「ほっ」と。キャンペーン

<   2009年 05月 ( 25 )   > この月の画像一覧


2009年 05月 31日

読書三昧

今日で三日続きの雨勝ち、
一昨日は朝の天気予報で「午前中は確率0%、午後は40%」の予報が流されている最中に、まさに雨。
その後も繰り返し霧と霧雨、ディスクに泥が張り付くため、予定したディスク・プラウは中止。
昨日は終日雨、文字通り休みなく(今朝8時過ぎまで)降り続く。ただし最大の時間雨量は3ミリで、降り
始めからの累積雨量は43-46ミリ程度。午後は再び3時過ぎから雨。

ゴボウやヤーコン、シモン1号、ネギなどには恵みの雨だが、ちょうど開花期に当たる小麦には迷惑。
開花期のこの時期が菌に対する抵抗力は最も弱く、一方、赤カビ菌の繁殖・蔓延には雨は持って来い。

先週、ETCを(週末ドライブは、まったく無縁だけれど、年一回の埼玉との往復だけでも充分にペイする
ので)取り付けたところ、以来、何故か電気が流れなくなってしまい、エンジンがかからず(デンソーに
も、スバルにも確かめたが、未だに原因不明で車屋で車庫入り)、といってこの雨の中をバイクで走る気
にもならず、お陰で一昨日の昼過ぎから読書三昧。三冊読了し、現在は四、五、六冊目を読み中。
これまたお陰で、頭は柔らかくなったが、身体は硬くなった。

1929年、83-84年の恐慌相場(後者は、「恐慌」というには力不足だが)にタイムスリップ。(同時代的・
近視眼的分析を離れて)一連の歴史的回顧を読んでいて分かることは、
1.専門家、専門誌・紙の同時代的分析が如何に当てにならない楽観的・希望的観測に歪められているか
2.歴史的「大暴落」が、われわれの予測の幅を如何に簡単に超えてしまうか
3.投機的熱狂とともに「永遠の繁栄」の幻想に繰り返し浸り、その度毎に幻滅を味わってきたこと
4.今回の「大暴落」の真の深さを測るには、数年~十年程度かかること(従って、それ以前に述べられた
いかなる楽観的・希望的観測あるいは悲観的観測を加えても良いが、寸毫も信用するに足らない
[PR]

by agsanissi | 2009-05-31 17:51 | ミミズの寝言
2009年 05月 28日

ダイズ播種準備

今日明日の予定で、西1、7、11にディスクプラウをかける。
草がだいぶ伸びてきた。西1は、小麦の刈り跡の麦が伸びてきた。育てて刈り取るには不足だし、
そのままダイズを播くには、麦が多すぎる。西11は去年ソバの跡にナタネを播いたけれど、年末
にはほとんど消えてしまった。それが今年春になって勢いを取り戻し我が物顔で伸びている。
まず草を刈り倒して、ある程度腐らしてから、ダイズを播かねばならない。
それには
1.ロータリーの二度かけ、
2.リバーシブル・プラウ&ロータリー、
3.ディスク・プラウ&ロータリー、
の三通りの方法があるが、今回は3の方法にした。

ロータリーの二度かけでは時間がかかりすぎるし、この時期、リバーシブル・プラウをかけて深起し
をやると、無用に荒い土を表に出してしまい、始末に終えない。
そんなわけでディスク・プラウ+ロータリーの組み合わせにした。

今日は西1と西7の半分、C+3で、6.6キロ、やや浅めにかける。西1の一町歩強は1時間で済み。
更に1時間半で西7の半分強を終える。
[PR]

by agsanissi | 2009-05-28 20:40 | ダイズ
2009年 05月 28日

「ちぐはぐ」

濃霧注意報が出ている。自宅から見る向かいの山に濃い霧がかかり、山腹はほとんど見えない。
気温は15度を示しているが、空気は冷え冷えとして冷たい。体感的には10度前後の感じか。
標高50-150メートルくらいが霧に包まれ、標高200メートル付近の畑はスッカリ晴れている。

北東北一円をトラックで走っている穀物業者が、先日寄って行った。
「今年の春は、どうも変だ」と話していた。「季節の歩みが早いんだか、遅いんだかわからない」とのことだ。
どこかで季節の歩みが「ちぐはぐ」だと書いたような気がするが、丁度、同じことを感じているようだ。

例年より早いもの、
山菜類、桜、ウグイスの初鳴き、ツバメの初見

やや遅いもの
雲雀・カッコーの初鳴き、田植え

小麦の生育は、五月の初めまでは遅れているとの印象が強かった。山菜類や桜の開花を基準に
考えると、一週から10日は早いはずなのに、背丈が遅々として伸びず、生育も不揃いで「遅れている」
との印象を強く持っていた。ところが、ここにきてグッと良くなった。開花時期も24日頃が開花初めと
平年に比べて約一週間早い。

