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2008年 05月 15日

政治的空白/続

内閣は、執行機関である。何を執行するかの政治的意思を決定するのは国会である。
従って、憲法上は国会が「国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である」と規定
している。
日本は立憲国家だから、法律によらない如何なる政治的行為も、公式には認められていない。
尤も、現首相の親父さんは「人命は地球よりも重い」という迷言を吐いて超法規的行為によって
ハイジャック犯の政治的脅迫に屈するという余り名誉とはいえない前例を残してはいる。
ともあれ、この超法規的行為が憲法上許される行為か否かを問うような野暮な裁判は、その
後、誰も起こしてはおらず、内閣が超法規的行為を執行する前例を事実上容認したままに
なっている。
国会を構成するのは二院で、確かに予算案及び条約に関しては衆議院の議決に優先権が
明記されているものの、一般的には、必ずしも衆議院の優位性が明記されているわけでは
ない。参議院が衆議院と異なった議決をするか、またはそもそも議決をしなかったときは、
衆議院の三分の二の多数決による議決が優先権を持つと規定しているに過ぎない。これは
衆議院の優先権を認めるというよりは、政治的意思決定が宙に浮くのを防ぐための便宜的
手段の色合いが濃い。そもそも政治的意思の最終的決定権がどこにあるかをめぐって、これ
ほど曖昧で、しかも場合によっては緊急の政治的課題の決定を最低でも60日間は店晒しに
しておくことを合法化するような憲法規定の曖昧さが、60年以上にわたってただの一度も緊要
な政治的問題にならなかったこと自体、稀有の歴史的事例かもしれない。
これも第九条と形式的にはともかく実質的には立派な軍隊(それとも逆かな?)とが両立しうる
ような国の柔軟性の現われか?
これは融通無碍とも云えるし、無原則とも見える。
「無原則」というと、非常に悪く聞こえるけれど、何を原則とするかは相対的なもので、完全な
無原則というのは単なる自己矛盾でしかない。

政治家というのは、大きく二つに分ければ理念型と無原則型に分けられる、と考えている。
福田さんは典型的な無原則型で、一方、安部さんは理念型の政治家で、自分の理念の重みで
潰れてしまった例だ。社会的環境と強烈な人間的個性がマッチして桁外れに強い理念型の
政治家が現れると、政治家個人の前に世間が潰されてしまう。信長、ロベスピエール、ヒット
ラー、レーニン、毛沢東などが、この例だろうか。ブッシュは、小粒の理念型のようだ。
郵政民営化を馬鹿の一つ覚えのように掲げて首相の座を射止めた小泉さんは、一見、理念型
の政治家のように見えるが、実態は無原則型の政治家だ。

現在、衆参両院の政治的意思は、ほぼ完全に分裂しており、この時期に奇しくも政府与党が
たまたまの偶然によって三分の二の多数を支配しているのは、「天の配剤」ではないかと思わ
れるほど微妙にして、稀有な政治的組み合わせである。もし仮に、この時期に自民党・公明党
連合が衆議院の三分の二の多数を支配していなければ、まるで二重政権のように政治的意思
は完全に分裂し、身動き取れない状態に陥るか、全く整合性のないその場しのぎの衆愚政治に
堕してしまう可能性なきにしもあらず。やや前者に近い状態が日銀総裁人事で現出した。

