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2011年 01月 31日

日々雑纂

塩納豆、食材事典(参照)に塩納豆、別名寺納豆の紹介が載っている。それによると「京都の大徳寺納豆、浜松の浜納豆、奈良の浄福寺
納豆」が代表的なものだそうだ。同サイトには大徳寺納豆のつくり方が紹介されている。
・僕が興味を持ったのは、農文協発行の「聞き書き・ふるさとの家庭料理」第16巻「味噌・豆腐・納豆」に紹介されている高知県佐川町の
「塩納豆」で、その製法技術は約300年前に遡るようだ。というのは当時の領主の旧領地遠州(静岡)掛川周辺の寺納豆(浜納豆)と製法が
同じで、しかも高知県内で納豆を作るのは佐川だけとのこと。
・納豆のつくり方が独特だが、納豆菌を使わず、すりぬかの中に入れて発酵させるようだが、豆が熟成して糸を引き始めたら、木桶に入れて
塩を混ぜて(豆三升に塩一合)半日くらい置いて塩を馴染ませてから、米ぬか(もち米の糠のほうが味が良いとか)をまぶして、余分な糠を
払い落して風通しの良いところで乾燥させて出来上がり。食べるときに、その都度鉄鍋で炒って食べるそうだが、納豆の味に米ぬかの香ばし
さが加わって美味しい
とか。糠の香ばしさが伝わってくるようだ。

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ジャガイモサラダ、僕のジャガイモを使ったサラダの試食販売が岩手県内のスーパーで始められた
そうだ。担当の方から、お知らせ頂いた。いろいろ書いてきた手前、是非、試食してみたいが、当面、
その機会がない。残念!!偶然にも見かけた方がいらしゃいましたら、ご試食して頂ければ幸いです。
(画像をクリックすると、拡大できます。)

インターバル・ウォーク、今日は心拍数100、120で歩いてみた。前回までは90~120の繰り返し
だったが、中々、90まで下がらない。時間を計ってないから、90から120と、120から90までの時間
間隔が分らないけれど、90まで下がる時間のほうが長い印象。どのくらいの時間で平常心に戻るかも
心肺機能を図る目安にはなるけれど、当面は100~120でやってみることに。結果、73分/375Cal
(5.1Cal/分)、HR105/128
。心拍数はほぼ変わらず、消費カロリーはやや増加。

糖尿病の関係遺伝子、「2型糖尿病の新たな関連遺伝子を日本人患者で発見」という記事が
糖尿病ネットワーク(10/09/07、参照)に紹介されている。
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by agsanissi | 2011-01-31 17:35 | 日々雑纂
2011年 01月 30日

日々雑纂

ポリカルチャー、【WWJ地球環境メールマガジンEpsilon 】の『地球白書 2010-11』の「第1章 伝統を再評価して持続可能性の
構築に活かす」からの紹介;今回のテーマは「ポリカルチャー」。
カンザス州サリナにあるランド研究所で、....毎年植えなおす必要がある穀物に取って代わる、新たな多年生作物を開発している。穀物
も多年生で、空中窒素を固定する能力のある[つまり、窒素肥料が不要になる]別の多年生作物とポリカチャーで栽培され
、その種実
からは食用油、バイオ燃料、潤滑油の原料となる植物性油脂が生産される。このようなポリカルチャーは、自然の大草原を構成する植物
群落を再現しているのである。

・ポリカルチャーの対極にあるのがモノカルチャー。Wiki日本版は「植民地化された土地で、支配国で需要の高い農作物を集中的に生産
させた事が始まりである。例えば、オランダ領東インド(現在のインドネシア)における商品作物の強制栽培制度があげられる。これにより、
支配国は効率よく農作物を得ることができた。1944年にメキシコで実施された緑の革命もモノカルチャーである。
代表的な作物にサトウキビ、天然ゴム、トウモロコシ、穀物、パルプ、コーヒー豆などがある。多くは主食たりえないものばかりであり、現地
住民は商品経済に組み込まれ自給能力を失い、飢餓の原因ともなった
」と規定している。
・アイルランドのジャガイモ飢饉も、モノカルチャーの深刻な危機を表現している。南米インカ帝国では、200種以上のジャガイモが混裁され
ていた。たとえ、ある「種」のジャガイモが病害虫に侵されても、別の「種」は生き残り、一挙に全滅することはなかった。畑からの収穫物を、
文字通り天と地からの贈り物として深い感謝の念と共に受け取る民族の自然な気持ちの発露であったとも言える。16世紀以降、旧世界の
民は、もはやそのような素朴さを失い始め、専ら効率性に目を注ぐように変わっていった。
・当時のアイルランド農民は二重の意味で、モノカルチャーに頼り切っていた。第一に品種の多様性の喪失。「当時のヨーロッパでは収量の
多い品種に偏って栽培されており、遺伝的多様性がほとんどなかった。そのため、菌の感染に耐え得るジャガイモがなく、菌の感染がそれ
までにないほど広がった
」(Wiki「ジャガイモ飢饉」から)。第二に、貧民はジャガイモを殆ど唯一の食料にしていた。「小作農家たちは以前は
主に麦を栽培していたが、地主に地代を納めなくてもよい自分らの小さな庭地で、生産性の非常に高いジャガイモの栽培を始めた。それに
よって、ジャガイモが貧農の唯一の食料となってゆき、飢饉直前には人口の3割がジャガイモに食料を依存する状態になっていた
」(同前)
・以上は、一国の経済全体のモノカルチャー化が内包する危険だが、単一の経営にとってもひたすら集約化され、大規模化され、集積され
た経営システムにも同じ種類の危険は内包されている。感染症の蔓延。
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by agsanissi | 2011-01-30 12:49 | 日々雑纂
2011年 01月 29日

