農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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カテゴリ:覚書( 35 )


2010年 12月 07日

ACC

「流通業界の異変」といえば、ちょうど一年前に「生食用加工野菜」(09/12/05)で書いたことのある
食材加工組合とのジャガイモ、カボチャ、人参などを中心にした契約生産を、今年から本格的に開始した。
さらに、この組合との契約生産の機縁となった「システム作り?」(09/19)で書いた農業生産者と食産業との
相互連携を目指す組織を今年の春に発足させた。(カテゴリー別の「覚書」をクリックすると、すぐに出てきます。)
称してアグリ・コラボ・サークル(ACC)、県南から県北までカヴァーする農業生産者8人と加工生産及び流通加工を
手がける業者(企業)数社で、新たな組織を正式に発足させた。全体で野菜等の生産面積170ヘクタール、
生産品目29。まずは組織デビューといったところ。
さて、今後、この組織はどう発展して行くのか?
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by agsanissi | 2010-12-07 05:59 | 覚書
2010年 12月 04日

再開

「作業日誌」を書き始めて何年になるか?忘れてしまったが、この時期、5ヶ月以上のブランクを作ってしまった。
「10~11月頃」を目処に利用可能になるはずだった「高速通信網」の準備は、多少は進んでいるようだが、
村役場からは、未だに音沙汰が無い。ネットの接続状態は、依然として不安定で、遅いままだ。
要するに、通信過疎地の状態は一向に変わらない。とはいえ、このまま漫然と逼塞状態を続けるのも芸がない!!

というわけで、ここは通信の悪さは我慢して、作業日誌を再開することにした。
といって、畑作業はそろそろ冬仕舞いに入る。
折にふれて思いつくままに、今年の作業の総括と来年に向けての反省と改善点を書いていく。

ただいまは、11月後半から、来年の植え付けに備えて種芋の選別・保管に大わらわだ。
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by agsanissi | 2010-12-04 07:59 | 覚書
2009年 12月 06日

加工用生産へのシフトに伴なう課題及び問題点

当面は、ジャガイモ、人参、カボチャ。「玉ねぎ」生産の要望が強い(岩手県内には、大規模な玉ねぎ生産者は
皆無に等しいそうだ)が、これは昨年から実験的に栽培しているが、栽培法や作業体系の面で課題が多く、対応
できるかどうかは未定。(今年はマルチなしでテスト)

1.ジャガイモ
・生協用と加工組合用(及びコロッケ用)の二本立て(ないし三本立て)になるが、L・M中心、2L以上中心、S以下と
量的配分は問題になるが、実質的に競合関係はない
・但し、加工用は大玉中心と考えれば、品種的にはワセシロが良い。大玉化に伴なう空洞の発生率も少ない。
・肥大化促進のための具体的措置(質を落とさぬこと、追肥の可能性?ルビクスの応用?)(12/10)
・75×30は現状通りで良い、ルビクスの回数及び追肥(液肥、Caを含む)の検討(12/10)
・培土の問題点(時期、方法、機械の改良可能性)(12/10)
・堀取り時期は、9月まで延長して考えられ、出荷時期も調整できる。
ワセシロの選別問題(独自にやる?、L・Mを生協用に廻すにはどうする?)

2.カボチャ及び人参
・出荷時期を9月末から翌年3月まで延長出来るか?(12~1月までは問題なし。2、3月ないし4月まで保管
した場合の劣化の可能性)
・劣化の程度、劣化を防ぐ保管法(量的には2~3トン、現在の保管庫で対応可能、温度・湿度の問題或いは土中??)
・人参は、300-450グラム中心にシフトすること(播種間隔、施肥法、堆肥など)
・人参の品種は、継続で良い
・播種方法と側状同時施肥の方法(12/10)
・ジュース用加工用途がなくなった場合の対応(継続のための方法?)
・カボチャは、2~3千個の風乾と保管場所・方法
・カボチャの畑での収穫・積出・運搬は、どういう方法が良いか(トラクター、ユンボ)
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by agsanissi | 2009-12-06 18:11 | 覚書
2009年 12月 05日

