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2012年 01月 21日

日々雑纂

・暗い、7時ころまでは雨は降っていなかったが、再び降り始める。特に厚い雨雲ではないが、列島全域が雲に覆われている。
午後になって、やや雨脚は強まる。
・昨夜読み始めた【老嬢】は一気に読了。「解説」にあるように「その筋だけを取り出してみると、俗悪なメロドラマに過ぎなくなってしまう」
の通りだが、筋なんかはどうでも良い。ともかく面白い。楽想はロクでもないが、奏でる音が惹きつけずにはおかないシンフォニーのような
もんだ。
・ちょっとした片言隻語のなかに、革命の動乱からナポレオンの帝政を経て王政復古に至る1820-30年代のフランスの紆余曲折の様
が映し出されている。
・「コルモン家はデュ・ブスキエの巧妙な指導のもとに、あの、真に自由主義的でもなければ、はっきりとした王党派でもないという始末の
悪い見解を代表することになった。極めて尊厳で、極めて偉大で、唯一の真の権力すなわち王権と、およそまやかしで、甚だ変わりやすく、
極めて圧制的な権力、すなわち選挙による議会が行使する、いわゆる議会勢力との間の闘争が明確な形を取った暁に、「221人議員」を
生み出した政治的見解である

・「共和主義思想というのは、最初の若気の過ちなのです。若い時は自由を求めながら、見出すのは最も恐るべき独裁政治、つまり無能
な衆愚の独裁政治なのです

・【断腸亭日乗】には、毎日のように銀座や玉の井に通う話が出てくる。今の銀座は知らないけれど、50-60年前の銀座なら(兄が一時
銀座付近に住んでいた関係で)、多少は知っている。が、「玉の井」となると荷風の日記から大体の見当はつくがイメージがわかない。
・今和次郎の【新版大東京案内】(昭和四年に中央公論社から出版された本の復刻版、批評社刊)に「私娼街」として亀戸、玉の井が
紹介されている。「玉の井は、浅草駅から二つ目の停車場玉ノ井から北ニ三丁の一円を占めている。亀戸も玉の井も、暗黒街の名に恥じ
ず、まるでトンネルを潜るような暗いジメジメした通りから成り立っている。広くて九尺、多くは六尺幅の道、甚だしいのはやっと人が歩ける
三四尺幅の道の両側に、その暗い家がズラリと並んでいるのだ。その露地、小路の多いこと、一度迷い込んだら、明るい娑婆には出られ
そうもない感じ....、そういう中に二千人の私娼が、その青白い笑いを売っているのだ
」239p
・昭和四年というと、関東大震災から6年、昭和の金融恐慌から2年、昭和三年には関東軍の画策した張作霖爆殺事件が起こり、議会では
「満州某重大事件」として政府の責任が追求され、責任を負った田中内閣は総辞職、代わった濱口内閣は年来の金解禁に備えた厳しい
緊縮財政に踏み切るなど年表からは、暗い・沈んだイメージの東京が想像される。一方、今の「大東京案内」からは、猥雑で・混沌とした・
活気に満ちた伸び行く東京の実相が浮かび上がってくる。ここには、いわゆる「昭和史」などからは窺い知れない姿が垣間見える。
・といって、もち論、苦悶の姿がないわけではない。「恐慌時代」として、こんな指摘もある。
なぜ花柳界が苦悶をする。それは言うまでもない日を追って発展するカフェーやバーの圧迫、取り分け激しかった昭和四年の夏枯れに
加えて、濱口内閣の高圧的緊縮政策という風で、まるで花柳界は三方から詰め腹でも切らされそうになったことである。
...云々」

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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-21 10:21 | 日々雑纂
2012年 01月 20日

日々雑纂

・窓ガラスを揺らす音頻り、やや風がある。4時頃、外を時折通る車の音に、既に雨の降る気配が感じられる。早朝「雪」の予報が出ていたが、
5時のアメダス気温(さいたま市)は0.5度、昨日はこの時間△2度だったから、やや高め、雪にはならぬか。3時の天気図では低気圧の中心は
四国沖にあって東に進んでいる。予報ほどには北上せず、関東地方の雨も長続きはしないか。
・6時前から霙から雪に、再び霙。昼過ぎに雨雲本体は既に洋上に抜けているが、降ったり止んだり。時々大粒の雪に変わる。当て外れ!!
・16時現在、依然として(スッカリ雨に変わったが)小降り続き、「長続きしない」見通しはまったくの当て外れ。一歩も外に出ず、只管読書。
16時までの活動エネルギー175、歩行数530だと。日曜日まで雨がちだとすると、ちょっと今週は深刻だね。
・お陰で鳥居民の二冊と「現代日本記録全集」第22巻所収の松前重義【二等兵記】の三冊を読了する。鳥居民について、昨日「貴重だとは
思うものの、煩雑にすぎるというか、波長が合わないというか二冊目以降はまだ読んでいない」と書いたけれど、要するに細部にこだわりすぎて
大道を見失っている
、点が「波長が合わない」ポイントだな。歴史読み物としてはそれで良いとしても、歴史観としては幼稚にすぎる。尤も、
「読み物」としては登場人物の躍動感に欠ける。筆者の強い思い入れにもかかわらず読み手は退屈してしまう。
・【二等兵記】は面白いが、同時代の人間(政治&軍事の指導層を含めて)が、戦争の実態・戦力の実態を、どの程度認識していたのか、或い
は認識していなかったのか、同時代の記録を通して押さえておく必要を感じる。この点、高木日記・細川日記・暗黒日記などは貴重。
・他に「バルザック全集」第8巻所収の【ゴリオ爺さん】を、去年から読んでいるが、やっと読み終わる。一言で言って「どうでも良い」というか、
娘を溺愛して全財産を注ぎ込み、自分は裏町の寂れた下宿屋に一人孤独に生活しながら娘達の社交界での華やかなデビュウの姿を垣間見る
ことで自分のいかなる困苦や犠牲も一瞬にして癒されるという類のヘンテコリンな父性愛、自分は娘達からあっさり見捨てられてしまうのだから、
一方的な・献身的愛ということになるのだが、そんなものがテーマだ。何年ぶりかで読んだが、面白くもないな。バルザックの中では愚作だ。
・次の【老嬢】は、面白い。


消費税引き上げ
・野口悠紀雄氏が「週間ダイアモンド」(12/1/19号、参照)に「消費税率の引き上げで財政再建ができるか?」を書いておられる。要するに、
結論は「出来ない」のだが、実証的で面白い。

