農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2008年 01月 31日

食料自給を考える/デフレ時代の農業・農村/18

第11回で触れた【グローバリゼーションと日本農業の基層構造】は、ユニークな本だ。
どういう点で、ユニークか?
・農村・農家、或いはムラ・イエを、単なる過去の遺物(家父長的・前近代的)とは捉えない。
日本の風土と歴史の中で育まれた独特な共同体として捉え直す(⇒「江戸時代にイエとムラ
という形で制度化された地域資源の管理と利用の集団的システム」29.p)。
・更に、ムラ・イエは、グローバリゼーションによって、「国家が後退」する時代の地域の生活と
生産を再生する場であると提唱する(⇒「デフレ時代に必要な問題提起は、むしろ地域の生活
と生産の見直しによる農家レベル、消費者レベルの自給、地域レベルの自給であって、退場
しつつある国家ではない」39.p)。
◆イエとムラを、「地域資源の管理と利用の集団的システム」として捉え直そうと云う視点は
興味深い。二点、疑問を持つ。「過去の遺物」という側面は、やはり拭えないのではないか。
二面性を持つという捉え方が実態に即しているのではないかという疑問。しかし70-80年代
以降、急速に解体し、退場しつつある国家に代わって地域レベルの生活と生産の再生の場
として機能しうるだけの実体があるのかという疑問。イエ、ムラを片仮名にする意味は何?

・80年代にインフレ時代からデフレ時代に転換(⇒「90年代からの長いデフレは、グローバリ
ゼーションの一面だ」75.p)したとの基本認識に立って、デフレ時代における農業・農村・農家
の、自立した独自の生き方を提唱する。その中で、特に兼業農家に焦点をあて、兼業農家は
消え行くべきものではなく、日本の農村の独特な基層構造をなすものと捉える。
・またグローバリゼーションを、農村にとっての脅威とのみ捉えず、国や自民党政治に頼らず、
独自に自立した生活を支える新たな可能性を広げるものと捉える(⇒「IT革命を柱とするグロー
バリゼーションを通じて、自民党の先生や農業補助金以外に村を支えてくれる住民たちとダイレ
クトにつながる可能性が広がってきていることを認識する必要がある」39.p)。
◆高米価政策が「兼業農家」が根強く残った主因だとする浅薄さに較べれば、遥かに実態に
即した捉え方とは思うが、日本の農村の「基層構造をなす」とまで云えるかどうかには疑問が
ある。一方、グローバリゼーションについての捉え方は、全面的に賛成だ。これはグローバリ
ゼーションに賛成か、反対かという問題ではない。歴史的に不可避的な過程として捉えた上で
どう対処していくかという問題だ。「忍び寄る農村恐慌」を煽り立て、グローバリゼーションによっ
て、農村は壊滅的打撃を受けるかの主張は、数十年前の左翼の万年「全般的危機論」の焼き
直しに過ぎない。

以上は、基本的認識。以下、例によって簡単な摘記を作っておく。
▽インフレ期の農政の特徴は(戦前期を含めて)、
・都市への食料供給を増やすための増産政策=農業近代化政策に集中するところに特徴が
ある。インフレ期の農業政策を、一言で特徴づけるなら「行け行けドンドン」である。34.p
・戦後の高度経済成長期は、旧農業基本法の選択的拡大政策である。構造改善事業という
名の土木事業、補助金、価格支持、融資、機械・設備補助、試験場技術などなど、増産政策の
すべてが大都市における食料品物価抑制のために投入された。結果として、コメをはじめ果樹
や牛乳など「選択された」品目は1980年代には見事に過剰となった。アメリカの圧力による
農産物輸入の増加も見逃せないが。35.p

▽戦後農政の「型」創出
・1942年に成立した食糧管理法による米麦の国家管理こそ「戦後農政」の機軸であった。
1937年の日中戦争開始以後、日本は高度成長期と同様に「重化学工業化」、「都市化」「イン
フレ」が進行していた。そこで政府は、農家に増産と供出を促すために奨励金・補助金などの
名目で買上価格を引き上げ、一方、インフレ抑制と家計安定のために消費者米価は据え置い
た。これが生産者米価の方が消費者米価よりも高い逆ザヤ価格体系の始まりである。57.p
・1970年から、米価抑制を柱とする総合農政が展開された。これは「工業部門で発展してきて
いる装置化とシステム化の動きを農業部門に導入し、大量生産、大量出荷によって農業の飛躍
的進歩」を目指すものであった。ポイントは大胆な経営規模拡大を農政の柱に据えたことで
ある。61.p
◆戦後農政の「型」創出の起源を、40年代の戦時体制の下での国家管理政策に求める考え
は、特に独創的というわけではないが、基本的に正しい。

▽デフレ時代の農業・農村・農家
・今の農村で起こっていることを一言で特徴づけるなら、それは全般的なデフレ現象である。
一つは、農産物価格の下落と農業の所得の減少であって、米を始めとして過剰基調にある
作物の価格は需給をダイレクトに反映して大幅に下落し、とりわけ専業農家の家計を直撃して
いる。その背景に、1980年代以来の農業政策をめぐる世界的な自由化の動きがあることは
云うまでもない。37.p
・デフレ時代に必要な問題提起は、地域の生活と生産の見直しによる農家レベル、消費者レベ
ルの自給、地域レベルの自給であって、退場しつつある国家ではない。39.p
・近代以降、日本の農業・農村・農家は何度も深刻なデフレを経験してきた。その時々の対応策
は、いつも基本的に同じであった。第一に、農業だけではなく、地域の諸々の実業を総合的に
捉え、第二に、その調査・点検によって、利用可能な資源を発掘し、第三に、地域全体の総合
的な振興計画を農家レベル・集落レベルから積み上げて作ることである。その際、第四に、出来
る限り自給して、現金支出を農家でも地域でも抑え、倹約と勤労の小さな合理化、工夫を積み
上げること、そして第五に、一番重要なことは、依存意識を廃して自力更生の精神を鼓舞するこ
とである。85-6.p
・今の農業・農村・農家にとって最も必要なことは、工業を追いかけて壊してきてしまった農業
のあり方を農の原理に引き戻すことである。とりわけ、家畜を生き物扱いしていない畜産はそう
である。但し、それは直ちに有機農業を意味しているのではない。「農薬の助けを借りたほうが
良いこともある。大切なのは、それを目のかたきにすることではなくて、化学肥料や農薬で自然
の営みと循環をぶちこわさない」ことである。だから大切なのは単なる食品の安全性や自然
環境ではなく、自然の営みと循環が維持されていく持続性の方であることを都市の生活者にも
伝えることである。
それは農法だけに限らない。農村の人付き合い、農家の暮らし方、子育ての仕方もそうである。
農村に暮らすことに劣等感を感じ、都市の消費依存の生活を真似していたとしたら、それを
真剣に反省して見る必要がある。87-8.p
◆ほぼ全面的に同意できる。
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by agsanissi | 2008-01-31 08:09 | 考える&学ぶ
2008年 01月 30日

