金を削ることでコストを抑えてきた。結果的に、かつては国内
の製造業で最高水準の報酬が約束されていた職でぎりぎりの低収入しか得られなくなり、貧
しい移民からなる渡り工業労働力という新たな階層が作られ、高い障害率が放置され、そし
てアメリカ中央部の農業地帯に、スラム街が広がっている。205-206.p

・グリーリーの牛肉の工場生産の一端を伺わせる写真、「米国産牛肉の対応状況」(参照)、特に
12-16ページ
・グリーリーの肉牛生産現場のルポ、「肉食が地球を滅ぼす」の第三章冒頭「肉牛の大量生
産工場」(参照
・食肉工場で働く不法滞在の移民労働者(米国:摘発で移民家族バラバラ

アメリカでは毎日、約20万人が食品由来の病気にかかり、うち900人が入院し、14人が死亡
している。疾病管理予防センターによると、国内人口の四分の一以上が、毎年、食中毒の被害
遭っている。これらの事例の大部分は、当局への報告や正しい診断がなされていない。広範囲
に及ぶ集団食中毒で、正しく認識され、原因が突き止められるのは、実際に起きている件数の
うちほんの一握りに過ぎない。そして食品由来疾患の発生件数が、ここ二、三十年増え続けて
いるだけではなく、これらの病気が、以前考えられていたよりもずっと深刻な害を長期的に及
ぼすということが、確実の立証されてきている。...
食品由来疾患が増えたことには多くの複雑な要因が存在するが、増加の大部分は、近年の食品
製造方法の変化に起因する。...
わが国の産業化・集中化された食品加工システムが、全く新たな集団食中毒を生み出し、何百
万人もの人々を発病の危険にさらしている。270-271.p
本来あるべき環境から切り離された肥育場の牛たちは、あらゆる病気にかかりやすくなってい
る。そのうえ、牛たちが食べさせられる餌が、病気の蔓延に貢献している。穀物価格が上昇し
たため、より安い餌、特に牛の成長を速める高タンパクの飼料が求められようになった。1997
年8月まで、わが国の牛の実に75%が、日常的に、畜産廃棄物(加工済みの羊や牛の残骸)を
食べさせられていた。年間何百万匹という猫や犬の死骸までが、動物保護施設から買い取られ、
飼料にされていた。280-281.p

ファーストフード・チェーンは、西側諸国の経済発展の象徴となった。彼らはたいてい、ある
国が市場を開放したときに最初に乗り込む多国籍企業であり、アメリカ流フランチャイズ方式
の前衛集団として機能する。15年前、マクドナルドがトルコに最初の店を開いたとき、この国
で事業を行う国外のフランチャイズ企業はひとつもなかった。それが今や、セブンイレブン、
ニュートラスリム、リマックス不動産、メールボックスETC、ジーバート・タイディ・カーなど
何百というフランチャイズ店がトルコに展開している。国務省は現在、国外フランチャイズの
ビジネスチャンスについて詳細な研究報告を発行しており、在外公館において、ゴールドキー・
プログラムを実施して、アメリカのフランチャイズ企業が国外で提携先を見つけるための支援を
行っている。319.p
20世紀の大部分のあいだ、アメリカ的価値観と生活様式が世界に浸透していく上で、最大の
障害になっていたのが、ソ連邦だった。ソ連の共産主義が崩壊すると、空前のアメリカ化が
地球規模で起こり、それはアメリカの映画、CD、音楽ビデオ、テレビ番組、ファッションなどの
人気上昇という形で現れた。しかし、これらの商品と違って、ファーストフードはアメリカ文化の
中でも、国外の消費者(consumer)が文字通りに「食する」(consume)類のものだ。アメリカ
人のように食べることで、世界中の人々が、少なくともある側面においては、アメリカ人のような
姿になってきている。アメリカは現在、先進国の中で最も肥満率が高い。成人の半分以上と
子供の四分の一が、肥満或いは過体重だ。この割合はここ数十年、ファーストフードの消費量
とともに、うなぎ登りに上昇してきた。334.p

******************************

僕の関心を引いた主題を中心に、ランダムに引用した。引用は、必ずしもこの本の内容を
要約するものではない。出版から7年以上経っており、使われている資料は10年以上前
のものが多く、現在はどうなっているのか実情は知らない。
ファーストフード・チェーンは、安価で均質な食べ物を地球全域に供給している。それは
食べ物を変えただけではなく、人々の生活様式や文化、考え方までをかえた。
安価で均質な製品を生産するために、その素材となる農産物や鶏肉・牛肉生産の現場に
工業的な管理システムを持ち込み、農業構造そのものを変えた。
今日、アメリカの農業構造がどんなものか、実情はほとんど知らない。
ここに引用した指摘を手がかりに、ぼちぼち調べたいと思っている。
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by agsanissi | 2008-01-12 20:22 | 考える&学ぶ
2008年 01月 11日

食料自給を考える/農業の工業化または工業的農業/4

日本の食料自給率の低下には、その主要因だけに限ってみても
・急速な経済発展=工業化及び都市化に伴う農業の自壊作用
・食生活の急速な変容
・市場のグローバル化
などが考えられる。もち論、これは結論というより取り敢えずの仮説と考えてもらいたい。
このうち、後二者はアメリカのファーストフード大手の席捲と切り離しては考えられない。

そこで遅ればせながらエリック・シュローサーの「FAST FOOD NATION」を読んでみた。
2001年に出版され、日本では草思社から「ファーストフードが世界を食いつくす」という
書名で同年夏に出版された。
ファーストフード大手の席捲とともに広がる小規模農場の没落、企業農場による吸収・合併、
農業の工業化などの「事実」をランダムに拾ってみた。

