農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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カテゴリ:ミミズの寝言( 104 )


2009年 06月 16日

リスク管理のお粗末/2

昨日から気温は終日11度前後、日照ゼロが続く、今晩の雨の予報は明日早朝に延期されたが、
どっちにしても、百姓には「生殺し」状態。濃霧とともに低温注意報が出される。

◆リスク対象を取り逃す穴(だらけ)
やらないよりは、やったほうが良いかどうかという見方をすれば、リスク管理の資源が無限大にあれば、
やったほうが良いに違いない。しかしリスク管理に投入しうる資源が限られている場合、殊に「わが国
は感染症後進国」(参照)との指摘を踏まえれば、リスク管理の対象を明確に限定し、最も重要な
ポイントに資源を集中投入すべきとは、素人でも分かることだ。ところが無限定・総花的対策...
その結果、次のようなことになる。
今は、厚労省の結核感染症対策課も不眠不休で対応に追われて疲弊していると思います。ただ、そもそも
が机上の空論。現在の日本は、天然痘のように封じ込めできる疾患と、インフルエンザのように封じ込めでき
ない疾患の区別すらついていません
。それで、お金かけても仕方ないところにお金かけてます。発見率の極
めて低い
(*)サーモの機械は1台300万円しますし、これを見るための検疫官を他の省庁からも借りてまで増
やす、そんな無駄なことに税金を使っています
。」(参照
(*)「現場からの医療改革レポート」の第30回には「サーモグラフィーでの有症者発見率は0.02%すなわち
1000人に2人で、99.8%はすり抜けます」と書いてある。0.02%とすれば1万人に一人、99.98%はすり
抜けるし、千人に一人云々とすれば0.2%の間違いではないのか?どっちが正しいのか分からない。


ところが、対象をインフルエンザのみに限定しても、依然として対象は曖昧模糊としている。
「現場からの医療改革レポート」第31回では「医学的に無茶苦茶な新型インフルエンザ診断基準」が
指摘されている(参照)。
最大の問題は、新型インフルエンザ感染を疑う対象を、「新型インフルエンザ患者との濃厚接触歴を有する」、
あるいは「新型インフルエンザが蔓延している国に滞在した」人に限定したことです。海外で新型インフル
エンザにかかった人が潜伏期の間に空港検疫を通り抜け、知らない間に治癒したが、周囲の友人にうつして
しまったというようなケース
を全く想定していないのです。

飛行場での検疫体制が、ザルであるのみならず、ザルを通り抜けた水の中にはウィルスが混入しうる
可能性があることを想定していない、というわけだ。
事実、ザルをすり抜けた想定外の場所で(神戸)、感染はすでに広がっていたわけだ。
というわけで、このような検疫体制の「効果」を喧伝する意見を、次のように揶揄している。
川の水を浄化するために、水源池から流れ出る水を、集落総出で「ざる」ですくい続けているようなものです。
一生懸命やりましたが、引っかかったのは砂4粒だけ。昨今の状況を見るに、「ざる」をすり抜けたか、別の
流れから運ばれたか下流で見つかった砂が何百粒に達しています。この状況で、「ざるすくい」が一定の効果
を上げたという人はいないでしょう。
(続く)
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by agsanissi | 2009-06-16 07:55 | ミミズの寝言
2009年 06月 14日

リスク管理のお粗末

新型インフルエンザの流行は、まだ始まったばかりで、この「騒動」の全体を総括するには早すぎる。
感染症問題の専門家を初め、多くの方が「政府の対策」のお粗末さを指摘している。
一介の百姓に過ぎぬ僕が、これらの論評に新たに付け加えるべき知見があるはずもない。

但し、多すぎる雑多な情報は、きちんと整理しておかなければ、ただのゴミ同然だということ、
多くのゴミの中で、宝石のように輝く見識は、一人でも多くの方に広める機会が必要だということ、
権威的なものが、権威的装いの下に、いかに愚かな行動に走っているかを承知しておくべきこと、
自分自身の覚書のため、