単に気温の変動が大きいというだけのことなのか、それ以外の要因が働いているのか分からないが
季節の進み具合が斉一ではないことだけは確かなようだ。
尤も、細かく観察すれば斉一なものがあるのかは疑問だけれど...。

c0048643_13144776.jpg

c0048643_20162333.jpgc0048643_20165712.jpg
[PR]

by agsanissi | 2009-05-28 10:46 | 気象/季節メモ
2009年 05月 25日

さいたま市長選

24日の「さいたま市長選」で、民主党推薦の無所属の新人候補が自民党の推薦する現職候補を大差で
破って当選した。母体になる党派が自民党から民主党に変わっただけではなく、66歳から47歳に約20
歳若返った。これだけでも結構な意味がある。

選挙結果を伝える朝日WEBサイトは「小沢代表、辞任の効果、さいたま市長選、民主大勝」との見出しを
掲げて(参照)、
民主党埼玉県連の枝野幸男代表は「(この勝利が)民主党に対する勢いや流れを有権者に感じてもらえる
のは間違いない。そういう意味で、総選挙へ大きくプラスに働くと思う」と語った。
躍進のきっかけは、告示翌日にあった小沢前代表の辞任表明だった。市議の一人は「ビラが辞任表明前
の1.5~2倍、はけるようになった。民主党の動きに関心が集まっているのを感じた」。
そして21日夕。鳩山氏は代表就任後初の街頭演説で清水氏の応援へ。「さいたま市の政権交代を市民
の手で実現させよう」。鳩山氏の訴えに大勢の聴衆から拍手が起こり、握手を求める人たちで身動きが
とれないほどだった。

と記者自ら、やや興奮気味に伝えている。

自民党の細田幹事長は「地方選の影響は限定的だ」と平静さを装っているが、心中穏やかではあるまい。
殊に当選した清水氏が、自民党所属の県議会議員を二期務め、今年2月に自民党を離党して無所属で
立候補したとあっては尚更だ。
清水氏を「難破船から逃げ出すネズミ」に喩えて良いかどうか分からないが、衆議院選挙を控えた自民党
の陣笠議員・新人候補には、深甚の影響を及ぼすことは間違いない。
果たして、自民党の看板を掲げていて有利に戦えるのか??」

戦国武将の戦いの推移をたどれば、勝ち戦ではどっと戦力は拡大し、負け戦になれば忽ち兵力は落剥
する。もともと伝来の固有兵力などほとんど持っておらず(織田信長に至って初めて職業的・専門的な
兵力集団を持つようになった)、勝ち戦に便乗して出世向上を目指して一所懸命に励む俄か兵力集団
なれば、これも不思議はない(時代によって、人間の性にそれほど差があるかな)。
もともと政策的なねじれ現象を内在し、鳩山・麻生の「相似形」(参照)とさえ云われるほどの似た物集団
なれば、戦国武将の戦いぶりのような兵力の雪崩現象が起きたとしてもちっとも可笑しくはない。
清水氏の戦いぶりと、その結果は、果たしてそんな現象の予兆になるだろうか?

★参考、各候補の得票数
・清水 勇人47無所属新、155,966
・相川 宗一66無所属現、98,816(自民)
・中森 福代59無所属新、62,991(自民)
  
[PR]

by agsanissi | 2009-05-25 23:25 | ミミズの寝言
2009年 05月 25日

カボチャ

午前中は雲多く、午後になって快晴。9.6度/19.6度、日照9.8時間

カボチャの直播。
昔、一度だけ市場出荷用にカボチャを栽培したことがあった。しかし9月、10月以降のカボチャは
二束三文にしかならず、一回だけでやめてしまった。それ以来、自家用と直販売用にのみ栽培し
てきた。
ところが最近、メキシコ産カボチャの人気が落ちて、加えて冬至用カボチャとして11、12月の
カボチャの需要が増えてきたとのこと。国産農産物への需要が多少とも追い風になっているのか?
やや半信半疑の面もあるが、今年はそんなわけで、多少、カボチャの栽培面積を増やしてみた。

今日は直播。三メートル間隔くらいで鴨糞を筋状に散布してからロータリーをかけ、その上をやや
大またで歩いて足跡をつけ、その窪みに化成肥料を一握り落として歩き、足で土をかぶせ、その上
にタネを一粒ずつ落として踏んづけて歩く。以前は、これで全部お仕舞い。その後の管理は何も
やらなかった。今年は、ちょっとこれでは済まないか?摘果作業も必要だろうし、多少は外見にも
配慮をしなければかな??