**************************

この30年余りのあいだに、ファーストフードはアメリカ社会の隅々に浸透した。
1970年にアメリカ人がファーストフードに費やした金額は60億ドルだが、2000年には1100
億ドル以上に上った。今日のアメリカ人は、高等教育、パソコン、コンピューター・ソフト
新しい車に投じるよりも多額の金をファーストフードに費やしている。9.p

アイダホのジャガイモ畑においても、コロラドスプリングス東部の牧場においても、ハイ
プレーンズの肥育場や食肉処理場においても、ファーストフードが農業従事者の生活に、
国内環境に、労働者に、国民の健康に及ぼしている影響を、あなたは目の当たりにする
だろう。いまやファーストフードチェーンは、アメリカの農業を牛耳る巨大な食品業界
ピラミッドの頂点に君臨している。1980年代、多国籍大企業は、商品市場を次から次へと
独占するのを黙認されてきた。農家や酪農家は自営できなくなり、必然的に、農業関連
大企業の下請けに回るか、泣く泣く土地を手放す羽目に陥った。いまや家族経営の農場は
不在地主すなわち大企業の経営する農場に取って代わられた。17-18.p

過去25年間で、アイダホのジャガイモ農家の数はほぼ半分に減った。一方で、ジャガイモ
作付け面積は増えている。家族経営の農場が、数千エーカーの規模を持つ企業農場に吸収
されているからだ。こうした巨大な企業農場は、運営上の目的でいくつもの小作地に分割
され、多くの場合、土地を追われた農家が雇われて運営を任されている。161.p

第二次世界大戦以降、アメリカの農家は勧められるままに、次々と新たな技術を取り入れ
て、収穫高を増やし、コストを引き下げ、隣近所を上回る売上げを達成しようと努めてき
た。こうした製造業の経営モデルを農業に取り入れたことで(つまり、コストと収穫高に
焦点を絞込み、ひとつの作物に特化するのを良しとして化学肥料、殺虫剤、防カビ剤、除
草剤を大量に使い、最新の収穫機器や灌漑装置を利用することで)アメリカの農家の生産
性は世界一になった。ところが生産性が高くなればなるほど、土地を追われる農家の数は
増えていった。そして残った農家は、コストを肩代わりする企業と、収穫を買い取る加工
業者のお陰をもって成り立っている。....アメリカの農家経済の構造は砂時計に似て
きた。上の球に約200万の牧場主と農家がいて、下の球に2億7500万人の消費者がいる。
真ん中の細い部分を、十数社ほどの多国籍企業が押さえ、取引という取引から利潤を得て
いる。163.p

マクドナルドは国内最大の牛肉購入者だ。1968年、マクドナルドは175社に上る各地の地元
業者から挽肉を調達していた。数年後、チェーン拡大に伴い、商品の画一性を徹底する
目的で、牛肉納入業者の数を5社に絞り込む。食肉業界は過去20年のあいだに、フライド
ポテト業界とそっくりの経路をたどって、吸収・合併の波の中で再編された。189.p

鶏肉業界も、牛肉業界と同じく、1980年代に起こった合併の波の中で再編成された。今では
加工大手8社が国内市場の約三分の二を支配している。こうした加工業者は、生産拠点を
南部の農業地帯にほぼ全面的にシフトした。気候が穏やかで、労働者の所得水準が低く、
組合が弱く、しかも追い詰められた農家が、どうにかして土地にとどまろうと手段を探って
いたからだ。...鶏肉業界に革命が起こり、大手加工業者が支配力を強めた原因はいくつ
かあるが、なかでもチキンマックナゲットという革新的商品の登場が、特に大きな役割を果
たした。これによって、それまで食卓で切り分けるものだった鶏が、車のハンドルを握りな
がら楽に頬張れるものに変わった。市況商品だった農産物が、付加価値を伴う工業製品に
変わった。これに合わせて生産システムが組まれ、養鶏農家の多くが農奴も同然のありさま
に変わった。193.p
タイソンフーズは、現在、国内向けマックナゲットの約半分を生産し、レストラン・チェーン
大手100社のうち90社に鶏肉を納入している。垂直統合が完了していて、鶏の孵化、解体、
加工までを手掛けている。但し鶏の飼育はしない。飼育に必要な設備投資と財務リスクを
引き受けているのは、数千人の独立請負業者だ。
タイソンと契約した養鶏業者は、鶏舎こそ自前だが、中で飼っている鶏は自分の所有物では
ない。大手加工業者の例に漏れず、タイソンも、契約業者に一日齢の鶏を送り届ける。孵化
したその日から屠られる日まで、鶏は一生を養鶏業者の敷地内で過ごす。それでも所有して
いるのはタイソンだ。タイソンが飼料を供給し、獣医を派遣し、技術上のサポートを提供す
る。給餌日数を決め、設備の変更を求め、家禽指導者を雇って会社の指示がきちんと実行さ
れているかどうかを確認させる。タイソンの派遣したトラックがやってきて積荷の雛を降ろ
し、七週間後に再びやってきて、解体を待つばかりの若鶏を運び去る。加工工場に着くと、
タイソンの従業員が鶏の羽数を数えて体重を量る。養鶏業者の収入は、ここで勘定される羽
数と体重、消費飼料量をもとに、一定の計算式に従って算定される。195.p
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by agsanissi | 2008-01-11 20:15 | 考える&学ぶ
2007年 12月 17日

「農民を捉える視点」

今朝は氷点下5度くらいまで下がったようだ、平地では今冬の最低気温か。
6時頃外に出てみた、金星が明るく輝いている。そのやや南上にスピカ、北東方面に
多分、ベガとデネブが見えている。北極星はメガネのせいでやや曖昧。やや温かな
印象があるのは、霜が降りていないせいか?