ザッと、以上のような理由で「インフルエンザ騒動」についても書いておくことにした。
インフルエンザの大流行は、少なくとも1~3年のスパンで続くようだから、その推移を見守る意味もある。

送られてくるメールマガジンで、この問題を定期的に扱っているのは、世界環境ホット・ニュース(参照
の「豚インフルエンザ報道を検証する」と、JMMメールマガジン「現場からの医療改革レポート」の第30回
以降(参照)、不定期で団藤安晴の記者コラム「インターネットで読み解く」の最近号(参照)など。
環境ホット・ニュースは、表題通り「報道の検証」が中心、団藤コラムはジャーナリストとしての批判的報道、
医療改革レポートは、感染症の専門家ではないが、医療現場の立場からの批判。
いうまでもなく、僕は「現場からの批判」を、最も重視する。どんなに立派に見える「対策」も、現場の実践的
な検証を経なければ、空疎な空文句に過ぎないからだ。

環境ホット・ニュースの「豚インフルエンザ報道を検証する」は、まだシリーズ四回目で、この後どう展開して
いくのか分からないが、第四回目の冒頭で
厚生労働省は「新型インフルエンザ」の判定作業を地方に押し付けて、「通常の季節性」かもしれない
A/H1N1 型インフルエンザも すべて「新型」だとする水増し発表を続けました。そうして作り出したパニック
を利用して、補正予算で抗インフルエンザ薬タミフルを大量に追加購入しようとしています。

と書いている。
二回目では、タミフルは豚インフルエンザには「有効ではないようだ」ということを、いろいろな報道から検証
している。
有効でもないタミフルを大量購入するために新型インフルエンザ騒動を意図的に演出しているという批判
なのかどうか(まだ分からないが)、今回の騒動に限ってみれば、その可能性はゼロではないとしても、より
長期的な視点で見れば、水増しどころか、実態を掌握し切れていない可能性のほうが高いのではないか。

厚生労働省のリスク管理批判としては、「現場からの医療改革レポート」が本質的な問題点を指摘している。
◆水際対策という愚行
海と空からの上陸を防げば国内への浸入は防げるという発想は、島国に由来するものか、それとも他の
狙いがあるのか?
ゴールデンウィークの帰国ラッシュには検疫官を普段の3倍に増員したと言われています。このような報道
が繰り返されることにより、厚労省の懸命な努力により、新型インフルエンザが水際でくい止められている
という印象が国民の中に形成しつつあるように感じます。しかし、あの報道や映像を見て、専門家は疑問を
感じています。」

問題点を、二点指摘している。
防護服は、「患者」から自らへの感染を防ぐと同時に、検疫対象となる他の検疫対象者への感染を防ぐの
が目的で、そのためには防護服は使い捨てにしなければ、防護服そのものが感染源になる可能性がある。
潜伏期間、約10日間の潜伏期間が想定されるが、「空港に着いた時に症状がなければ、どんなに検疫を
強化しても発見できませんから、すり抜けて国内に入っていることになります。
」一方、潜伏期間中であって
も、ウィルスは蔓延しうる。
厚生労働省検疫官の木村盛世氏は、自ら水際作戦の愚行を指摘しておられる。
厚生労働省が言っているのは、検疫による水際での封じ込め、ワクチン、タミフルの3点セットですよね。
でも、こんなの新型インフルエンザに対してはナンセンスです。
」(参照
ここでは、水際作戦のみならず、厚生労働省のインフルエンザ対策そのものが「ナンセンス」だとの指摘だ。
当然、検疫官の木村氏の発言は厚生労働省内部でも公然と発せられているはずだ。それにも拘らず、何故、
こういうナンセンスな「対策」しかできないか、この点は木村氏のインタビュー全体及びWEBサイト(参照)を
読んで、じっくり考えてみる必要がある。
これは、一厚生労働省の問題に止まらず、日本国そのものの「頭の働かせ方」にかかわる問題だ。(続く)
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by agsanissi | 2009-06-14 05:38 | ミミズの寝言
2009年 05月 31日

