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2012年 02月 28日

この国の”行く末”/超長期的推移で考えると

・貴族の支配・武士の支配(ここまでは土地支配が富の根源)・下級武士の支配(土地から資本への移行期)、資本の支配と見てくると、
この大きな流れの変化の中で、明治期以降の流れ及び明治期以降の戦前と戦後の変化を、どのように位置づけるか?
・国の政治&経済を支配する階級ないし階層を安定的に供給するシステム:このシステムの安定性と安定性の喪失ないし崩壊の変遷
として「歴史的推移」を捉えると、次のような経過をたどる。
イ.実質的に支配する能力・実力を備えた階層ないし階級の支配
ロ.やがて支配の代行が起こり、形骸化・寄生化と実質的支配権の移転が並行的に進行
ニ.過去の支配階級の機能喪失、
例えば江戸幕府の場合、二つの側面がある。商業経済の発達で土地支配だけでは経済支配を包摂しきれなくなったにもかかわらず、
土地支配(年貢の徴収)にのみ依存し続けたため、大名の領国支配は実質的に破綻していた。また武装勢力としての武士階級の役割
は鎖国及び国内平和の安定で、一部の実務官僚を除いて名目化・寄生化する一方、領国経済の破綻で彼らを養う能力を失っていた。
他方、外国の「開国」要求(世界史的動向)には積極的に対応出来なかった。
明治政府の場合(1945年)、江戸幕府に比べれば経済的支配の転換(土地及び産業支配と前者から後者への比重の転換)は、比較
的スムーズに進行した。新たな支配階級は、維新の主役となった薩長(及び土佐・肥後)の下級武士を中心とする維新の功労者および
一部の公家勢力によって形成された(彼らは皇室の”藩屏”として新たな貴族階級となった)。やがて新たな地主勢力や新興産業勢力の
台頭と共に、権力を独占してきた藩閥勢力との軋轢・対立は一時的に激化するが、国会開設=政党結成とともに彼らを政党政治の中に
比較的スムーズに吸収するのに成功した。政党政治への違和感ないし不信感を捨てきれなかった旧藩閥勢力は、天皇の統帥権を盾に
軍部勢力として独自の足場を保持し続けた。この事実上の二重権力は、明治の元老の実質的権威が続いている限り顕在化しなかった
が、その後退・消失(寿命)とともに顕在化し、事実上、政治支配を排除し・あるいは政治支配を取り込み・一元化(東条内閣)した。
一方、世界史的動向への対応という点では明治の元老勢力なり、政党勢力の実質的権威が持続している限りは、英米協調主義という
比較的健全・穏健な外交政策が主軸だったが、元老政治の後退・政党政治の形骸化・協調外交の破綻(内外の要因)に伴い、一方的に
「大陸制覇」=大日本主義路線に露骨に傾き、米英(露中)の新たな覇権国家の利益と真向から敵対し破綻した。
既存の政治システムが機能喪失に陥る中での、類似点&相違点は何か?
・以上のような前提条件のもとで、20~30年代と現在との類似点&相違点を考えてみると、経済的・社会的閉塞感及び政党政治の
頽廃が類似しているくらいで、相違点のほうが目に付く。20年代には憲政会ないし民政党と政友会の二大政党が交代で内閣を組織
する形だけの政党内閣が登場するが元老西園寺の掌に載せられていたし、軍部や貴族院・枢密院の相次ぐ容喙を免れ得なかった。
これが勢い、政策をそっちのけにして元老や軍部・枢密院などの力を借りて政権にありつこうとする野合政治に堕落して「政党政治の
頽廃・腐敗」と指弾されるに至った。現在は、内閣成立を差配できるような力は、どこにもない。敢えて云えば国民の人気取りを狙った
ポピュリズム(あるいはマニフェスト)がそれに当たるが、決定的な力はない。
・政党に代わって政権を組織できるような力を持った勢力(軍部のように事実上の二重権力を組織できる勢力)はない。新たに登場する
可能性もない。三島由紀夫は自衛隊にそれを期待したけれど、単なるピエロ的試みに終わった。官僚組織・財界・労働組合・宗教団体
などの利益団体・圧力団体の動向は?
・戦前の二大政党の基盤は、地方の地主勢力や新興産業及び財閥勢力で、多少の色合いの違いがあるだけで基本的な対立点は
ない。従って流動的で、与党の座=利権をめぐる離合集散や軍部・枢密院・財界の利害を後ろ盾にした醜い政権争いが激しい。
・戦後の自民党の長期安定性権の基盤は、米ソの冷戦体制を基盤にした日米安保体制(世界史的動向への対応)と高度経済成長に
特化した政治支配。日米安保体制にも高度成長にも反対する野党は、完全に政権の埒外に置かれ、高度経済成長の利益配分をめぐ
る争いは、自民党内の派閥間争いに吸収された。高度経済成長に取り残され、あるいはその歪や矛盾に対する不満は、地方的・一時
的に「革新」勢力を押し上げたが、単なる不満の”はけ口”にしかならなかった。
・冷戦体制の崩壊と高度経済成長路線の終焉=自民党長期安定政権を支持してきた二大基盤の喪失は、同時に自民党単独政権の
崩壊の契機になった。これに代わる世界的・国内的な新たな枠組みは何か?
政党及び国会の機能喪失について
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by agsanissi | 2012-02-28 05:48 | ミミズの寝言
2012年 02月 27日