今年の中国の見通し
・《田中耕太郎の「坂の上に雲はない!」》(週間ダイアモンド、12/1/20号、参照)から
「中国は習近平氏に政権が移行するが、胡錦濤氏時代より集団的指導体制が強化される見込みだ。強権的国家資本主義とみられる中国だが、
実は指導部内では非常に民主的
。誰一人として絶対的主導力を持たず、習氏も重要課題に対しては平等な一票しかない。とくに政権移行期に
あたる今年は、中国新指導部は安全運転に徹すると見られ、現体制と全く違ったアプローチを見せることは考えにくい。」
「最近まで、沿岸部から内陸部まで過剰なインフラ整備が続いたことを「バブル崩壊の危機へ向かう」と指摘する声が多い。もちろん、多少の
バブルがはじける可能性はあるが、今年の中国なら、その悪影響を排除するに十分な手段と資産(財政力含め)を持っている。もし危機に陥れ
ば、それらを総動員して対処するだろう。」


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by agsanissi | 2012-01-20 05:51 | 日々雑纂
2012年 01月 19日

日々雑纂

c0048643_9571579.jpg・比較的良い天候は、今日の午前中いっぱいだろうか。「良い」と
いっても、既に朝から陽射しの影は薄くなっている。明日後半から
日曜日にかけて時々雨の予報で、降れば三十数日ぶりの雨という
ことになる。日本海側は「記録的な」大雪だそうだが、太平洋側は
青森から九州に至るまで過去30日間の降水量は平年値の20%
以下とか。

・陽射しのあるうちにと、午前中、散歩に出る。元荒川沿いに旧16号
まででて、ちょっと旧道の沿道を歩いて、そこから閑静な住宅街に
退避して、迷路のような住宅街の中を俯瞰もならず、ウロウロ抜けて
城址公園に入る。城址公園脇では、去年までは、かなり大掛かりな
縄文遺跡の発掘調査をやっていて、やがてここに遺跡博物館を建設
するような施設計画の看板が立っていたが、財政難で果たして中止
になったのかどうなのか、いまは調査の痕跡さえもなく、ただロープ
で囲っただけの空き地に変わっている。

・公園内には、小さなアスレチック施設があって、幼児を連れた母親と
トレパン姿の老人、サイクリング車を脇においた青年だけがいた。
何十年ぶりかで、ふとその気になって丸太渡りをやってみた。
・山登りをやらなくなって三十年以上、沢登り・岩登りとなると四十年以上はやってない。平衡感覚は今でも確かだろうか?
・ヨガの一本立ちのポーズは、2-3分は続けられるから、多分、丸太の上でも大丈夫とは思うものの、高い丸太の上を歩くとなるとどうか?
・最初は膝くらいの高さ、おや行けそうだ。一度目はちょっとふらついたけれど、二度三度渡るうちに安定してきた。これならと、今度は、櫓の
上の高さ3㍍位の上に渡してある丸太の上に立ってみた。「行けそうだな」とは思ったが、落ちたら難儀だなと思って止めた。
・図書館によって予約しておいた本三冊を借りてくる。鳥居民の【日米開戦の謎】および【近衛文麿「黙」して死す】、近衛文麿の秘書官
だった細川護貞の【細川日記】。
・鳥居民、この人の【昭和二十年】は一冊だけ読んだことがある。昭和二十年の一年間だけを十数冊のシリーズで書いておられる。貴重だと
は思うものの、煩雑にすぎるというか、波長が合わないというか二冊目以降はまだ読んでいない。昭和四年生まれで、敗戦の年16歳だった
この人の「戦争」(開戦から敗戦に至るまでの)に対する異常とも言えるほどの執念を支えているものは何だろうかと時々考える。
・僕は、ある時期まで「(日本の)政治的危機下での意思決定」という問題をテーマにしていて(今では、そんなことお天気程度の関心しかない
し、ほとんど研究する価値もないと思っているけれど)、幕末の政治外交史と太平洋戦争期の政治史を勉強していたことがある。そのせいか
時々、思い出したように読んでみたくなることがある。【細川日記】は、三十年以上前に何度も読んだけれど、高木日記、矢部日記、東条暗殺
計画と突き合わせてみたくなって借りてきた。

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by agsanissi | 2012-01-19 10:00 | 日々雑纂
2012年 01月 18日

日々雑纂

・昨日から吉川英治【親鸞】を読み始める。糖尿病および心臓病の研究書を別にすれば、もとよりなにか系統だった読書をしているわけではない。
気の向くまま、興に乗るに任せて乱雑に読み散らしているに過ぎない。突然、親鸞を読み始めたのは、別段、何かの発心あってのことではない。
・【矢部貞治日記】(銀杏の巻)に、昭和15年末から翌年正月にかけて「親鸞」を読んだ記録があり、16/01/01にこんなことが書いてある。
僕は炬燵で「親鸞」を読み耽った。女人との煩悩のくだり心打つものがあり、求道の欣求と、それを黒谷の市井に見出すあたり、学問の道に
志すものにも示唆が深い。特に僕は、自己の地位と、不断に心に蟠る学問の惑いの間に、教示深く読んだ。何かしら、生の人間にとっての仏法
の教えがますます心にかかるのである。人の実相を離れて真理はない

・もう、何十年も前のことだが丹羽文雄の「親鸞」を一部だけ読んで関心を持ったことがあり、いつか読みたいなと思っていた心が
「求道の欣求と、それを黒谷の市井に見出す」云々の一句に、にわかに惹かれて読み始めた。
・日本の仏教は、鎌倉時代になって初めて民衆宗教として花開いたという漠然とした思いがあるだけで、僕は鎌倉仏教については何も知らない。
・親鸞については「妻帯」でつとに知られている。が、その「妻帯」行為が、当時の仏教界にどれほどの衝撃を与えたか、そもそも何故そのような
行為に及んだか、その意味は何か等、考えたことはなかった。この場合、「考える」とは、その時代に・親鸞の置かれた立場・彼が生活した環境
に自らを置いて「考える」ということだ。吉川英治は、これを見事に・活き活きと・活写している。
・青年親鸞が、自らの煩悩に苛まされ、生死の境を彷徨う難行の末、思い余って黒谷の法然を訪ね赤裸な懺悔を吐き出す場面、
法然は終始じいっと眦をふさいで聞いていたが、やがて半眼に開いた眼には同情の光がいっぱいあふれていた。いじらしげに、29歳の青年の
惨たる求法の旅の姿を見るのであった。ひたむきに難行道の険路にかかって、現在の因習仏教の矛盾と戦い、社会と法門の間の混濁を泳ぎ
抜き、さらにその旺な情熱と肉体とは、女性との恋愛問題とぶつかって、死ぬか、生きるかのー肉体的にも精神的にも、まったく、荊棘と暗黒の
なかに立って、どう行くべきか、僧として、人間として、その方向さえ失っているというのである。.....
『わたしは、遂に、だめな人間でしょうか。忌憚なく仰ってください』....
『あなたは、選まれた人だと私は思う。この人間界に・五百年に一度か、千年に一度しか生まれないものの内のお一人だと思う』....
『お寛ぎなさい。もっと楽な気持ちにおなりなさい。....自力難行の従来の道にある人が、一番怠っているその自力を出すことと難行を嫌うことで
した。それへあなたは真向にぶつかっていった。そして当然な矛盾に突き当たったのです。けれど、今のつき当たった境地こそ実に尊いものです』