読書三昧

今日で三日続きの雨勝ち、
一昨日は朝の天気予報で「午前中は確率0%、午後は40%」の予報が流されている最中に、まさに雨。
その後も繰り返し霧と霧雨、ディスクに泥が張り付くため、予定したディスク・プラウは中止。
昨日は終日雨、文字通り休みなく(今朝8時過ぎまで)降り続く。ただし最大の時間雨量は3ミリで、降り
始めからの累積雨量は43-46ミリ程度。午後は再び3時過ぎから雨。

ゴボウやヤーコン、シモン1号、ネギなどには恵みの雨だが、ちょうど開花期に当たる小麦には迷惑。
開花期のこの時期が菌に対する抵抗力は最も弱く、一方、赤カビ菌の繁殖・蔓延には雨は持って来い。

先週、ETCを(週末ドライブは、まったく無縁だけれど、年一回の埼玉との往復だけでも充分にペイする
ので)取り付けたところ、以来、何故か電気が流れなくなってしまい、エンジンがかからず(デンソーに
も、スバルにも確かめたが、未だに原因不明で車屋で車庫入り)、といってこの雨の中をバイクで走る気
にもならず、お陰で一昨日の昼過ぎから読書三昧。三冊読了し、現在は四、五、六冊目を読み中。
これまたお陰で、頭は柔らかくなったが、身体は硬くなった。

1929年、83-84年の恐慌相場(後者は、「恐慌」というには力不足だが)にタイムスリップ。(同時代的・
近視眼的分析を離れて)一連の歴史的回顧を読んでいて分かることは、
1.専門家、専門誌・紙の同時代的分析が如何に当てにならない楽観的・希望的観測に歪められているか
2.歴史的「大暴落」が、われわれの予測の幅を如何に簡単に超えてしまうか
3.投機的熱狂とともに「永遠の繁栄」の幻想に繰り返し浸り、その度毎に幻滅を味わってきたこと
4.今回の「大暴落」の真の深さを測るには、数年~十年程度かかること(従って、それ以前に述べられた
いかなる楽観的・希望的観測あるいは悲観的観測を加えても良いが、寸毫も信用するに足らない
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by agsanissi | 2009-05-31 17:51 | ミミズの寝言
2009年 05月 25日

さいたま市長選

24日の「さいたま市長選」で、民主党推薦の無所属の新人候補が自民党の推薦する現職候補を大差で
破って当選した。母体になる党派が自民党から民主党に変わっただけではなく、66歳から47歳に約20
歳若返った。これだけでも結構な意味がある。

選挙結果を伝える朝日WEBサイトは「小沢代表、辞任の効果、さいたま市長選、民主大勝」との見出しを
掲げて(参照)、
民主党埼玉県連の枝野幸男代表は「(この勝利が)民主党に対する勢いや流れを有権者に感じてもらえる
のは間違いない。そういう意味で、総選挙へ大きくプラスに働くと思う」と語った。
躍進のきっかけは、告示翌日にあった小沢前代表の辞任表明だった。市議の一人は「ビラが辞任表明前
の1.5~2倍、はけるようになった。民主党の動きに関心が集まっているのを感じた」。
そして21日夕。鳩山氏は代表就任後初の街頭演説で清水氏の応援へ。「さいたま市の政権交代を市民
の手で実現させよう」。鳩山氏の訴えに大勢の聴衆から拍手が起こり、握手を求める人たちで身動きが
とれないほどだった。

と記者自ら、やや興奮気味に伝えている。

自民党の細田幹事長は「地方選の影響は限定的だ」と平静さを装っているが、心中穏やかではあるまい。
殊に当選した清水氏が、自民党所属の県議会議員を二期務め、今年2月に自民党を離党して無所属で
立候補したとあっては尚更だ。
清水氏を「難破船から逃げ出すネズミ」に喩えて良いかどうか分からないが、衆議院選挙を控えた自民党
の陣笠議員・新人候補には、深甚の影響を及ぼすことは間違いない。
果たして、自民党の看板を掲げていて有利に戦えるのか??」