自縄自縛/阿呆かいな!!

詳しいことは知らないし、新聞記事や報道内容を一切追っているわけではないから、
余り大きな声では云えないけれど、「古紙の混入率の偽装」をめぐる最近の報道は
「阿呆か!!」としか云いようがない。

「混入率の偽装」は何が本質的な問題なのだ?
・偽装したことが問題なのか
・混入率の引下げによる環境に対する悪影響が問題なのか
・そもそも古紙の混入は、総合的に考えて合理的なのか
・古紙は、どう処理するのが社会的にみて合理的なのか

要するに、本質的問題をそっちのけにして、企業を悪者に仕立てて、満足しているの
じゃないのか??

暫く前から、「コンプライアンス不況」という言葉が流行っているらしい。
googleで検索すると、約1.35万件ヒットするが、またもや「池田信夫blog」がトップに
来る。食料自給問題で頭の表層回路だけで発言する人と分かったから、今回はどうやら
言い出しっぺらしい木村剛氏の「週間!木村剛」(参照)から引用する。
私は、建築基準法の改悪のように、「コンプライアンス」の名の下に、現状に適合していない
法制度を無理矢理導入してしまうことによって、日本経済が不必要に萎縮してしまうことを、
「コンプライアンス不況」と名付けて警告しています。
コンプライアンス不況の原因は、「自らの責任を業者サイドに押し付けてしまいたい」という
霞ヶ関の思惑に乗っかって、経済の現状を熟知しないまま、遵守することが難しいルールを
押し付けることによって生じます。わかりやすい例え話でいうと、「高速道路における自動車
事故を未然に防止するために、最高時速を30キロにする」という馬鹿げたルールを作って
しまうということです。


始まりは何だったか??
僕は食品偽装問題と見ている。(それとも建築偽装かな?)
07/06/30に「食の安全・安心」と題してミートホープの偽装問題を取り上げたことがあるが、
その最後に、こう書いた(参照)。
こんな事件が次々発覚するのは、「太った豚」に書いたように企業を初め社会的エリートに
エリートとしての義務と責任、要するに倫理観が喪失しているのではないかと感ずる。でも
彼等はある意味では国民的気分の鏡だ。増幅して映し出しているか、歪んで映し出している
か、それは兎も角も、外から見れば一見して明らかなほど国民的気分の鏡だ、と僕は考え
ている。
一連の事件を取り上げて、「食の安全・安心」は脅かされている、農水省はいったい仕事を
やっているのか、こんなことで国民の健康・安全を守る仕事を任せられるか等と騒ぎ立てる
のは、止めにしておくが良い。結果としてそれは、彼らの官尊民卑の心を肥やし、煩雑で・
小煩い規制の網を一段と複雑にするだけだから


最初は、確かに、誰が見ても酷すぎる偽装で始まった。それから相次いで出てくる偽装問題
の本質はいったい何なんだ?
マスコミは、表面的偽装の背後にある本質的問題を考える姿勢を貫いているのか??

頭の空っぽな、扇情的記事は、いい加減に止めたらどうなの?!

★この記事を書いた後、日経BPnetの連載コラム(参照)の中の田原総一郎の
政財界「ここだけの話」を読んだ。今週は、不毛な「ガソリン国会」論議(参照)。
頭の空っぽな論議をやっているのは、どうやらマスコミだけではないようだ。
以下は、全くの余談だけれど、同じコラムに連載していた立花隆は07/09/14の
「週刊現代が暴いた”安部スキャンダル”の全容」以来、すっかりだんまりを決め
込んでいるけれど、自粛しているのか、干されたのか?そもそも、あの不発弾は
どうなったの??
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by agsanissi | 2008-01-30 05:42 | ミミズの寝言
2008年 01月 29日