(全集版233p)
・親鸞から、姫を「妻に頂きたい」との懇望をうけた前関白九条兼実はその議を一族に諮り、当然のように猛反対を受け、思い余った末、やはり
法然を訪ね、愚者も悪者も、聖人も俗人も、一切他力本願、念仏によって救われるとする念仏門への疑念を質す場面。
『.....では何故、僧は妻をもたぬか、肉を忌むかということに考え至るからです』
『いと易いお尋ねじゃ、それらの行はすべて、修行の障りとなるために、自力を頼んで排した難行道の相なのです、他力易行の門には敢てない
ことじゃ、有るがままの相に任せておくのみで、こうあれと強いるとことは既に難行道になろう。
(同、264p、下線は引用者)
・「妻帯」という、いかにも自然の行為が当時の仏教界において、いかに破天荒な革命的行為であったか、それを決断するに至るまでの親鸞の
苦悩がいかに深いものであったか、いってみれば世間の常識という、単なる人間界の便宜的・一時的な約束事(いわゆる科学的認識も、敢て
含めて)を覆すことが、いかに困難な荒業であるかを見事に描き出している。
・昔、吉川英治の【新平家物語】を通じて初めて平家の歴史的役割が肉感を以て理解できたような思いをしたことがあるが、小説【親鸞】を通して
鎌倉仏教の実相にいくらか触れ得たかの印象を持つ。
・「救われる」という思い、その切実さは昨年の三陸大津波のような大災害が日常茶飯の出来事としてあり、人間の生き死に・生き別れ・家族の
生死不明、天変地異などが相次いで生起する世の中(「方丈記」の冒頭を読むと、そんな世の中が想われる)を想像してみれば、多少でもその
実相に迫り得るだろうか。
・同時に、法然・親鸞の行く末を思えば、当時の一般庶民の反応はともあれ、権威社会(比叡山他既存仏教界およびその思想的影響下にあった
上流・貴族社会)が、いかに愚劣な反応しか示しえないか、どんなにそれが道理に反する行為であれ、それが権威社会の”自然の”反応に過ぎ
ないか、数百年・千年たとうがこの反応に、大した変化はなさそうだと見極めがつくと、いくらかでも淡々と生きられるだろうか。

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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-18 18:38 | 日々雑纂
2012年 01月 17日

日々雑纂

・2時前に起きる。乾布摩擦やヨガポーズを半時間、その後体重を測ってみる、52.6㌔、先週一週間の総エネルギー消費量は1600台に落ちて
いるが、体重が殆ど変わらないところを見ると、収支バランスはとんトントンと云うことになる。去年までは、埼玉に戻ったときは2㌔程度増えて、
岩手に帰って元に戻ると云うパターンだったが、結局、「腹七分目」(時間かけてユックリ食べて、空腹を感じなくなったら止める)方針が効いてい
るようだ。何よりも血糖値の一日の変動幅(偏差値)を最小化出来る。
・バーンスタイン医師は、その著書(参照)の第7章「The Laws of Small Numbers」の冒頭に、こんなことを書いている。
 Big imputs make big mistakes;small imputs make small mistakes.That is the first thing....would say to himself
each morning on arising.It was his mantra,the single most important thing he knew about diabetes.
(下線は引用者)

・昨夕から読み始めた【矢部貞治日記】昭和15年分を読了。「どうしても」というようなもんではないが、側面史料として面白い。12/06(376p)に
こんなことが書いてある。
・「どうも近衛の弱体にもほとほと愛想が尽きる。黒竜会あたりで家長選挙を言い出し、新体制反対の倒閣運動があったといえば、もうこんな所
で妥協している。暗黒政治だ。弱体だ。

・矢部の編纂した【近衛文麿】(要約版の光人社文庫しか読んでないが)には、こんな話は絶対に出てこない。他にも後藤隆之助は肝は座って
いるけれど「頭が悪い」なんて書いてあって、面白い。ただ近衛の弱体は、お公家さんという性格的なものもあるが、陸軍にそっぽを向かれたら
何もできない体制的な弱体、要するに「天皇の統帥権」を盾に一種の独立政府を作っている(事実上の二重政権)状態にメスを入れられない点に
国家システムとしての根源的弱体がある。西園寺なんかは、近衛が「軍人にも人気がある」ということで、近衛の影響力で陸軍を掣肘したいと
(または出来ると)期待するけれど、陸軍の中堅幹部は近衛の国民的人気を利用して「一国一党」体制を作って、文字通り陸軍の思うままの
政治的方向に「国民精神総動員」を考えている。それで思うままに行かないと「軍の統帥権」に容喙するのかと駄々っ子のような理屈でゴネるわけ
で、これには天皇以外には一指も触れられない。天皇自身はどうかというと、基本的には立憲君主という建前で政府及び軍部の夫々の指揮権に
任せるという体裁をとっていて(個々の政策に介入して結果責任を取らされるのを防ぐという意味もある)、西園寺もそういう立場を奨めている。
・軍事というのは、あくまでも外交戦略の一部ないし延長であって、政府の統制下で働かなければ暴力装置だけが頭脳の制御なしに勝手に乱暴
を働くようなもんで、周囲とトラブルが起きなければ却って不思議なくらいだ。第2次近衛内閣の時は軍事だけじゃない、外交も松岡の強烈な個性
に引っ張られて勝手に動いている。別段、それも不思議ではなく個々の大臣は夫々「天皇の統治権を輔弼する」立場にあって、首相には大臣の
指揮権がない。こんな立場で日米開戦前の約半年、近衛がいくら「日米直接交渉」に開戦回避のために最後の望みをかけて「心血を注ごう」と
(その真面目さを毫も疑わないが)うまくいくわけがない。要するに頭と手足は、全く別の思惑で勝手に動いていて、しかも暴力装置は一種の
「独立」政府を作っている。(ちょっと性格は違うけれど、いまの衆参ねじれ国会も、両院がほぼ同等の権限を持っている限り、類似の自己撞着に
陥るほかはない)
・考えてみると、こういう二重権力のような状態は、日本の統治機構の中では「本質的」といっても良いほど根強く続いてきたのじゃないかと、ふと
考えてみた(ちょっと思いつきのような発想だけれど)。公地公民制と荘園制の並立がそうだし、天皇家と摂関家の関係や院政にもその傾向はある
し、守護地頭制と荘園制の並立がそうだし、幕藩体制も内部に二重権力的な対立を内包している。近代的な中央集権国家が出来るまでは世界中
そんなもんだという側面もあるが、ちょっと違うかなとの感じもする。考えてみる価値はあるかどうか??