戦国武将の戦いの推移をたどれば、勝ち戦ではどっと戦力は拡大し、負け戦になれば忽ち兵力は落剥
する。もともと伝来の固有兵力などほとんど持っておらず(織田信長に至って初めて職業的・専門的な
兵力集団を持つようになった)、勝ち戦に便乗して出世向上を目指して一所懸命に励む俄か兵力集団
なれば、これも不思議はない(時代によって、人間の性にそれほど差があるかな)。
もともと政策的なねじれ現象を内在し、鳩山・麻生の「相似形」(参照)とさえ云われるほどの似た物集団
なれば、戦国武将の戦いぶりのような兵力の雪崩現象が起きたとしてもちっとも可笑しくはない。
清水氏の戦いぶりと、その結果は、果たしてそんな現象の予兆になるだろうか?

★参考、各候補の得票数
・清水 勇人47無所属新、155,966
・相川 宗一66無所属現、98,816(自民)
・中森 福代59無所属新、62,991(自民)
  
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by agsanissi | 2009-05-25 23:25 | ミミズの寝言
2009年 05月 24日

変われば、変わる

この二日間は不順な天候で、仕事らしい仕事をしていない。
一昨日は、夕刻から雨の予報だったが、早朝から霧雨になり、終日止んでは降り、降っては止むを繰り返す。
朝方の空気は十分に湿気を帯びているが、土はまだ乾いた状態のうちに、ゴボウを播種した。
手押し車のようなものに、大きな糸巻き状のテープシーダーを付けて押して歩くだけだ。
400メートルを20分ほどで終える。終わった直後に、やや強い雨が降り始める。発芽には好都合。
トレンチャーで1キロ近く掘って、実際に”正常に”播けそうな所はこんなもので、あとはゴロゴロの土で出芽も
おぼつかない。

昨日は薄曇、日照時間はゼロ。絹さやの支柱を立て、ネットを張ったり、ゴマやブロッコリーを播いたり、
ハウス内の草取りをしたり、そんな程度で、あとは専ら「ミシェル-城館の人」を読む。

モンテーニュは、あらゆることにかかわりながら、一定の距離をおき、敬虔なカトリックのように見えながら、
少しもキリスト教徒らしからず、党派的な人々からは傍観者のように見なされ、時に現実逃避の卑怯者
呼ばわりをさえされた。モンテーニュの「エセー」を最初に読んだのは40年ほど前だけれど、決して熱心な
読者ではなかったし、今でもそうだ。
しかし自分が党派的立場を脱して、単なる政治的な傍観者の立場に立ってみると、とりわけ自分の全生涯を
賭けても惜しくはないとまで思いつめていた思想的立場が、いかに危うい現実認識の上に立っていたに過ぎ
なかったかに気づいてみれば、モンテーニュの懐疑主義が如何に真摯な現実認識に立っていたかが、多少
とも理解できる境地に達した(と言っても大言壮語にはならなくなった)とは云えるだろうか?
とはいえ、モンテーニュが後半生を過ごした同時代的な「化物じみた」宗教戦争の残虐きわまる壮絶な戦い
に比べれば(参照)、僕の経験など無に等しい。

僕は、何度も書いたように、政治を天気のようにしか見ない。ただ観察し、対処するだけで、変えようとも、
変えられるとも考えていない。しかしエコノミスト誌が書くように(また、多くの無関心層の人が考えるように)
「変わっても、変わらない」とは考えない。「変えねばならない」とは敢えて力みはしないけれど、明らかに
「変われば、変わる」。