福田さんは、何をやろうとしているかわからないとか、政策に期待が持てないとか批判されて、
世論調査の支持率も、いくつかの例外を除けば、ほぼ歴史的な最低線にまで落ち込んでいる。
12日の日経BPnetのコラム「支持率20%割れでも磐石の福田経済無策内閣」(参照)で、
森永卓郎さんが
福田内閣の支持率低下が止まらない。5月2日の毎日新聞によれば、前月比6ポイントダウン
の18%となり、とうとう20%を割ってしまった。昨年9月の政権発足直後には57%あった支持
率が、10カ月で3分の1になったわけである。逆に、発足直後には25%だった不支持率は増加
する一方で、前回比4ポイント増の61%となった。
まさに政局激動前夜かという状態であるはずだが、政界は与野党揃って静けさを保っている。
もちろん、あちこちで次の政権をにらんで、こそこそと人が集まっているのだが、声高に倒閣を
叫ぶ者がいない。
不思議なのは、ここに来て自民党内では福田批判がトーンダウンしてしまったことだ。こわもて
の古賀誠選対委員長までが「福田さんは素晴らしい」などと言い出す始末。民主党は民主党
で、暫定税率再可決なら問責決議案を出すといっておきながら、「やはり出さない」などと言って
いる
」と批判している。

しかし、もし仮に、ここで「民意」を反映して、衆議院を解散したとして、いったいどんな状態が
生まれるのか?自民党・公明党が三分の二の多数を失うのは確実としても、民主党が多数派
になれる可能性も少ない。仮に、民主党が多数派を制して政権党になったとして、困るのは
却って民主党ではないかと、僕は見ている。
民主党は、単にアンチ自民党で一つに結びついている野合集団で、反対すべき自民党が野党
に後退してしまえば、忽ち集合力を失って、瓦解する不安定性を内包している。
というのは、現在の与野党の対立は、07/11/11の「頭の体操」(参照)で書いたように、「冷戦
体制」の崩壊という現実を反映してはいるものの、部分的に90年代までの対立軸をそのまま
引きずっており、新たな時代に対応した再編が不可欠になっている。
しかしまだ、その再編の準備が整っていない。

このような歴史的過渡期にあるからこそ、安部さんのようなひ弱な理念型政治家では自ら
潰れてしまうのが相当なところで、福田さんのように何をやろうとしているのか分からない
政治家だからこそ務まると考えたほうが良い。しかし何をやろうとしているかは明確で、
現在の連合政権を一日でも長く延長し、その間に次の再編への準備を整えるのが使命と
考えているのではないかと、僕はみなしている。
「このままでは、日本は潰れてしまう」などのもっともらしい批判が聞こえてくるが、そんなこと
で潰れはしない、というか日本では幸か不幸か政治的意思決定がそれほど決定的な役割を
果たした例は稀な例外でしかない。拙速な政権交代などやっても何も生まれぬ。
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by agsanissi | 2008-05-15 05:55 | ミミズの寝言
2008年 05月 14日

「政治的空白」

今から145年前の5/07~5/13の一週間は、もち論、旧暦の話だが、対外的に深刻な危機に
見舞われていた。普段は、インドか支邦を母港とするイギリスの極東艦隊の九隻が横浜に集結
し、江戸に対する全面砲撃の体勢に入っていた。
前年の9月に起きた、いわゆる生麦事件(島津藩の大名行列に間違って踏み込んだ英国人が
殺傷された事件)の賠償金支払い期限が5/07に迫っていた。一方、家茂将軍以下の幕府首脳
部は京都に、いわば「人質」のような格好で京都に留め置かれ、5/10を期して外国人を全面的
に追放する攘夷戦争に突入するとの約束を京都朝廷に強要され、諸藩に戦争準備の布告を
出していた。

有名なペリーの来航から10年、また日米和親条約によって開国してからでも9年、対外貿易は
かなりの勢いで拡大し、世界的に見れば「鎖国体制」への復帰は、もはや不可能であったが、
幕府及び京都の朝廷はそうは考えなかった。むしろ皇女和宮と将軍家茂の婚姻を成立させ
名実ともに公武合体(いわば朝廷と幕府の連立政権ですな)を成功させることが、幕府政権を
安定させる唯一の切り札であり、至上の政治課題と考えられていた
。というわけで皇女和宮の
婚姻の条件として「10年を期して全面攘夷を実行」(要するに対外条約を全面破棄し、すべて
の外国人を撃ち払う)するという約束を幕府は朝廷と交わした。その時期が迫っていた。
とはいえ、「攘夷実行はもはや不可能」というのは、幕府首脳部の暗黙の了解になっており、
名目的な沿岸防備や砲台築造を除けば、攘夷戦争の実質的な準備はなにも進められていな
かった。わずかに攘夷派浪人と彼らに扇動された長州、薩摩、土佐など諸藩及び攘夷派浪人
に脅された朝廷公家だけが、攘夷実行を幕府「回天」(いわば構造改革ですな)の切り札と
みなして、幕府に「攘夷実行期限」の確定を迫っていた。
曖昧にされ、先送りされてきた政策課題が、この年4月に、俄かに「5/10を期して攘夷実行」
と決定され、全国諸藩に布告された。