・明け方は昨日よりも一段と重苦しい空模様だったが、次第に雲は薄くなり、上空の薄雲に変わり、9時頃から陽射しも射す。


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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-17 05:38 | 日々雑纂
2012年 01月 16日

日々雑纂

・2時前起きる、引き続き【権力と戦う...】、カルヴァンのセルヴェスとの対話及び拷問・処刑を描く場面は、余りに凄惨にして、まるでSSの
サディストの如く、ツヴァイクの創作ではないかと疑いたくなる内容。市当局の記録文書・カルヴァン自身の文書類を典拠としており疑う
べくもなく、かつ胸糞悪くなるを以て、気分転換のため荷風全集23巻を読む。【断腸亭日乗】(昭和15年~19年末)、戦況次第に困難と
なり、物資不足・思想統制などをかこつ記述がやや多く散見されるようになるも、カルヴァンの神権政治支配下のジュネーヴに比べ、その
呑気な有様はまるで天国と地獄の感有り。
【断腸亭日乗】から
昭和15年2月20日に「尿中タンパク質顕著。かつまた血圧やや高しとて、院長頻りに菜食の要あるを説く。余窃かに思う所あり。余齡
すでに六十を越えたり。希望ある世の中ならば節制節慾して残生を愉しむもまた悪しきにあらざるべし。されど今日の如き兵乱の世に
ありては長寿を保つほど悲惨あるはなし。平生好むところのものを食して天命を終わるも何の悔いるところかあらん。浅草にいたり松喜
食堂に鶏肉を食し玉の井を歩みて帰る」云々、17p⇒単に高等遊民の繰り言に過ぎず
・8/01、「街頭には贅沢は敵だと書きし立て札を出し、愛国婦人連辻々にたって通行人に触書をわたす噂有りたれば、その有様を見んと
用事を兼ねて家を出しなり」。また欄外に「贅沢は敵なりという語はロシア共産党政府樹立の際用いたる街頭宣伝語の直訳という」、54p
⇒この日、「国民精神総動員本部、東京市内に〈贅沢は敵だ!〉の立て看板1500本配置」(近代日本総合年表から)
・9/27、日独伊三国同盟締結に際し、「自ら辞を低くし腰を屈して侵略不仁の国と盟約をなす国家の恥辱これより大なるはなし其の原因
は....畢竟儒教の衰滅したるに因る云々」74p(下線は引用者)
・10/03、旧約聖書を読む。日本人排外思想の拠って来る所を究めんと欲するのみならず....云々、76p
・11/10、専ら人のうわさする巷説、「新政治家の中の末信中野橋本その他の一味は過激な共産主義者...軍人中この一味に加わるもの
少なからず。而して近衛公は過激な革命運動を防止せんと苦心しつつあり。近衛の運動費は久原小林などより寄付せし...云々」98p
・11/16、花電車、「病院内にて花電車を見たることなしと云うもの三分の二以上にて、これを知るものは四十余りの者ばかりなりとの事より
推測して、現在東京に居住するものの大半は昭和十年以後地方より移り来たりし者なることを知れリ。...今回の新政治も田舎漢のつくり
出せしものと思えばさして驚くにも及ばず。フランス革命又明治維新の変などとは全く性質と品致とを異にするものなり」101p
⇒花電車は紀元2600年祝賀行事の一環か、「新政治」とは言うまでもなく「大政翼賛会」の事。
・12月、贅沢は敵だ」の緊縮世情の中、贅沢三昧の軍人壮士の振る舞い、貧富の懸隔広がる様を風刺する戯れ詩、104、115-118p
・12月末、「今年は思いがけぬことばかり多かりし年なりき。米屋炭屋、菓子など商うもの又金物木綿などの問屋、全て手堅き商人は商売
立ちゆき難く先祖代々の家蔵を売りしものも少なからざるに、雑誌発行人芝居興行師の如き水商売をなす者一人として口腹を肥やさざるは
なし。石が浮かんで木の葉の沈むが如し」125p
昭和16年正月、「去年の秋ごろより軍人政府の専横一層甚だしく世の中遂に一変せし今日になりて見れば...不便なる自炊生活その折々
の感慨に適応し今はなかなか改めがたきまで嬉しき心地せらるること多くなり行きけり。...斯くの如き心の自由空想の自由のみはいかに
暴悪なる政府の権力とても之を束縛すること能わず」129p
年表上からは日独伊三国同盟締結、大政翼賛会発足及びそれに伴う各種団体政党の「自発的」解散、内務省図書課・警視庁検閲課
などの新聞雑誌の整理統合などの出版統制強化などが伺われるが、「軍人政府の専横」とは具体的に何を指すか。昭和15年1月に成立
した米内内閣は倒閣のため陸軍首脳部が画策した畑陸相の単独辞職に拠って総辞職に追い込まれ、代わって近衛内閣が登場した。明ら
かな陸軍の「専横」だが、このような内部事情は当時一般に知られていたか。

・5/11、市中の風聞、いろいろ;築地辺の待合料理店は引き続き軍人のお客にて繁盛一方ならず。公然輸出入禁止品を使用するのみ
ならず暴利を貪りて...」云々、168p
・6月、時局についての意見、日記のこと等、「日支今回の戦争は日本軍の張作霖暗殺及び満州侵略に始まる」云々177p
昭和17年4月、巷の噂、226事件の反乱の兵卒の戦地にて優遇せられし話、南京占領および中華人のおびただしく殺されしに、戦争の
何たるかにつての無関心等々、267p
昭和18年1/25、街談録、昭和12年より浪費した戦費の合算は支那人戦死者一人につき二千円...この度の戦争の愚劣なること..云々、
316p
・2/03、町会より本年中隔月に百五六十円債権押売のこと申し来たれリ、318p
・5/04、近県への食料品等買い出しの事、夕刻までに数千人が捉えられるが、その大半は鉄道及び郵便局の役員...云々、344p
・5/17、文学報国会、荷風の名を無断借用、菊池寛が創設し、(余の嫌悪セル)徳富蘇峰が会長、346p
・5/26、近頃物品の闇相場、349p
・9/09、上野動物園の猛獣は毒殺...帝都修羅の巷となるべきを予期..云々、379p
・9/28、10月中には米国飛行機必来襲すべしとの風説...、386p
・10/03、「世の中は星に錨に闇と顔馬鹿な人達立って行列とやら云う落首を口にする者さえなきようになりぬ、388p
・10/09、国民預金の強制勧告...390p
・12/22、世間の噂、いかほど職工を増やしても資材不足でどの軍需工場も夜間業務は中止、この様子では来年6月までには戦争は終局
...416p
・昭和19年4/10、市中至る所疎開空襲必至の貼札を見る。一昨年4月敵機来襲の後市外へ転居するものを見れば卑怯といい非国民など
と罵りしに18年冬頃より俄に疎開の語を作りだし民家離散取り払いを迫る。朝令暮改笑うべき...云々441p
・4/11、食物闇値一覧、442p
・東京の繁華は昭和八九年を以て終局を告げたるものと見るべし...455p
◆「俗と反俗は釘と金槌」
・第23巻「月報」に開高健が書いている。荷風老人は後足で砂をかけ、実人生からオリてしまった。その癖、実人生への興味津々、巷の
風説、街談に耳を済まし、日記に書き留めた。「私に云わせれば、荷風散人は決して実人生からオリ切ることが出来なかった。俗物を離れ
て反俗精神が成り立たないことは、釘を離れて金槌が存在し得ないのと同じである...云々」、この好奇心が最も良く映し出されているのが、
昭和18-19年の日記か。戦時下東京の実相の一面を映し出す良き鏡。