日々雑纂

インターバル・ウォーク(参照、心拍数を目安にインターバル・ウォークをやってみた。一般的には、3分間-3分間のインターバルだが、
心拍数を目安に120~70でやってみることにした。心拍数120は、120/(220-65)≒0.77だから最大心拍数の7~8割を目安にした。
いざ、初めて見ると70になかなか下がらない。それで120~90に変更して、120に上がるまで速歩、120に達したら緩歩に変え、90に
下がったら、再び120になるまで速歩。これをワンセットとして5セット50分、これで236Cal(4.7Cal/分)、HRは平均104、最大125。
通常は、3-4Cal/分、HRは80/110程度だから、意図的にインターバルを取り入れることで平均運動量は増加した。心地良い疲労感の
一方、緩歩が入るせいか、まだまだ持続できそうな感じ。血糖値にはどんな影響があるか?

糖尿病患者への低用量アスピリンの投与の効果、今朝の「内科開業医のお勉強日記」(参照)に「低量アスピリンの動脈硬化性イベント
減少効果はeGFRにより影響される?」という記事が載っていた。一般的には、低用量のアスピリンは抗血栓薬として奨められている。記事は
結論だけをいえば、効果は「あるとも、ないとも言える」という、甚だ曖昧なものだ。それで「アスピリン+糖尿病」で検索してみた。
医療アプリ & 医療機器ニュースサイトに「心血管疾患 一次予防にアスピリンを使用する糖尿病患者の基準」(10/06/01、参照)という
記事が載っている。
現在、糖尿病 患者の心血管疾患一次予防 として低用量のアスピリンを使用することが推奨されていまが、これまでの試験結果から考えると、
もっと慎重に使用するべきだと、米国心臓協会、米国糖尿病協会、および米国心臓病学会が共同で発表しました

要するに、無差別の投与は控えるということ。その理由は、以下の二件の臨床試験の結果、特別な場合を除き心血管疾患一次予防の明瞭な
効果が認められないが、消化管の出血リスクは増大したためである。
1.日本の糖尿病患者にアスピリンを使用したアテローム性動脈硬化の一次予防に関する臨床試験で、2型糖尿病患者におけるアテローム性
動脈硬化イベントの低下はわずかでした。(ただし、65歳以上の患者には、アテローム性動脈硬化イベントリスクの有意な低下が認められた。)
2.無症候性末梢動脈障害のある糖尿病患者を対象に、動脈疾患と糖尿病の進行予防に関して試験したところ、致死性および非致死性の
心血管イベントの一次予防 効果はなかった。

⇒心筋梗塞の既往症に対する二次予防効果及び65歳以上の糖尿病者には、アテローム性動脈硬化イベントリスクの有意な低下効果がある
と解釈して良いか。結論としては、明白な副作用リスクがなければ服用したほうが良いという事になるか。
⇒「日本の糖尿病患者にアスピリンを使用した臨床試験」の内容は、以下のサイトを参照
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by agsanissi | 2011-01-29 16:11 | 日々雑纂
2011年 01月 28日

日々雑纂

心拍数と自律神経機能、「心拍変動による自律神経機能の測定に関する研究」(参照)を見ると、自律神経は,交感神経と副交感神経からなる。
交感神経は,心拍数を増やし,血圧を上昇させ,人間が活動するのに必要な身体の条件を作るように働き,副交感神経は心拍数を下げ,血圧を
下げ,人間が休息するのに適切な身体状況を作る働きをしている」と書いてある。⇒ということは、「心拍数は深い吸気で増え、深い呼気で減る
」と
すると、深い吸気で交感神経が活発になるということか。また「吸気で血圧は下がり、逆に呼気で上がるのか?」と書いたが(11/01/24)、実際は
逆で、深い吸気⇒交感神経⇒心拍数増加⇒血圧上昇。深い呼気⇒副交感神経⇒.....となるのか。
・スクワットで、しゃがむときに大きく息を吸うのは交感神経を活発にして、血圧を上昇させ、立ち上がるときの力を溜めるということか。一挙に力を
出す前には、確かに息を大きく吸い込むもんな。

