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カテゴリ:ミミズの寝言( 104 )


2012年 02月 23日

この国の”行く末”/その1

◆まとめて「ミミズの寝言」⇒以下何回かに分けて、収載しておく(もっぱら自分の参照用のため)。
・去年の暮れから書き残した中で「この国の行く末」に関係のありそうな記述を、ここにまとめて拾っておく(その前のものも「日々雑纂」の中に
混在しているかも知れないが、今は無視する)。あと何年観察できるか、30年は無理かもしれないが、20年は、充分に観察出来るだろう。
・僕は、明治維新以降の歴史を、特に政治的・社会的変容を概ね「40年周期」の波動として捉えている。あるいは登りと降りをまとめて80年
を一周期とすれば、現在は1985年頃を転換期とする第ニ周期の下り坂の後半期と見ている。その意味では民主党政権の誕生を、戦後の
日本の政治体制の画期的転換期とは見なしていない。むしろ、いわゆる「55年体制」の崩壊に伴う政治的転換の過渡期、あるいは自民党の
長期安定政権の崩壊に伴う混迷期と見なしている。仮に次の転換期が2025年頃とすれば、その帰趨が見えてくるまで十数年はかかるから
自分の観察が10年後、20年後に顧みてどうなのか、今から書きためておけば、息子や孫への遺産にはならぬまでも、冥途への土産話の
タネくらいにはなるだろうと、ちょっと真面目に考えてみようかと思案した。(*)
・前々から云うように、僕にとって”政治”は天気と一緒で、如何に観察しようとどうなるもんでもないが(だから所詮は「ミミズの寝言」だ!!)、
これまた天気と一緒で、だからと言って「観察」を止めるわけにはいかないし、その行く末も見据えておきたい。
・12歳から30歳頃までの約20年間、政治は実践的にも理論的にも、僕の第一の関心事だった。というより第一があって、第二、第三以下の
ない関心事だった。次の十数年は、次第に諦観を深めながらも、依然としてそれまでの残滓を曳きずりながら、自分の前半生を反省し超克
するのに必要な(と今から思えば)時間だった。
・自分自身の信条として政治に真正面から向き合うとすれば、それが如何に危険で、詮無いことと知りつつも、理想主義的にしか向き合え
ないだろうと予想するがゆえに、現実の政治を忌避し軽蔑しているにもかかわらず、完全に無視し切ることのできない”政治的人間”の業か。
(*)ついでに書いておけば、世界史的変容の影響は免れ難く、「55年体制」や日米安保体制は、米ソの二大覇権国家の対立を
中軸に据えた副次的余波のようなもんで、いわゆる冷戦体制の中の小規模構造(下部構造あるいは二次的構造)に過ぎない。
冷戦体制の崩壊後、米国の独り勝ち、いわゆる一極化が盛んに喧伝されたけれど、現実には多極化が進んでおり、その帰趨も
(多極化の本質上)見えてこない。

《12/01/02》
人口減少社会
・昨日の日経の記事に《人口自然減、過去最大の20万人超》とある。10月までの速報値を使った年間推計値で出生数は105.7万人
(前年比1.4万人)と戦後最低、また婚姻件数も67万組みと戦後最少。一方、死亡数は126.1万人(前年比+6.4万人、内東日本
大震災の死者1.6万人、他に行方不明者有り)。
・歴史的スパンで見れば、人口の停滞ないし減少時代は三回ある(「三回しかない」といったほうが良いか)。縄文時代末期、平安時代、
江戸時代中期・後期。世界人口は70億人を超えたが、今後も増え続けるかどうかは分からないし、過去には停滞ないし減少時代が
あった。超長期的推移の波動の中で見れば、ナチスやスターリン時代の数千万に登る大量殺戮も、ほんのエピソード・さざなみ程度の
ゆらぎに過ぎないとも見える。この停滞ないし減少の原因は、社会現象と自然現象の複合的要因と考えるのが適当だろうか。
・歴史人口学が専門の鬼頭宏教授は「文明システムの転換期に人口は停滞・減少する」と指摘する。「縄文時代の後半の場合は、
「狩猟採集経済」の文明システムから、「水稲農耕かシステム」に移行する時期にあたる。平安期は、律令国家が水田を管理する
システムから荘園などによって私有化が進行した時期にあたる。江戸時代後半は、鎖国をしていたために完全に自給自足であり、
当時の農業生産技術で支えられる限界の3500万人に接近したことが人口停滞の原因だったと考えられる
」(参照
・日本は、これから長期にわたって人口減少期に入ると予測されているが、グローバルな世界的な開放システムの下で、一国的な
「文明システムの転換期」ということがありうるだろうか?それとも一国的な文明的衰退の予兆?ともあれ、若年人口と婚姻数の絶対
的減少・少子化傾向及び人口構成の老齢化が社会の活力を失わせることだけは間違いない。
・日本の人口減少が始まったのは2005年のことだが、その年1月1日の日経は「古代ローマ帝国でも豊かになると少子化に懸念が
持たれた。初代皇帝アウグストゥスは、未婚の女性に『独身税』を課すなどの手を打ち、少子化の抑止力として相当な効果をあげた