◆活動量計
・昨日より雲一段と厚く、黄昏時の模様いよいよ深し。先月22日以来はじめて日照ゼロ。
・散歩に出ず、終日在宅、1日から14日までの「活動量」の集計をやってみたら、1~7日間の一日の総エネルギー消費量の平均値が
1800Cal、内「活動エネルギー」は582Cal、歩行数は9400歩/日。8~14日間は夫々1670Cal、446Cal、6500歩/日。
・7日までの一週間は連日8千歩から1万歩近く歩いていたが、8日からの一週間は同じように9千歩/日歩いているが、二日間散歩
に出ない日があった。一回は、その前日、国道沿線を歩いたせいか、喉がいがらっぽく・心持ち熱もあるような感じがしたので散歩の
代わりに昼寝をした。ただ排気ガスが影響しただけで、別段、なんともないようなので翌日はまた9千歩ほど歩いた。しかし二日間の休み
で平均値がグッと下がった。「一日の活動エネルギー」だが、どのくらいの精度があるか分からないが、絶対値はともかく相対値は、身体
活動の状態を能く反映しているようだ。11月から終日装着しているが、12月後半までの農作業中の一日の活動量は大体700Cal台、
埼玉に戻ってからは500台、それでも9000歩くらい歩けば500台後半になるが、1/8~1/14のように6000歩程度では500Calを下回る。
だからどうだとは分からないが、9000歩を前提に考えると、大雑把に基礎代謝量が1200、総消費カロリーが1800、活動エネルギーが
600となる。これで僕の身体のバランス(体形だけはなく代謝関係を含めた外的及び内的な)は保たれているようだ。ちなみに600Calは、
厚生労働省が推奨する「健康つくり...ガイド」の週間エクササイズ量(活動量)の約二倍に相当する。

高木日記、東条暗殺計画、近衛文麿などを通読しての感想
・今日はどんよりした一日で、あんまり気乗りもしなかったので、終日読書。ツヴァイク全集17巻、矢部貞治の「近衛文麿」、荷風全集23巻
を一気に読了する。矢部貞治日記は近衛の新体制運動の関係で、昭和15年あたりから読み始める。所々拾い読みをすれば充分。
・高木の東条内閣の倒閣運動・暗殺計画や近衛の開戦回避、あるいは終戦工作など、何れもその「真面目」を疑わないけれど、隔靴掻痒の
感を免れない(平たく言いえば「何をもたもたやってんの?!」ということ)のは、天皇の統治権・統帥権が戦前の国家機能の統一的な運営上
のガンになっているのに、その点に触れるのは絶対的禁忌事項になっていることが、すべての問題の根源にある。




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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-16 03:58 | 日々雑纂
2012年 01月 15日

日々雑纂

・2時半頃目覚める、乾布摩擦&ヨガ、腰にちょっとした凝り感;岩手の自分の部屋の机と椅子を撤去して、大幅に簡素化しようと(その一環で)
止まり木のような椅子を古道具屋で入手。この椅子と机の高さのバランスが悪く、多分、それが原因。机・椅子・ディスプレーの位置関係を調整。

【ツヴァイク全集】17(「権力と戦う良心」)を開始、20年前か30年前か、最初に読んだのがいつか忘れてしまった。内容もまたカルヴァンの評伝
だったという以外はスッカリ忘れてしまった、ただカルヴァンに対する見方をスッカリ改めた、というよりも宗教改革がルネサンスと共に人間解放へ
の近代的燭光の第一歩であるかに漠然と考えていた”思い込み”をスッカリ改めるキッカケになったことだけは覚えている。
・「エラスムス...」の出版直後に執筆開始、36年に出版されているからほぼ同時期。「権力と戦う良心」とは、もち論、カルヴァンのことではない。
副題に「カルヴァンと戦うカステリオン」とあるようにカステリオンのことだが、事実上、カルヴァンの評伝でもある。
・ツヴァイク自身が「序章」で書いているように「今日になってもなおあらゆる教科書に、ヨーロッパで寛容の精神を説いた最初の人間はヒュームと
ロックであるなどと誤って書かれている」ように、カステリオンを最初に再評価したのはツヴァイクかも知れない。(下線は引用者)
・エラスムスと同様人文学者だが、違ったタイプ、ある意味では対極的とも言えるだろうか。エラスムスはすべての争いを避けたけれど、カステリ
オンは自らを「象と戦う虻」と評しているように戦いを避けなかった。前者があくまでも思索的・理知的な人とすれば、後者は行動的・実践的な人
と言えるか。ツヴァイクが、この二人を相次いで取り上げて評伝を書いた意図は何だろうか
・最初の数十頁を読んだ所で、埼玉に来てはじめて「寒さ」を感じて、じっと座って本を読んでいられなくなり、新聞を広げたり、筋トレをしたり、PC
を立ち上げて「作業日誌」の更新をしたりと(というわけで、ここまで書いた).....
・多分、この本を読んだ時期は35年以上前には遡らないと思うが、仮に45-50年前に読んでいたとすれば、僕の世界観および人生観はどんな
風に変わっていただろうか、とフト思った。(後半部を読み進むに連れ、改めて考えなおした。)カルヴァンのような個性からは、ある一点を除いて
いかなる影響も受ける可能性はない。この狂信的で、自己の信仰に対して首尾一貫した・絶対的な確信を持ち、己の信仰する教義のためなら、
どんなに非道徳的・非人間的な酷薄で苛烈な手段であろうとも、一瞬の迷いもなくやってのけられるような悪魔的個性から、一体何を学べようか。
カルヴァンは、己の個性という刻印を押すことで、全てのものを反対物に転化させてしまった。何よりもまず「魂と宗教の自由運動」として始まった
宗教改革を、カルヴァンの教義への絶対的帰依以外にいかなる「自由」も許さず、こうしてすべての精神的自由を奪いさってしまった。キリスト教の
隣人愛の精神は、カルヴァンの神権政治の確立されたジュネーヴ市では隣人同士の猜疑心・スパイ行為・密告が蔓延する恐怖政治へと変容した。
・カルヴァンの個性の中で、ただ一点、感銘を受けたものは彼が座右の銘とした「絶望の淵から、新たな力をもって抜けだす」だけだ。確かに彼は、
この点は微塵の疑いもなく忠実だ。
・深甚な影響を受ける可能性があるとすれば、むしろエラスムスだが、その「思索的・理知的」に過ぎる立場を理解するにはある種の諦観を根底に
持たなければならぬかも知れぬ。