運動と糖代謝、「スポーツにおける糖の機能と重要性」から(参照)。「筋肉運動においては、適切な糖の摂取は筋肉の分解を阻止するために
重要である。一方、マラソンなどの持久運動では、運動のエネルギーの中心はグリコーゲン由来の糖であり、適切な脂肪代謝がグリコーゲン
を節約するように働く」「一瞬で終わる瞬発性の運動では、エネルギーは、糖からではなく、筋肉に蓄積されているクレアチンリン酸の分解によって
生まれる。運動のあとで、再び クレアチンリン酸は糖をエネルギーにして元に戻る。クレアチンリン酸は、瞬時のエネルギーであるため、数秒〜
十数秒間くらいしか使えない。すぐに、枯渇し てしまうので、短距離走では、クレアチンリン酸に続いて糖が解糖系によって生産するエネルギーが
使われるようになる」「糖をエネルギーとして利用するシステムは大きく2つの段階に分かれる。一つは解糖系で、グルコースがピルビン酸にまで
分解される過程でエネルギー が生産される。この過程は、エネルギー生産の効率が高くないが、酸素を全く必要としないという利点がある。.....
もう一つの段階は、ピルビン酸が、さらにアセチルCoAを経てTCAサイクルー電子 伝達系に入るシステムである。このシステムは、解糖系と比較
して、はるかに効率よく大量のエネルギーが生産できる。しかし、このシステムには充分な酸素の 供給が必要である。」
・「マラソンのような、持久性の運動は、グリコーゲンからの糖と、脂肪酸の両方を燃料にして行われる。脂肪酸は糖に比べてはるかに効率よくエネ
ルギーが生産できる基質であるが、残念ながら、脂肪酸だけで運動することはできない。必ず、ある程度の糖が必要となる。この糖はグリコーゲン
から調達する。結局、脂肪と糖の両方を燃やすという、このバランスを崩さない範囲でいかに、速く走るかがマラソンや長距離走の勝負であるといえる。
....自分のペースを誤って 速く走ると、酸素供給が追いつかず、無酸素的な糖の分解に傾いてしまい、大事なグリコーゲンがたくさん使われてしまう。
これは、レースの終盤でグリコーゲ ンが枯渇するという悪い影響をもたらす」
・「グリコーゲンは運動中の糖の供給源である。では、運動中に糖を与え続けたらよいのではないかという考え方がある。実際に、運動中にグルコース
の繋 がったデキストリンを与えると、血糖が維持され、限界まで走れる時間が増えたという実験結果があり、すでに米国では運動選手のための糖補給
飲料として発売 されている」
参考サイト:臨床栄養、Ch3、栄養素とその代謝/3-2:「糖代謝」
糖質補給の方法とインスリンショックの回避「マラソンの前に大量の糖溶液を飲むと、血糖が上がり、続いて急激な低血糖になる。それは、急激な
血糖上昇がインスリン分泌の引き金になるからである。インスリンが分泌されると、脂肪の分解を抑制し、身体の脂肪がエネルギーとして使われなく
なる
。運動中の選手にとって脂肪が使えなくなると、 糖の分解だけに頼らざるをえなくなり、その結果、乳酸が急速に蓄積して苦しくなる。したがって、
インスリンを出さないというのがマラソンや長距離走などの 運動中の食物摂取の鉄則である」
・我々の研究では、マウスを用いた実験で、運動直前にグルコースを投与すると、限界水泳継続時間が有意に減少することを確認 している。水泳を
開始して30分後に同じ量のグルコースを投与すると、こんどは限界までの水泳継続時間が延長される。持久運動後半では、交感神経が活性化 されて、
インスリンが出にくい状態になっているからである。このように、運動が長時間続くと、交感神経が活発になり、神経末端からはノルアドレナリンの分泌が
盛んになる。これは、非常時だから体中からエネルギーを供給しろという信号で、貯蔵されていた糖や脂肪が血液に出てくる。このような状態になると糖
を摂取してもインスリンはあまり出ない」
⇒以上の反応は、非糖尿病者の場合である。インスリンの反応が遅延するか、または血糖値の上昇に
充分に対応できない程度にしかインスリン分泌ができない場合の反応はどんなものか??
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by agsanissi | 2011-01-28 08:47 | 日々雑纂
2011年 01月 27日

日々雑纂

基礎代謝量、50~60歳代男性の体重キロ当たり基礎代謝エネルギーは21.5Calとなっている(参照)。生命活動の維持に必要な最低限の
エネルギー消費量と考えればよいか。僕の場合、体重をかけて概ね1120Calといったところ。アイルランドの農民じゃないが、これをジャガイモ
だけで摂取しようと思うと一日当たり約1.5キロのジャガイモが、ただ横になって「安静状態」で生きて行くためだけに必要だ。多少とも、労働して
積極的に生きていくために1.5倍のエネルギーが必要だとすれば、一日2.25キロ年間820キロのジャガイモが必要だ。若ければ1割増、2割増
しなければならない、乳幼児なら2倍~3倍も必要になる。
・こうしてみると、19世紀半ば、アイルランドの人口の約4割の人々がジャガイモだけで生きていた。しかも平均して年間1トンという消費量が、
いかにギリギリの最低生活を生きていたか、多少とも想像できるだろうか。
・農閑期の、日常的な、読書と散歩とちょっとした筋トレに伴う僕の代謝エネルギーをPolarFT7の心拍計を使って推計してみた。
18時15分~1時24分、280Cal/429分、0.65Cal/分、HR71/111(平均及び最高心拍数)、25分の徒歩
1時29分~1時57分、35Cal/28分、1.25Cal/分、HR66/86、軽いウォームアップを5分ほど
2時01分~3時54分、104Cal/113分、0.92分/Cal、HR59/98、殆ど読書
4時01分~5時38分、99Cal/97分、1.02Cal/分、ウォームアップとスクワットを10分ほど、他は読書
睡眠中は0.6Cal/分とすると0.6×6×60=216、読書その他の時間を1.1~1.2とすると1.1×18×60~1.2....で1188~1296、併せて
1400~1500Calとなる。この他に昼間の歩行で200~300Calを使っているから1600~1700前後がエネルギーの収支バランスの均衡点と
なる。この一年間、体重は52キロ±1程度だから、結果としてみれば程よい推計ということになるか。