田中優子法政大学教授の「カムイ伝から見える日本」(参照)を読んだ。
まだ第一回しか読んでいないが、非常に面白い。テーマは江戸時代の庶民(または
下層民)の実態、中に「農民を捉える視点」という話が出てくる。
江戸時代の都市で消費されるメディアにおいては、農民は武士とともに「野暮」の代表で、
軽蔑はないにしてもかわいらしくおかしく書かれる。逆に近代の歴史家の視点では、農民
はみじめであわれに書かれる。

要するに、パターン化された視点を通して「農民」というものを捉えているが、実態(実像)
は、そんなものではないというわけだ。
「百姓」と呼ばれることに誇りを持ち、その名のとおりじつに多様で、ひとりの人間にいくつ
もの技量(わざ)があり、自治的な村落経営をおこない、権力とわたりあって自らにふさわ
しい生活を獲得しようとする、そういう知恵者たちであった。


いまや「百姓」という言葉は、新聞用語や放送用語の内部規定では差別用語として使わ
ないようにしているそうだ。封建的身分の残滓を感じさせるということだろうか?
現代の農民は、それ自体は職業であると同時に、土地利用の制限から職業選択の上
では完全には自由化されていない。この点で、家業的側面を残している。この二重性は
そのまま現代の農民構成の二重性、家業として農業を引き継いだものと、職業として自
ら農業を選択したものとの二重性を反映しているかもしれない(部分的には、交錯してる
だろうし、截然とは区別できないにしても)。
ともあれ、田中氏の捉える江戸時代の農民と、昨日の団藤氏の描く政府の救出策の
対象として描かれる「専業農家」
との落差を考えると愕然としてしまう。現代は「百姓」と
いう言葉を「差別用語」として捨て去るとともに、百姓自ら「百姓」としての誇りをも同時に
捨て去ってしまったように見える。実態はどうだろうか?
昨日のringoyaさんのコメントには、その苛立ちが反映しているようだ。「旧態依然の丸
抱えをする事」という表現に如実に出ている。この点では百%共感できる。
「米と自給率。単なる空騒ぎだからすっきりする事は無いと思います」と書いておられるが、
僕自身は、時論的に扱うつもりは全くなくて、「単なる空騒ぎ」かどうかを含めて、もう少し
俯瞰的に捉えてみようかということだから、りんご屋さんの視点とは一貫して「微妙に話し
がかみ合っていない」。但し、問題点をはっきりさせる上では、なかなか良いコメントを頂い
て感謝している。
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by agsanissi | 2007-12-17 07:42 | 考える&学ぶ
2007年 12月 08日

食料自給を考える/道草/3

△3.3/7.5度、日照6時間、山の気温は11月下旬から氷点下5、6度まで下がっている。
大根は、12月第一週が限界と見ていたが、日中気温がやや高めに推移していることが幸い
して、まだ凍結していない。但し、加工用規格に達するものは、殆どない。

12/06「食料自給を考える/比較優位という幻想/2」について、りんご屋さんからコメントを
頂いた。せっかくだから、道草を食って、暫くお付き合いしておこう。
1.不要論に異を唱えたくなる気持ちもわかりますが、
必要論を巻き起こす事に時間を費やすべきではないかと考えます。

ここは「不要論に異を唱え」ているのではなく、不要論の根拠として提起されている「国際分業
の原理」及びその基礎としての比較優位論が、「原理」と称しうるほどに普遍性のある原理では
ないだろう、ということを指摘しているに過ぎない。
農業そのものに関しては「必要論を巻き起こす事に時間を費やすべき」は当然としても、ここは
11/29「食料自給という幻想」に書いたように「食料自給率」という穴を通して農業・農業政策を
考えた場合
、どういう情景が見えてくるか、自分なりに整理しておくのも悪くないな」という問題
意識からスタートした。
2.農業が大事だ。と心底思ったり、自給率を本気で何とかしないといけないと考える意味も
思考も消えうせた幸せな国において食料自給とか食糧の安全保障とかを考えて日本農業を
守らなければならないと本気で言う人間が居る訳が無いという図式。

要するに、自給論にしても安全保障論にしても、それ自体が本来の目的ではなく、他の隠然・
公然の目的の出汁に使われているに過ぎない。すなわち
それで生きていかないといけない人が沢山いてその人たちが自分達の必要性をアピールし
消費者に農業の必要性を理解させようとしたり、国家予算獲得を目論んだり外交カード切った
り・・・。主に生産者側の論理という気がしていますが
、というわけ。
仮に「食料自給とか食糧の安全保障とかを考えて日本農業を守らなければならないと本気で
言う人間が居る訳が無い
」のが事実としても(僕は、これが事実だという前提には立ってはいな
いけれど)、それ自体は食料自給や食糧安全保障問題の本質的な意義とは関わりがない。
現実に食料自給論や食糧安全保障論が予算獲得や外交カードの切り札に使われているに
過ぎないとしても、それは食料自給論や安全保障論の本質的意義を否定するものではない。
3.農業生産者殆ど全員は、単なる営利目的のビジネス、ホリエモンと同じ思考で営農している
に過ぎない。生んだ利益をどう使うかの思考が無い。私利私欲のくだらない消費を拡大する為
の営利の追求。そんなもの守る必要が何処にある。

4.人間が生きる為、より良く成長する為の根源が営農その周辺の生活文化に詰まっている訳
ですが経済偏重の資本主義社会の中においてそれは時間を浪費するだけの不合理なものと
判断されてしまうのかなと思います。農業者自らそういう生活文化を捨てる方向で走ってきた
結果が今の惨状を招いてたひとつの要因かと考えます。