一方、生麦事件の賠償金支払期限の5/07と攘夷実行期限の5/10は、外面的にはたまたま
重なっただけで、内面的なつながりはなかった。しかし攘夷実行の「敵」を助けるような賠償金
支払いを拒否する意見が大勢で、「殺傷事件に対する賠償問題」と攘夷実行とは別問題と
する意見は片手で数えられる程度の異端派でしかなかった。しかも暗殺される覚悟がなけれ
ば、こんな意見は公言できる状況ではなかった。

というわけで、この一週間の政治的帰趨は、その後の日本の針路を決める決定的に重要な
分水嶺であった
。この時期の政治的選択の如何によっては、阿片戦争をきっかけに列強諸国
の半植民地支配下におかれた中国の二の舞を演ずる可能性があったと考えて良い(従って、
明治維新そのものが可能であったか、またどのような形式での幕府体制の変革が出来たか
をも規定したと考えて良い)。
尤も、一般の通史には一行触れているかどうか、極めて少数の研究論文が例外的に、この
時期の対外危機の緊急性・重要性について関説しているに過ぎないが...。

この一週間、さぞ江戸城は上を下への大騒動、緊迫した状況だったのだろうかと、いまから
30年ほど前、当時の一次史料を調べたときの僕の驚きは衝撃に近い。
当時の江戸の最高首脳部(これは政治・軍事の最高司令官をかねていた)は老中の三人、
そのほかに将軍名代として4月に京都から江戸に戻った水戸藩主(徳川慶喜の兄貴)、これに
加えて将軍後見職にあって江戸の攘夷戦争の司令官として派遣され、京都から江戸への
のんびりとした大名行列の途路にあった徳川慶喜(後の「最後の将軍」)の五人か。
水戸藩主は、単なるお飾りとして老中三人と「家康の再来」として令名高かった慶喜の四人が
実行部隊の総司令官といった地位だろうか。ところが、この一週間、老中三人はともに腹痛、
頭痛、所労と称して自宅に引きこもり登城しない。慶喜は、通常、大名行列でも7~10日で通う
京都・江戸間(緊急時には二日から三日)を一ヶ月もかけてのんびり遊行し、更に「攘夷実行
期限」のせまる直前、5/09に「任に堪えない」として辞職願いを提出する始末。

まあ、策略だのなんだの、いろいろ解釈はあるが、要するに最高首脳部は誰一人いない全くの
「政治的空白」、文字通り完全な空白状態なのだ。
変な話だが、こんな空白状態でも、「政治的危機」を乗り切っていけるもんだと奇妙な感動を
覚えた記憶がある。それ以来、日本には政治的意思決定の責任の所在が曖昧で、不明確な
時期を経験した歴史はなんどもあるが、僕は少々の空白には驚かなくなってしまった。

この時期、国会の空転、福田内閣の相次ぐ支持率低下を横目に、そんな歴史的経験があった
ことを、ふと思い出した。
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by agsanissi | 2008-05-14 04:54 | ミミズの寝言
2008年 05月 11日

老衰死

月初めの高温は一時的な例外で、段々に気温が下がってきた。昨日は雨がちという事もあったが、
最低・最高気温が4/6度と、二ヶ月ほど季節がさかのぼった陽気だ(陰気と云いたいところだな)。
内陸には霜注意報まで出ている。
出芽したジャガイモが遅霜で被害を受ける確率は、十数年に一度だが、今年はそんな可能性も
なきにしもあらず。尤も、仮に被害を受けてもジャガイモは次の芽がやや遅れるけれど出芽する
から、大丈夫。