節約遺伝子(または倹約遺伝子)説というものがあるそうだ(参照)。「糖尿病の解決」によれば「1962年人類学者J・V・ニールにより、米国
南西部のピマ族インディアンの間で頻度の高い肥満と2型糖尿病を説明するためにはじめて提唱された。....一世紀前のピマ族インディアンの
写真は痩せた弱々しい人たちを示している。彼らは肥満とは何かを知らず、事実彼らの語彙の中には肥満に該当する言葉はなかった。.....
今や、彼らは飢餓には直面していない。政府のインディアン局は小麦とトウモロコシを供給し、その結果、驚くべきことが起こった。痩せて弱々
しい人たちが天文学的な頻度で肥満になったのである。
」143-144.p
参考:ピマインディアンと糖尿病・肥満①(参照
    ピマインディアンと糖尿病・肥満②(参照
   「太ったインディアンの警告」(参照1参照2

・前に(10/12/31⇒参照)「2004年の国民のエネルギー摂取量は1902Calで、これは餓死者が出た1946年の水準よりも低いのです」という
指摘を「時間栄養学」から紹介した。総摂取エネルギーは減少しているのに「肥満」が増えているのは、朝食抜きなど摂取パターンの乱れが一因
だとする「時間」要素、ないし生物にとっての生体リズムの本質的な重要性に警鐘を鳴らすものだ。
・ところで「平成21年国民健康・栄養調査結果の概要」(参照)を見ると、更に減少して総平均で1861Cal、男女別で見ると、男は2073Cal、
女は1677Calになっている。エネルギー摂取量1861Calというのは、奇しくも1840年頃の長州藩での推定量にぴったり一致する(11/01/16、
参照)。今や、我々は170年前の栄養摂取水準に逆戻りか?!何といって一言に言えないが、何かが狂っているな?!
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by agsanissi | 2011-01-27 09:55 | 日々雑纂
2011年 01月 25日

日々雑纂

c0048643_16225054.jpg・「じゃがいもが世界を救った」の原題は、ただ「POTATO」というものだ。
副題に「How the humble spud Rescued the wetern world」
とある。the humble spud、16世紀に南米大陸からもたらされて以来
数百年以上にわたってヨーロッパ社会で受けてきた冷遇からすれば
「ありふれた芋」というより「卑しい芋」といったほうが良いだろうか?
それはともかく、「聖書」に記載されない珍奇で、無様な、時に悪魔の植物
と忌み嫌われたが、18世紀末以降、確かにジャガイモは西欧世界に根を
張り小麦と並んで、時に小麦に代わって、ヨーロッパの農民、とりわけ貧し
い農民の腹を満たしてきた。
ジャガイモはフランス人の生活にスープ鍋を介して入ってきた。パンは「食」
の精神的中心だった。一方、スープは空腹を満たすもの、あるいは空腹を
満たすはずのものだった。大抵の家庭にはこれ以外の料理に必要な用具
の備えがない
。230.p(じゃがいも料理には、粉ひきも、パン焼き窯もいら
ないし、薪にしても、少量で足りる)
・西欧社会にジャガイモが受け容れられた後も、ジャガイモに接する感情は
決して同じではなかった。フランス人は、素直に、あっさりと受け入れたが
イングランドやアイルランドの貧困層にとっては、ある種の罪悪感を伴った。
両国の貧困層は貧困を悪とする道徳観念の下でもがいていた....(彼らは)他のものを食べる余裕がないために、ジャガイモを食べた。
ジャガイモは下層階級の食べ物である。それは本当の食べ物、健全な食べ物の代替品だった。しかし、こんな区別は19世紀フランス
には存在しない。いったんジャガイモが食に適していると認知されると、誰がこれを食べようと関係ない。「ものぐさ根菜」であるはずが
ない。....ジャガイモは本物を代替したわけじゃない。無論、パンの代替でもない。貧しい人間にとって、食べ物は全て尊敬に値した