食料自給を考える/食料の安全保障/17

前回の大雑把な計算では、四つの変数の比較から推測できる「変化」を指摘しただけで厳密な
議論ではない。一番の欠陥は、食糧充足率を考慮してないことで、例えば面積当りの人口扶養
力は充足率に応じて補正しなければならない。殊に第三期に食料自給率が急速に低下してい
るのだから、実際の人口扶養率は27.3人よりもっと低いし、第二期に比較して第三期の耕地
の利用効率の低下は、もっと著しい。
どういうことか?
国内の農地を、しかも優良農地から、転売し・切売りし、工場や宅地・道路などの都市的用途に
転用し(一方で、農地を切売りして儲ける都市近郊農家の”強欲”を非難する憂説があれば、
他方では農業に対する保護政策が地価高騰の真因だ論ずる珍説が盛んな時期があった)、
他方では多額の国費を投じて基盤整備して開発された地方の農耕地でさえ、最近では耕作者
もなく、耕作放棄され、荒れるにまかされている。
経済効率の悪い農業などに、土地・労働力・資本などを投下するのは、全くの無駄・資源の浪
費だ、高い農産物を消費者に押付ける、開発途上国の発展の道を閉ざすものだなどと論じて、
自国の農業を貶めてきた。こうして、ある意味では極限まで農耕地を荒廃させ、工業と金融で
稼いだ金で自国の農耕地だけでは、到底、充足し得ないまでに胃袋を肥大化させてしまった。
その結果がどんなものか、第13回で指摘した資料「今、我が国の食料事情はどうなっているか」(参照)の12頁を改めて、ジックリ見て頂きたい。
これは脚注にあるように、平成27年度における農地の見込み面積である450万haを前提に、
熱量効率を最大化した場合の試算(2,020kcal/日)だそうだ。
・「国内農地のみで私達の食事をまかなう場合」という想定そのものが、非現実的だと反論する
だろうか?
・それでは、自国の胃袋の充足の四分の三を、他国の農地に依存している現状を、いつまでも
続けられると想定することは、果たして現実的か?(同前の11頁参照)

加えて水だ。山下氏の前掲書から引用すると、
日本はまた食料・農産物の輸入を通じ輸出国の水(仮想水)を大量に消費している。総合地球
環境科学研究所の沖大幹助教授の研究によると、これは年間744億トンにのぼり、琵琶湖の
貯水量の約2.7倍、日本全国の年間使用量の約85%に相当する。農産物1トンを生産するの
に必要な水の量はトウモロコシ千トン、大豆2.4千トン、小麦粉2.9千トン、精米6千トン、鶏肉
4千トン、豚肉6.1千トン、牛肉22-25千トンである。このためわが国の牛肉などの輸入先で
あるアメリカからは427億トン、オーストラリアからは105億トンの水を食糧輸入により間接的
に輸入している
。73.p

土にせよ水にせよ、各国の輸出能力は、歴史的にはもう限界点に達していると見たほうが良い
だろう。一方、自慢の経済力が「世界経済の変化」に置いてきぼりを喰らい、もはや「一流では
ない」と自認するにいたって、将来にわたって自分の胃袋の充足を他国任せにしておいてよい
のだろうか?

最後に、山下氏前掲書から、幾つか面白い指摘を抜き出しておく。
農業改革はWTO・FTA交渉や産業界のためだけでなく、農業自身、さらには国民・消費者の
ためにこそ必要なのである。農業が衰退し食料生産が減少して困るのは農家ではなく消費者
だからである
。4.p
国防は国民に対するサービスの提供である。サービス貿易を自由化するのであれば、日本は
防衛力を持つのを止め、世界最高の優れた軍事力を持つアメリカに対価を払って国防という
サービスをすべて提供してもらうことが最も国民経済全体の厚生水準を向上させるはずである。
しかし、サービス貿易の最も熱心な自由化推進論者であってもそのような発想をする人はいない
。214.p
・「21世紀に向けてアメリカ農業をどうやって確実に繁栄させることができるだろうか。つまり、
これは国家安全保障の問題である。国家が国民を養うのに必要な食料を生産することはたい
せつなことである。自らの国民を養うのに充分な食料を生産できない国を想像できるだろうか
そのような国があるとすれば、国際的な圧力に従属する国、危機に瀕している国である」という
ブッシュ大統領の演説(01/07/27)を引用した上で、
危機に瀕している国とは日本のことを云ったのであろうか。215.p
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by agsanissi | 2008-01-29 08:48 | 考える&学ぶ
2008年 01月 28日

「経済の一流国とは?」

「残念ながら、もはや日本は、経済は一流、と呼ばれるような状況ではなくなった」
との大田弘子経済財政担当相の発言(1/18、国会での経済演説)に関して、
JMM「村上龍、金融経済の専門家たちに聞く」(08/1/28号)で、
「経済の一流国」の条件、定義とはどのようなものが考えられますか?という設問が
出されている。それに対する回答の中から、興味深いものを拾っておく。

▽水牛健太郎氏
・かつて「一等国」という言葉がありました。日露戦争で、大国ロシアを破った高揚感が流行ら
せた言葉です。「日本も一等国になった」とあちこちで言われました。そこに反映されていた
のは、欧米列強の圧力の中で開国し、植民地化の危機を逃れるために国づくりをしてきた日本
が、列強の一つであるロシアを辛くも破り、ようやく一息ついたという安心感だったでしょう。同時
に、「一等国」という、今となっては子供っぽい響きからは、幕末以来の欧米への劣等感が言葉
の裏にあることが、生々しく感じられます。
・「経済が一流」という言葉は、この「一等国」という言葉の戦後版だと思います。
・「一流」という言葉の中にあるのは、太平洋戦争で完敗した日本が、経済発展を遂げ、世界に
名の知られる電気製品や自動車を生み出す国になれたということへの誇りでしょう。誇りを持つ
のは当然だと思いますが、それが、いつまでたっても欧米への劣等感やアジアへの優越感と裏
返しになっているところに危うさ
を感じます。
・日露戦争の数年後、夏目漱石は『三四郎』を発表しました。熊本の高等学校を卒業して上京
する三四郎は、汽車の中で、漱石自身をモデルにした広田先生に出会います。広田先生は、
こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめです
」といい、「しかしこれからは日本もだんだん発展するでしょう」と反論する三四郎に、「滅びる
ね」と言い放ちます。そして、「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……日本よ
り頭の中のほうが広いでしょう。とらわれちゃだめだ
。いくら日本のためを思ったって贔屓(ひい
き)の引き倒しになるばかりだ」と教え諭します。