3と4は、どういうことですかね?
4を読むと、本来の営農活動には人間的成長を促す生活文化が詰まっているのだけれど、
資本主義社会では単なる時間の浪費と見なされ、農業者自身この考えに同調し、営利目的
の資本主義的営農活動に奔走してきた結果が、農業の衰退を招く一要因になった。営利
目的の営農など守るに値しない、ということなのかな?さらに敷衍すると、資本主義社会では
「本来の営農活動」は成り立たない、ということなのかな?
この議論は、僕には単なる混乱のようにしか見えないし、「食料自給」問題の論点を複雑で
曖昧にするだけだから、これ以上は深入りするつもりはない。但し、色々大胆な断定があり、
皆さんの中に、異論・反論があればお寄せ下さい。長すぎて、コメント欄に入りきらないよう
であれば、その旨、非公開コメントでお知らせ頂ければ、メールアドレスをお知らせしますの
で、メールでお送り下さい。
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by agsanissi | 2007-12-08 21:47 | 考える&学ぶ
2007年 12月 06日

食料自給を考える/比較優位という幻想/2

一般論として、経済学の合理的判断が社会的不合理を招く事例はいくらもある。
まして「リカード以来の国際分業の原理」が比較優位の原則に基づいて貫徹された時代が
どれほどあったというのだ?!
19世紀後半から20世紀初頭にかけて帝国主義と植民地支配の時代、そのうち1930年代
から約十五年はブロック経済の時代、第二次世界大戦後の十数年はヨーロッパと日本は
戦後復興の時代、アフリカ諸国の多くは依然として植民地支配下に据え置かれ、世界は社会
主義圏と資本主義圏に分断され、つい20年前まで「冷戦」時代が続いた。いったいどこに
自由で公正な競争を前提にした「国際分業の原理」が成立するような国際的条件があった
だろうか?
それとも植民地支配の下で、原料・食料の供給基地としてモノカルチャー経済を押し付けられ
宗主国経済の従属化に置かれたことも、「比較優位の原則」の名の下に合理化するだろうか。
そもそも外貨準備に余裕のない時代、仮に70年前、60年前、50年前、40年前に「リカード
以来の国際分業の原理」を振りかざして「食料自給のナンセンス」「農業不要論」を論ずるだけ
の蛮勇はお持ちだろうか?
前提条件が根本的に違うとすれば、40-70年前には、日本農業に国際的な「比較優位」が
あったとでも云うのだろうか?

明治以来の「主要輸出品の長期推移」統計(参照)をじっくりと眺めてみると、中々、面白い。
19世紀後半は生糸とともに茶、米、水産物がかなりの比重を占めている。20世紀の30年
代までは生糸・絹織物、綿糸・綿織物が圧倒的割合を占め、その説明にある通り
戦前を通して、長く輸出品1位の座を維持していたのは生糸であり、まさに製糸女工の
おかげで機械設備や軍艦などを購入する外貨を獲得してきた。


劣悪な労働条件と低賃金を武器に、時に価格ダンピング政策を交えて必死で外貨を稼ぎ、
帝国主義列強に伍する軍事的強国にのし上がるために重化学工業化を推し進めた。これ
をしも「リカード以来の国際分業の原理」で説明するだろうか?
一方、戦後の主要輸出品を占める鉄鋼、船舶、自動車、電子の輸出割合の推移を眺めて
仮に1960年、70年、80年、90年を輪切りにして、夫々の時代に「比較優位の原則」を
盾に、例えば「比較優位のない自動車を日本で生産するのは不合理である」等々と云い立
てることが合理的主張と云えるだろうか?

要するに、「国際分業の原理」「比較優位」に基づく農業不要論は、初めに「農業は不要だ」
という議論ありき
で、それを国際分業論で尤もらしく装っているに過ぎない。
農業不要論そのものについては、「耕す生活」で05/04/23から書き始めた「日本に農業
いらないか」(参照)で、シリーズで考えてみた。
都村長生氏の「世界一高い土地で世界で一番高い人件費をかけて、世界で一番付加価値
の安い農産物を作ってビジネスが成立するはずがない

という議論を対象に取り上げたが、これは基本的に比較優位論を地代、労賃、付加価値に
分解して言い換えたに過ぎない。
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by agsanissi | 2007-12-06 07:06 | 考える&学ぶ
2007年 11月 29日

「食料自給率という幻想」

△3.1/5.8度、日照7.5時間、明け方はやや雲があったが、日中はほぼ快晴。
今年の畑作業は、ダイズ跡地に小麦を播種する予定と人参の掘り取りに各一日を残す
のみで、ほぼ終わった。加工用大根は、4-5割は出荷基準に達するかという甘い見通
しを書いたが、11月半ば以降の急な冷え込みで完全に肥大はストップした。仮にこの
冷え込みがなかったとしても、出荷基準(径7以上の部分が25センチ以上)からすれば
8月末播種は最初から無理があったか?後はダイズの選別、種芋の保管など残務整理
を残すのみ。「農作業」という意味での作業日誌は、基本的に終わりだ。