この国の”行く末”/前提条件

・埼玉は3日ぶりに晴天、一方、普代は23日から昨日まで断続的に雪で約40㍉。朝の冷え込みは緩んできたが日中気温が上がらないようだ。
明日まで気温が低く、29日頃から温かさが戻る気配。29日、岩手に戻ることにする。気持ちは、はや農作業モードに転換。

思案の前提条件
いろいろ”思案”の材料・資料・素材を集めておくために....
・これからの観察対象期間は20~30年、これは僕自身の絶対的・生理的制限時間でもある
・過去の歴史的推移を含めた考察対象期間、これはスパンのとり方によって「見方」そのものが変化する可能性を考慮していろいろ
イ.比較対象期間として、戦後60余年は短すぎる:政党政治の停滞ないし頽廃、国会の機能喪失、民主主義の試練
ロ.戦前戦後の連続性と不連続性:一見不連続的に見えて連続的な要素&その逆の場合がありうるかどうか?
ハ.政治的無党派層を、どのように捉えるか?
ニ.自民党の政治支配の安定的基盤であった「地方」の喪失・解体・崩壊⇒戦前の構造の解体及び連続性
ホ.都市の政治的「支配の構造」、そもそも「ある」のか?

・以上は(全部かどうかは別)構造的なもの、課題としては
イ.異常な国債残高(11/02/15から)
債務残高のGDP比、日本の国債残高のGDP比の推移を見て直ぐに気付くことは、過去三回の山は戦争に伴う異常な突出だ。最初は西南
戦争、二度目は日露戦争、三度目は満州事変から太平洋戦争に至る一連の総力戦。それでも、ある時期まではGDP比で50-70%に留まって
おり、歯止めを失ったかの急膨張を遂げるのは1936年以降、特に2.26事件以降だ。英国は、第一次大戦から第二次大戦にかけて、特に対独
全面戦争が開始されて以降だ。こうしてみると、90年代以降の日本の債務残高の急膨張の異常さが浮かび上がってくる。
・国の総力を挙げた消耗戦に匹敵するような、一体、どんな消耗戦がこの間に実施されてきたのか?
対GNP比の長期推移のグラフを探す。
参考:日銀の国債購入で財政問題は解決か?