▽三ツ谷誠氏
・第二次大戦後の世界は冷戦崩壊以後急速に溶解しつつあり、特に情報領域での技術発展を
背景にグローバル化の波が国民国家や国民国家の連合組織としてのG5、G7的な枠組みを呑
み込みつつあるのが、21世紀が直面する現実だと思います。その現実に対してG7はG8という
形でロシアも呑み込み(或いは近い将来には中国も呑み込み)、連合機構・調整機構ではな
い、もっと別の「帝国」という表現でしか言い表せない新しい権力形態として世界を支配しつつあ
(或いは既にしている)ということではないでしょうか。
大田大臣の発言は、このままでは日本は国家全体としてはグローバル化する世界への適合性
を失い、国家単位では経済的に沈み込んでしまう、という危機感を広く伝えようとしたものだと思
いますが、そもそも国民国家的なものが前時代の遺物になりつつある世界で、再度国民とし
て、国家としての覚醒を訴えるということが何の意味を持つのか、そこには疑問を感じます。
・関東圏の経済規模は180兆円を超え、そのGDPはG7構成国のカナダやイタリアにほぼ匹敵
するのであり、関東圏だけの一人当たりGDPはどうか、という感じで物を考えると、また違った
角度で世界が見えてくる気がします。少し古い数字ですが、2003年度の東京都民の一人当た
り所得は426万円(同年度の沖縄は204万円)であり、国家としての日本が地盤沈下しても
世界経済に浮かぶ都市としての東京はその輝きを失っていない
、というようなことは当然考えら
れる訳です。
・世界経済に適応した企業に勤務している人間とそうでない人間とでも、所得において或いは
所得に反映されない豊かさの享受という意味で開きはあるのであり、国家という単位を離れた
現実認識が益々求められている
ように感じます。シンボリックマネージャーという言葉が一時期
人口に膾炙していましたが、弁護士は国家を超えて弁護士として同様の社会的な地位・経済を
享受する。投資銀行家は投資銀行家として同様に社会の或る階層を構成する。一方で労働者
は結局の処、労働者であり、国家は異なっても同様の貧苦に喘いでいる。今こそマルクスを!
ではありませんが、グローバル化する経済の実相とはそのようなものではないでしょうか。

▽山崎元氏
・結論から言うと、国単位で経済が一流であるかないか、という言い方・考え方には違和感
あります。
・財政金融政策だけでなく規制や法制も含めて、経済政策には適否があり、良し悪しを評価しよ
うとすることは大切です。経済政策の主体は国なので、国ごとに一流、二流があってもいいで
しょう。例えば、今の日本の状態で、金融引き締めと消費税の増税を目指すことは不適切で
しょうし、こうした状況を指して、「日本は二流以下だ」と呼ぶのは構いません。しかし、この
場合、真にいけないのは経済政策の立案・実施主体である政治であり、「日本の経済政策は
二流以下だ」と言うのが適切でしょう。
・「日本経済が一流であるか(ないか)」という言い方には、本来、企業同士、個人同士が競争し
ているにもかかわらず、国同士が競争をしていて「日本の国際競争力」というものが存在するか
のような、よくある誤解につながりやすい面があるように思います。この誤解は、「国の(国際)競
争力」の名目を借りて私企業のメリットに国を利用しようとする論法に利用されやすいので要注
意です。
・経済活動にあって優れた個人もいれば、そうでない人もいます。これらの様々な人々を、単に
日本国民として十把一絡げにして、「日本は経済で一流と言える・言えない」という表現で評する
のはいかがなもの
でしょうか。大田大臣には、「日本の経済政策は二流以下だ」と言い直
した上で、さらに問題点と批判の対象をより具体的に言明することを期待したいと思います。

◆吟味すべき興味深い発言がいろいろ見られる。まあ、僕が意図的に引き出した面もないでは
ないが、一様に指摘しているのは「国」または「国民国家」という単位での一流国、二流国という
捉え方は、もう実態に即してはいないとの指摘だ。
このような考え方が、何の違和感もなしに語られる背景は、云うまでもなくグローバリゼーション
の進展の結果だ。そして、グローバリゼーションの席捲によって、日本の農業はすっかり呑み
込まれて壊滅するかに叫ぶ人等がいるが、僕はそうは考えない。
グローバリズムに身を委ねれば、「食料自給率」などは、形骸化した分母に囚われた非合理的
妄念に過ぎないと見えるし、グローバリズムの負の側面に注目すれば、形骸化した「国民国家」
に代わる新たな分母の発見に努めざるをえない
、と「食料自給を考える」の第八回で指摘したが、
これからは地方の活性化のためにも、何らかのスケールの地域共同体を「新たな分母」として
育てていく必要があるし、そこにこそ農業の生きるべき道があると考えている。
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by agsanissi | 2008-01-28 22:41 | 参考記事
2008年 01月 28日

食料自給を考える/大雑把な数値計算/16

さて、昨日の課題だが、簡単な計算をしてみよう。
明治初年を仮に1870年とする。後は1945、1960、2005年だ。夫々、敗戦の年、戦後最初
の農業基本法の制定、最近。各年の人口総数は3300、7200、9430、12700万人。
耕地面積、農業戸数、農業人口は、前述の通り1870年から1960年まで、600、600、1400
に対して、2005年が465、285、312。夫々を第一期、二期、三期とする。

人口増加率は、年率(複利計算)にして1.046%、1.80%、0.65%
1870、1945、1960、2005年の各年の耕地面積あたりの人口扶養力が1町歩当り5.5、
12、15.7、27.3人。第一期の75年間に約二倍、第二期の15年間に約三割増加しているが、
これを年率で比較すると一期、二期は1.046%、1.50%と増加した。第三期は45年間で
約二倍になったが、年率増加率は1.24%と第二期よりも、むしろ低下している。
農家一戸あたりの耕作面積は1960年までに約百年間は変わらず、その後の45年間で1.63
haまで拡大した。しかし、これを面積当り人口扶養力からみると農業機械化が進み、農業生産
力は向上しているはずなのに、戦後初期の15年より最近45年間のほうが耕地の効率的利用
の面では、却って低下している。