228.p(豊かさとともに、我々はこの気持を忘れてしまったな。そのしっぺ返しはどういう形で受けるかな?)
・そのくせ、アイルランドにとって(19世紀の半ば、国の人口の四割の人々がジャガイモを唯一の食べ物にしていた)、ジャガイモは
食べ物以上の存在だった。「1845年以前からジャガイモは資本であり、賃金であり、生計の基本であり、小作農が地代を支払う原資
だった。ジャガイモは、土地の保有権や婚姻による不動産継承権などの諸問題を解決する社会的「通貨」でもあった。つまり、ジャガイモは、
いかに頼りなくとも、生活を継続する上での保証だった
」249.p(下線部は、原書にはただmarriage settlemennt と書かれており、単に
婚姻契約保証ないし結納金のようなもんじゃないのかな?貧困層の結婚に「不動産継承権」云々は相応しくないような感じ。)
・その結果、1845-51年に疫病が蔓延し、ジャガイモが壊滅的被害をうけるとともにアイルランド国民も壊滅的打撃を受けざるを得なかった。
大飢饉の前、アイルランドの推定人口は820万だった。病死ではなく飢饉による餓死者がどれほどの数にのぼるか、よくわかっていない。
....この時期の餓死者を100万とする点では(ほとんどの歴史家が)一致している。これには、この数年間にアイルランドを出国した移民
130万のうち途中で死亡した人数は含まれていない。....この時期と、約500万人がアイルランドから移民として出て行ったその後の
60年の間に、アイルランドの人口は1911年時点で440万に激減している。
」254.p
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by agsanissi | 2011-01-25 18:34 | 日々雑纂
2011年 01月 24日

日々雑纂

筋トレものの解説を見ると、筋を縮めるとき「息を吐く」、または「立ち上がるとき・腕を伸ばすとき、息を吐く」と書いてある。何故か?
・その理由を書いてあるものを、見たことがない。ヒント、「糖尿病の解決」に「迷走神経が適切に働いているときは、吸気と呼気の間
での心拍数にかなりの差が出るはずである。....非糖尿病者では心拍数は深い吸気で増え、深い呼気で減る
」67.p⇒この場合、
吸気で血圧は下がり、逆に呼気で上がるのか?とすると、急に「立ち上がる」と血圧は下がり気味になるが、息を大きく吐き出して
血圧の物理的低下に対して生理的にバランスをとるため、ということになる。腕立て伏せの場合は、どうなの??
・日本救急医学会の「迷走神経反射」の解説に「ストレス,強い疼痛,排泄,腹部内臓疾患などによる刺激が迷走神経求心枝を介して,
脳幹血管運動中枢を刺激し,心拍数の低下や血管拡張による血圧低下などをきたす生理的反応
」とある。「迷走神経の過緊張により
一過性の心停止をきたし失神することもある(迷走神経性発作vagal attack)
」(参照)ともある。⇒どういう場合に、過緊張をきたす?

c0048643_823357.jpgじゃがいもが世界を救った」の著者は「はじめに」で「過去400年に
わたり、西欧社会はジャガイモを恐れ、疑い、侮り、嘲笑してきた。....
1570年にスペイン人がこれを初めて南米ペルーから持ち帰った時も
事情はまったく同じだった。しかし、18世紀末以降、ジャガイモは急速に
力をつけ、時間、空間、労働、土地、燃料、収入など様々な問題を解決し、
あるいはこれに影響を与え始める。ついには、これなしには人々の生存
すら図りがたくなる。....この過程を語ることは西欧社会の機能の変遷を
語ることに他ならない
」と書いている。
・19世紀半ば、アイルランドの諺に「豚が地代を支払い、ジャガイモが
豚とその主人を食わせる」
・歴史家O・バークによると、1845年のアイルランドでは330万の人々、
すなわち人口の約40%がジャガイモだけで生きていた。農村社会では
平均して一人が年に1トン以上のジャガイモを消費していた。

・仮に、現在のジャガイモと同じだけの栄養成分があったとして計算して
みると、1日当たり2.7キロで2000カロリー強、タンパク質が8%、脂肪
分が1%強、でんぷん質への依存度が9割強ということになる。
・これを幕末の長州藩の調査と比べてみると、アイルランド農民の食事
にも、時にラードやベーコン・バターが加わったと仮定すれば、庶民の
食事は糖質中心で、タンパク質・脂質が1割弱、総カロリー摂取が1900~2000Cal前後ということになるのかな?

県産野菜、リレー出荷 農業法人などで構成の「ACC」(岩手日報、11/01/10の記事から)
「県内の農業法人など10組織で構成するアグリ・コラボ・サークル(ACC)は2011年から、会員による加工・業務用野菜のリレー出荷を本格的に
始める。県産野菜は冬に出荷がストップすることが課題だったが、産地が出荷時期をずらすなどして連携。通年での安定供給を実現し、学校給食
や外食産業などへの販路開拓と定着を目指す。集荷業者任せだった加工・流通に生産者が取り組む6次産業化事例としても注目される。
 ACCは10年6月に設立。奥州市から洋野町までの農業法人や野菜加工会社などが参加する。会員が生産する作物は計29品目、栽培面積
は計170ヘクタール。県の6次産業化チャレンジ支援事業にも採択された。
 10年は、会員で学校給食や外食産業などに野菜を配送する盛岡食材加工センター(盛岡市)へジャガイモやキャベツなどを供給。同センターで
野菜の県産利用率は08年度が14%、09年度が23%だったが、ACCの供給で30%に近づく見込みだ。」