ロ.小さな政府の選択
ハ.国会の機能回復、これは政界ないし政党再編と表裏の関係
ニ.行政府=官僚組織の再編
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by agsanissi | 2012-02-27 09:00 | ミミズの寝言
2012年 02月 25日

この国の”行く末”/その3

《12/01/11》
考え方はいまだ”高度成長時代”?
・10日付の日経コラム「鈴木幸一氏の経営者ブログ」で【生活様式はいまだ高度成長時代】ト題して、こんなことを書いておられる(参照)。
・「時間に対する感覚、生活様式、国に対する受益者としての要望、企業活動他、あらゆることの前提にあった経済の右肩上がりの終焉
という厳しい現実
を認識していかないと、思いもかけなかった崩壊を招きかねないと思うのだが。もちろん、グローバルベースで、新しい
技術や産業を切り拓き、そのけん引者として日本が再生していく道をさぐり続けていくことがもっとも重要なことは言うまでもない。「失われ
た20年」といったぼんやりしたとらえ方ではなく、「製造業による右肩上がりの経済」という時代が終わったのだという明確な認識を持つ
ことから始めない限り、未来は見えてこないだろう
」(下線は引用者)
・昨日、パラダイムシフトの兆候と書いた。「兆候」の段階は過ぎているのかも知れない。「製造業による右肩上がりの経済」という時代が
終わった
という認識は、それを示している。しかし転換期には、逸早く、その転換を捉え今までの考え方をきっぱりと捨てて、新たな潮流の
動向を嗅ぎとり、流れを泳ぎ切っていくものと、従来の考え方にいつまでもしがみつき、浮きつ沈みつしながら、やがて時流に押し流され、
沈んでいくものとに別れていく。何もこれは、経済・経営という分野には限らない。社会・文化・思想・生活様式・そして政治システムをも
巻き込んだ大きな歴史的転換へとつながっていく。それでこそ、まさにパラダイム転換というにふさわしい。
・自分の議員生活の去就にとらわれ、右往左往の離合集散を重ね、日替わりメニューのごとくに総理総裁の首の挿げ替えに憂き身を
やつす(これこそ今までの行動様式の延長では対応できなくなった証左かな)政治家こそが、最も時流に遅れているのかも知れない。
小日本主義と大日本主義
・たとえその転換が世界的なものではなくとも、一国的な環境の激変であっても、必要に応じて考え方・生き方を質的に転換することもまた
ある種のパラダイム転換に相当するだろうか。内村鑑三の紹介するデンマークの工兵士官ダルガスの発想は、戦いに敗れ、領土を失い、
荒れ果てた国土を肥沃な大地に変えた彼の発想は、その見事な実証に当たるか。
・明治の開国以来、欧米諸国に門戸を開き、欧米諸国に見習いつつその過密な人口を養うには広大な領土と豊富な資源が不可欠である
として帝国主義的・大国主義的政策を掲げ、やがて英米と決定的に対立するに至った立場に対して、産業主義・自由主義・個人主義を3つ
の柱とする「小日本主義」を主唱した石橋湛山らの「満州放棄論」「移民不要論」は、まさに戦前の日本にパラダイムの転換を求める思潮で
はなかっただろうか(参照)。


《12/01/10》

人口減少時代のパラダイム転換
・1/02の「人口減少社会」で紹介したように、・歴史人口学が専門の鬼頭宏教授は「文明システムの転換期に人口は停滞・減少する」と
指摘している。世界全体としては、これからも増加を続ける見通しだから世界的な文明システムの転換期と考えるのは早計かも知れぬ。
・しかし地球的規模での様々なパラダイムシフトが起きている兆候はある。
・ソ連が崩壊し、社会主義圏が崩壊すると共に、一時はアメリカの一極支配時代が云々されたが、現実には多極化し、新たな世界システム
を模索する時代に入った。
・今日のWSJに「米国の著名投資家ジョージ・ソロス氏は9日、ユーロ圏の国々が財政赤字抑制のため支出を大幅に削減していることなど
から需要の低迷や価格の下落が世界規模で起こり、世界経済は「悪性」のデフレ循環入りしつつあると警告した」「たとえ現在の債務危機を
乗り越えられたとしても、国家債務削減のための諸策で、ユーロ圏は「過酷なまでの緊縮財政」の時代が当分続くことになる、と予想した