次に人口総数と農業人口数を比較すると、第一期に人口総数は約3900万増加したが農業
人口は変わらなかった。人口総数の6-7割は就業人口と考えてよいから、その大部分は農業
以外の第二次産業に吸収された。農業人口も増えただろうけれど、それは農業からの流出また
は退出を補うだけで絶対数は変わらなかった。これは一方では、僅かながら農業生産力が
向上し、人口増加に見合う程度の人口扶養力を獲得したが、農家そのものの家族扶養力は
向上しなかったとも考えられるし、或いは工業発展力が就業人口の増加数に見合う程度だった
か、人口増加率によって制約されていたかの、どちらかである。
とはいえ、江戸時代の人口の定常状態と比較すると(人口の超長期推移、参照)第二次世界
大戦までの人口増加率、従ってまたそれを支えた農業生産力の向上には目覚しいもの
がある。
次に第二期には、人口総数は2230万人増加した。この間も農業戸数も農業就業人口も変わ
らなかった。ということは工業の急速な発展によって農村人口は工業に吸収されていったけれ
ど、また工業開発がどんどん進められ都市化が進んだけれど、農業にはまだ後継者がいた
し、農村あるいは農村共同体という地域構造は基本的に維持されていたと予想される。
ところが第三期になると、総人口は3300万人増加した。つまり江戸時代の日本がそっくりもう
ひとつ出来たのと同じだけの人口が増加した。一方、耕地面積も農業戸数も大幅に減少した。
特に農業就業人口の1100万人の減少は、一方では農業生産力の向上で面積当りの必要
労働力の著しい減少を示しているが、他方では後継労働力の喪失、従ってまた農業の将来的
な再生産の可能性を著しく不安定にしている。これは取りも直さず農業の産業としての将来性
の喪失の反映である。
更に、耕地、農家戸数、農業人口の揃い踏みの減少は、第三期の工業発展が農村という地域
構造そのものを破壊して進んでいることを示唆している。第二期に比べて第三期に耕地の効率
的利用が後退し、またこの間に食料自給率が急速に低下したことも、農業の再生産構造の
破壊、農村共同体の解体の反映とみなして良いのではないか。

第三期の始まりの農業基本法は経営規模の拡大、農業生産性の向上、需要構造の変化に
対応した選択的拡大を柱とする農業構造の改善を目指した。
40余年の成果として、どうなったか??(以下の数字は、山下前掲書から引用)
農家規模、すなわち農家一戸当りの耕地面積は、日本1.6haに対して、アメリカ197.2、
EUは18.4である。一戸当りの平均耕地面積の拡大率を見ると、1980年から2000年にかけ
てドイツは14.9⇒36.3、フランスは25.4⇒42.0に対して、日本は1.2⇒1.6に過ぎない。
国土面積、ひいては耕地面積の狭さは如何ともしがたい。しかし農家の流出に伴って耕地の
集積が、なぜ進まなかったのか?これを農地価格の面からみると、10a当りの価格が、
アメリカ1.5万円、フランス3.8万、イギリス6.7万、ドイツ14万に対して日本は169.7万円
(いずれも1995年価格)である。資本投下対象としての耕地は、日本では絶対的に採算が
取れない構造になって居る。
農業担い手の絶対数が減少し、最近では耕地の小作料は低下しているが、それでも農産物
価格の低下で借り手そのものが居なくなり、今では転売はもち論、借り手さえなく、耕作放棄地
が拡大している。
このような各国の比較は、明らかに日本の農政の失敗を示唆しているものであって、このような
結果を、個々の農家の行動様式に求める(例えば「補助金に寄生する兼業農家」とか「ホリエ
モンと同じ思考で営農している」農家とか)とすれば、本末転倒も甚だしい。
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by agsanissi | 2008-01-28 13:38 | 考える&学ぶ
2008年 01月 28日

記録写真

大紀元の08/01/17に掲載された画像を転載した(参照)。

中国の環境問題を「告発」するなどの意図は全くない。どこの国にせよ、大工業の発展途上
では同じことをやってきたし、数十年前に「社会主義国に公害問題は全くない」などの神話が
実しやかに罷り通ったことがあるが、それが真っ赤なウソと知れわたって久しい。
二重のウソは、社会主義とは名ばかりで、その実態はいわば「国家資本主義」とでも云うべき
もので、遅れた開発途上国が資本を国家官僚の下に集中し大工業の育成を図る国家統制
経済の変型に過ぎないという点にある。ウソというより「思い込み」というべきか?
だから「真の社会主義を」などと、いまだに幻想を追っている向きもあるが、19世紀後半から
20世紀半ばにかけて被抑圧民族と労働階級に「解放」の夢を与えてきた輝きを、既に失って
しまって、代わるべき旗は千路に乱れている。
以上は、単に回顧的余談....民間用のgoogle earth の提供する画像の解像度の凄さと
このまま記憶のかなたに流してしまうには惜しいなと思って記録に留めたにすぎない。
「大紀元」という新聞に関しては、ウィキペディアに
大紀元は2000年5月、アメリカのニューヨークで法輪功を支持する華僑たちによって設立
された。 日本では東京都台東区に事務所を置き、中国語版を2001年、日本語版を2005年
から発行
」という解説が載っている。

c0048643_8185497.jpgc0048643_8191386.jpgc0048643_8193152.jpg








写真解説は、左から(画像をクリックすると拡大します)、
・アモイ杏林汚水処理場(赤い囲んである)からの廃水が海へ排出されている様子。左側
にある川と、色が全く違っている
・山東省・日照市の工場から流れ出た廃水が、主要排水通路を通じて、東海へ排出される
(右下)
・曹娥江下流は銭塘江と合流し、さらに海へと流れる。左側にある企業からの廃水が気に
なるところだ。汚水処理場か

c0048643_8374641.jpgc0048643_838996.jpgc0048643_8382938.jpg








・天津市大沽地区廃水排出用川(赤線のすぐ上の部分が海へ排出される)
・廃水の排出通路になってしまった福建省・福州市の晋安川。福州市区(上)から流れ出て、
南下し閩江(下)と合流
・無錫市、新旧運河の合流場所(左上は都市中心部を通過した旧運河)
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by agsanissi | 2008-01-28 08:47 | 参考記事
2008年 01月 27日