(下線部は、ちょっと変な表現だが、そのママ転載)
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by agsanissi | 2011-01-24 08:04 | 日々雑纂
2011年 01月 23日

日々雑纂

c0048643_8584711.jpg・「じゃがいもが世界を救った」から。世紀の中頃までに、重要度で第二位の食材は
茹でるかまたはローストしたじゃがいもだった。1832年にマンチェスターを調査したドクターは
こう書いている。
「労働者のランチはじゃがいもで、これにバターやラードがかけてある。ベーコンのフライを数片
味付けで添えることもある。しかし、肉がつくことは滅多にない。食べ物は大皿に盛られ、全員が
スプーンでこれを攻撃し、たちまち平らげる。夕食は紅茶とパンとじゃがいもまたはオートミールだ」。
・肉の演ずる役割は概して小さい。肉はたいていベーコンで、都市部での第三の食材だった。
世紀中頃のロンドンの住民は、食肉店の生肉を切望したが、結局はベーコンで妥協した。彼が
面接した織物工の家族は「動物の肉」を週に一度食卓に載せるが、日曜日の習慣とされる
ローストビーフは食べたことなしと答えた。傘作り職人はこれよりいくらか増しだった。六人の
家族で週に約3キロの肉を食べるとのこと。但し、上肉ではない


・「江戸時代の米食」(全集「日本の食文化」第三巻所収)の冒頭で鬼頭宏さんが、こう書いている。
日本人の米食については、二つの相矛盾する常識、ないし神話が一般に受け入れられているように思わ
れる。そのひとつは、日本人は二千年来の米食民族であるというものであり、もうひとつは、それにもかか
わらず江戸時代の多くの農民が米を作りながらも、満足に食べることができなかったというものである。

・明治初期の米食率6割前後途する調査をもとに、享保・天保期の水田面積、人口、可能生産量から推計して比較的高い米食率が
18世紀初頭まで遡れるだろうと推定している。なお明治13年内務省勧農局調査の「人民常食種類比例」は国別に、米、麦、粟、稗
雑穀、甘藷、里芋、蔬菜、木の実、昆布の10種類の「常食」物の摂取割合を調査公表している。

・今朝の日経新聞の付録(というのかな?)に「マメの生命力」という記事が載っている。「大豆や落花生など根粒菌が付くマメ科植物を
他の作物と一緒に植えたり交互に植えたりすることで、農薬も肥料も使わない自然栽培を実現している」という話が出てくる。この畑の
土壌分析をやった杉山修一教授に関心を持ち、検索してみた。
・興味ふかい記事が二件出てきた。一つは「現代農業」07年11月号の記事:「無肥料栽培のリンゴ」はなぜ可能なのか
自然栽培では、チッソはダイズなどのマメ科植物を植えて、マメ科植物の根粒菌による空中チッソ固定作用を利用している。その植え付け
時の判断法は次のようである。
・一株のダイズに根こぶ(根粒菌)が10個以下なら、その土壌はチッソ成分が十分なので、次の作付けにはマメ科植物は植えない。
・根こぶが30個以上なら、その土地にチッソが不足しているから、次の作付けにはまたマメ科植物を植える。
この判断法で実際に自然栽培は成功している。

ここにも杉山教授の慣行栽培との土壌分析結果の比較が出ているが、遜色がないというより、むしろ優れている。
・もうひとつは「根分泌物質を介した植物と土壌微生物の相互関係に関する研究」(参照)と題する杉山教授の研究。
研究概要は、
(1)イネ科,マメ科,キク科,アブラナ科に属する作物4科22種について,根から分泌する糖類を定量的に解析した。人工気象室でポットにシリカサンドをつめ各種を栽培し,5〜6回定期的にサンプリングし,シリカサンドに分泌された糖をエタノールで回収し,エバポレーターで濃縮後,HPLCにより,糖の組成と各糖の量を定量した。分泌糖量と各収穫時の根乾物重は高い相関を示したので,両者の回帰を求め,その傾き(回帰係数)を根分泌糖量の指標として比較した。 (2)生育初期には,根からソルビトールが分泌されたが,根の生長が指数関数的に増える頃には,分泌糖がグルコースとフルクトースに変化し,ソルビトールの分泌は見られなかった。ラフィノースは,マメ科に見られたが,その他の科の作物には検出できなかった。 (3)科間には,分泌糖量に大きな差が見られ,マメ科が最も量が多く,次いでイネ科,キク科,アブラナ科となった。特にアブラナ科では,生育が増しても糖の増加は顕著に見られなかった。科間の差は,根における土壌微生物の共生関係と密接に関係しており,根粒菌と菌根菌と共生関係を持つマメ科で分泌糖量は最高に,土壌部生物と共生関係をもたないアブラナ科で最小となった。 (4)施与肥料を低くして栽培したところ,葉に蓄積された炭水化物や根の量が低下したにもかかわらず,分泌糖量は増加した。このことで,植物は根から糖を受動的に分泌しているのでなく,能動的に分泌していることが示唆された
というもの。
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by agsanissi | 2011-01-23 09:27 | ジャガイモ
2011年 01月 22日