・陽射しはあるが、下層の薄雲に全天覆われ(明け方は、それでも上層のうろこ雲だった)まるで黄昏時のように影が薄い。

震災が生んだ異才
・14日の「日経」文化欄に「震災が生んだ異才」と題して、「考現学」の祖=今和次郎の「再評価」が進んでいるトノ記事が載っている。
・僕が今和次郎のことを知ったのは岩波文庫に収録された【日本の民家】、そこに載っていた多数の民家のスケッチ画が最初(そして最後かな)。
今は絶版になっているのか、Amazonの中古品で¥2830の値が付いている。
・記事に「震災が異才を花開かせた」と工学院大学藤森教授の話が載っている。「和次郎は焼け跡で、生きることの原型を目の当たりにした。
被災者が自らトタンで住まいを作り、拾ったものを売って暮らす。バラックは人間の原始的な力にあふれていた。彼は悲惨を悲惨として受け止め
ながらも,心底興奮していたのではないか
」(下線は引用者)
・僕がまだ小学校低学年の頃(戦後10年くらいだ)、東京中野区の学校の周囲にあったドブ川の上には溝に板を渡してトタン板やら何やらで覆い
をしたバラックが立ち並んでいた。その「家」から学校に通って来る(と云って、一歩出ればそこが学校だった)同級生もいた。空襲や戦火で家を
失った人らが急造で住まっていたものだ。中野では、間もなくバラックは消えていったが、埼玉県大宮市の氷川神社参道周囲には戦後20年後に
なっても、このバラック跡の名残が改造改造を重ねながら残っていた。
・戦争直後の写真集で、東京駅の真ん前の焼け跡で畑を耕して大根を育てている風景を見たことがある。
・これこそ「生きることの原型」と云って良いかも知れない(と言っても、まだ現代風だけれど)。その現代化された「生きることの原型」すら、今は
失われているのではないかと僕は感じている。計画停電やガソリン不足、スーパーに品物が消えたなどといって大騒ぎする姿は、ただ笑うほか
ない。もともと人間は社会的動物だから社会的に依存するのは当然、というか社会を前提としているけれど、過度に「社会」に依存する生き方は
逆に自立した人間として生きていく力を喪失させる。「生きる尊厳」などと安易に語るが、その根底には「自立した人間として生きる力」が前提とし
てなければ話にならんと(他人には強要しなけれど)、僕は考えている。
・百年単位で続いてきた「大きな政府」への意識的・無意識的志向も、この「自立した人間として生きていく力」の喪失と裏腹の関係あるのでは
ないか。とすれば、「大きな政府」から「小さな政府」へのパラダイム転換は、僕達自身の生き方のパラダイム転換でもなければならない。

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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-15 06:15 | 日々雑纂
2012年 01月 14日

日々雑纂

・今朝は?0時半頃目覚める。ちょっと早いかなとも思ったが、やけに頭が冴えていたのでそのまま起きた。乾布摩擦とヨガポーズに半時間
ほどかける。
・【東条英機暗殺計画】と【濱口雄幸日記】の随感記を読了する。東条の暗殺計画は、従来の民間右翼や一部中堅軍人の壮士的企てとは
違って、近衛・岡田など含む重臣層の決死的行動にも関わらず、どこか国家機能の本質的欠陥をさらけ出すお粗末な計画ではないかとの
印象が拭えない。あたかも「群盲象を評す」かの如く、東条一人を扱いあぐねて右往左往のしているが、要は「お上」一人の信任をめぐって
立ち往生しているわけだが、その鍵は情報が一人東条によって独占され、天皇への情報は東条を通してのみ伝達された点にあるかに描か
れているが、この点はちょっと解せないな。
・10時前、岩槻東図書館まで散歩。約8千歩、寝不足のせいか、足がやや重く、ちょっと疲労感がある。風が冷たく、気温がまだ低いせいか
いつものテンポで歩くと、いくらか胸苦しさを覚える。この辺りは表通りを一歩入ると、まだ畑が広がっており、所々にその畑で取れた野菜を
販売する小屋掛けが残っている。無人販売などは滅多になく、殆どが有人販売で、概ね100~150円程度。途中、ポツポツ道草を食って、
80分ほど散歩。帰宅後、一時間ほど昼寝。
・図書館にはエラスムス、濱口、高見順などを返却し、新たに【ツヴァイク全集】第17巻(権力とたたう良心)を借りる。ついでに【細川日記】と
松前重義の【二等兵記】を予約してくる。松前は、東海大学の創立者で、戦前は昭和17年頃は逓信省公務局長をやっており、軍需生産の
非合理性、非科学性を逸早く指摘、東条内閣の倒閣運動の廉で昭和19年は二等兵として召集され南方送りになる。
・あとからネット上で鳥居民の【近衛文麿「黙」して死す  すりかえられた戦争責任】を予約する。これは工藤美代子の【われ巣鴨に出頭せず
―近衛文麿と天皇】の系統の本で、戦争責任をめぐる木戸・都留重人・ノーマンの「共謀」関係を扱ったもので、終戦工作とは別個の問題だが
一応、目を通してみたくなった。

病んでいるのは....?
・米調査会社ギャラップによると、体重が適正でかつ慢性疾患を抱えていない労働者は7人に1人しかいない。米国民の病欠が増えるなか、
年間4億5000万労働日が失われ、生産性の低下で発生するコストは年間1530億ドル超に及ぶとみられる。
・ギャラップが今年、企業の正社員10万人超を対象に調査を実施したところ、3分の2が肥満で、またほぼ半数が肥満で少なくとも1つの
慢性疾患を抱え
ていた。
体重が適正水準を超過している労働者は、適正水準の労働者に比べ、欠勤の頻度が高い。
慢性疾患はより大きな問題だ。体重が適正水準にある労働者でさえ、ほぼ60%が継続的な健康上の問題を訴えている。心臓発作、高血圧、
高コレステロール、がん、糖尿病、ぜん息、うつ病であるとかつて診断されたことがある労働者は慢性疾患に分類される。云々...」
(WSJ、11/10//18から、参照

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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-14 17:34 | 日々雑纂
2012年 01月 13日