小休止

昨日、「講読の部屋」(参照)に「食料自給を考える」の1回目から15回目までを、
一括して載せておきました。
そろそろ終わりにしようかと思い、全体を俯瞰して、あと何が問題になりうるかを
再考するためです。取敢えず考えていることは、
・兼業農家が根強く残っている問題
・急速な経済発展=工業化及び都市化に伴う農業の自壊作用
(4回に問題点として指摘した最初の問題。これは「日本に農業はいらないか」で
基本的に取り上げたつもりでいるけれど何か抜けた点があるかどうか?)
・現在の社会・産業システムの中で、農業をどのように位置づけるか
・自然環境または風土的環境の中で、農業をどのように位置づけるか
・国民の栄養および健康を確保するために、「食の供給」をどのように位置づけるか
のようなことを考えています。

今朝、再読してふと思いついたけれど、明治以来不変の三数字といわれてきた
農地面積、農業戸数、農業人口。これと人口総数、この四つの数字の明治初年、
1945、1960、2005年の比較だけで、どのようなことが読み取れるか?

今日は、これから久しぶりに神奈川県逗子に住んでいる95歳の叔母を訪ねる
予定で、電車の中で、この問題をゆっくり考えてみようかなと思ってます。
余談ですが、この叔母は、60余年前、敗戦の年に満州の最北の地のロシア
国境地帯のノンコウという街に住んでいて(ご主人が鉄道敷設技師だったため
常に、最北の国境地帯にいた)、ライフル銃を担いで、三人の幼児を抱えて、
命からがら帰国したという剛の人です。
この叔母を見ると、人はその時代によって育てられる!とつくづく感じます。
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by agsanissi | 2008-01-27 08:32 | 覚書
2008年 01月 26日

二極分化?

12回目の記事で「いわゆる先進諸国とBRICs諸国との対応は、二極分化する可能性がある
のか?」と書いた。穀物を始めとした資源価格に関わることでもあり、関連記事を摘記しておく。

▽1/25の「人民網日本語版」
・国家統計局は24日、おおまかな統計によると、2007年の国内総生産(GDP)は24兆6619
億元に上り、前年比11.4%増加し、増加率(成長率)は前年を0.3ポイント上回ったと発表し
た。増加率は5年連続で10%を超えた。国民経済は急速な成長、構造の最適化、利益の上
昇、国民生活の改善などが進む良好な運営状況にあるという。
・農業生産が安定的成長を続けており、穀物生産は再び豊作を記録した。通年の穀物総生産
量は5億150万トンに達して、前年比350万トン(0.7%)増加した。

▽1/25「北京週報」
・中国政府は物価が上昇し続け、インフレを引き起こす可能性が出てきたことに対して深い憂慮
を示し、08年に入って半月内に多くの物価安定策を次々に打ち出した。これらの政策は、少な
くとも春節(旧正月)期間に物価が大幅に上昇するのではないかという庶民の懸念を払拭できる
ものだ。
・08年1月1日から、中国は小麦、トウモロコシなど57品目の穀物原料およびその製粉商品に
ついて1年間、輸出暫定関税の徴収を始めると同時に、一部の穀物・製粉に対して輸出割当額
許可証による管理を実行し始めた。
・中国人民銀行は、経済学者の建議を受けて、人民元の上昇ペースを加速させることになる。
一部の経済学者が、人民元の上昇ペースを加速させることが輸入商品の価格を下げ、インフレ
を抑制させることにつながると主張しているためだ。人民元の対ドル基準値は07年12月30日
の7.3046ドルから、わずか半月間で1月17日には7.2418ドルへと急速に上昇
し、ほぼ一日
おきに高値を更新した。
・1月16日、中央銀行(中国人民銀行)は1月25日から預金取扱金融機関の人民元預金準備
率を0.5ポイント引き上げ、15%とすることを決定したと発表。これは、中国の銀行ではこれま
でで最高の数値だ。
・07年12月のCPIは依然として高水準の見込みで、08年に入って一部の地方で少数の企業
による談合値上げ、買いだめ・売り惜しみ、価格つり上げといった現象が生じているという。
・周副司長は「当面、中国の財政収入と外貨準備の増加速度は比較的速く、経済力とコントロ
ール能力は明らかに強化されている。穀物は4年連続して豊作となり、備蓄には余裕がある。
食用豚、搾油原料の生産は回復途上にある。生産財の供給能力は大幅に向上し、絶対的多数
の工業消費財は供給が需要を上回っており、市場供給と価格の安定を保証する自信も能力も
ある」と明かした。
しかし現在、市場では法律違反、規則違反の価格がますます目立ってきており、市場価格の秩
序を乱し、企業経営の秩序を乱している
。関連する法律、法規の規定に基づき、市場価格の監
督、管理を強化し、市場主体の価格行為を規範化すると同時に、行政手段によって法律、規則
に違反する行為を取り締まり、市場経済の正常な秩序を維持することが必要だ。

▽1/24「FINANCIAL TIMES」、ダボス会議(NBonline から)
・今週、スイス・アルプスのリゾート地ダボスに集まる企業経営者や政策立案者は、グローバル
経済の強さや企業収益の明るい展望にまつわる昨年の歓喜を味わうことはないだろう。今年の
会議のテーマは、「協調的イノベーションの力(The power of collaborative
innovation)」だが、実際は政治的、経済的な不確実性の恐怖に議論が集中することは避け
られない。
金融界の情勢がこの1年で激変したため、世界経済フォーラムの運営者は金融の安定や銀
行のリスクに関する議論の場をいくつも用意した。
・もう1つ、参加者の心理の移り変わりを示す兆候は、今年の議題に加わった新たなテーマに
見られる。世界のコモディティー資源を巡る競争である。今年のダボス会議では初めて、食品
供給に関する議論の場が用意される。最近の農産物の急騰や、それによって新興国で政治的
課題が浮上
していることを受けて、活発な議論が繰り広げられることだろう。