日々雑纂

・「統計データはおもしろい!」にNHKライブラリー「人間は何を食べてきたか」(ジブリ学術ライブラリー)が面白いと紹介されていて、
遅ればせながら第2巻第4集「アンデスの贈りもの-ジャガイモ-」をみた。特に新しい知見はなかったけれど、厳しい自然の中で
生きる糧を得る営みそのものに対する厳かな姿勢、神と大地(僕は自然と読み替えるけれど)に捧げる感謝の姿勢に感動を覚えた。
この素朴な感謝の気持ち、今年もまた収穫できたという素朴な喜びと感動を、(大量生産ゆえに)僕たちは忘れてはいないか?
・ついでに「ジャガイモとインカ帝国」(山本紀夫、東大出版会/2004年)を読んでみた。冒頭に「マヤやアステカ、インカなどのいわゆる
新大陸文明はトウモロコシ農耕を基礎に成立、発展したと云われる。そのため、新大陸文明はトウモロコシ文明といわれることさえ
ある
」と書いてある。おや、そうだったかしら?!と思って、昔、自分が書いたものを(ジャガイモの社会文化史抄/その2参照)読ん
でみた。(ちなみに山本氏の説は、インカ文明は「ジャガイモを主食としたジャガイモ文明だった」という趣旨)
・安田徳太郎の「人間の歴史」の記述をもとに「メキシコを中心としたマヤ文明がトウモロコシ文明であるとすれば、ペルーを中心とした
インカ文明はジャガイモ文明であった。ちなみに、ジャガイモは海抜4500メートルまで育つが、トウモロコシは海抜3300メートルより
高い高地では育たない(「世界を変えた野菜読本」50ページ)。インカ国の首都クスコは海抜3500メートルにあり、インカ文明の発祥地
ではないかとされるチチカカ湖は海抜3800メートルにあります。
というわけで、インカ文明はジャガイモによって栄えた典型的な高地文明。」
と書いてあるではないか。
・「ジャガイモが主食だ」というと、今では反射的に「それで民族総糖尿病にならなかったのか?」と考えてしまう。何しろ「糖尿病患者の
大部分にとって、調理したポテトは甘い味では全くないのに純粋なブドウ糖なみに速やかに血糖値を上げる
」(「糖尿病の解決」117.p)
と書いてある。
・仮に水煮したジャガイモ100グラムでは、73Calで糖質が15.3グラム。フライドポテト100グラムだと237Calで糖質29.3グラムになる。
同じ調理済み100グラムなのにカロリーが3倍以上になるのは油のせいだけれど、同時に水分がとんで糖質分が凝縮された格好に
なるからだ。しかも糖質の吸収も速くなるから、糖尿病者ならそれこそロケット並みに血糖値が上昇する。単純に計算してみると
体重52キロの人がフライドポテト100グラムを食べると、約+180mg/dlの血糖値上昇の負荷になる。事実、フライドポテト5-6本を摘ま
んで食後2時間の血糖値が190にもなって驚いたことがある。
・ところで「民族総糖尿病にならなかったのか」という点だが、日本人だって、最近まで7~8割以上は糖質に依存していたのだから(栄養
のバランスなどと贅沢なことを言えるのは、歴史的に見れば「極めて特異な現象だ」)同じ問題を抱えていたはずだ。考えられる可能性は
二点ある。①見合うだけの激しい労働をした。②糖尿病のマイナス症状が現れるまで長生きできなかった。

・昔、まだ小学生だったか、中学生の頃、「地球外生命はあるか?」という話題で、酸素(だか大気だか)がないから駄目だという話を
読んで「地球外には、その環境に応じて酸素以外の元素を生命活動の基本にする生命があっておかしくないのじゃないか」と思った
ことがある。無知な子どもの想像に過ぎなかったけれど....。そんな空想を裏付けるかも知れない報道。
米航空宇宙局(NASA)などの研究グループは、生命の維持に不可欠な元素がなくても生きられる細菌を発見した。生命の必須元素
の一つであるリンがない環境だと猛毒のヒ素を食べて体の一部を作る細菌で、米国の塩水湖に生息していた。既知の地球の生物とは
全く異質な生命体で、生物の常識を書き換える成果。リンのない天体でも生命の存在する可能性が考えられ、地球外生命体を巡る
議論も活発になりそうだ。
」というもの。⇒参照
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by agsanissi | 2011-01-22 10:22 | ジャガイモ
2011年 01月 21日