との塩野七生さんの話を載せている(参照)。

《12/01/01》
増税問題
・同じく十一月六日の条に「増税問題起こりてより人心恟々、前途暗澹として方針定めがたしと云う。余窃かに思うに、今回の増税は
天保改革の時幕府が蔵宿及び用達の富商に上納金を命じ、また江戸近郊にありし幕府旗本の采地を返上せしめんとしたる政策に似たり。
天保の改革はその半ばにして挫折したり。今回(*)、軍部の為すところ果たして能く成功すべきや否や。
」とある。
・奇しくも今朝の日経に《首相、迫る勝負の時、消費増税へ退路断つ》との記事が載っている。中に「消費増税に挑んだ歴代首相」の一覧表
がある。すなわち79年大平、87年中曽根、88年竹下、94年細川、94年村山、97年橋本と、32年間に6人、このうち能く増税を成し得たの
は盤石の党内基盤を固めた竹下内閣と変則的挙国一致内閣に近い村山内閣のみ。現在の財政状況から見て「何れは増税やむなし」との
国民的合意を得られる一般的可能性はないではないが、その前に「やるべきことに粉骨砕身の努力を重ねた」との身を切る覚悟が見えぬ。
*「この間約九字抹消、また行間補」の注有り。
アーネスト・サトウ
・昭和十年六月十六日の条に「英国外交官アーネスト・サトウの維新外交史は幕末維新のことを知らむとするもの必ず一読せざるべからざる
良書なり。日本人の著述には見ること能わざる秘事多きのみならず、その観察あくまで公平にしてその記事極めて率直なれば、読み行く中
に時代の変遷するさま、さながら大河の騎士に立ちて流れいく水を見るが如き思いをなさしむ.....維新の変革を記述したる邦人の著書には
必ず悲憤慷慨の文字多く挿入せられ、薩長志士の行動を無理無体に称揚し
....云々」(下線は引用者)
⇒「傍観者」としての面目躍如たるもの有り。傍観者とは、すなわち透徹した観察者の意也。我また、傍観者を自認するの所以也。
・岩手を出るときに、たまたま書棚から引っ張り出してきたメレジュコフスキー【神々の復活】の一節に、ダ・ヴィンチの言葉として
もし芸術家になりたいなら、芸術以外一切の悲しみや、煩いを捨てておしまいなさい。芸術家の心はちょうど鏡のように、自分自身はじっと
不動を守って、明らかに輝きながら、一切の事物、一切の運動、一切の色を映さなければならぬ
」。⇒相通じるものを感じる。

1930年代
・G.Hosking【The First Socialist Society】の第七章「Stalin's Terror」を読む。この本はゴルバチョフが書記長に選出された85年に
初版が出された。次いでソ連が解体された翌年、新たに公開された史料をも踏まえて92年拡大改訂版が出された。第七章「Stalin's Terror」
は、いわば周知の事実の要約に過ぎぬ。とはいえ階級支配の廃絶のみならず、支配そのものの揚棄を目指した革命が、かくも醜悪な対極物に
転化してしまった歴史的現実は、いかなる分析を以てしても解き得ぬ「人間性の謎」が中核部分に残るようなもどかしさが僕には感じられる。
・「30年代」というキーワードは、スターリンと並ぶ世界史的怪物ヒトラーを生み出した点で、彼らが活躍する歴史的環境を理解する助けになる
かも知れぬ。この二人に比べれば同じく全体主義の旗手とはいえ、ムッソリーニにはどこかラテン的な陽気さが垣間見える。
・まして日本の30年代となると、確かに日本近代史上稀に見る粗暴な暴力的振る舞いが横行したものの、その多くは荷風の云う”悲憤慷慨”に
類するどこか大人気ない幼稚さを漂わせており、ソ連やドイツの周到・緻密にして組織的な、水も漏らさぬ暴力的支配に比較すべくもない。
・荷風の日記、1931年正月から35年12月まで読了する(1963年版全集第21巻)。「乱世の状況」「思想上の鎖国」「満州戦争起こりてより世
の有様一変し」など、戦争と共に次第に窮屈になる世情を反映する記述や軍部に対する批判的言辞の削除の跡は見られるものの、かかる日記
が公然出版された事実を忘れるべきではない。

《11/12/31》
荷風の日記、【断腸亭日乗】
・荷風の個人的生活はもちろん、作品にも全く関心はないけれど、【断腸亭日乗】だけは、以前、岩波文庫の摘録で読んで面白かった。
何が面白いのか?【日記に見る近代日本】の紹介に「荷風は、世間と隔絶していても時代や社会に対し全く無関心なのではなく、社会と
一定距離を保つ傍観者であった
」(第四巻134.p)とある。この距離の置き方に僕と共通する所があって、日記の中に時折、垣間見せる
時代や社会の観察が興味深いのだと気づいた。尤も、僕は都会人から百姓に転身したというと云うと、時折、自給自足の生活に憧れて
百姓の道を選んだかに誤解されるが、世間とやや隔絶した環境にいるものの世間と隔絶しているわけではない。一方、荷風は都心の
ど真ん中で、毎夜のごとく銀座辺を徘徊しながら、しかも世間と隔絶していた。これは多分、心の置き所と有り様の違いに拠るか。
・昨日落手して、早速、第21巻「昭和六年正月」から読み始める。日記は大正時代から始まっているが、一番関心があるのは、いわゆる、
「十五年戦争」の時代と総括されている1931~45年を同時代人の荷風がどのように見ていたかという点。この日記は、【日記に見る】に
荷風個人の日常記録という叙述形式を採りながら、作品であることを意識し、遠くない将来に不特定多数の読者を獲得する商品となる
ことを想定して書かれていた
」と指摘されている点を割引しなければならないが、それでも世間をはばかって書かれないことはあっても世間
に媚びるような態度は見当たらない。
・昭和八年十月十八日に「震災後二三年間は世の中の景気も随分よかりし故、私窩子の値段も一夜二三十円なりしが追々下落して唯今
は十五円位がまづ高い方にて、並は六七円より十円なり。但しこれはお客様の払う金高にて女の手に入るはその半額なり
」とある。
震災とは、関東大震災のことだろうが、直後の景気はむしろ良くて、次第に下り坂に入ったとの記述に、やや意外の感を受ける。遊興窟
の特殊事例なのか、復興景気の波及効果の減退のせいなのか?いずれにせよ、通常の歴史書にはこういう記述は到底見られない。