生食用加工野菜

前に「システム作り?」で紹介したことのある「いわて未来づくり機構」の活動の一環としての
「意欲ある生産者の固まり」を創る取組みをきっかけに、生食用カット野菜の加工生産を手がける食材加工組合との
取引が、今年から始まった。主に、ジャガイモ、人参、カボチャ、今年は、まずはお付き合い程度。
当食材加工組合は、「地場産の食材を効率的に消費者に供給する新しい食品流通の仕組みを組み立てる」目的で設立
されたが、いままでは地場産食材の比率は、米、大根など一部の食材を除いて、ほとんど県外産の食材に依存しなければ
需要を賄えない状態が続いた。特にジャガイモ、人参、玉ねぎ、カボチャなどは、そのほとんどを北海道産に依存していた。
今年は、特にジャガイモの不作で北海道産ジャガイモの入手が困難という事情もあって、僕のところに2L以上のジャガイモを
売ってもらえないかという話が舞い込み、取引が始まった。
僕のジャガイモ生産は、ほとんど岩手生協との契約栽培に一本化されているが、最初はSから2Lまで込み取引という契約
だったが、次第にSを外す、2Lを外すと改変され、今ではM、Lのみ契約対象とされ、収益率は大幅に悪化していた。
そこへ「出来るだけ大きな芋、出来れば2L以上」という話が降って湧いたように舞い込み、大歓迎。
更に、昨年から偶々「小さな芋を安く入手したい」というコロッケ業者との取引が始まっており、今年はジャガイモ生産を開始
してから13年目にして始めて「芋が不足する」ほど(豪雨による流出被害も一因だが)、文字通り全量売れてしまった。
おかげで収益率は大幅に改善。分かりきった事ながら、「規格外」品を含めて生産物の販売比率を如何に引き上げるかが
収益率向上の鍵になると、改めて肝に銘じた。

◆原料野菜生産(いろいろなタイプがあるが)についての僕の基本的な考え方は
・食生活の外食産業への依存度、及び原料野菜についての国内産・県内産への需要の高まりを考慮すると外食産業の
原料用カット野菜の需要は、当面、拡大する。またその性格上、大ロットの需要を満たせるような生産地の育成ないし
確保は(外食産業ないし外食産業を対象にした加工業者にとっても)重要な課題だ。
・一方、現在の生鮮市場の「規格」には、不合理なものが多く、また野菜の生理的特性にも必ずしも適合していない。
このように不合理で、不適正な「規格」(「規格」そのものの必要性を否定しているわけではない)が多くの「規格外」野菜
を生み出す一因にもなっている。
・その上、様々な中間コストが発生し、合理的な生産・流通・加工システムを形成していく上では、既存の農協・市場に
依存したシステムは隘路にさえなっている。
・生産規模に応じた「棲み分け」という考え方にたてば、大規模生産者は加工用野菜にある程度特化した(契約)生産を
ターゲットに生産計画を組み立てていくほうが、経営の安定性という点でも望ましいのではないか。

以上のような考え方で、生産・流通・加工をつなぐ「システムつくり」の面でも、また供給面でも当面、ジャガイモ、人参、
カボチャを中心に全面的に協力していくことにした。
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by agsanissi | 2009-12-05 23:42 | 覚書
2009年 09月 19日

システム作り?

このテーマを書くにあたって、どのカテゴリーに分類するか迷った。農業経営に関わるテーマを扱ったことは
あるが、自分の農業経営を「経営体」という側面から扱ったことはないし、どういう経営組織を目指すのか、
大した関心を払ったこともない。そんなわけで、該当するカテゴリーがない。継続的な取り組みになり、今後、
ある程度形が見えてきたら、そのときは新たなカテゴリーを設けるかも知れないが、取り敢えずは「覚書」に
分類しておく。
****************************************************