c0048643_21564533.jpgc0048643_21572261.jpg
これは5月5日と7日に播いたもの。
なぜか、ずいぶん差があるな!
[PR]

by agsanissi | 2009-05-25 21:58 | 人参・カボチャ
2009年 05月 24日

二転三転

昨日までの週間予報では、今日は午後から一時雨になっていた。今朝になって雨の予報は消えて、
終日曇、但し気圧の谷が通過するので一時的に雨の可能性もあるとのこと。
午前中の最低気温は13度、午前中は雲は多いが日差しもあって、11時に18度の最高気温を記録
午後は冷たい雨が降り出し、気温は11度まで下がる。

22日に播いたゴボウの様子を見に行ったところ、この後の雨の効果はほとんどなく(かなり長時間降った
印象だが、アメダスの総雨量はたったの1.5ミリ)土はからからに乾いている。

c0048643_2273798.jpg
これでは出芽がいつになるか覚束ないなと
急遽、散水の準備。やれやれと一安心して、
一息ついた頃に、なんと皮肉なことに雨が
降りだした。







c0048643_22144026.jpgc0048643_2215358.jpg

雨は夜まで降り続き、多分、この様子
なら散水準備は不要だったようだ。
午後三時の天気図と気象衛星画像を
参考にあげておく。
いつ降りだしてもおかしくはないが、
「降りそうにないな」と判断しただけに
ちょっと意外。
[PR]

by agsanissi | 2009-05-24 22:17 | 野菜/自家菜園
2009年 05月 24日

変われば、変わる

この二日間は不順な天候で、仕事らしい仕事をしていない。
一昨日は、夕刻から雨の予報だったが、早朝から霧雨になり、終日止んでは降り、降っては止むを繰り返す。
朝方の空気は十分に湿気を帯びているが、土はまだ乾いた状態のうちに、ゴボウを播種した。
手押し車のようなものに、大きな糸巻き状のテープシーダーを付けて押して歩くだけだ。
400メートルを20分ほどで終える。終わった直後に、やや強い雨が降り始める。発芽には好都合。
トレンチャーで1キロ近く掘って、実際に”正常に”播けそうな所はこんなもので、あとはゴロゴロの土で出芽も
おぼつかない。

昨日は薄曇、日照時間はゼロ。絹さやの支柱を立て、ネットを張ったり、ゴマやブロッコリーを播いたり、
ハウス内の草取りをしたり、そんな程度で、あとは専ら「ミシェル-城館の人」を読む。

モンテーニュは、あらゆることにかかわりながら、一定の距離をおき、敬虔なカトリックのように見えながら、
少しもキリスト教徒らしからず、党派的な人々からは傍観者のように見なされ、時に現実逃避の卑怯者
呼ばわりをさえされた。モンテーニュの「エセー」を最初に読んだのは40年ほど前だけれど、決して熱心な
読者ではなかったし、今でもそうだ。
しかし自分が党派的立場を脱して、単なる政治的な傍観者の立場に立ってみると、とりわけ自分の全生涯を
賭けても惜しくはないとまで思いつめていた思想的立場が、いかに危うい現実認識の上に立っていたに過ぎ
なかったかに気づいてみれば、モンテーニュの懐疑主義が如何に真摯な現実認識に立っていたかが、多少
とも理解できる境地に達した(と言っても大言壮語にはならなくなった)とは云えるだろうか?
とはいえ、モンテーニュが後半生を過ごした同時代的な「化物じみた」宗教戦争の残虐きわまる壮絶な戦い
に比べれば(参照)、僕の経験など無に等しい。

僕は、何度も書いたように、政治を天気のようにしか見ない。ただ観察し、対処するだけで、変えようとも、
変えられるとも考えていない。しかしエコノミスト誌が書くように(また、多くの無関心層の人が考えるように)
「変わっても、変わらない」とは考えない。「変えねばならない」とは敢えて力みはしないけれど、明らかに
「変われば、変わる」。