第一に、自民党と高級官僚と業界との間の密接な癒着の構造が変わるし、変わらざるを得ない。一朝一夕に
変わるかどうか、変われるかどうか、それは分からない。しかし一旦はばらばらに分解し、再結合して新たな
構造を作り出すまでは流動化し、不安定にならざるを得ない。どう変わるか分からぬにしても、半世紀以上に
わたって積み重ねられてきた癒着の構造をぶち壊す必要があるし、それには政権交代する他はない。
政権交代なしには、効率的政府も、財政の健全化も、国家公務員制度の抜本的改革も、真剣には何も
始まらない。
第二に、野党が政権をとれば、変わったということを示さなければならない。民意を反映した政府が良い政府
だとは必ずしも考えないけれど、少なくとも民意を真剣に汲み取らなければ、いつ政権の座を失うかという
緊張感を根底にもつ政府を、われわれも一度はもって見なければならない。戦前の二大政党制の経験は
政党政治の腐敗へと堕し、軍事的ヘゲモニーの前に政治的ヘゲモニーが圧せられたけれど、少なくとも
現代は普通選挙権が確立し、統帥権を振りかざし政治に介入する軍部もない。普通選挙権を前提にした二大
政党の競い合いが良い方向に作用する可能性はある。
第三に、万年政権政党が政権を失えば、政党の再編を真剣に考えなければならなくなる。僕は、現在の
二大政党は部分的に五十五年体制の遺産を引きずったままのねじれた関係と見なしている。自民党が
政権を失い、民主党(または民主党主導の党派)が政権をとれば、政権政党に安住してきた連中も真剣に
「政策」を軸にした政治活動を考えざるを得なくなる(「頭の体操」07/11/11、参照
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by agsanissi | 2009-05-24 06:10 | ミミズの寝言
2009年 05月 21日

世襲政治への覚書/続

堀田善衛の「ミシェル-城館の人」の第一部争乱の時代を読み終えた。
時代は16世紀半ば、世界史的知識ではルネサンスと宗教改革の時代として教えられ、近代への燭光が
仄見えた時代に生きたモンテーニュの時代の物語。
同時にそれは、聖バーソロミューの虐殺事件で後世に伝えられるカトリーヌ・ド・メディシス、ルターとともに
宗教改革の指導者カルヴァンの時代でもあった。

歴史は、中世から近代へと向かって、着実に一歩一歩前進し、明るさを増していくというような、単調な歩み
を決して歩んでは来なかった。
「争乱の時代」に書かれているように
ルネサンス期(文芸復興期)は、その裏側において、「精神の暗黒部をもっとも露骨に示した、かつはもっとも
非理性的な魔女裁判の最盛期でもあったのである

宗教改革運動は、中世権力の頂点に立ち退廃を極めた旧教に対するプロテスト運動であるのみならず、
宗教的装いの下に繰り広げられた王侯貴族間の熾烈な権力闘争や新たに台頭してきた商人階級の政治的・
社会的進出への思想的支柱でもあり、それ故にまた神の名の下にありとあらゆる残虐行為(旧・新教の両側
で)が美化されもしたのである。

このような時代に生きたモンテーニュの透徹した人間観察は、四百数十年の時を隔てて、安易な世襲政治
へと回帰する我々への警鐘のようにも聞こえる。
人間の評価について不思議でならないのは、それはわれわれ人間だけを除いて、あらゆるものは
そのもの固有の特質だけによって、評価されるということである。われわれが馬をほめるのは、逞しく
速いからであって、(中略)馬具が立派だからではない。猟犬をほめるのは、足の速さのためであって
首輪の美しさのせいではない。鷹をほめるのは、その翼によってであり、革紐や鈴のせいではない。
なぜ同じように、人間を彼自身の価値によって評価しないのだろうか。ある人は大勢の供回りと、立派
な宮殿と、あのような信用と、あれほどの収入を持っているが、これらはすべて彼の周辺にあるもので
あって、彼の内側にあるものではない
。猫を袋に入ったままで買う人はいないだろう


ところが我々は、誰それの息子だ・娘だ、何々で有名だというそれだけの理由で、袋の中身を吟味しないまま
相手の言値で買っているのだ。そういえば一昨日引用したエコノミスト誌に、こんな一節があった。
もちろん有権者側にも非がないわけではない。これまで、日本の有権者は与えられたものをあまりに簡単に
受け入れ、「政治の弁当箱」が空であると分かった時でさえ、それに甘んじてきた。

バナナ共和国と揶揄されたところで、なんと反論できようか?!
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by agsanissi | 2009-05-21 00:25 | ミミズの寝言
2009年 05月 19日