いわて未来づくり機構」というのがある。尤も、僕はつい数日前まで知らなかった。
去年の4/24に設立総会が開かれ、ホームページも開設されているが(参照)、会員名簿と計画の概念図が
示されているだけで、実際にどんな活動をやっているのか、そもそも「機構」と称するだけの実態があるのか
どうか、単発的な会議の総称なのか、それとも何らかの運動体または組織なのか、ホームページからは読み
取れない。
一次産品の高機能化産業基盤の集積と強化岩手ブランドの国内外展開地域力を支える人材育成
医療と福祉体制の整備・充実などを各々目標に掲げる五つの作業部会を設け、岩手県の地域活性化を
図る狙いのようだ。とはいえ、実際の活動内容は知らない。
09/08/24に第一作業部会で《意欲ある生産者の固まり》を創る取組み試案が作られた。
その概要は、
・岩手県の製造業出荷額に占める食料品の割合は20.1%で、全国平均の約2倍ある。
・全製造業に占める食料品製造業の割合は22.6%(業者数の割合かな?)、従業員数に占める割合も
21.6%で、共にシェアトップだ。
・一方、岩手県の農業は著しく畜産に偏り、米・野菜のシェアが低く、東北全体の農産物構成から見ても
偏頗な構造である。
・(その結果、)給食事業の例では、県産食材の利用率が米を除き低い。すなわち米では、県産品の利用率
は95.2%だが、野菜では31.2%に止まっている。そのため学校給食用のカレーライスの食材、特に玉ねぎ、
ジャガイモが県産品で賄えないという問題が生じている。
・他方、生産者は生鮮向け市場に出荷できない”規格外”野菜を加工業務市場に廻すというように、ワンランク
低い扱いをする傾向が強く、そのため加工業務市場は安定的に食材を確保できないという課題を抱えている。
・生産者側の販売市場の確保と食産業の食材の安定的確保の要求を、共に満たしていくには、農業生産者と
食産業が相互に連携・補完し合う新しいシステムを構築する必要がある。


先日、同機構の農業部会は「岩手の農業再生」をテーマに取り組んでおり、加工用野菜の出荷について、
「現場の人」の意見を聞きたいとのことで、村農林商工課から「会議」への参加要請を受けた。
普代の開発農地で「加工用原料野菜の生産をやってもらえないか」という要請の会議かと思っていたが、
いざ参加してみれば、一般的な、原料野菜の生産要請の「会議」というよりも、むしろ僕個人(要するに県内
最大のジャガイモ生産者ということで)に対する「新しいシステム」への参加要請が狙いのようだ。
僕自身は、生鮮市場の野菜規格は不合理で間尺に合わないもので、多くの「規格外」を生み出す温床だと
見なしている。その上、様々な中間コストが発生し、合理的な生産・流通・加工システムを作っていくうえでは
既存のシステムは隘路にさえなっている。
そんなわけで、現状ではシステムのアウトラインが見えているだけで、実際の内容は皆目分からないが、
取敢えずは全面的に賛同し、積極的に参加する意向を示しておいた。
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by agsanissi | 2009-09-19 05:46 | 覚書
2009年 04月 25日

Media Marker

CNET Japan(参照)で、大量の蔵書を一括管理できる!「MediaMarker(メディアマーカー)」を紹介
している。
「MediaMarker(メディアマーカー)」は、本やCD、DVDなどのメディアをオンラインで登録、管理できるサービスだ。
読み終わった本の記録や、未読本の管理に適しており、PCはもちろんモバイルからの利用にも対応している。


早速、ユーザー登録して使ってみた。取敢えず、文献目録、読書日記、読みたい本の備忘録、気になる書評、
雑誌記事の索引・目録、音楽CDのカードetc、として利用してみる。
今までの「読書日記」との継続性の問題が課題として残るが、改めてそんなもの整理して再編している時間が
もったいない。過去のものはさっぱり捨てて、今日(09/04/25)以降、改めて僕の手元(または頭)を通過した
書籍・雑誌・音楽Mediaを採録することとした

また農閑期に、一括して図書館で「読みたい本」を登録しておくにも便利(従来は、「My Stuff,Ask」に登録
しておいたもの)だ。

紹介では、
本サービスのメリットは、その機能の豊富さにある。筆者はもっぱら読み終わった本の管理に用いているが、
未読本の管理に使ったり、ウィッシュリスト代わりに使用することも可能だ。
CSV形式によるインポート/エクスポートまで、大量のデータをまとめて扱うための機能が豊富に用意されて
いる。また、登録日は1970年1月1日までさかのぼって変更できるので、自宅に大量の蔵書がある場合や、
私的な読書データベースを作っているユーザが移行するには、もってこいのサービスといえる。