▽1/25「Business Week」、ダボス会議(NBonline から)
・米モルガン・スタンレー(MS)のアジア代表を務める著名エコノミストのS・ローチ氏は、「世界
市場の混乱と米国で始まった景気減速は、サブプライムローン(サブプライム)と信用市場のバ
ブルが弾けた結果
であり、問題の解決にはかなりの時間がかかる」と指摘。
・ローチ氏はBusiness Week誌の取材に応じて、こう語った。「過去8年の間に我々はたくさ
んのバブルを経験
してきた。すべてのバブルが相互に関連している。いずれも無責任な中央銀
行が過剰流動性をもたらした結果
であり、その先頭を走ったのがFRBだ」。
・ローチ氏の考えでは、米国に限らず、英国をはじめとした多くの国が、実質所得ではなく、(住
宅から株式、芸術品に至るまで、あらゆるものの資産価格が上昇する)バブルの中で生活する
のに慣れきってしまった。
・高度成長を続ける新興国からの参加者は、米国人よりもずっと前向きだ。インドのカマル・ナ
ート商工大臣は会場廊下での立ち話で、「インドは米国を襲い始めたような痛みを全く感じてい
ない
」と語った。
・世界最大の鉄鋼メーカーであるアルセロール・ミタル(MT)のCFO(最高財務責任者)を努め
るアディテヤ・ミタル氏もこの意見に同意し、「インドや中国といった国々はかなり経済的な勢い
をつけており、その勢いは衰えそうにない
」と話している。
・ペルシャ湾岸地域も展望は明るい。「湾岸地域の経済成長は極めて力強いため、湾岸地域に
おける商機獲得をイスラエルとパレスチナの和平合意を促す説得材料にできるかもしれない」。
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by agsanissi | 2008-01-26 15:15 | 参考記事
2008年 01月 26日

食料自給を考える/食料自給率はなぜ下がった?/15

NB:13回に農業総産出額の「構成比グラフ」が見当たらないと書いたが、やや古い資料
があった。出所が明記されていないが、多分、平成8、9年の農業白書だろう(参照)。
「農業総産出額の品目別構成の推移」として昭和35年から平成7年までの構成比グラフ
が載っている。いま、手元にないので確認できないが農業白書の「付属統計書」が販売され
ているが、長期的な推移を俯瞰するには、白書本体より便利だ。なお「白書」本体は、
農水省の「白書情報」(参照)からアクセスして、読みたければ全文読める。但し、付属統計表
は載ってない(こっちの方が価値があるのにね!)
以下は、全くの余談だけれど、「日本国勢図会」、「白書の白書」など、2-3年前のものは
BookOffで百五円で売られている。これで全体を俯瞰し、必要があれが、最新の資料を
当該官庁のサイト(参照)で確認すれば便利だし、安上がりだ。
***********************************

農業の本質的資源は、太陽と水と土地だ。太陽はどうにもならないが、水と土の賦存量は、
決まっているが、社会的・個人的に「利用可能量」は、この順番で制御可能性があり、社会
システムによって有効量は規制される。
「水資源」については、いずれまとめて扱ってみようと思うが、簡単に水資源機構の「地球と水
の科学館」(参照)の
・地球の水の量
・多くの水は輸入されている、を参照。
特に農業用水に関しては、関心のある人は「世界の水資源とわが国の農業用水」(平成15年
2月、農水省農業農村整備部会企画小委員会の報告書、参照

8回に「支配領域の領民を養えない政治的支配は崩壊する」と書いた。略奪、交易、援助、
生産、いずれにせよ一定量の食糧確保は他の如何なる資源を措いても絶対不可欠である。
「戦争の際に決定的な資源は食料ではなく石油である」(参照)と阿呆なことを云う人もいる
けれど、実際にそうかね?
60余年前に、日本は石油をストップされて、対米開戦を決意したけれど、実際にこの戦争で
死んだ兵士の七割は、戦闘で死んだのではなく、餓死したとされている(参照、他に秦郁彦
「現代史の争点」など)。食糧補給の見通しもなしに兵士を戦場に送り出した参謀連と同類の
阿呆だね。
山下氏は、「食料安全保障はエネルギーの安全保障と対比されることが多い。しかし石油や
電気がなくても江戸時代の生活に戻ることは可能であるが、食料がなくては江戸時代の生活
にさえ戻ることができない
」11.p
農業機械を動かす石油の輸入ができなくなれば農業生産が行われなくなるというのは生産
要素間の代替性を考慮しない議論である
(日本の石油類の総消費量のうち、農林水産業と
食品製造業の割合は6%に過ぎない)」24.pと書いている。
同じあり得ない想定をするにしても、どっちがまともな議論か分からん人は、石油を飲んで電灯
線を尻の穴にでも突っ込んで生きていくのかね?!