内閣支持率
・今朝の日経に《「蜜月百日」ジンクス続く 世論調査うらおもて》の記事が載っている。「内閣支持率が10ポイント以上落ちた例」として
古い方から、安倍(07/05)支持率41、下落幅12;福田(07/12)以下同じく43、12;麻生(08/11)31、17;麻生(08/12)21、10;鳩山
(09/12)50、18;鳩山(10/04)2、12;菅(10/06)50、18;菅(10/10)40、31;野田(11/12)36、15、この数字はこれだけで特筆に
値する。55年体制と云われた自民党の一党支配の時代が終わって、それに代わる新たな政治支配体制の「模索」の時代、要するに過渡
期暫定政権の時代と総括される。個々の政治家の右往左往は、次の総選挙を意識した単なる自己の就職活動に過ぎない場合もあれば、
政治理念をめぐる駆け引きの場合もあろうが、政党間の離合集散や小政党の乱立は、今後も続く「過渡期暫定」時代の象徴だ。やがて機が
熟する時季を待つほかはない。
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by agsanissi | 2012-02-23 04:31 | ミミズの寝言
2012年 02月 22日

アナロジー

「維新」という看板の胡散臭さ
・昨日の日経コラム(鈴木幸一氏の経営者ブログ)に、表題のような記事が載っている。ここ暫く、橋本氏をめぐる政界再編の動向は、台風の目
になりそう。鈴木氏は、「胡散臭さ」の由縁を、次のように書いて居られる。
あらゆる政策が、グローバル化する経済、それが要求する法則を不可避なものとして回らざるを得ない時代にあること、政治的な選択肢が経済
政策のみという民主主義国家にとって、「維新」という言葉はいかにもふさわしくないのである。

ほとんどの人々の視点は、自分たちの暮らしや利害だけの視点であり、それが不満の政治、ポピュリズム的ルサンチマンの政治を招いている
ことだと考えると、その解は、日本のケースなら、「行きつくところまで行きつく」、つまり財政破綻によって、過大な公的サービスを削減し、税負担
を重くするほか策がなくなるという誰もが予測できる暗い将来を、どう回避するかという難題である。それは「維新」といった言葉で掲げる大風呂敷
の政治目標ではなくて、事実を冷徹に直視し、その事実を、経済的な視点のみの国民と共有していくことである。


政党政治の腐敗
・【断腸亭日乗】昭和六年十一月十日に次のような一節、
銀座の飲屋で「数名の壮士有り卓を囲んで大声に時事を論ず、窃かに聞くに、頃日陸軍将校の一団首相若槻某を脅迫し、ナポレオンの顰に倣い
クーデタを断行せんとして果たさず、来春紀元節を期して再挙を謀るという、今秋満州事変起りて以来この如き不穏の風説至る所に盛也、真相の
如何は固より知り難し、然れどもつらつら思うに、今日我が国政党政治の腐敗を一掃し、社会の機運を新たにするものは蓋し武断政治を措きて他
に道なし、今の世において武断専制の政治は永続すべきものにあらず、されど旧弊を一掃し人心を覚醒せしむるには大いに効果あるべし」
云々

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2011年2月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-02-22 05:05 | ミミズの寝言
2012年 02月 16日

日々雑纂

・東の空は心持ち明るいが、西は重苦しい。大きな雨域はないが、全般的に雲に覆われている。
・時と共に暗くなる。
・今朝、【断腸亭日乗】で大正12年9月朔の日記を読む。「空折々掻き曇りて細雨烟の来るが如し。日将に午ならんとする時天地忽鳴動す。
予書架の下に坐し...を読みたりしが、架上の書帙頭上に落来るに驚き、立って窓を開く。門外塵烟濛々殆咫尺を弁せず
...云々」
・幸田露伴の史伝を読みたくなり青空文庫を探す。【平将門】を読む。
・まったく何の脈絡もなしに、【史記列伝】、ブローデル【The Perspective of the World】、ホスキング【The First Socialist Society】、
小杉泰【イスラーム文明と国家の形成】を交互に読んでいる。ほかに比較的卑近のものとしては升味準之輔【日本政党史論】第五巻・六巻
くらいか。まあ共通項があるとすれば、”歴史”ということか。読みながら、今朝、時間軸ないしタイムスパンの取り方で「歴史」の見方というか、
現在を「歴史の一部」として評価する見方がだいぶ違ってくるなという、ある意味で当然のことを考えてみた。
・史記やブローデル、イスラム文明などは数百年単位で歴史を見ている。ホスキングは数十年単位、政党史論は数年単位で見ている。数年
単位の積み重ねが数十年単位となり、やがて数百年単位の歴史に吸収・統合され、人類の歩みとなっていく。現在の流れの瞬間も、一瞬も
留まることなく次々と過去へ押し流され、あるものは表面舞台に押し上げら、別のものは裏舞台(あるいはゴミ箱)に捨てられ忘れられていく。
その流れの一部を、どこかで任意の長さで切り取ってみて、大きな流れの中に正当に位置づけるのは容易なことではない。それでも大過去
のことなら、高見に立って全体を俯瞰できる(ある時点での過去・現在・未来を見渡せる)という有利さがあるけれど、同時進行となれば、数日
後のことさえ分からない場合もある。
・野田内閣、更に民主党内閣は、「歴史的」にどんな評価を受けるか?自民党政治の負の遺産をすべて引き継いでいる。要するに積年の
弊害の故に自民党は政権党の座を失ったわけだから、それを引き継ぐのは当然だ。問題は、
イ.解決すべき問題点をすべて列挙すること
ロ.解決すべき課題に優先順位をつけること
ハ.可能な解決策と選択肢のアウトラインを示すこと
ニ.個々の政策課題と全体的な政策プランとの見取り図を示すこと、などだろうか。
・「マニフェスト」は、それに当たるのだろうけれど、単なる絵に描いた餅に過ぎなかったことは完全に自己暴露してた。にもかかわらず増税と
いう苦薬を「社会保障」という名のオブラートに包めば、新たな「餅」に見せ掛けられるとの見くびった驕りが、自らの足を掬うことになるか。