何がきっかけだったか、「池田信夫blog」の07/09/01の記事「食料自給率という幻想」
参照)が目に付いた。
「耕す生活」の冒頭にも書いたことがあるけれど、僕は「食料自給率」のために農的生活を
選択したわけではない。もっと根源的な疑問からスタートした。
人は、農業はもう過去の産業だ、と思っているかもしれない。僕は、農業はこれからの産業
だと考えている。産業革命以来、農業は工業への労働供給の貯水池になり下がり、農業その
ものが工業化することで工業の付属物に成り下がってしまった。しかしその工業活動は、過去
の太陽エネルギーの蓄積に依存し、いまやその蓄積を使い尽くし、かつその蕩尽の結果として
の排出物の前に地球そのものが窒息しかねない事態に陥れてしまった。
他方、農業そのものは、本来、土と水との協働作業で、現在及び将来の太陽エネルギーを
蓄積していくクリーンな営みではなかったのか。工業化され、工業の付属物に成り下がって
しまった農業が、大量のガソリンを消費し、化成肥料や農薬を大量消費する「工業的」浪費に
倣わざるを得なかったのではないか。農業は、工業から独立して自分の足で立てばよい。そう
すれば必ず新しい視界が開かれる、と考えている。
参照

その意味では、「食料自給率」とか「食料安全保障」とかの議論に大して関心を払ったことが
ない。食料自給や食糧の安全保障の見地から日本農業を守らなければならないという議論
は、多少見当違いじゃないのかという感想を抱いている。
それにしても「池田信夫blog」を読んで以来、「食料自給率」という穴を通して農業・農業政策
を考えた場合、どういう情景が見えてくるか、自分なりに整理しておくのも悪くないなと考えて
いる(「耕す生活」にシリーズで書いた「日本に農業はいらないか」も改めて見直す必要がある
かな?)。
全体像が見えているわけではない。例によって、行き当たりばったり、書きながら考える、書く
ことで考えをまとめていくという方針で書いている。

まず、池田氏の論点は三つある。
1.この問題についての経済学者の合意は「食料自給率なんてナンセンス」である。リカード
以来の国際分業の原理から考えれば、(特殊な高級農産物や生鮮野菜などを除いて)比較
優位のない農産物を日本で生産するのは不合理である。

比較優位のない日本の農業は不合理であるから、特殊な農業分野を除けば不要である。
2.食料の輸入がゼロになるというのは、日本がすべての国と全面戦争に突入した場合ぐらい
しか考えられないが、そういう事態は、あの第2次大戦でも発生しなかった。その経験でもわか
るように、戦争の際に決定的な資源は食料ではなく石油である。その99.7%を輸入に頼って
いる日本が、食料だけ自給したって何の足しにもならない

主要資源を輸入に依存しているのに、食料のみを取り出して「安全保障」を云々するのは
ナンセンスである。
3.1960年には80%もあった自給率が半減したのは、単なる都市化の影響ではない。最大の
原因は、米価の極端な統制だ。コメさえつくっていれば確実に元がとれるので、非効率な兼業
農家が残り、コメ以外の作物をつくらなくなったのだ。こういう補助金に寄生している兼業農家が
ガンなので、(中略)米価を含む農産物価格の規制や関税を全廃し、兼業農家を駆逐する必要
がある。

食料自給率が半減した最大の原因は、米価統制などの農産物価格の規制にあるから、自由な
競争を規制する価格規制や関税を全廃し、非効率な兼業農家を一掃する必要がある。

まず、この辺を取っ掛かりに考えてみようか。
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by agsanissi | 2007-11-29 22:33 | 考える&学ぶ
2007年 11月 02日

「生活習慣病」予防食材?

「肥満の科学」が注目されているらしい。
「トクホ臨床懇話会」のコラム一覧の中に高脂血症・メタボリックシンドロームは「過食
症症候群」
という記事が載っている(参照)。
「脂肪細胞」を高性能バッテリーに喩えて、次のように書いておられる。
(脂肪細胞を通して)高脂血症だけでなくメタボリックシンドローム全体が理解しやすく
なったと思います。「脂肪細胞」は、いわば高性能なバッテリーです。血液中には食物から
得られた栄養が存在しています。脂肪細胞はこの栄養をさまざまな脇役の力を借りて血液中
から細胞に取り込み充電しています。例えば糖は、インスリンの力を借りて細胞内に取り込ま
れます。一方、中性脂肪は、いったん脂肪酸に分解されたうえで取り込まれ、共に中性脂肪
になり保存されます。人間はこの脂肪細胞に貯め込んだエネルギーを放電することによって
生きているといえます。
 ところが脂肪細胞がある程度以上大きくなり、オーバーチャージされると「もう糖よ来るな」、
「脂肪も取り込みたくない」と絶叫して脇役たちに働きかけ、脂肪細胞に糖や脂肪が取り込ま
れることをブロックし始めます。その結果、糖や脂肪が血液中に留まることになります。そして
「血液すらも来て欲しくない」とバルブを閉めにかかると、血圧が高くなります。これらの状態
が、「糖尿病」「高脂血症」「高血圧」といえます。メタボリックシンドロームは、このように必要
以上に食物を取りすぎて、それに対して体が受けつけなくなった状態を指します。むしろ、
メタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)イコール「過食症候群」と考えた方が分かりやすい
のではないかと思います


人類の歴史の99.9%は「飢え」の危険に曝されてきたし、現代でさえ人類の四分の三は飢え
の危険に曝されている。身体が「脂肪細胞」という高性能バッテリーを備えて居るのは「飢え」に
対する防禦システムであり、数百万年というスパンの歴史的所産として獲得した食の摂取
パターンに対応した人間の内的システム、或いは食を摂取して代謝を司る生理的機能の一部
だ。一方、摂取する食の量と質は社会システムの変容と共にわずか数十年の、短期間というも
愚かな瞬時の内に激変してしまった。
これが僕の云うところの
・何を「食」とするかは、風土と社会システムで規定され、未開社会ほどより強く風土に
支配され、文明が高度化するほど社会システムに規定されます
・生活習慣病とは風土と歴史的伝統によって培われた人間の身体のシステムと社会シス
テムの変容によって突然現出した食生活習慣とが本質的に相容れなくなった現象だ