世襲政治への覚書

最近は政治に対する関心をすっかり失ってしまった。マンネリ化したルーチンワークのような儀式行為、
偶に世間の耳目を集める仕業とて飲み屋街の酔漢もどきの醜態か互いに敵手の落ち度に付け込む
揚げ足取りとあっては注視にも値せぬ。
三月の「ニューズウィーク誌」に「頭のない東京」という見出しで、「日本はビジネス、文化、テクノロジーの
主要勢力なのに」、政治は三流で「バナナ共和国のように運営されている」とおちょくった記事が載せられた
そうだ。表題「頭のない東京」は、果たして思考回路を経由せずに、延髄反応だけで喋っているような軽薄
を擬人化したわが宰相に対する隠喩だろうか。
尤も、政治を運営しているのは宰相一人ではない、、与野党を含めた多くの世襲議員で構成される世襲
国会と閨閥・血族で固められた一群の高級官僚の集団だ。

世襲制と血族支配を根幹とする幕藩体制でさえ、幕末の政治的危機に対処するに積極的に養子制を取り
入れ、かつは下級官吏の抜擢に意を注いだと言うに、いまや国会議員職はますます世襲化・家業化し
参照)、その恥ずかしさの余り自ら「国会議員の世襲制限案」さえ浮上するという体たらくは、もしかして
自民党政権が崩壊するかもしれぬという”政治的危機前夜”とも思えない。


この不思議な「安定感」、われわれ庶民の側から見れば厭きれた閉塞感はいったい何なのだろう??
日本の記事を滅多に取り上げることのないエコノミスト誌が、5/16号で政権交代の可能性について論評した
そうだ(「経験不足の日本の野党」参照)。記事は、この奇妙な「安定感」の根底にはある種の世襲制がある
ことを指摘している(と、僕は読み取った)。

岡田氏は、自民党の政治家一族の間で多く見られる世襲の慣例に対し、これを制限することを公約に掲げ、
敵の痛いところを突いている。
麻生内閣の実に半数以上が世襲政治家なのだ。
だとしても、民主党が汚れた過去からの決別をもたらすとは言えない。以前、自民党からの政権奪取を狙っ
ていた社会党と同様に、民主党も往々にして精彩を欠く野党だ。
実際、民主党議員の多くは社会党出身だ。そのほか、鳩山、岡田両氏を含むその他の議員は自民党出身
である。鳩山氏の弟は現内閣に入閣している。鳩山氏の祖父、鳩山一郎は初代自民党総裁であり、戦後
日本で最も有名な首相である吉田茂の最大のライバルでもあった。
吉田首相は麻生首相の祖父であり、この夏の総選挙は一族同士の対決という図式になるかもしれない。
さらに、鳩山、岡田両氏の政治キャリアも、自らの一族が持つ巨額の資産に支えられてきた背景があり、
これも多くの自民党議員と共通している。変われば変わるほど、同じものになっていくわけだ
小沢氏が去った今、自民党には、元首相やメディアの有力者といった実力者たちから、選挙後の民主党との
「大連立」を提案せよとの圧力が強まるだろう。何しろ、多くの人は長い間、民主党のことを、自民党を飛び
出した同党の一派閥にすぎないと見なしてきた。
一方で、進歩的な自民党党員は民主党への鞍替えを思案している。


要するに、一言で言えば「変わっても、変わらない」と見ているわけだ。

世襲制に関連して、もうひとつ、日経ビジネスONLINE(09/05/18号、参照)に「恥ずべき日本の血統主義」
という記事が載っている。
5月16日午後、民主党議員は鳩山由紀夫氏を党首に選んだ。これで自民党と民主党の党首それぞれが、
60年前に日本の戦後政治を牽引した吉田茂、鳩山一郎の孫ということになった。“名門”が“一般人”を退け、
政党の顔になるとは、パキスタンやインドネシア、インドの政治を思い出させる

という書き出しで始まって、
名門に「ノー」と言い、資質と努力、才知でリーダーを選ぶ政治のメカニズムが欲しいものだ。しかし、国民が
チャレンジを望まない限り、それは程遠いのではないか。