日々雑纂

・昨日の「The China Study」の糖質制限食の記事に関連して
・「ドクター江部の糖尿病徒然日記」に「米国糖尿病食事療法の変遷」(参照)という記事が載っている。1900年代初期から最近までの
糖質制限食の変遷が載っている。興味深いポイントを紹介しておくと、
・糖尿病学の父と呼ばれるジョスリン博士が執筆された「ジョスリン糖尿病学」の初版は1916年出版ですが、炭水化物は総摂取カロリーの
20%が標準
と記載してあります。
・(その後、インスリンが抽出され)インスリンを注射しておけば糖質を摂取しても血糖値が上昇しないことが、徐々に周知されるようになりました。
その結果、正常人なみに糖質を食べても、インスリンさえ打っておけばいいという流れとなっていき、米国糖尿人の糖質摂取量は徐々に増えて
いきました。
・1950年のガイドラインでは炭水化物40%を推奨。
1971年のガイドラインでは炭水化物45%に増えました。
1986年のガイドラインでさらに炭水化物60%と増加。
1994年のガイドラインでは、総摂取カロリーに対してタンパク質10~20%という規定がありますが、炭水化物・脂質の規定はなくなりました。
・2007年以前の栄養勧告では、全て低糖質食に否定的な見解でした。
・現在米国では
①従来のカロリー制限食(糖質60%)→日本糖尿病学会推奨の糖尿病食と同じ
②糖質管理食(糖質の摂取量を計算し、インスリンの量を決めるなどに役立つ)
③地中海食(オリーブオイルたっぷりで脂質が多い)
④低糖質食(糖質制限食)、の4つの選択肢があります。

④は、バーンスタイン医師の推奨する、糖質摂取を「朝6g、昼12g、夕12g」
という厳しいパターン(糖質が総摂取カロリーの10%以下)と
総摂取カロリーの40%ていどが糖質という緩いパターンまで幅があります。
(下線や強調は引用者=僕のもの)

・「食事と運動療法だけで血糖値は管理できる」というと、本は売れても、そんなことでは医薬・医療産業は繁栄しないし、新薬開発に結び
つかなければ糖尿病の研究さえおぼつかない。だから(と言って良いかどうか)「糖尿病治療ガイド」には、食事と運動療法が基本だとは
書いてあるけれど、(医者の)糖尿病治療は血糖降下剤やインスリンの処方を前提にしている。プラス「食事・運動療法」ということになる。
・仮に「糖質が総摂取カロリーの10%以下」+「かなりの運動量」を前提に、血糖降下剤を併用すれば、相当の重症患者でなければ低血糖
の危険がある(と、僕自身の経験でわかる)。急性では高血糖より低血糖のほうが危険があるし、昔は、血糖降下剤やインスリンによる
(低血糖の)死亡例がかなりあった。そんな経緯を考えると、一般にあまり厳しい糖質制限を課さない理由もうなずける。
・僕のように、病院の世話になるのは3ヶ月に一度の血液検査だけ。「他は薬剤も何もなし」となると、運動を前提にHgA1cを適正値まで
下げるには、どの程度「糖質を制限すればよいか」という考え方に、自ずからなる。ところで適正値を5.2以下とするか、4.8~5.3とするか、
それとも食後2時間値の血糖値で判断するのが良いか??(空腹時血糖値は合併症予防の立場からは当てにならないな。)

・「40年周期」説からいうと、後半の40年のうち六割が過ぎた。戦前を振り返ってみると日露戦争から26年というと満州事変の年だ。それ以前
は(第一次大戦の)戦後恐慌、震災に伴う震災手形の乱発、金融恐慌、世界恐慌と経済的激動が続いたが、後半の14年は軍事的・政治的
激動に揺れた
。前半の経済的激動に対する政治的対応の無能ぶり(与野党間の足の引っ張り合いと醜い党派争い)に対する怒りが軍部への
国民的期待を高め、中堅幹部の独断専行をよしとする空気を醸成した。アナロジーがそのまま通用するとは思わないけれど、比べると現在の
政治は「気の抜けたビール」のような眠気を誘う。嵐の前の静けさ??国民的輿望を担いうる勢力はないけれど.....。
・「フーシェ革命暦」Ⅲ巻は、バスティーユ襲撃からルイ16世のパリ逃亡までを扱っている。主人公のフーシェその人はオラトリオ派修道院の
付属学院の物理化学の教師を止めて国政に打って出ようか決意したばかり。その華麗な転身の第一歩を踏み出そうかどうかというところで
終わっている。この時期のフランスにも、J・リードの「世界をゆるがした10日間」を読んでも、文久年間の幕末の歴史を調べても、ゴルバチョフ
末期のソ連をみても社会の根底から沸き立つような変革の嵐が吹いている。余程けちな風だとしても、民主党政権の前夜にはそんな風が
感じられた。「そろそろですね。世代的な転換と、価値観の転換を起こすべきときは」と中川氏は言うものの(「そうあるべき」というベキ論として
は同意するものの)、なにか独りよがりの力みを感じる。尤も、このくらいでないと政治家など、阿呆臭くてやってられないけれど....。
・所詮は「政界・官界」というコップの中の変化に過ぎない。地方への抜本的な権限の移譲を前提とした政治・経済・外交・軍事の根本的
転換をはかる気概を持たなければ戦後の制度疲労が骨の髄まで染み込んでいるような気がする。
・代謝異常ゆえに「糖尿病による高血糖の影響を逃れる身体の組織はたぶん一つもない」(「バーンスタイン博士の糖尿病の解決」47.p)のと
同じように、制度疲労は政界・官界のみならず、社会の隅々まで行き渡っているかのようだ。
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by agsanissi | 2011-01-21 08:49 | 日々雑纂