と書いている。

実際に、どういう使い方が出来るかはこれからぼちぼち考えてみるが、取敢えずは上記のような使い方を予定
している。
ちょっと面白いなと思ったのは「ソーシャル」の「物々交換」(参照)やら「献本PR」(参照)のコーナーだ。実際に、
どの程度の効果があるか、駄目元で試してみる価値はありそうだし、広範囲に利用されれば貨幣を媒介しない
新たな市場が形成されるといっても、決して言いすぎとは云えぬ。
勿論、このコーナーをフルに活用するには、まず自分の「Myバインダー」を公開する必要があるし、これには
自分の頭の中身の一部を公開するような、多少の気恥ずかしさと素行調査にも類似した警戒心を呼び起こ
さぬこともないが、まずは利用してみるに如くは無い。
というわけで、敢えて公開することもないが、非公開よりは公開のほうが多少の効用も無きにしも非ずと
sunjin_fuuraiのバインダー」(参照)を作成してみた。
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by agsanissi | 2009-04-25 23:29 | 覚書
2008年 02月 12日

タンパク質の分解と合成

食品の廃棄とリサイクルの話を書いていて、ふと気付いたのだが、人間(とは限らないが)の
体内では、外部から取り入れたタンパク質の合成と分解のプロセスが絶え間なく繰り返され
ている。
人間の身体は、タンパク質だけで出来ているわけではないが、生命は遺伝情報を媒介にした
タンパク質の様態だと極言しても良いくらい枢要の物質だ。
ウィキペディアを見ると、「タンパク質の生体における機能」として(やや混乱した解説との印象
も受けるが)、生体構造、生体内の情報のやりとり、運動、抗体、栄養の貯蔵・輸送、酵素など
を指摘している。
動植物の身体を構成するタンパク質の種類は、種によって異なっており、人間の身体は概ね
4-5万種類のタンパク質で出来ている。ところが、種によって、また同じ人間でも身体の部位
や体内での働きによって数万種類の異なるタンパク質も、元を質せば20余種のアミノ酸の
複合体(正式には重合という)である。
アミノ酸が鎖のようにつながって一次構造を作り、それが折りたたまれて二次構造を作り、さら
に複合して三次・四次構造まで形成している。タンパク質の種類は、素材となるアミノ酸の並び
方と構造によって決まり、その並び方の順番と構造は全て遺伝子情報に書き込まれ、指先に
爪の代わりに間違って目玉が出来たなんて奇妙なことが起こらないようになっている。
また動植物の種によって、タンパク質の種類は異なっているにもかかわらず、アミノ酸という
共通素材によって作られているからこそ、食物として動植物を摂取することで自分の身体の
代謝が可能になる。人間の身体は、一見、恒常性を保っているように見えるけれど、実は、一時
の休みもなく新陳代謝され交替されている。逆説的な表現になるが絶え間なく変換され、交替
されているからこそ、恒常性を保っているのだ(約二ヶ月で身体の部品の殆どは新品と交換
されるそうだ)。従って、タンパク質の分解と合成のプロセスは動植物の維持にとって絶対不可
欠の過程と云ってよい。仮に、動植物が同一種のタンパク質以外は利用できないとすれば、
共食いするしかなく、従ってそういう構造の種は、最初から発生できない。

人間の体内で、タンパク質の合成と分解のプロセスは、実際にどのような割合で行われている
のか?
「一般のかた向け」と題するサイトの「タンパク質の合成と分解」の項を見ると(参照)、
成人は1日に約60-80gのタンパク質を食事から摂取し、それをアミノ酸に変換します。ところ
が、体の中では1日に160-200gものタンパク質が合成されています。これはどういうことで
しょうか? 実は合成量とほぼ同じ量の自分のタンパク質がアミノ酸に分解されていて、それを
タンパク質合成にリサイクルしているのです。つまりタンパク質の材料のほとんどは食事では
なく、自分自身の分解産物に頼っているわけです。「タンパク質分解は食事より重要である」と
いっても言い過ぎではありません。私達人間社会も一度作ったものをいかに上手くリサイクル
するかが問題になっていますが、生体内ではすでにきちんと行われているわけです(もっと
効率が良く、しかも計画的ですが!)