云々との記事が載っている(参照)。
・長期の世界的なデフレ時代は、これまでも何度かあった。19世紀後半(特に1873-1896年の24年間)、1930年代(1929-1939年頃)
を世界経済史ではGreat Depressionの時代と読んでいる。長期的デフレ時代は、停滞の時代と暗いイメージで捉えられがちだが、実際
にはこの時代に次の時代への新たな転換・飛躍への胎動が生まれ、パラダイムシフトが起きている。
・仮に欧州経済を中心に広がるデフレ経済が、新たな世界的なパラダイム転換の予兆だとすれば、日本にとってのパラダイム転換とは何
だろうか?(そんなこと一介の農民に分かるわけがない!しかし考えることは出来る)
・1/07付け「日経」の「大機小機」に【人口本位時代の「三国一」とは】という記事が載っている。18世紀までは「各国のGDPは人口にほぼ
比例していた
」「ところが英国の産業革命、アヘン戦争での清の敗北、20世紀の世界大戦などの曲折を経て、欧米が世界経済の覇者に
躍り出た
」。それから数十年、中国・インドが飛躍的な発展期に入り、「世界は再び”人口本位”の時代を迎えようとしている
・「人口減社会に入った日本は今年を新たな”三国一”を目指す元年にして欲しい。それにはどうしたら良いか。内村鑑三が1911年の講演を
本にした【デンマルク国の話】が参考になるかもしれない
」云々。早速、「青空文庫」で読んでみた(参照)。
実際には、人口過密で国土が狭く、天然資源の貧弱な日本は「海外」に新天地を広げなければ国民を養えないと帝国主義的「大国主義」
への道へと踏み込んでいった。誤りを繰り返さないためには、目先の小事に捕われず、内村のような意見を参考にじっくり考える必要がある

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by agsanissi | 2012-02-25 13:58 | ミミズの寝言
2012年 02月 24日

日々雑纂

・低気圧は東海上に抜け、冬型気圧配置に、気象衛星で見ると雲は全般に薄く、厚い・大きな雪雲はない。寒気も後退し、上空5千㍍の△30度の
寒気団も北海道と青森の一部にかかるだけ。昨日の夕方4時頃から快晴、風がやや強く、午前中の雨と午後からの風に空気は一洗、オリオン座
が一際映える。風は一段と強い。但し気温は7-8度と高い。4時過ぎにやや下がってきた。
・今朝、武田泰淳の【司馬遷-史記の世界-】と福田良治【英雄詩伝】を相次いで拾い読みする。ここに登場する人物と現在の日本の政治舞台に
活躍する人物を同じレベルで、というか同一のレベルの歴史的舞台で考えると何が見えてくるだろうか?あるいは古代ローマや古代中国の歴史
に引き移してみると、どのような時期に遭遇しているのか?と、ふと途方もない事を考えてみた。というより、そういうことを考える素材としてギボン
やモムゼン、司馬遷をジックリ読み込んでみようと考えた。
⇒この本の1960/12の序文で武田泰淳は、こんなことを書いている。
一本筋に、縦に連なる歴史を、大切にすることが、日本人の習慣であった。この習慣は、日本人の道義心をたいへん狭い、きゅうくつ
なものとした。...しかし、戦後のわれわれは、もう少し空間的に、思案をひろげて、ねばり強くせねばならなくなった。人間世界を全体的
にとらえ、すべてを知りつくして後、決断する必要に迫られることになった。...貧血した国内史にしがみつくことなしに、筋骨たくましい
世界史へ大胆に結びついて行かなければならない