「老衰」に向かっている人に、「あなた、間もなく老衰死です」と宣告するのは憚れるが、産業
ならそれも良いのか?
今週の【日経レストラン】(登録するとWEBサイトで読める)に「老衰に向かう日本の農業」(参照
という記事が載っている。「食の未来は大丈夫か?」というシリーズ記事の第7回目だ。参考に、
今までの内容を紹介しておくと、以下の通り。
地球規模の食料危機回避へ(後編) (2008/04/21)
地球規模の食料危機回避へ(前編) (2008/04/10)
人口大国が「食」を食べ尽くす (2008/04/01)
「食料自給率」ではなく「食料自給力」を重視すべきだ(後編) (2008/03/26)
「食料自給率」ではなく「食料自給力」を重視すべきだ(前編) (2008/03/19)
「食」を輸入に頼る危うさ (2008/03/10)

十数年前から、僕は「農業は過去の産業ではなく、これからの産業だ」といい続けてきたし、
今もそう云っている。
中国・インド人が「日本人なみに食べるようになったら、食料は忽ち枯渇するよ。間もなくそう
なるから」というのが論拠の一つ。もう一つは、過去の蓄積を費消するタイプの産業と違って
太陽と水と大地のエネルギーを直接に利用して再生産するタイプの産業だからというもの。
十数年前は、こんなことを云ってもあんまり本気にされなかったけれど、最近は両方とも、
かなりの現実味を帯びてきた。
去年の末に、「食料自給を考える」を書き始めた頃は、そんなものは「空騒ぎ」だから、扱うに
及ばない無駄な所作だと言われものだが、この数ヶ月、ひょんな餃子事件まで舞い込んで
食料自給や食糧危機をめぐる話題が、俄かに盛んになった。でも大方は、口先議論だ。

「日本に農業はいらない」と攻撃されれば、何を阿呆なことを言ってるんだと反論する元気も
でるが、「日本の農業は老衰に向かっている」と云われては、とても「そんな馬鹿な」と反論
する元気もでない。紛れもない事実だからな。
今回の記事の冒頭の「農業従業者の年齢構成」の円グラフを見ると、僕が農業を始めた頃は
自分も「8.1%の年齢階級」に属したけれど、そのまま持ち上がって、いまは「30%の年齢
階級」にシフトした。
このシフト傾向と、従ってまた「産業としての老衰死」の基本的傾向は変わらないようだ。
「品目横断的経営安定政策」だの、それでは零細農の切捨て政策だの、そんな批判を受けて
「水田・畑作経営所得安定政策」と名称を変えて見ただのとやっているようだが、「老衰死」と
いう現実は何にも変わらないし、僕が就農してから十数年、変わる兆候は一向に見えないね。
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by agsanissi | 2008-05-11 06:07 | 参考記事
2008年 05月 07日

寒暖差

5月の第一週は「寒い」という印象が強い。
何度か書いたことがあるが、5月は小麦の「疾風怒濤」期で、半年以上にわたって蓄積してきた
エネルギーを一挙に爆発させ、6月初めの開花期を迎える。その大事な時期のしょっぱなに濃霧
に包まれることが多いせいか、「寒い」という印象が強い。
ところが、今年は1日に28度を超えた。2日、3日も25度を超え、「夏日」を記録した。
こうなると、途端に「地球温暖化のせいか」などという声が高くなるが、そんな馬鹿な話はない。
こんな勢いで「地球温暖化」が進んだのでは、風呂焚きじゃあるまいし、地球は、忽ち人が生息
するに耐えない星になってしまう。何%かは「地球温暖化」の影響はあるとしても、もっと短い
スパンでの季節変動の一部に過ぎない。
これは、「今年の小麦は良いかしら」などとほくそえんでいたら、4日、5日は濃霧に包まれ、最高
気温が7-8度と20度近くも下がってしまった。
これでこそ「普代だな」と、やや落ち着いた気分だ。