の意味合いだ。

京都大学大学院人間・環境学研究科の「肥満の健康科学」(参照)に「脂肪細胞」の概説が
載っている。
冒頭に、先ず「脂肪に対するイメージからか脂肪細胞は不活発な「末梢の奴隷」との見方が
一般的でした。しかし脂肪細胞は生体全体のエネルギー備蓄バランスの要として自らの指令
を中枢に発信し、きわめて活発に生命活動に関与していることがわかりはじめて来ました
」と、
性格規定をしている。単に余剰エネルギーを受動的に蓄える機関ではなく、生体全体のエネ
ルギー・バランスに能動的に関与する器官だということのようだ。
余剰エネルギーは、個々の「脂肪細胞」の肥大及び細胞数の増大によって蓄えられる。
・脂肪細胞の数は,ヒト成人でおよそ300億個、肥満者では400、600億個にも達する
・個々の脂肪細胞は、直径で20倍、容積で400倍ものバリエーションを持っており、この
ような容積変化のある細胞はほかに類をみない
・1個の成熟脂肪細胞には通常0.5~0.9μgの脂肪が含まれている


すると、通常のヒト成人の蓄積エネルギーは、脂肪1グラム当り9Kcalに相当するから、
次のように計算できる。
0.5×1/10^6×300×10^8×9(Kcal)=0.5×3×9×10^4=13.5×10^4Kcal
同じく0.9×3×9×10^4=24.3×10^4Kcal
これは、仮に基礎代謝量を1400Kcalとすれば、約100から170日分に相当する。
成るほど高性能なチャージ能だ、皮肉にも、この「高性能」がいまや現代人にとって健康を
脅かす引き金に転換してしまった。

近畿中国四国農業研究センターの「研究成果」レポートに、「脂肪細胞は悪玉か? ~脂肪
細胞を小さくする農作物~
」(参照)という記事が載っている。そこに「脂肪細胞」には、
様々な大きさがあり、大きさによってその振る舞い、或いは機能が違うという興味深い指摘
がある。
最近、大きな脂肪細胞(特に内臓脂肪)は生活習慣病を引き起こす原因となっていること
が明らかにされました。大きな脂肪細胞は悪い生理活性物質を分泌しインスリンの働きが
効きにくく(インスリン抵抗性)なっている
からです。一方、小さな脂肪細胞はおもしろ
いことに全く逆に生活習慣病を予防する物質をたくさん分泌しインスリンの効きがよく、
体にとってはなくてはならない細胞である
ことがわかってきました。大きさによって善悪
全く反対の性質を持つ脂肪細胞ですが、ともに生活習慣病の発症に重要な役割を果たして
いることから、最近ではアディポサイエンス(Adiposcience、脂肪細胞科学)と呼ばれる
研究領域も生まれて活発な研究が行われています。

またバイオ・テクノロジー・ジャーナルのVol.12「内臓脂肪細胞から見えてくる生活習慣病
予防食品
」(参照)に、
近年わが国において,欧米化した食生活により内臓脂肪過剰蓄積が生じ,生活習慣病が
増大していることが大きな社会問題になっている.対策として,善玉脂肪細胞(アディポネク
チン、レプチン等善玉サイトカインを産生)を作り出し,悪玉脂肪細胞(TNF-α、レジスチン、
PAI-1等悪玉サイトカインを産生)を作らない機能性食品素材の開発が急がれている。

という記事が載っている。
脂肪細胞が、大きさによってその振る舞い、或いは機能が違うという指摘は良い。しかしそこ
から善玉、悪玉という機械的分類をして、脂肪細胞そのものに二分的対立があるかに捉える
考え方はおかしいのじゃないか??
脂肪細胞が、「生体全体のエネルギー・バランスに能動的に関与する」機能を持っているから
こそエネルギーの過剰摂取によって肥大化しすぎた脂肪細胞は、インスリンの機能を「抑制」
することで、炭水化物の代謝調整を果たしている。結果として、それが「糖や脂肪が血液中に
留まることになり」高血圧や高脂血症、血栓の原因になるからと云って、大きすぎる脂肪細胞
を悪玉脂肪細胞と定義するのは、本末転倒の考えではないのか?
エネルギーの過剰摂取が問題なのに、それを忘れて(或いは無視して)「悪玉脂肪細胞を作ら
ない機能性食品素材の開発が急がれている」など、如何にも尤もらしい言い草だが、単なる
お笑いに過ぎない。
前に8/05の記事「遺伝子組み換え大豆/イミテーション食材」(参照)で書いたことを合わせて
読み直し、ここはジックリ考えることをお勧めする。
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by agsanissi | 2007-11-02 20:49 | 考える&学ぶ
2007年 10月 26日

生活習慣病/覚書

5.4/21.2度、午前中は昨日までの秋晴れの延長で、5時前には金星は明るく輝き、土星も
火星もはっきりと見えた。11時頃から黒雲広がり、15時半過ぎから小雨になる。通常なら、
21時過ぎには10度を下回るが、今日は依然として15度、やや蒸し暑さを感ずる。

**********************************
昨日から、沖縄で「日本高血圧学会総会」が開かれている。会長の琉球大学医学部瀧下
修一教授は、開会の挨拶で、
全体のプログラムでは、特に食生活の面に着目した点を強調。長寿県として有名であった
沖縄が危機に直面している現状を引き合いに出しながら、「生活習慣の欧米化とそれに伴
なって肥満、恐らくはメタボリックシンドロームが著増している」との見解を示した。この問題
意識のもとに「栄養」をテーマにしたシンポジウムを設けたとし、「栄養学の専門家らとの連
携を図るとともに、食生活という側面からのアプローチで高血圧や肥満を含めた生活習慣
病の予防への攻略
を考えたい」とした。