と書いてある。

体外から取り入れたタンパク質は、いったんは全部、アミノ酸に分解しなければならない。
一方、体内のタンパク質の分解と合成、或いはリサイクルの過程は無差別に行われたのでは
たまったものではない。リサイクルすべきものとそうでないものを識別する標識が必要で、この
ような標識を「ユビキチン」という。
従って、タンパク質の分解系は、二つに分けられる。すなわち(前記「一般のかた向け」解説に
よると)、
イ.選択的タンパク質分解⇒ユビキチン化/プロテアソーム経路
これはどのタンパク質を分解するべきかをきちんと見定めてから分解する方法です。例えば、「ユビキチン」という印のついたタンパク質をせっせと分解する「プロテアソーム」がなんといっても代表です
ロ.非選択的バルク分解⇒リソソーム経路
こちらは、なんでも分解できる万能システムです。しかし、このようなものがその辺にあっては危険で仕方ありません。そこでこのような強力な酵素は細胞内の「リソソーム」と呼ばれる小さな袋(細胞内小器官)にしまわれています。細胞は必要な量だけ、自身の一部をリソソームに運んで分解しています

ところで、面白いというか、奇妙というべきか、体内のリサイクルシステムとも云うべき「ユビキチ
ン化/プロテアソーム経路」のことが解明されたのは、ごく最近のことだ。
「有機って面白いよね!!」(参照)というサイトの「2004年度ノーベル化学賞」に、
スウェーデン王立科学アカデミーは6日、2004年のノーベル化学賞をイスラエル工科大学のアーロン・チェハノバ教授(57)、同アブラム・ヘルシュコ教授(67)、カリフォルニア大学アーバイン校のアーウィン・ローズ博士(78)に授与すると発表した。細胞内で特殊な酵素の働きにより、不要なたんぱく質が分解される仕組みを解明した。授賞理由は「ユビキチンの仲介でたんぱく質が分解される仕組みの発見」。ユビキチンは鎖状につながって特定のたんぱく質にくっつき、それが不要であることを示す目印となる。この目印によってシュレッダーの働きをする「プロテアソーム」の扉が開き、たんぱく質が切り刻まれる。それまでたんぱく質の生成や働きだけに注目していた科学界に、たんぱく質の『死』という視点を示した研究です
と紹介している。

死と再生のドラマと云っても良いが、「死」というより、リサイクル・システムと称するほうが
より適切だと思うが...。

参考:
○「ユビキチン化/プロテアソーム経路」の詳細を知りたい人は、「有機って面白いよね!!」及び同サイトのリンク先を参照してください。
○「プロテアソーム(たんぱく質分解装置)の分子集合機構を解明
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by agsanissi | 2008-02-12 15:42 | 覚書
2008年 02月 09日

Encyclopedia of Life

なんと命名するのが良いか考えている。

オンライン生物図鑑作成プロジェクト,今後10年で動植物180万種を掲載」と報じた
ITpro(07/05/10)は(参照)、
インターネット・ベースの生物図鑑「Encyclopedia of Life」を作成するプロジェクトが立ち
上げられた
、と書いている。

「生物多様性:世界中の生物のホームページ」と報じたJanJan(07/05/19)は(参照)、
科学者が「生命の百科事典(EoL)」と名づけた地球規模のプロジェクトに乗り出し、地球上の
180万の生物種を記録し、生息地の喪失や気候変動の影響を追跡する
、と書いている。

180万種という規模は、どの程度の試みに該当するのか?
既知の「生物種の数」という質問は、誰にすれば最も的確な答えが得られるのか?
そんなこと、僕に分かるはずもない。
幸いにも、数理生物学が専門のロバート・メイ卿(オーストラリア)の「生物の多様性:その由来
と重要性、および保全について」と題する講演が載っている(参照)。