メラトニンと2型糖尿病のリスク
・DiabetesCare.netの記事(12/02/15、参照)に「Body Clock Receptor Linked to T2 Diabetes in New Genetic Study」と
載っている。要点は、
A study published recently in Nature Genetics has found new evidence for a link between the body clock
hormone melatonin and type 2 diabetes. The study found that people who carry rare genetic mutations in
the receptor for melatonin have a much higher risk of type 2 diabetes.

というものだ。
・関連した記事を探すと、Nature Genetics( 2008年12月08日、参照)に、こんな記事が載っている。

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2011年2月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-02-16 05:55 | ミミズの寝言
2012年 01月 12日

日々雑纂

c0048643_14593064.jpg狂信との戦い
・「彼は地上のただ一つのものを、理性の仇敵として心から憎んでいた-狂信である。
みずからすべての人間の中で最も非狂信的であり、おそらく最高位とは云えないと
しても最も広い知識を持つ精神であり、文字通り人を酔わせる慈善ではないにしても
誠実な善意の心情であったエラスムスは、あらゆる形式の不寛容な志向のうちに、
我々の世界の禍根を見ていた。」.....
・「彼は宗教的、国家的、世界観的分野の別なく、およそ狂信と名のつくものに対して
は、これをあらゆる和解の不倶戴天の破壊者と見なして戦ったのである。....どの階級
にせよどの人種にせよ、馬車馬的偏見の思想家たち、狂信者たちのすべてを憎んで
いた。この連中はどこでもかまわず、自分の意見に対しては絶対服従を要求し、あら
ゆる別なものの見方を、異端とか破廉恥とかと軽蔑して呼ぶのである」8-9.p
・「エラスムスの個人的な悲劇は、ほかならぬ彼、あらゆる人間の中で最も非狂信的
な彼が、しかもほかならぬ超国民的な理念が初めてヨーロッパを勝利の光で覆った
瞬間に、国民宗教的な大衆情熱の、史上で最も凶暴な噴出の一つによって引き落と
されたことにある」15.p
・「時に、数世紀を通じて極めて稀ではあるが、世界全体がまるで布のように真っ二つ
に引き裂かれるほど、風力の強い対立的緊張の生じることがある。しかもこの裂け目
はどの国、どの街、どの家、どの家庭、どの心をも縦断する。そんな時四方八方から
怖ろしい圧力と共に、大衆の優勢が個人を掴み、個人は集団的妄想から自己を防ぐ
ことも、救うこともできない。このような狂奔する波涛の激突は、およそいかなる安全
な局外の立場をも許さない
」16.p(下線は引用者)【エラスムスの勝利と悲劇】から
1日に触れた「1930年代」は、まさに数世紀を通じて極めてまれな「世界全体が
まるで布のように真っ二つに引き裂かれ」た対立的緊張の時代、「大衆の優勢が個人
を掴み、個人は集団的妄想から自己を防ぐことも、救うこともできない」、そんな時代
として理解することで、幾分かでも、その真相に近づきうるのだろうか。

・この本は、ヒトラーが政権についた翌年(1934年)に出版された。この年、ツヴァイクは
オーストリアから英国に亡命した。
容赦なき戦争
・世界が真っ二つに引き裂かれ、互いに国家の総力を挙げて戦い、どちらか一方がもはや立ち上がれないまでに疲弊し、殺戮の限りが尽くされた
戦争が、どちらか一方が正義に立ち、他方が人道に対する罪を問われるなどということはありえない。そのような茶番は、勝者の敗者に対する
醜悪な復讐劇を「人道」の名のもとに飾り立てる二重の欺瞞でしかない。このような欺瞞の根底には、明らかに「欧米型人道主義」という偏狭な
正義感があったと僕は見なしている。現在でも、それが脈々と息づいていることはイラク戦争を「悪」に対する「正義の戦争」と位置づけたことに
も現れている。
・J・ダワーの【容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー) 】のAmazon.co.jpの紹介文から。
「ユダヤ人の大量虐殺を別とすれば、人種主義は、第2次世界大戦を語る場合に主題として取り上げられることはほとんどない」。しかし、ドイツと
日本の残虐行為を見る連合国の目は人種的に両者を差別していた。ドイツの残虐行為は「ナチスの犯罪」であり、ドイツ文化や国民性に根ざすも
のではなかった。これに対して、アジアの戦場における日本の残虐行為は「単に『日本人』の行為として伝えられていた」。
ジョン・ダワーは、大平洋戦争当時のアメリカの政府高官や軍指導部の発言、新聞・雑誌の論調、さらには映画、ポップカルチャー、時事マンガ
にいたる膨大な資料を渉猟し、そこに通底する「赤裸々な人種主義的本質」を摘出した。「日本人は人間ではない。残虐なサルだ。だから1匹残さ
ず殺せ
」という意識が、戦争遂行機関、マスメディア、戦場の兵士を貫いていたという。
このような殲滅思想は、異端に対する宗教戦争で、十字軍戦争、宗教改革、宗教戦争で繰り返し、繰り返し現れている。それ故、
僕は、単に「人種主義的本質」に根ざすのみならず、時に活火山のように噴出する一神教的正義感に基づく「狂信」が根底にある
ト見なしている。