さて、耕地だ。
これは「日本に農業はいらないか?」でも触れたことがあるが(何回目か忘れた)、明治から
1960年まで、約百年にわたって不変の三数字と云われた農地600万ha、農家戸数600万戸
農業就業人口1400万人というのがある。それがいま、465、285、312になった(参照)。
平成19年の耕地面積の概要、都道府県別面積、拡張・かい廃(宅地転用、耕作放棄など)など
は「農林水産統計」を参照。最近の制度的な問題については「農地制度について」(平成16年
3月の農水省資料、参照)。

大まかなことを云うと、農地は40年余に130万ha減少した。この間に公共事業で新たな農地
造成が100万あるから、実際の農地減少は230万、このうち半分が宅地や工業用地など都市
的用途への転用。都市近郊の優良農地から転用されていくだろうとは、誰にも推測できる。
まだ、厳密な分析はしていないが、農地の減少(減少率の変化及び減少要因)はインフレから
デフレ時代への転換に対応して二段階に分かれるだろうと、僕は想定している。
取敢えず、山下氏の指摘の中から注目すべきものをいくつか。
兼業農家の所得は農外所得の増加により、勤労者世帯を上回っているとともに、農地の宅地
等への転用によるキャピタル・ゲインにより彼らの資産は増加した。毎年のキャピタル・ゲインは
農産物生産額の60%にもなる。農業の所得率は30%なので、キャピタル・ゲインは農業所得
の二倍に相当する。...土地のゾーニング(農用地の区画線引き)がしっかりしてない日本で
は、都市近郊農家は農地転用が容易な市街化区域内へ自らの農地が線引きされるされること
を望んだといわれる
。54-55.p(これは、いまや昔の夢だ)
土地持ち農家のこのような行動はいまや圧倒的多数となった勤労者の反感を買った。
”農家栄えて農業滅ぶ”という状況にもかかわらず、農業に対する反発も高まった
。55.p
農地の減少の半分は植林や耕作放棄等による農業内的かい廃である。ここでも高米価、生産
調整の影響が見られる。消費の減少している米の価格を高くすることによって消費=供給を更
に減少させる一方、他の産品については米との相対的な収益を不利にすることにより、生産
意欲を減退させることになった。(中略)
このような農業内的かい廃のほうが1994年以降都市的かい廃を上回っている。1995-99年
の5年間で都市的かい廃10.5万に対して農業内的かい廃は12.6万haである。これは1994
年以降生産調整規模が拡大しているにもかかわらず、米価が低下していることを反映したもの
と考えられる
。56.p(要するに土地を引受けても収益見通しがないから、引受けてがなく耕作
放棄されているということだ)。

農業所得よりも土地の値上がり益の収入のほうが多く、かつ米の生産性向上に励むよりも生産
調整に協力して何もしないか、大豆や麦を捨て作りにしておいた方が収入があがるような状況
を、何十年にもわたって集落ぐるみ、村ぐるみ、農協ぐるみ、半ば強制されて、それで「意欲ある
農業生産者」など、どう逆立ちしたら育てられるのだ?!
このように歪んだ農業構造や農業の頽廃は、確かに戦後の米偏重・高米価政策に由来する
けれど、僕は、単にそれだけが要因とは考えない。日本人は稲作農耕民だ、日本の農耕文化
の基底は稲作文化だという歴史的な思い込みが深く係っていると考える(土を考える/日本人は
稲作農耕民か/8、「環境」と云う殺し文句、参照)。
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by agsanissi | 2008-01-26 07:24 | 考える&学ぶ
2008年 01月 25日

竜巻予測情報

気象庁は、3/26から新たに「突風に注意を呼びかける新しい府県気象情報」を公表する
そうだ。報道発表によると(参照
情報の発表条件は、
・気象ドップラーレーダーによるメソサイクロンの検出
・気象レーダーによるエコー強度・頂高度
・数値予報資料による指標
上記3つの観測結果及び指標による総合判断で、竜巻、ダウンバースト等の
激しい突風をもたらすような発達した積乱雲が存在しうる気象状況と判断し
た時に発表します。
情報の有効時間は、
発表時刻から約1時間を有効期間とします。さらに継続が必要な場合は、
改めて情報を発表します。
とのことだ。この機会に改めて竜巻情報について、WEBサイトをザッと探索してみた。

▽「竜巻」そのものについての解説は、気象庁の「気象等の知識」にも載っていない。
気象庁サイト内検索で「竜巻」と検索すると357件ヒットするが、竜巻発生に関する気象
情報のみ。
▽気象統計情報に「竜巻等の突風データベース」(参照)があり、1961年以降の「竜巻や
ダウンバースト等の突風事例」について、
・年別・月別・時刻別・都道府県別の発生件数
・発生時の気象条件
・竜巻分布図、などがまとめられている。
▽「竜巻」についての解説は、『ウィキペディア(Wikipedia)』に要領良くまとめられている。
定義と種類、規模を現す藤田スケール、日米の主な被害
▽情報の発表条件の中で指摘しているドップラーレーダーによるメソサイクロンについては、
イ.ドップラーレーダーについては『ウィキペディア(Wikipedia)』の当該項
ロ.メソサイクロンについては「竜巻(トルネード)」の中の解説
ハ.ドップラーレーダーの配置図、メソサイクロンと竜巻との関係など「竜巻予測情報」の発表
準備に向けた研究は
・「竜巻実況把握に向けたドップラーレーダー観測の現状と課題」(参照
・「第18回メソ気象研究会の報告」(参照
特に後者は、竜巻の発生条件、観測体制について面白い研究報告を含む。
▽「エコー強度・頂高度」に関しては、気象庁の「レーダーに関する用語」(参照
▽今年の1/11に「竜巻等突風に関する国際シンポジウム」(参考)が開催され、概要が
載っているが、ほんの概要のみで、素人目にはその意義は分からない。
但し、「ヨーロッパ全土における竜巻や突風、雹、豪雨等の顕著な気象現象に関する詳細
かつ品質管理された情報を統一のデータ形式で収集し、Web 上で公開する」(参照)試み
は視覚的に興味深い。
▽国土交通省は「防災情報センター」を設けて、「主な風水害の情報」(参照)を公開しているが、
台風及び前線の情報のみで、竜巻情報など含まれていない。なぜ気象庁などと統一的に
運用する体制になっていないのか?

★ウィキペディアは、アドレスが文字化けするため、リンクは張ってない。
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by agsanissi | 2008-01-25 12:20 | 気象/季節メモ