第一に、自民党と高級官僚と業界との間の密接な癒着の構造が変わるし、変わらざるを得ない。一朝一夕に
変わるかどうか、変われるかどうか、それは分からない。しかし一旦はばらばらに分解し、再結合して新たな
構造を作り出すまでは流動化し、不安定にならざるを得ない。どう変わるか分からぬにしても、半世紀以上に
わたって積み重ねられてきた癒着の構造をぶち壊す必要があるし、それには政権交代する他はない。
政権交代なしには、効率的政府も、財政の健全化も、国家公務員制度の抜本的改革も、真剣には何も
始まらない。
第二に、野党が政権をとれば、変わったということを示さなければならない。民意を反映した政府が良い政府
だとは必ずしも考えないけれど、少なくとも民意を真剣に汲み取らなければ、いつ政権の座を失うかという
緊張感を根底にもつ政府を、われわれも一度はもって見なければならない。戦前の二大政党制の経験は
政党政治の腐敗へと堕し、軍事的ヘゲモニーの前に政治的ヘゲモニーが圧せられたけれど、少なくとも
現代は普通選挙権が確立し、統帥権を振りかざし政治に介入する軍部もない。普通選挙権を前提にした二大
政党の競い合いが良い方向に作用する可能性はある。
第三に、万年政権政党が政権を失えば、政党の再編を真剣に考えなければならなくなる。僕は、現在の
二大政党は部分的に五十五年体制の遺産を引きずったままのねじれた関係と見なしている。自民党が
政権を失い、民主党(または民主党主導の党派)が政権をとれば、政権政党に安住してきた連中も真剣に
「政策」を軸にした政治活動を考えざるを得なくなる(「頭の体操」07/11/11、参照
[PR]

by agsanissi | 2009-05-24 06:10 | ミミズの寝言
2009年 05月 21日

世襲政治への覚書/続

堀田善衛の「ミシェル-城館の人」の第一部争乱の時代を読み終えた。
時代は16世紀半ば、世界史的知識ではルネサンスと宗教改革の時代として教えられ、近代への燭光が
仄見えた時代に生きたモンテーニュの時代の物語。
同時にそれは、聖バーソロミューの虐殺事件で後世に伝えられるカトリーヌ・ド・メディシス、ルターとともに
宗教改革の指導者カルヴァンの時代でもあった。

歴史は、中世から近代へと向かって、着実に一歩一歩前進し、明るさを増していくというような、単調な歩み
を決して歩んでは来なかった。
「争乱の時代」に書かれているように
ルネサンス期(文芸復興期)は、その裏側において、「精神の暗黒部をもっとも露骨に示した、かつはもっとも
非理性的な魔女裁判の最盛期でもあったのである

宗教改革運動は、中世権力の頂点に立ち退廃を極めた旧教に対するプロテスト運動であるのみならず、
宗教的装いの下に繰り広げられた王侯貴族間の熾烈な権力闘争や新たに台頭してきた商人階級の政治的・
社会的進出への思想的支柱でもあり、それ故にまた神の名の下にありとあらゆる残虐行為(旧・新教の両側
で)が美化されもしたのである。

このような時代に生きたモンテーニュの透徹した人間観察は、四百数十年の時を隔てて、安易な世襲政治
へと回帰する我々への警鐘のようにも聞こえる。
人間の評価について不思議でならないのは、それはわれわれ人間だけを除いて、あらゆるものは
そのもの固有の特質だけによって、評価されるということである。われわれが馬をほめるのは、逞しく
速いからであって、(中略)馬具が立派だからではない。猟犬をほめるのは、足の速さのためであって
首輪の美しさのせいではない。鷹をほめるのは、その翼によってであり、革紐や鈴のせいではない。
なぜ同じように、人間を彼自身の価値によって評価しないのだろうか。ある人は大勢の供回りと、立派
な宮殿と、あのような信用と、あれほどの収入を持っているが、これらはすべて彼の周辺にあるもので
あって、彼の内側にあるものではない
。猫を袋に入ったままで買う人はいないだろう


ところが我々は、誰それの息子だ・娘だ、何々で有名だというそれだけの理由で、袋の中身を吟味しないまま
相手の言値で買っているのだ。そういえば一昨日引用したエコノミスト誌に、こんな一節があった。
もちろん有権者側にも非がないわけではない。これまで、日本の有権者は与えられたものをあまりに簡単に
受け入れ、「政治の弁当箱」が空であると分かった時でさえ、それに甘んじてきた。