たとえば、ルーズベルト大統領主席補佐官のウィリアム・レーヒにとって「日本はわれわれのカルタゴ」だった。彼はローマ帝国がカルタゴの消滅
を戦争目的とした史実に、アメリカの対日戦争目的をなぞらえていたのである。「コリアーズ」誌は、レーヒの考えをもとに「日本を破壊すべし」と
いう論説を掲載した。この表題はローマの大カトーが元老院で演説した「カルタゴを破壊すべし」からの転用だった。
アメリカの戦争目的が「野蛮なサルを絶滅させる」ことである以上、大平洋戦争が徹底殺戮の「容赦なき戦争」になったのも当然である。しかし、
「世界の大部分を巻き込み、5000万人以上の人命を奪った前例のない破壊的戦争において、どうして一方の敵対者だけの野蛮性など語ること
ができようか」。残虐行為のジェネレーターはステレオタイプの人種観であると、ダワーは言うのである。
(伊藤延司)
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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-12 15:59 | ミミズの寝言
2011年 11月 19日

日々雑纂

破壊と創造、夫々のレベルで、あるいはタイム・スケールで、破壊と創造は繰り返されている。生と死と言い換えても良い。
個人の生と死は一回限りのドラマだけれど、人類の誕生と衰退を個人レベルの生と死の集積としてみれば、無数のドラマの
混沌とした累積としか見えない。一方、個人の生を細胞レベルの生と死の集積としてみれば、単なる混沌とした累積物とは
異なるある種の法則性(あるいは規則性)があるはずで、だからこそ「人間」という有機的統合体が可能なのだろう。
・【ATOKATA】と題する篠山紀信の津波被災地の写真集の広告が「日経ビジネス」のサイトに載っている(参照)。
その冒頭に
「2011年3月11日。自然は圧倒的なエネルギーによって自らを破壊した。」とある。
・誰の言葉か(篠山氏か、編集部か?)知らぬが、「それは違うだろう」と思った。破壊と創造は表裏一体で、《万物は流転する》
という変化の一様態にすぎないと思いながら、冒頭のようなことを考えた。そうすれば生は同時に死への一歩であり、成長は
衰退へのあゆみであり、変化する物質の一様態に過ぎない。この場合、人間の魂、ないし意識をどう捉えれば良いか(あるいは
物質と意識の関係)、これが分からない。この分からないという有り様そのものが意識の賜物で、多分、物資の変化する様態
そのものには、この手の自己認識はないのだろう。
・《万物は流転する》という認識があるからこそ、不老不死などという妄想が生まれるのだろうが、富・権力・地位・名声などの
余計な夾雑物の産物に他ならない。「生きた証」なども庶民的レベルの夾雑物の産物に他ならないと僕は見なしている。つまる
ところ一個の《路傍の石》に過ぎぬ(と見切ったとは云わぬも)と見切りたいと願っている。
・ともあれ、上記サイトの写真に添えられた篠山氏の言葉、
「自然による新しい自然の創造。
それは神の悪戯でも凄惨な地獄でもなく、
静謐で尊く、荘厳な光景であった」
「僕は自然の力に畏怖し、
畏敬をもって凝視するしかなかった」

という言葉が身に染みる。
・人間的ドラマの時間スケールの変化の中に、突然、地球的レベルの時間スケールの変化のドラマが挿入されれば、誰だって
一瞬、戸惑わざるを得ないだろうが、事の本質はそういうことだ。それは決して、一方的な破壊ではなく、破壊と創造のドラマの
一局面に過ぎない。歴史的・社会的・政治的変化もまた、時にそういう時間スケールの置き換えという発想の転換によって考え
なおしてみる必要があるのではないか。

発想の転換、「Newsweek」日本語版(11/11/17、参照)に池田信夫氏が【「カロリーベース」という幻想を捨てれば日本の
農業はハイテク産業になる】との記事を載せている。
・TPP(環太平洋パートナーシップ)に対して農林水産省や農業団体は「関税が撤廃されたら日本の農業は壊滅する」という。土地
の狭い日本の農業は高コストで、海外の安い農産物が入ってきたらひとたまりもないというのが彼らの主張だ。しかし世界第1位
の農産物輸出国はアメリカだが、第2位はどこか、ご存じだろうか。
・オランダである。面積は4万平方キロと日本の1割強。農地面積は世界の0.02%しかないのに、農産物の輸出額は世界の1割
近い。農家一人あたりの年間輸出額は14万6000ドル(約1100万円)と、世界トップだ。その主力はよく知られている花や観葉
植物だが、トマト、ズッキーニ、パプリカなどの野菜も多い。しかもその輸出額は毎年のびている。高級農産物は成長産業なのだ。
・他方、日本の農水省は「カロリーベース」の食料自給率を高めることを政策目標にしている。日本で消費される農産物のうち、
国内生産の比率は金額ベースでは69%だが、カロリーベースでは39%になる。これは家畜の食う餌の自給率を農産物の自給率
にかけるためで、たとえば卵の自給率は金額ベースでは96%だが、鶏の飼料の9割以上は輸入なので、カロリーベースの自給率
は9%になる。