とのこと(「日経メディカルオンライン」から、参照

ここにいう「沖縄の危機」とは肥満度で連続全国第一になったことだ。
昨年3/8付けの沖縄タイムス「社説」(参照)は
沖縄の肥満の割合が男女とも二〇〇〇年度から五年連続で全国一位であることが分かっ
た。
社会保険庁が三十代以上の「生活習慣病予防健診」で、肥満度を測る体格指数(BMI)を
比較した。体格指数は体重(キロ)÷身長(メートル)÷身長(メートル)が25以上を肥満と
する。男性は五年間で45―47%、女性は25―26%で推移しているという。

(注:「25を超える肥満者の割合が」という意味かな)

県医師会などは二〇〇〇年に男性の平均寿命が全国二十六位に急落した「26ショック」
以降、肥満解消を訴えてきたが、依然として改善されていないことが証明された格好だ。
沖縄は百歳を超える人口はなお多い。長寿者が若い世代をカバーしきれなくなったのである。

と訴えている。

この話題を取り上げたのは、10/22の「食と農を考える/覚書」及び10/24の「食料の未来
を描く戦略会議」との関連だ。

人間及び動物は、無機元素から栄養分を取り出すことは出来ない。植物及び他の動物を
摂取して自己の身体を作る(同化)と共にエネルギーを取り出している(異化)。同化・異化を
まとめて代謝という。代謝を司る器官と代謝の機能は、数百万年というタイムスケールの所産
である。その結果、人間の身体は「飢餓」状態に対しては幾重もの防禦システムが作動する
が、この僅か数十年の社会システムの変容によって生み出された「飽食」には対処するシス
テムの備えがない。この意味では、生活習慣病とは風土と歴史的伝統によって培われた
人間の身体のシステムと社会システムの変容によって突然現出した食生活習慣とが本質的に
相容れなくなった現象だ
、と僕は理解している。

4年前、僕は、現代の都会生活は病的だ=「社会的な糖尿病」だと書いた。それを切に感じた
のは、更にその十年前、まだバブル景気の崩壊直後のことだ。糖尿病の治療にはエネルギー
摂取の制限が必要だ。同様に、地球環境のみならず人間自身の健康のためにも、現代の
先進諸国は様々な分野のエネルギー消費レベルを二三割引き下げる必要があると考えて
いる。先進諸国がエネルギー消費を二三割引き下げれば、京都議定書なんか軽くクリアー
出来るし、個人レベルでは栄養摂取量を二三割引き下げて「一汁三菜」を基本にした簡素な
食事を心掛ければ、食料自給率はたちまち三四割は上るし、生活習慣病なんかその言葉さえ
なくなってしまう。
でも、社会レベルでも、個人レベルでも、そんな暴論を受け入れるものは一握りの異端派に
過ぎない。だからこそ、如何にも問題は深刻で、様々な分野の知恵を総動員して絞っている
のだろうけれど、問題そのものの所在は明快だ。
地球環境の悪化は、現代のエネルギー消費レベルは地球生態系の浄化機能にとっては過大
すぎることを示している。生活習慣病の急増は、自分の身体と生活条件にそぐわぬ食事内容と
過大なエネルギー摂取を示しており(免疫機能を高めるには粗食が良いそうだ)、日本の社会
的条件の下では、結果としてそれは食料自給率の低下をもたらしている。

まあ、簡略に過ぎる暴論だけれど、これからぼちぼち展開する積り。
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by agsanissi | 2007-10-26 22:33 | 考える&学ぶ
2007年 10月 22日

食と農を考える/覚書

昨夜半の気温が最も低く、4.8度から次第に上って、6時現在は7.3度。雲が多く、
星は殆ど見えない。

NHKの朝5時37分からシリーズで「健康ライフ」を放送している。今週のテーマは
「心と体と免疫学」で安保徹という方の話だ。この方、「健康長寿の免疫学」という
テーマで、過去にも何度か登場している。4、5回聴いただけだけれど、ユニークで
興味深い内容で、機会があれば、是非、この方の著作を読みたいと思っている。

うかつな話だが、今朝の放送で「腸管免疫」という言葉を初めて聞いた。googleで
検索してみると34万件もヒットする。まだ二三の記事を読んだだけだけれど、一見
して「食と農」に関連して重要な概念とすぐに分かる。
「腸内細菌叢(腸内フローラ)と免疫力」(参照)という記事には(その中味は、まだ
熟考はしてないけれど)、次のように書かれている。
いろいろある免疫系でも、日ごろの食生活が影響し、自分でも強化することが可能な
腸管免疫の働きが近年注目を集めています。口から入った病原体の大部分は唾液
や胃液、胆汁などで殺されます。それらをくぐりぬけ、腸に到達すると腸壁から侵入を
図ろうとするのですが、それを迎え撃つのが腸内細菌叢(腸内フローラ)の中に善玉菌
です。善玉菌の乳酸菌やビフィズス菌がたくさんいれば、免疫力が高まっている状態で、
病原菌は悪さを発揮できずに排除されます。反対に悪玉菌が多いときには、病原菌に
感染するだけでなく、腐敗物が多く生成されて有害物質を出したり、食中毒を起こしたり、
体臭をきつくしたりします。
このような腸内細菌は百種類以上百兆個も住んでいるといわれています。それらは腸内
細菌叢(腸内フローラ)と呼ばれ、同じ種類の細菌同士が群生しています。善玉菌が優性
のフローラであれば、健康が維持され、悪玉菌が優勢の時には体調が悪くなります。
身体の防御機構である腸内細菌叢は個人差が大きく、加齢や食事、ストレス、薬(抗生
物質)の服用などで絶えず変化します。