日々雑纂

・「風が吹けば桶屋が儲かる」は、浮世草子の世界。「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」はカオス理論の詩的表現。
それと何の関係があるか、今朝早く(7時半頃)自宅上空をヘリコプターが7機、南から北に向かって飛んでいった。何かの演習かしらと、
取り敢えず「埼玉、演習、ヘリ」と入れてニュース検索にかけてみた。これまた何の関係があるのか、何番目かに「メガバンク戦々恐々!
米“イラン制裁”の行方」というZakzakの経済・マネーニュースが出てきた(1/11日付け)。こんな内容。
・北朝鮮の金正日総書記が死去した。権力の移行期に不測の事態が生じる可能性もあり、市場は身構えている。その市場が警戒する
もう一つの要素が、米国を中心としたイスラエル支援国によるイラン空爆の可能性である。
・欧州危機から日本ではあまり報道されなかったが、昨年11月30日に英紙タイムズは、「イランの核施設が爆発か」と報じた。
・イランは表向き核の平和利用を主張している。しかし、原子力発電に利用するなら低濃縮ウランで十分だが、原爆の材料となり得る
高濃縮ウランの製造に邁進(まいしん)している。かつその地下施設へ移設を進めている。イラン空爆が近いというのが市場の見方で
あり、石油の高騰とともに為替、株などへの影響に神経質になっている。
・日本はイランと歴史的に親密な関係にあり、日本の原油輸入の10%はイランからである。米オバマ大統領は12月31日、イラン中央
銀行と取引のある外国金融機関に制裁を科す条項を含む米国防権限法に署名した。日本の3メガバンクなど邦銀は、イラン中央銀行と
原油の輸入決済取引があり、同法に基づき早ければ60日以内に制裁対象となる可能性がある。
・日本政府は、イラン制裁措置から邦銀を「除外規定」の対象にするよう外交努力を行っているが、事態は予断を許さない。

・この記事を読んでいたら、ふと冒頭の詩的表現;「北京で蝶が羽ばたくと、ニューヨークで嵐が起こる」が頭に浮かんだ。グローバル化
した世界の不可避的結果だが、予測不可能というカオス的世界の表現でもあるか。尤も、岩手の百姓には蝶の羽ばたき程にも響か
ないが。
・経済封鎖措置というのは、武力行使を伴わない戦争行為である。外部世界は、それを様々に合理化するが、イラン国民はどう解する
だろうか?ト考えてみたことはあるだろうか。単なる主権の行使に対する超大国の身勝手な論理の押し付けとの側面はないのか。
・現実の世界:「あらゆる形式の不寛容な志向」が渦巻き、日々生起する現実の世界:狂信の残滓が払拭されず、時にそれが噴出し、
支配的傾向にさえなりうる世界でエラスムス的理念を貫くには、現実逃避しかないのか。
・荒れ狂う現実世界に果敢に立ち向かう姿と飽くまで狂信を退け自己の信念を忠実に貫く姿との対比を、ツヴァイクはエラスムスと
ルターとの対比
において見事に表している。
・(エラスムスが)「信仰よりも肉体の平和の快適と安静を高く」買うのに対して、この自分には「たとえ全世界が不和になるばかりか、
滅亡し尽くし、廃墟と化そうとも」信仰告白をする用意がある.
..云々(ルターの書簡、【エラスムスの勝利と悲劇】182pから)

煮豆と煎豆
・もともと僕には、主食・副食という考え方は薄いけれど、ご飯・パン・麺類などを主食とすれば、去年の春頃までは【糖尿病患者のため
の食品交換表】でいう分類Ⅰ、Ⅱ類を、合わて6単位/日(80Calを一単位として)ほど食べていた。糖尿病学会の推奨する食事療法
では12-13単位を指示しているが(参照)、これでは僕の食後ニ時間の血糖値は(血糖降下剤を使わなければ)間違いなく200を超える。
6単位/日でも、組み合わせや料理法(例えば塩茹でしたジャガ芋60とポテトフライ60とでは、血糖値の上がり方は驚くほど違う)食べ方
によって、時に180くらいに上がることもある。それでも平均値はやや低く、HbA1cで09/6~11/06は5.6-5.7%で推移してきた。
・もう少し下げたほうが良いかなと判断して、Ⅰ、Ⅱ類を、去年の夏頃から6単位/日から3~4単位に減らした。朝は飯を60、昼はパンを
60-70グラム程度、夜はいわゆる主食はゼロ;これで11/10の血液検査でHbA1cが5.4。5.1ないし5.0程度に下がると予測していた
ので、これは思いの外。
・それで年末から、大豆類(煮豆・煎豆・豆腐・凍り豆腐・おから・納豆)などを主食に代えて、たまに「おから」に全粒粉か片栗粉を10
グラム程度混ぜたり(クッキーを作るため)、たまにジャガイモサラダかカボチャを40か50(調理した状態で)程度で、主食はほとんどが
マメ類中心(専ら大豆のみ、アズキ・菜豆などは使わない)。
・煮豆は、塩をちょっと加えて圧力釜で煮るだけ。それで「こんなに甘いか」と思うほど、仄かな甘味があって美味い。肝心の美味さを
上手に引き出すには煮加減が大事で、生煮えはもちろん煮過ぎても駄目。これが納豆や味噌を作るときは30-40分、多少煮過ぎても
それが良いくらいだけれど、煮豆は15-20で、概ね17分程度。水分の吸収具合で微妙に変わる。
・煮豆は、大体一昼夜水に浸けるけれど、煎豆はぬるま湯に二時間程度つけて、水切りをして空炒りする。オリーブ油を焦げ付かない
程度に中華鍋にしいて、本でも読みながら、とろ火でジックリ空炒りし、塩を軽く振ってやるとマメの甘さが引き立つ。
・煮豆は、口に入れて噛みはじめると、直ぐに美味さが広がる。煎豆は、口に入れて暫らく噛んでいても、味も素っ気もない様子。中々
飲み込めないからジックリ噛んでいると、香ばしいマメの美味さがジワーッと口に広がってくる。孫に食べさせたら、最初「美味くない!」
「良く噛んでみろ!」、その内「これ、美味い!!」だと。
・最近は、食べ物に限らず、パッと口に入れて、サッと美味さが口に広がる安直なものばかりが、流行っているようだけれど。

厳冬なの??
・どうもその実感がないけれど、今年の冬は厳冬らしい。日経に、こんな記事が載っている。
「気象庁は11日、南米ペルー沖で海面水温の低い状態が続き、世界的な異常気象の原因となる「ラニーニャ現象」が継続している
との監視速報を発表した。
 ラニーニャ発生時の日本の冬は、気温が低くなる傾向がある。昨年12月は全国的に月平均気温が平年を下回っており、同庁は
北日本(北海道、東北)と東日本(関東甲信、北陸、東海)の低温はラニーニャの影響の可能性があるとみている。
」云々