・価値基準をどこに置くか、何よって価値を計るかによって、物事は全く違った様相を呈する。
・もし日本の製造業が「重量ベースの自給率」を高めたら、半導体や携帯電話の生産が止まってコンクリートブロックや石材の生産
が増えるだろう。それが社会主義国で起こったことだ。旧ソ連では生産を重量ベースで計画したため、工業製品は重量の大きい
ごっついものばかり生産された(*)。日本の農業も補助金漬けの計画経済でやってきた結果、カロリーという無意味な指標で日本に
向かない穀物の生産に土地を浪費しているのだ。

・池田氏の意見に、必ずしも全面的に賛同するわけではないけれど、アメリカ・オーストラリア・カナダのような大陸国家と同じ土俵
の上で勝負しようとする考え方(最初から勝負にならないから「関税障壁」で守ろうという発想になる!)から脱却する必要があると
する点では、まさにその通り。規模拡大と効率化のスローガンも、)それ自体は不可欠の課題としても大陸国家の農業との「競争
条件」としてはB-29に対して竹槍を構える愚に等しい。

注(*);市場経済を廃止するため(「した」ためではなく、「する」ため)「貨幣」を名目的に廃止して、代わりに重量を
社会的価値尺度の基準として採用したため、個々の工業製品も重量で生産量が評価されたため、「重すぎ」て天井に
吊るせないシャンデリアが生産されたという「小話」がある(それとも実話?)!
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by agsanissi | 2011-11-19 06:55 | ミミズの寝言
2011年 08月 26日

あてにならないのは...

・前線は下がり気味、東北北部沿岸の天候は回復傾向(秋田市も、この先一週間「安定」のようで、北部沿岸と書いても良いようだ)、
「今月一杯はジャガイモ掘りは無理」と諦めていたが、28~29日頃には、ひょっとすれば出来そうな気配。尤も、週間予報のように
日々変わる予報もないけれど。
・これも政権公約と同様、当てにしないで、ただ見ていることが肝要!
・8時半過ぎ、かすかに陽射しの出る気配。何日ぶりの陽射しかと「ホッと心和む」思い。21日以来濃霧注意報が出ずっぱりで西日本
の炎天をよそに、はや秋の気配。

綱領なき政党の挙党一致の欺瞞、DiamondoOnline(8/25)の「政権ウォッチ」で田中秀征氏が「民主党代表選は、前原誠司
前外相が独走する可能性が出てきた」書いている(参照)。
・自らその「能力も覚悟もない」と明言する議員が、前言を安易に翻し(これは前原氏の言動と挙措の羽毛の如き軽さを如実に示して
いる)、またその議員を恰も祭の神輿のごとくに担いで狂奔する姿は、僕には「民主党という党そのもの」が瓦解に向かってひた走る
お祭り騒ぎのように見える。近衛という当馬を担いで大政翼賛会に投じた諸政党の運動が、政党政治そのものの崩壊に道を開いた
ように、前原氏を担いだ民主党が「政権党としての崩壊」の最後の仕上げをして、(意図せざる)政界再編に向かって突っ走っていると
すれば、それはそれで「進歩」には違いない。
・人間としての誠実さや謙虚さは、必ずしも疑わない。しかし政治的世界では個人的誠実さなど一分の徳にもならぬことは前首相が
示したし、総理の座を維持するには謙虚さなど弊履のごとく投げ捨てなければならぬことは、自らペテンを演じた前首相が現首相を
ペテン師と公言するとこで(二人して)身を以って実践した。



【今日の空模様】特徴:   、最低・最高気温:    度、日照:     時間、


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【日々雑纂】
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by agsanissi | 2011-08-26 05:36 | ミミズの寝言
2011年 08月 24日

「記録するに値しない」という記録

・これほどの変化も珍しいか。15日以降、20日を除いて連日雨が降っている。今朝も「夜明け前」から降っている。レーダーアメダスで
見ても雨雲がかかっていないのに降っていることも珍しくないから(レーダーにかからない超微粒の霧雨なのか?)、アメダス記録
よりも、(雨量は別として)実際の雨日数も降雨時間も長い。予報では金曜日まで断続的に雨、土・日と一時的に上がって、月曜日に
再び雨の予報。結局、今月いっぱいのジャガイモ掘りは、まずは見込みなし。

◆「記録するに値しない」と思ったのは民主党代表選挙の話。
・考えてみれば、しかし、事実上の総理選出選挙が「記録するに値しない」というのは記録に値する。
・いつでも、後から思うことだが、「記録に値する」ことだけを記録した記録は「記録としての価値」は薄い。どうってことのない日常些事
が、後から重要な意味を持つことはよくあることだ。尤も、僕は物書きが専門じゃないから、それほど拘る必要はないけれど、農事に
関することでも「あのとき何をやっていたかな?」と思って、記録を繰ってみると何も書いてないことが間々ある。
・去年の8月から11月も「作業日誌」は何も書いてないけれど、これはネットの接続状態が最悪で、阿呆臭くてやってられなかったせい。