バナナ共和国と揶揄されたところで、なんと反論できようか?!
[PR]

by agsanissi | 2009-05-21 00:25 | ミミズの寝言
2009年 05月 20日

中耕カルチ/2

6.7度/24.5度、日照10.9時間、昼前に一時雲が広がるが、概ね晴天、暑い。

c0048643_2316176.jpg
東5のジャガイモに二回目のカルチ。
所々、先月26日の大雨による流出跡が
残るも、予めそれと知らなければ分から
ぬ程度には消える。







c0048643_23182547.jpgc0048643_2317412.jpg
続いて東6に三回目のカルチ。その形状から
イカ爪と呼ばれる中央の爪を、深耕爪に換え
る。やや深めに爪を入れて土を掘り起こし、
最終培土に備えるため。
[PR]

by agsanissi | 2009-05-20 23:15 | ジャガイモ
2009年 05月 19日

世襲政治への覚書

最近は政治に対する関心をすっかり失ってしまった。マンネリ化したルーチンワークのような儀式行為、
偶に世間の耳目を集める仕業とて飲み屋街の酔漢もどきの醜態か互いに敵手の落ち度に付け込む
揚げ足取りとあっては注視にも値せぬ。
三月の「ニューズウィーク誌」に「頭のない東京」という見出しで、「日本はビジネス、文化、テクノロジーの
主要勢力なのに」、政治は三流で「バナナ共和国のように運営されている」とおちょくった記事が載せられた
そうだ。表題「頭のない東京」は、果たして思考回路を経由せずに、延髄反応だけで喋っているような軽薄
を擬人化したわが宰相に対する隠喩だろうか。
尤も、政治を運営しているのは宰相一人ではない、、与野党を含めた多くの世襲議員で構成される世襲
国会と閨閥・血族で固められた一群の高級官僚の集団だ。

世襲制と血族支配を根幹とする幕藩体制でさえ、幕末の政治的危機に対処するに積極的に養子制を取り
入れ、かつは下級官吏の抜擢に意を注いだと言うに、いまや国会議員職はますます世襲化・家業化し
参照)、その恥ずかしさの余り自ら「国会議員の世襲制限案」さえ浮上するという体たらくは、もしかして
自民党政権が崩壊するかもしれぬという”政治的危機前夜”とも思えない。


この不思議な「安定感」、われわれ庶民の側から見れば厭きれた閉塞感はいったい何なのだろう??
日本の記事を滅多に取り上げることのないエコノミスト誌が、5/16号で政権交代の可能性について論評した
そうだ(「経験不足の日本の野党」参照)。記事は、この奇妙な「安定感」の根底にはある種の世襲制がある
ことを指摘している(と、僕は読み取った)。

岡田氏は、自民党の政治家一族の間で多く見られる世襲の慣例に対し、これを制限することを公約に掲げ、
敵の痛いところを突いている。
麻生内閣の実に半数以上が世襲政治家なのだ。
だとしても、民主党が汚れた過去からの決別をもたらすとは言えない。以前、自民党からの政権奪取を狙っ
ていた社会党と同様に、民主党も往々にして精彩を欠く野党だ。
実際、民主党議員の多くは社会党出身だ。そのほか、鳩山、岡田両氏を含むその他の議員は自民党出身
である。鳩山氏の弟は現内閣に入閣している。鳩山氏の祖父、鳩山一郎は初代自民党総裁であり、戦後
日本で最も有名な首相である吉田茂の最大のライバルでもあった。
吉田首相は麻生首相の祖父であり、この夏の総選挙は一族同士の対決という図式になるかもしれない。
さらに、鳩山、岡田両氏の政治キャリアも、自らの一族が持つ巨額の資産に支えられてきた背景があり、
これも多くの自民党議員と共通している。変われば変わるほど、同じものになっていくわけだ
小沢氏が去った今、自民党には、元首相やメディアの有力者といった実力者たちから、選挙後の民主党との
「大連立」を提案せよとの圧力が強まるだろう。何しろ、多くの人は長い間、民主党のことを、自民党を飛び
出した同党の一派閥にすぎないと見なしてきた。
一方で、進歩的な自民党党員は民主党への鞍替えを思案している。


要するに、一言で言えば「変わっても、変わらない」と見ているわけだ。

世襲制に関連して、もうひとつ、日経ビジネスONLINE(09/05/18号、参照)に「恥ずべき日本の血統主義」
という記事が載っている。
5月16日午後、民主党議員は鳩山由紀夫氏を党首に選んだ。これで自民党と民主党の党首それぞれが、
60年前に日本の戦後政治を牽引した吉田茂、鳩山一郎の孫ということになった。“名門”が“一般人”を退け、
政党の顔になるとは、パキスタンやインドネシア、インドの政治を思い出させる

という書き出しで始まって、
名門に「ノー」と言い、資質と努力、才知でリーダーを選ぶ政治のメカニズムが欲しいものだ。しかし、国民が
チャレンジを望まない限り、それは程遠いのではないか。

という結語で終わっている。

僕は、天皇という究極の仮想化された「血統種」を国家組織の根底に置くことによって安定を確保している
(その良し悪しは別として)日本の政治システムそのものが世襲制回帰の原点にあるとみなしている。
[PR]

by agsanissi | 2009-05-19 22:16 | ミミズの寝言