これまで命名され記録された生物種の数は、140万から180万種と推定される。生物種の
体系的な命名と記録は、1758年にリンネ式生物分類法で約9000種が識別されたのが
最初で、比較的最近のことだ。そして、驚いたことに全ての生物種を一つにまとめた目録は
存在しない。

要するに、鳥類、哺乳類、昆虫、脊椎動物、無脊椎動物、微生物や化石、植物など、様々な
生物種がばらばらに分類されているだけで、全体をまとめた一覧表はない。
したがって、「同じ種に別の名前を付けるという不確実性」も想定されている。

こうした問題を考慮して、命名され記録されている生物の種数を推定すると、植物、動物、菌類
なども含めて約150万種前後になるだろう。


生物種全体の中で、どの程度の割合の種の数が分かっているのか?
これは、せいぜい甘く見ても、(蓋然数)÷(未知数)の計算をする話だから、雲を掴むような話だ。

最近の私の研究では、明らかな事実と不確かさを勘案して、500万種から1200万種の範囲
が可能とした上で約700万と推定した。しかし、300万程度、あるいは1億以上とする推定も
あり得ないとは言えない。これらの推定はすべて昆虫の数に左右される。


「分からないということが、分かっている」というのが正しい。ともあれ、180万種を記録しようと
する試みが、種の総覧としては途方もない試みだということは分かる。

こんなことが可能になったのは、明らかにネット空間という、新たな仮想空間が出来たお蔭だ。
現実は依然としてバラバラのままだけれど、仮想的な統一空間を通して対象を統一的に捉える
可能性を獲得できる。僕は、これもグローバル化の一側面だと理解している。

生物種を一つにまとめて総覧することによって、何が分かるのか?
それは分からない。しかし、生命というものを、今までに見ていたのとは質的に違った眼で理解
する足掛かりを得るのではないかという予感はする。

昨日のコメントで、信州地湧仙人さんが、
幾千万種の夥しい生命のネットワーク(ガイア)が、46億年かけて築き上げてきた
重層深淵なるシステム

という言葉を使っておられるが、正にそのネットワークを垣間見せてくれるのではないか。

以前、僕は、あるメールの中で「命は尊い」という考え方を批判しながら、
次のようにガイア思想に触れた事がある。
「耕す生活」で素人の一知半解を恐れず、微生物世界のことをあれこれ書いた時に
「生命とは遺伝情報を代謝機能を通して自己複製する構造物だ」と定義しました。
物質代謝という面から見れば、生命は物質循環の一部でしかありません。
では生命を物質循環や遺伝情報に還元できるかといえば、それは出来ません。その
点に命の計り知れぬ玄妙さを感じます。
仮に、だから「命は尊い」といわれても釈然とはしません。生命とは尊いとか、尊くない
とかの人間的評価の尺度を超えたものだと感ずるだけで、評価すること自体、既に不遜だ
としか云いようがありません。
人間には「命」があります。人間を構成する細胞にも個々の「命」があります。個々の細胞
の「命」が失われても総体としての人間の「命」は失われません。逆に人間の「命」が失わ
れれば、個々の細胞体の「命」は代謝機能を継続出来ないがゆえに喪失されます。
個々の人間と人類、人類と他の生命体の間にも類似の関係があります。
その意味で、生命は、本質的に時間的・空間的に一体のものだと考えています。
この点から、ガイア思想にいたく共鳴を覚える点があります。


余計なお喋りは、これくらいだ。デモンストレーション頁(参照)が公開されているが、
これを見るだけで、如何にも楽しそうで、期待でわくわくする。

テキストのほか,画像や映像,音声,地図なども組み合わせる。世界中の専門家が協力し,
wiki方式で編集する。当初は動物,植物,菌類に取りかかり,微生物まで手がける可能性が
あるという(前記、ITproから)。

さて、なんと命名したら良い?
「ガイアの百科事典」というにはおこがましい。とはいえ「オンライン生物図鑑」では如何にも平凡
だ。「生命の百科事典」は、いいせん行っている。しかし特殊な種のあり方を超えた「生命」その
ものを扱っているわけではないから難点がある。