5月第一週としては、今年の小麦はどちらかというと、やや生育不足の印象がある。
昨年末に東15に播いた小麦は、どうやら駄目のようだ。第一は播種期が遅すぎたこと(11月
初めが限界か)、第二は肥料不足。肥料不足も一因かもしれないが、仮に肥料が充分でも、
播種期の遅れによる生育不足は免れないだろう、の意味だ。
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by agsanissi | 2008-05-07 08:56 | 気象/季節メモ
2008年 05月 01日

「毒」とはなにか?

以前、「土を考える」を書いていたときに農薬の毒性に関連して「毒」とは何か?をきちんと書い
ておかなければと考えていたのだけれど、未だに果たしていない。

化学合成された物質を忌避して、天然素材のものなら安心する素朴な心情は、まあ「反科学
主義」の流れとして理解できないことはない。西洋と東洋では「自然」の受け止め方自体が
違っているだろうし、これはまた僕の単なる直感なのだが、科学する態度そのものに微妙な
違いの影を落としており、科学的客観主義といっても一様ではないのではないか。

これは余談として、ある物質が「毒性」を持っているかどうかを判断することは、それほど単純
なことではない。天然にない合成物質は、自然にとって毒だという考え方もあるが、これは明確
で分かりやすいけれど、これは単なる信念のようなもの。他人の信念をけなすつもりはないが、
天然と合成との境界線は、アダムとイブがリンゴの実を食べて以来、微妙な問題だし、本質的
な意味では科学的合成物など何もない。こういう哲学的話は脇においても、「毒性」を計るには、
必ず量と質を問題にしなければならないが、農薬の「毒性」を問題にする議論には「質」だけを
云々する偏頗な議論が多い。僕なりの考え方をまとめるのは、またいつかのことにして、4/28
の農協新聞に「毒性とは何だろうか」という関連したコラムが載っているので、問題提起として
紹介しておこう。

以下引用。
いったい毒とはなんでしょう? という問いに対し、多くの方が「そりゃ簡単な質問だ。飲めば
すぐに死んでしまうものを言うのだよ」とお答えになるようである。はて、そうであろうか。確か
に青酸カリのように飲めばイチコロのようなものがあり、毒に対しては怖いイメージがつきま
とう。けれども、この世には色々な物資があり、天然物質や化学物質やらそのどれもが多か
れ少なかれ毒性を持っているのである。このことは、幾度となく農協新聞さんでも取り上げ
られているので、多くの読者の方がご理解なさっていると思う。
 そう、毒というものは、「あるかないか」ではなく、「強いか弱いか」で判断しなければならない
ものである。農薬にしろ、医薬品にしろ、物質が持つ毒性を上手に使っているに過ぎない。逆に
いうと毒性があるからこそ、薬にもなるのである。昔から、何の役にも立たないことを指して
「毒にも薬にもならない」というではないですか。
 ところが、現在の農薬に対する反応をみていると、「虫が死ぬから毒だ」とか「草が枯れるから
人間にも影響があるだろう」といった非科学的なものが多いような気がする。人それぞれに考え
方があるので、全否定するつもりはないが、それが「全て正しい」と思いこむのはどうかと思う。
農薬の毒性試験って「これでもか!」というぐらい安全性に関する試験データが求められ、虫は
死ぬけど人やトンボには大丈夫だとか、草は枯らしても人は枯らさないなどの証明データが
きちんと整備されている。
 ADIや基準値にいたっては、動物実験で毒性を示さないという量からさらに100倍も1000倍
も安全見越した数値が採用されている。トンボは、世の中に農薬ほど特性や安全性が明らかに
されている物質はないと思うのだがいかがであろうか?
参照
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by agsanissi | 2008-05-01 06:19 | 考える&学ぶ