という結語で終わっている。

僕は、天皇という究極の仮想化された「血統種」を国家組織の根底に置くことによって安定を確保している
(その良し悪しは別として)日本の政治システムそのものが世襲制回帰の原点にあるとみなしている。
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by agsanissi | 2009-05-19 22:16 | ミミズの寝言
2009年 04月 09日

大茶番劇

ニュースで小耳に挟んだけれど、北朝鮮では「人工衛星」打ち上げ成功の祝賀ムードが盛んで
金総書記の功績を称える大音響に溢れ返っているそうだ。

百数十年前も六十数年前の日本もそうだが、外部との関係を遮断し、自分と国民の目を閉ざして
自分だけの妄想に閉じこもって、針鼠のように緊張して武装している国家の行動は、外部から見る
と滑稽でもあり、それにもかかわらず「国家権力」という生半可でない力を持っているゆえに、笑っ
て済まされないほどの危険な爆弾のようだ。
人工衛星様の「飛翔物体」は、何も確認されていないというのが、外部世界の一般的見解のようだ
が、北朝鮮では科学者が「科学技術の到達度の高さ」を称え、日米などの帝国主義国家は北朝鮮
の科学技術上の偉大な成果に「大慌て」の混乱に陥っていると報じているようだ。

尤も、外部世界の客観的事実とわれわれ自身の主観的観念の照合を、どのようにして保証してい
るかを真摯に反省してみるに、単なる茶番と笑っていられないほどの危うさを我々自身の精神は
内包している可能性を忘れないことが肝要だ。

尤も、日本の対応も、特に東北地方に迎撃体制を整え、地方自治体では(市町村レベルでどんな
対応をしたのか知らないが)緊急事態に備えて「対策本部」を設置して対応という行動にも、聊か
類似の滑稽さを感じないわけにはいかないな。
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by agsanissi | 2009-04-09 07:29 | ミミズの寝言
2008年 06月 03日

インフレ「回帰」か?

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5/22号のEconomist誌に右のような風刺漫画とともに
「戻ってきたインフレ」(参照)という記事が載っている。
・中国、インド、インドネシア、サウジでは8~10%の物価
上昇が起きている。この夏には、世界の人口の3 分の2
が二桁インフレに苦しむことになろう。
・全世界平均のインフレ率は5.5%と1999 年以来の高さ。
主因は食料と石油価格の高騰だ。
と書いている。
日本の消費者物価指数は、このところ前年比で1%内外
上昇しているが、生活実感と比べて低すぎるだろうか?
ともあれ、この傾向が続くとすれば(ほぼ間違いなく続く)、
日本では20年ぶりのインフレ時代への復帰ということになるか?

70年代には原油の高騰をきっかけに、消費者物価が20-30%も上昇した。80年代末には
地価及び株価は暴騰したが、消費者物価は相対的に安定していた。地価及び株価のバブル
崩壊とともに、約20年にわたるデフレ時代を経験した。70歳代以下の人には前例のない経験
だし、逆に20歳以下の人はかつてインフレ時代を経験したことがないという、歴史的には特異
な時代ということになる。
Economist誌は、
・現在、困ったことに世界の実質金利はマイナスである。
・米国の金融緩和と新興国の固定レートは危険な組み合わせである。通貨切り上げは大変
であるし、金利を上げてインフレを悪化させることもある。自由化で投機資金が巨大化する
怖れもある。それでもいずれ金融は引き締めへ、通貨は上昇に向かうはずである。
と書いている。