・前原氏の出馬で「代表選の構図は一変」とは23日の日経の見出し。共同通信の電話取材に拠る世論調査では「次期首相にふさわ
しい人物」のダントツの人気トップは前原氏だそうだ。記事によると、前原28%、枝野11%、岡田10%で、それ以外は5%以下。
「能力も覚悟もない」首相は願い下げ、Diamondo Onlieの「山崎元のマルチスコープ」(11/08/17)に「前原氏は論外」(参照
という記事が載っている。
「前原氏は周囲に『首相と閣僚では仕事の大変さが違う。私には能力も覚悟もない』と語っているという」
前原誠司氏については、古くは、民主党代表時代に起きた「永田メール事件」、政権が民主党に交代してからは、八ッ場ダムを巡る
問題や、JALの処理、さらに尖閣列島沖の中国漁船の問題などで氏が見せた、はじめに勇ましくて、後から手に負えなくなって尻尾
を巻く何度も見せた気の小さい番犬のような行動パターンを思い起こすと、「能力も覚悟もない」というご本人の言葉には、一分の反対
意見の余地もない。正確無比な自己認識に敬意さえ覚える

・「永田メール事件」一つを見ても、その軽率さと「総理という意思決定」の責任の重さとのアンバランスは、余りにも危うい!!

【今日の空模様】
特徴:根室沖から北九州にかけて日本海沿岸部に沿って前線が停滞している。秋田県境付近で北緯40度線を通過してる。昼頃までが
当面ピークだろうか。内陸部には各地に大雨警報が、普代村には今朝から大雨注意報と濃霧注意報が出ている。日照は霧に覆われ
(20日の4時間が例外で)16日以降ほとんどない。
・一端は消えた梅雨前線が復活したかに錯覚していたが(梅雨機関があまりに短かったものだから)、実は早めの秋雨前線だと気付いた。
ということは「夏が短い」ということなのかな?



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【日々雑纂】
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by agsanissi | 2011-08-24 06:27 | ミミズの寝言
2011年 07月 16日

末期的症状

・カテゴリ分けで「考える」以下の記事の分類は、かなりいい加減で自分でも何がどこに入っているか分かりにくい。
整理しようかなと思うものの、自分でもどこに入れたらよいか分からないような記事もあるし、「あれ!こんなところに、
こんな記事があった!!」などと発見の面白さもあって、そのままに放ってある。それでも「備忘録」と「ミミズの寝言」
の内容は概ね重なるから一緒にして「ミミズの寝言」にまとめてしまおう。⇒これは余談

◆「なりゆき」政治
・「池田信夫Blog」part2(11/07/08、参照)に《日本政治の「古層」》という記事が載っている。「民主党政権のグダグダ
ぶりを見ていると、丸山真男の格闘した問題は日本人の永遠の問題だという感を強くする」と書いておられる。
さて丸山の摘出した日本政治の「古層」とは何か?池田氏の引用によると《経験的な人間行動・社会関係を律する見えざる
「道理の感覚」が拘束力を著しく喪失したとき、もともと歴史的相対主義の繁茂に有利なわれわれの土壌は、「なりゆき」の
流動性と「つぎつぎ」の推移との底知れない泥沼
に化するかもしれない
》というもの。
・丸山氏の指摘は、必ずしも明晰とは思わないけれど、いわゆる「十五年戦争期」と云われる1931~1945年の政治過程を
顧みると、少なくとも《「なりゆき」の流動性と「つぎつぎ」の推移との底知れない泥沼》という表現は言い得て妙だとは思う。
・政治的指導部は、必ずしも軍事行動の拡大を望んでいないにもかかわらず、軍の中堅幹部の独断専行に引きずられて
ズルズルと大陸戦争に引きずり込まれ、一方、天皇は無答責の局外者の立場に居ながら統治権の総攬者として軍の独断
専行に対する政治的掣肘の遮蔽物として、事実上、(総攬者という名目とは正反対に)政治と軍事とを分断する役割を果たし、
およそ近代国家としてはあり得ないような「なりゆき」まかせで対米英戦争という泥沼に足を取られていった。
・この場合、戦争は政治・外交戦略の一環であるにもかかわらず、政治的指導の外に置かれた、あたかも天災のようにただ
その対応に責め立てられ・追い立てられる災厄かのようなものに過ぎない。
・政治的「表層」の現れ方は80年前(僕の言う「40年周期」説からすると、ちょうど二回り前に当たる。参照)とは、およそ対局
にあるかに見えるものの、その「古層」は全く同じ内容の別の表現に過ぎないのかしら?

【今日の空模様】
特徴:11日に東北地方は「梅雨明け」とは言うものの、前線が大陸方面に後退したのは12、13日の二日間だけで
14~16日は津軽海峡から北海道付近に張り付いたままで、普代でも雨らしい雨の降ったのは11、12、13、15日
の四日間。13日は気温の急上昇に伴って短時間に集中的に降る俄雨(13、14日と大雨洪水警報がでる)。15日は
ほぼ終日、しとしとと断続的に振り続く弱い雨。一方、今日の午前中は濃霧、午後から晴天。
最低・最高気温:19.2/23.9 度、日照:3.4 時間、


2010年7月は何をやってた??