やや平凡だけれど、「生き物百科事典」が良いのかな。
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by agsanissi | 2008-02-09 11:28 | 覚書
2008年 02月 05日

公開講座/女子栄養大学

女子栄養大学が「オープンコースウェア」を開設した(参照)。
栄養学の宝庫である本学では、このほど大学の授業やその資料を公開するWebサイトを
開設いたしました。このサイトを通じて、皆様が健康、環境、食文化などにつき正しい食生活
という原点
に還って学習を深めてくだされば幸いです

と謳っている。

時宜にかなった画期的な試みだ。

もう一度、神門氏の引用をしておく。
消費者自身が何をしてきたかを観察してみよう。現在の日本で最大の食の問題は、食生活の
乱れである。BSEや遺伝子組み換えなどが仰々しく報道されるがまだ科学的にも未解明の
部分が多いし、健康危害の報告例も少ない。それに較べると、食生活の乱れは広範に発生し
ていて、しかも確実に心身の健康を侵す
。(参照

ギョウザ事件の報道を見ていると、「食生活の乱れ」どころか「食生活の崩壊」とさえ感ずる。
自分の胃袋を満たす作業さえ、あたかも機械化された工場生産の一工程に変えてしまい、
自分はただ最終工程で、口をあけて待っているだけ。
包装紙の謳い文句を真に受けて、それで健康や栄養に「気を配っている」などと安易な自己
満足に耽り、一旦、事件や事故が起これば、責任を全て他人に押し付け、犯人探しに狂奔
する。こんな「食生活のあり方」には、どこにも陥穽が待ち受けている。
以上は余談だ。

さて、「オープンコースウェア」、まだ「栄養学部二部」の「栄養生理学」講座の一部が
公開されているだけだが(食文化栄養学科の一部と表記されているが、何かの間違い)、
幾つか興味深い講座名が列挙されている(参考)。今後の充実に期待する。
更に、雑誌「栄養と料理」のデジタルアーカイブスが公開され、現在、昭和41-63年分の雑誌
が検索対象になっている。例えば、「コレステロール」と検索すると37件の記事がヒットするが、
「中性脂肪」では、1件もヒットしない(ちなみにgoogleでは139万件ヒットする)。勿論、メタ
ボリック症候群はヒットしない。使い方の工夫で、面白い探索が出来るかもしれない。
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by agsanissi | 2008-02-05 03:56 | 覚書
2008年 01月 27日

小休止

昨日、「講読の部屋」(参照)に「食料自給を考える」の1回目から15回目までを、
一括して載せておきました。
そろそろ終わりにしようかと思い、全体を俯瞰して、あと何が問題になりうるかを
再考するためです。取敢えず考えていることは、
・兼業農家が根強く残っている問題
・急速な経済発展=工業化及び都市化に伴う農業の自壊作用
(4回に問題点として指摘した最初の問題。これは「日本に農業はいらないか」で
基本的に取り上げたつもりでいるけれど何か抜けた点があるかどうか?)
・現在の社会・産業システムの中で、農業をどのように位置づけるか
・自然環境または風土的環境の中で、農業をどのように位置づけるか
・国民の栄養および健康を確保するために、「食の供給」をどのように位置づけるか
のようなことを考えています。

今朝、再読してふと思いついたけれど、明治以来不変の三数字といわれてきた
農地面積、農業戸数、農業人口。これと人口総数、この四つの数字の明治初年、
1945、1960、2005年の比較だけで、どのようなことが読み取れるか?

今日は、これから久しぶりに神奈川県逗子に住んでいる95歳の叔母を訪ねる
予定で、電車の中で、この問題をゆっくり考えてみようかなと思ってます。
余談ですが、この叔母は、60余年前、敗戦の年に満州の最北の地のロシア
国境地帯のノンコウという街に住んでいて(ご主人が鉄道敷設技師だったため
常に、最北の国境地帯にいた)、ライフル銃を担いで、三人の幼児を抱えて、
命からがら帰国したという剛の人です。
この叔母を見ると、人はその時代によって育てられる!とつくづく感じます。
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by agsanissi | 2008-01-27 08:32 | 覚書