政局に関わること以外は興味なし
・政治家が悪いのか、世論が悪いのか、はたまた軍事・外交問題を全部米国にお任せして、一路、経済成長に邁進する路線を敷いた
吉田ドクトリンに安住してきた心地よさが習い性になっているのか、米国の窓枠の中で、経済の偏光ガラスを通して外の世界を眺めて
いる。
・その結果かどうなのか「日本の場合、中国のように世論によって外交政策が左右されるわけではない。むしろ国内政治が不安定で
あるために、国際関係への関心が著しく低いのが実態だ。このことは、国際関係に関連する報道が、政局に関わる場面にのみ、
集中的に行われることからも明らかである。」「日本の政局に関わる事態であれば著しい注目を集めるが、そうでない限りは外国で何が
起ころうが、国民が関わろうとしないのだ。すなわち、日本は外交政策の展開以前に、外交への国民的な無関心によって、世界から
自らを閉ざした潜水艦のような存在になりつつある。」(ダイヤモンドOnline、藤原帰一 東京大学法学政治学研究科教授、参照
・「世界から自らを閉ざした潜水艦のような存在」とは、言い得て妙だね!!要するに、精神的鎖国の延長だな。
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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-13 08:46 | 日々雑纂
2012年 01月 12日

日々雑纂

c0048643_14593064.jpg狂信との戦い
・「彼は地上のただ一つのものを、理性の仇敵として心から憎んでいた-狂信である。
みずからすべての人間の中で最も非狂信的であり、おそらく最高位とは云えないと
しても最も広い知識を持つ精神であり、文字通り人を酔わせる慈善ではないにしても
誠実な善意の心情であったエラスムスは、あらゆる形式の不寛容な志向のうちに、
我々の世界の禍根を見ていた。」.....
・「彼は宗教的、国家的、世界観的分野の別なく、およそ狂信と名のつくものに対して
は、これをあらゆる和解の不倶戴天の破壊者と見なして戦ったのである。....どの階級
にせよどの人種にせよ、馬車馬的偏見の思想家たち、狂信者たちのすべてを憎んで
いた。この連中はどこでもかまわず、自分の意見に対しては絶対服従を要求し、あら
ゆる別なものの見方を、異端とか破廉恥とかと軽蔑して呼ぶのである」8-9.p
・「エラスムスの個人的な悲劇は、ほかならぬ彼、あらゆる人間の中で最も非狂信的
な彼が、しかもほかならぬ超国民的な理念が初めてヨーロッパを勝利の光で覆った
瞬間に、国民宗教的な大衆情熱の、史上で最も凶暴な噴出の一つによって引き落と
されたことにある」15.p
・「時に、数世紀を通じて極めて稀ではあるが、世界全体がまるで布のように真っ二つ
に引き裂かれるほど、風力の強い対立的緊張の生じることがある。しかもこの裂け目
はどの国、どの街、どの家、どの家庭、どの心をも縦断する。そんな時四方八方から
怖ろしい圧力と共に、大衆の優勢が個人を掴み、個人は集団的妄想から自己を防ぐ
ことも、救うこともできない。このような狂奔する波涛の激突は、およそいかなる安全
な局外の立場をも許さない
」16.p(下線は引用者)【エラスムスの勝利と悲劇】から
1日に触れた「1930年代」は、まさに数世紀を通じて極めてまれな「世界全体が
まるで布のように真っ二つに引き裂かれ」た対立的緊張の時代、「大衆の優勢が個人
を掴み、個人は集団的妄想から自己を防ぐことも、救うこともできない」、そんな時代
として理解することで、幾分かでも、その真相に近づきうるのだろうか。

・この本は、ヒトラーが政権についた翌年(1934年)に出版された。この年、ツヴァイクは
オーストリアから英国に亡命した。
容赦なき戦争
・世界が真っ二つに引き裂かれ、互いに国家の総力を挙げて戦い、どちらか一方がもはや立ち上がれないまでに疲弊し、殺戮の限りが尽くされた
戦争が、どちらか一方が正義に立ち、他方が人道に対する罪を問われるなどということはありえない。そのような茶番は、勝者の敗者に対する
醜悪な復讐劇を「人道」の名のもとに飾り立てる二重の欺瞞でしかない。このような欺瞞の根底には、明らかに「欧米型人道主義」という偏狭な
正義感があったと僕は見なしている。現在でも、それが脈々と息づいていることはイラク戦争を「悪」に対する「正義の戦争」と位置づけたことに
も現れている。
・J・ダワーの【容赦なき戦争―太平洋戦争における人種差別 (平凡社ライブラリー) 】のAmazon.co.jpの紹介文から。
「ユダヤ人の大量虐殺を別とすれば、人種主義は、第2次世界大戦を語る場合に主題として取り上げられることはほとんどない」。しかし、ドイツと
日本の残虐行為を見る連合国の目は人種的に両者を差別していた。ドイツの残虐行為は「ナチスの犯罪」であり、ドイツ文化や国民性に根ざすも
のではなかった。これに対して、アジアの戦場における日本の残虐行為は「単に『日本人』の行為として伝えられていた」。
ジョン・ダワーは、大平洋戦争当時のアメリカの政府高官や軍指導部の発言、新聞・雑誌の論調、さらには映画、ポップカルチャー、時事マンガ
にいたる膨大な資料を渉猟し、そこに通底する「赤裸々な人種主義的本質」を摘出した。「日本人は人間ではない。残虐なサルだ。だから1匹残さ
ず殺せ
」という意識が、戦争遂行機関、マスメディア、戦場の兵士を貫いていたという。
このような殲滅思想は、異端に対する宗教戦争で、十字軍戦争、宗教改革、宗教戦争で繰り返し、繰り返し現れている。それ故、
僕は、単に「人種主義的本質」に根ざすのみならず、時に活火山のように噴出する一神教的正義感に基づく「狂信」が根底にある
ト見なしている。

たとえば、ルーズベルト大統領主席補佐官のウィリアム・レーヒにとって「日本はわれわれのカルタゴ」だった。彼はローマ帝国がカルタゴの消滅
を戦争目的とした史実に、アメリカの対日戦争目的をなぞらえていたのである。「コリアーズ」誌は、レーヒの考えをもとに「日本を破壊すべし」と
いう論説を掲載した。この表題はローマの大カトーが元老院で演説した「カルタゴを破壊すべし」からの転用だった。
アメリカの戦争目的が「野蛮なサルを絶滅させる」ことである以上、大平洋戦争が徹底殺戮の「容赦なき戦争」になったのも当然である。しかし、
「世界の大部分を巻き込み、5000万人以上の人命を奪った前例のない破壊的戦争において、どうして一方の敵対者だけの野蛮性など語ること
ができようか」。残虐行為のジェネレーターはステレオタイプの人種観であると、ダワーは言うのである。
(伊藤延司)
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2011年1月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-01-12 15:59 | ミミズの寝言