何故、この記事に注目したかというと、以前、編集著者の一人である医学者の方から
「食育教育」の教材を贈って頂いたことがある。これがきっかけで何度かメールのやり
取りをした際に、次のような質問メールを送ったことがある。
「食育」に関連して、食養生、医食同源(乃至薬食同源)、身土不二などの概念が
昔からあります。様々な思惑と結び付いて使われ人口に膾炙した概念で、それ故
やや曖昧な概念でもあります。
しかし「人は食によって養われる」という基礎的な、最も大本の考え方に於いては
揺らぎはないようです。
問題は、「食」及び身土の「土」をどう捉えるかです。

何を「食」とするかは、風土と社会システムで規定され、未開社会ほどより強く
風土に支配され、文明が高度化するほど社会システムに規定されます。この場合、
社会システムとは狩猟採集・農耕文明から最近のグローバル化や農業政策・貿易
交渉、更にはスーパーマーケットの支配、商業主義、ダイエット願望、テレビ文化
の氾濫、栄養学・保健医学などの科学まで(要するに人間の摂食行動を直接・
間接に規制する社会的・意識的内容)含む、言い換えれば自然風土を除く全部と
云ってもよいほど広範な(広範すぎる)概念として使っています。中には半ば風土
化して前者との区別の付けにくいものもあるかも知れません。
動物の場合は、大部分は自然と風土に依存します。それでも百%ではありません。
人間による自然と風土の改変、また家畜や畜産業の動物は人間の支配下に置か
れ、明確に社会システムに規制され、牛のように同種属の骨肉辺まで「食」にさせら
れる始末です。

当然、お分かりのように、食は風土によって支配され、人間の「食」は風土と
不可分の関係にある
というのが僕の考えです。問題はどの程度までか、大方の
物事は中心値を最大値とする正規分布を示しますが、乖離幅と許容限度はどの
程度かということです。風土という概念の幅そのものが、国境のように截然と
区別できるものではない故に、また風土は時間的・空間的に遷移する故に、風
土と食の「関係」の許容幅は一段と広がります。

で、質問の第一は、
食と風土と体質、或いは食を摂取する内的システムの関係を、現在の栄養学・
生理学は体系的に研究しているのか?
腸の長さの比較とか、乳糖を消化する能力の差とか、粉食と粒食文化の差とか
腸内細菌の差だとか、断片的な知見は目にしますが、体系的な研究はあるので
しょうか?
「食育教育」というと、合言葉のように、地産地消、身土不二等の言葉が唱え
られますが、現代に相応しい内容で理解し、実際的意味のある合言葉にするた
めには上記のような研究は不可欠であり、それなくしては身土不二など空疎な
決まり文句に堕してしまうと考えておりますが、如何なものでしょうか?

質問の第二は、
イ、「食」を摂取する人間の内的システムは、数十億・数百万年というスパン
の歴史的所産です
ロ、「食」を人間の内的システムに同化するシステムも「食」によって規定さ
れるでしょう
(註:イ、ロは、これ以前のメールでの僕自身の規定)
という規定に関連します。イ、は生命学や生理学の対象、ロ、は栄養学の対象
でしょうか。現代の栄養学は、イ、ロ、どちらの認識も共に薄いのではないか
と感じています。栄養学は、つまみ食いをしたことしかありませんから確言は
しませんが、栄養素、ミネラル、酵素の役割、食物の栄養素、過剰と欠乏等の
解析的分析に留まっているのではないか?
ここからは植物栄養学との比喩で説明しますが、最近まで三大栄養素N、P、K
の研究が殆どでした。植物生育に於ける微量要素の重要性や栄養吸収や生理
に於ける土壌微生物の役割が重視されるようになったのは、ここ20-30年の
ことではないでしょうか。
微生物にとって、人間は宇宙にも匹敵する小宇宙にほかならず、数百万年に及
ぶ歴史の中で、様々な共生・寄生の関係を築いている(ものがある)はずです。
問題は、植物生理に於ける土壌微生物の役割と類似の役割を、人体に於ける
微生物叢は果たしているのではないか、と考えて然るべきではないか。つまり
栄養消化・吸収、酵素や免疫機能、ホメオスタシス、体液などに微生物叢の性
質が関わっているのではないか

腸内細菌についての断片的知見や発酵食品における微生物の役割は注目さ
れていますが、「食」を人間の内的システムに同化するうえでの微生物叢の
役割を組み入れた総合的な(解析的分析に対比して使っています)栄養生理学
の研究というのはあるのでしょうか?(それとも全く見当違いの見方?!)
同一作物を連作すると土壌微生物群に偏りが現れ、病害に侵され安くなります。
人間の場合も、「食」の内容によって体内の微生物叢に偏倚が現れ、消化・吸
収系、免疫系などの機能に影響するなどのことが、あるのかないのか?
また上記のイやロのことを、僕は単に演繹的に書いているだけで、その内容を
本当に理解するには、上記のような立場に立った栄養生理学の研究が不可欠
だと思うのですが、如何なものでしょうか?
質問の一、二ともに、そういう研究があれば、文献をご紹介願えれば幸いです。

(他人の書いたものの引用はブルー、自分の書いたものの引用はオレンジを
使っている)

このメールに対して、まだ、はかばかしい回答を受け取っていないが、「腸管免疫」
という概念は、この質問(特に第二)に直接関わることは一読して明らかである。
腸管免疫の概念を手掛かりに「食と農」「風土と健康」について、何かを書くだけの
予備知識は僕にはないが、いずれ考えてみたいと思っている。将来の覚書として
記録しておく。
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by agsanissi | 2007-10-22 06:56 | 考える&学ぶ