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【日々雑纂】
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by agsanissi | 2011-07-16 05:25 | ミミズの寝言
2011年 02月 15日

日々雑纂

・昨夜18時過ぎから降りだす、いつから雪に変わったかは知らぬ。20時過ぎには1度を下回る。低気圧は21時に紀伊半島沖、3時に千葉県沖
に達する。さいたま市の雨又は雪のピークは21-23時ころ。明け方5時過ぎには既に雨に変わる。道路はシャーベット状の雪。薄暗がりの中、
危ない足取りで犬の散歩に歩いている風狂の人がいる。
・「牛に引かれて善光寺参り」ならぬ「犬に引かれて健康増進運動」でも推奨してはどうか?

怪物的独裁者の指揮棒云々の続き(11/02/07)、バーバラ・タックマン『八月の砲声』とヨアヒム・フェスト『ヒトラー』を相次いで拾い読み。
タックマンは、20年ほど前に読んだが、大統領に就任直後のケネディが閣僚及び国家安全保障会議のメンバーに、この本を読むように求め
「ヨーロッパの指導者たちが、どんなふうにヘマを重ねて第一次世界大戦という大失敗をやらかしたか生き生きと描写している」と述べたとか
(『マクナマラ回想録』138.pから)という一節を読んで再読(⇒過去の教訓に学んでも、実践に活かすのが如何に難しいか、指導者の思惑を
超えて歴史の歯車が如何に思わぬ方向に回転してしまうかを語って余りある
)。フェストは『モスクワ攻防戦』の引用で関心をもつ。
・このニ冊を読んで分かること。20世紀前半は、日本及び欧米諸国にも軍人または軍人出身の政治的指導者が一般的にいたこと。ヨーロッパ
の多くは君主国家(又はそこから抜けだしたばかり)で、彼らの先祖は代々戦争又は外交によって領土国家を拡張し、権益を拡大してきたこと。
彼らは「民族の生存権確保」のための戦争は必要不可欠であり、必至でもあると伝統的に考えてきたこと。彼らにとっては、戦争こそ常態であり
平和は、戦争と戦争の間の幕間に過ぎなかったこと。それにもかかわらず第一次世界大戦は、それまでの戦争概念を根本的に変えてしまい
国家の総力を挙げての全面的戦争は、戦勝国にとっても敗戦国にとっても割りに合わず、それ故「戦争は今や実行不可能になった」という幻想
が広がる一方、ドイツに対する過酷な賠償(それがドイツの「戦争願望」を再起不能にすると思われた)が、逆に「世界帝国」への夢をかきたてる
火種になった。従ってドイツとドイツ以外のヨーロッパには、全く正反対の世論または世相が漂っていた。一方、第一次大戦の無政府的な混乱
と君主政府の無能のおかげで奇跡的に権力を獲得したロシアの革命的エリート達はヨーロッパ社会主義の夢から、やっと抜けだしたばかりで
西欧民主主義国家とは全く異質の「生きるか死ぬか」の二者択一を性急に突きつけるナチス・ドイツと向きあうことになった。それ故、スターリン
は理論的にはどうあれ、現実には「一国社会主義」の温床から、否応なしに引き摺り出される事態に直面せざるを得なかった。
・前に(11/02/06)、30年代半ばから40年代半ばにかけての10数年間、ユーラシア大陸からドイツ・ヨーロッパにかけて「殺戮の嵐」が駆け
巡ったが、それは「単に二人の狂った独裁者の個人的資質を云々することでは、とうてい理解出来ない」と書いたが、この時代、ヒトラー&スター
リンを取り巻く政治的エリート集団には無数の小ヒトラー&小スターリンがいた。彼らは、確かに突出した個性によって時代の頂点にたったが
「怪物的独裁者の指揮棒の一振り」が時代を演出したわけではなく、時代の狂気的一面が彼らを指揮者の地位に押し上げたと考えたほうが
理解しやすい。

債務残高のGDP比、日本の国債残高のGDP比の推移を見て直ぐに気付くことは、過去三回の山は戦争に伴う異常な突出だ。最初は西南
戦争、二度目は日露戦争、三度目は満州事変から太平洋戦争に至る一連の総力戦。それでも、ある時期まではGDP比で50-70%に留まって
おり、歯止めを失ったかの急膨張を遂げるのは1936年以降、特に2.26事件以降だ。英国は、第一次大戦から第二次大戦にかけて、特に対独
全面戦争が開始されて以降だ。こうしてみると、90年代以降の日本の債務残高の急膨張の異常さが浮かび上がってくる。
・国の総力を挙げた消耗戦に匹敵するような、一体、どんな消耗戦がこの間に実施されてきたのか?
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by agsanissi | 2011-02-15 09:50 | ミミズの寝言
2011年 01月 01日

「面倒くさい」

年頭の言葉ではないけれど、つい数日前、妻との会話の中で
僕の辞書に「面倒くさい」という言葉はないよ、と話した。
「私の辞書に不可能という言葉はない」というほどには思い上がってはいないけれど、いつの頃からか(多分、農業をはじめて、
直に自然と向きあう時間を過ごすようになってからだと思うが)「面倒くさい」と思う気持ちは、次第に消えていった。というより
気づいたときには消えていたというのが良いか。「やるか、やらないか」「必要か、必要ないか」とは考えるけれど、「面倒くさいな」
と思ったことは、最近はついぞない。代わりに、淡々と、坦々と、眈々という言葉が、座右の銘のように浮かんできた。

耳順と従心との、ちょうど中間の歳に達したけれど、そして自分を顧みて「耳順」の域には達したとおもうけれど、
淡々と、坦々と、眈々と、己に言い聞かせる点では、まだ「従心」の域にはほど遠いようだ。
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by agsanissi | 2011-01-01 12:01 | ミミズの寝言