一般的なインフレ対策ということになれば、金融引締めか財政削減策ということになる。
しかしこの点では、引締め余地も削減余地も殆どない。実質金利は限りなくゼロに近いが、
それでも金利を引上げれば膨大な国債の金利負担が増加し、国家財政そのものが破綻して
しまう可能性がある。一方、景気後退局面で財政拡張こそ要求され、削減余地も殆どない。
更に困ったことに、今回のインフレ回帰の主因が「食料と石油価格の高騰」にあるとすれば、
国内で打つべき手立てはきわめて少ない。比較優位のない食料生産(農業)は止めてしまっ
て、工業生産に特化するほうが国際的な厚生水準の向上に資するとか、金さえあれば「自由
に輸入できる」という立場が、俄かに怪しくなってきた。
尤も、穀物や石油価格の高騰の影響は、70年代・80年代に比べれば、または新興工業国
の負担増加に比べれば、はるかに軽い。たとえば、国内総生産(GDP)に対する原油消費額
の割合は、
・1980年に6.0%
・1995年に0.7%
・2004年に1.8%(以上は「知られていない原油価格高騰の謎」から)となっている。
円高が進めば、この負担はさらに低下する。ドルの信認低下とあいまって、円高の長期的な
趨勢は変わらない。

ということは、逆に合理化によるコスト上昇の吸収余地は殆どないということになる。
一方、食料は、長期的には土地も食糧生産者も絶対的に不足しているし、短期的に唯一拡大
余地のある米生産は、実質的に過剰生産に陥っており、生産制限を解除すればコメ価格が
暴落する可能性がある。

さて、どうする??
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by agsanissi | 2008-06-03 07:25 | ミミズの寝言
2008年 06月 01日

どっこい生きている!!

5月ともなれば、普通は農作業でてんてこ舞いなのだろうが、僕に限って5月は暇だ。
特に今年の5月は、多少、作業体系を変えたこともあってジャガイモの中耕カルチを一回かけた
きりで、他には何もやっていない。例年だと、5月の中頃からダイズの播種準備やら、ジャガイモ
の中耕作業が重なって、それなりに忙しいのだが、今年は両方とも思いっきり、ぎりぎりまで後回
しにしてみた。
年間の総労働時間は変わらないにしても、作業月間に緩急を付けて、代わりに二三足の草鞋を
履いて、この受難の時代を乗り切っていこうかと思案している。世界的に見れば、或いは文明的
に考えれば、農業は有望産業なのだが、当面、日本に限っては逆行する勢いだ。以前、簡単に
触れたことがあるが(08/02/27、参照)、それもギルド的囲い込みのせいだろう。まあ、二足の
草鞋でも履いてしのいでいけば、個人的にはそれで良い。
そんなわけで、畑にも山にも滞留時間が少なくなって、そんなときに限って、普段は訪れもしない
人らがやってきては、「風来が見えない」と騒いだりしている。心配されるうちが花だな!?

c0048643_746445.jpg月初めと22日前後の高温が印象的なせいか、月末の
低温はやけに厳しいような感じを受けるが、普代の5月
といえば、むしろこっちのほうが普通だ。
と思って、5月の気象データを振り返ってみれば、案の
定、気温の平均値は定型的というほどに平年並みだ。
過去20年の平均気温、最高・最低気温の平均値が
12.2、17.9、6.6度に対して、今年のそれは12.3、
17.7、7.5度。最低気温の平均値は平年をかなり上回
っている。

尤も、人は、直接に平均値を感じているわけではないから、日々の実感は変わって当然だが。

ところで、農家の懐具合はどうなのだろう?
久慈地方の農業の中心と云えば、ホウレン草のハウス栽培だが、最近の販売単価の相場は
60~70円に定着してしまったようだ(単位は分からない)。はっきり統計をとって調べたわけ
ではないから、やや曖昧な話だが、二三年前は100~120円が当たり前だったが、最近は
100円を超えるのが例外ではないか。
大雑把に、以前は40~50円が労働費を除いた原価、だから100円に売れればやや半分が
投下労働費を含めた「儲け」と聞いていた。今年は、肥料・農薬、その他の資材費の値上がり
がざっと10円程度、年間を通しての販売単価を、仮に90円と見積もっても、労働費を含めた
「儲け」は50~60円から30~40円に、ざっと五割~八割程度になるのだろうか?
60~70円が定着してしまえば、ゼロから1/5程度になってしまう可能性も無きにしも非ず。
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by agsanissi | 2008-06-01 08:26 | ミミズの寝言