結果として考えてみれば、鎖国・開国・大陸進出・敗戦・戦後体制及び55年体制の崩壊など、多かれ少なかれ世界史の大きな変容の
うねりの中の小波動と見られないこともない。”萬世一系”などの神話を自らつくり出した「明治元勲」の世代は、遅まきながら世界史的な
視野を持ち神話を利用する術を心得ていたが、次の世代は受け継いだ神話の呪縛に自ら絡め取られ、世界史的・空間的視野を失い
「国体護持」の名のもとに”一億総玉砕”などの暴論を口走るまでに理性を失ってしまった。
・果たして、戦後のわれわれは、「人間世界を全体的にとらえ」空間的に思索をひろげて考えられる習慣をみにつけただろうか?そんな事
を考えてみる素材として、迂遠なようでも、古典的文献をジックリ読み込んでみるのも良いだろうか
(12/02/25追記)

・僕は、1975-85年以降の日本の政治・社会を、1919-28年頃に比定して考えている。現在は、ほぼ30年代の政治的アナロジーで考えると
何かが見えてくるかと見なしている。しかしこのサイクルでは、なにせ期間が短すぎる。明治維新から、たかだか150-160年程度。人口衰退期
という一文明の浮沈に関わる重大な歴史的変容期
を考えるには、虫眼鏡のみならず望遠鏡が不可欠だ。その素材としてギボン、モムゼン、司馬
遷、ちょっと最近のものでブローデルとウォーラーステインを選んだわけだ。虫眼鏡として【西園寺公と政局】はまず第一候補、後は?升味さんの
【日本政党史論】第5~7巻に掲載されている参考資料の中から選定。

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2011年2月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-02-24 05:46 | ミミズの寝言
2012年 02月 24日

この国の”行く末”/その2

・時々、コラム「溜池通信」を読んでいる。特に、この通信のアメリカ大統領選挙の観察が鋭い。今日の「かんべえの不規則発言」(2/22)に
こんな言葉が載っている。産経新聞の第12回正論新風賞の授賞式での井上寿一教授の挨拶の引用だそうだ。
歴史観には大きく2つの流れがある。ひとつは戦後を肯定して戦前を否定するもの。もうひとつは戦前を肯定して戦後を否定するもの。私は
少数派かもしれないが、戦前も戦後も肯定したい

自分の考えを書いておけば、歴史は「否定も肯定もしない。ただ坦々と、淡々と観察するのみ」、翻って当事者としての立場に自らおいて
考えると、どうか?天気と同様、与えられた諸条件のもとでの選択肢は限られている。問題は自分一己の思いを「空」にできるかにある。


《12/01/08》から
ねばねば天下り利権付消費増税
・今日のBLOGOSの植草一秀氏のコラム(参照)に、二年半前の「衆議院本会議での野田佳彦氏の発言抄録」が載っている。
・該当部分を、衆議院本会議「議事録」(参照、第171国会・常会・第46号)から引用しておくと、
私どもの調査によって、ことしの五月に、平成十九年度のお金の使い方でわかったことがあります。二万五千人の国家公務員OBが四千五百の
法人に天下りをし、その四千五百法人に十二兆一千億円の血税が流れていることがわかりました。その前の年には、十二兆六千億円の血税が
流れていることがわかりました。消費税五%分のお金です。さきの首都決戦の東京都政の予算は、一般会計、特別会計合わせて十二兆八千億
円でございました。
  これだけの税金に、一言で言えば、シロアリが群がっている構図があるんです。そのシロアリを退治して、働きアリの政治を実現しなければなら
ないのです。残念ながら、自民党・公明党政権には、この意欲が全くないと言わざるを得ないわけであります。
 わたりも同様であります。年金が消えたり消されたりする組織の社会保険庁の長官、トップは、やめれば多額の退職金をもらいます。六千万、
七千万かもしれません。その後にはまた、特殊法人やあるいは独立行政法人が用意されて、天下りすることができる。そこでまた高い給料、高い
退職金がもらえる。また一定期間行けば、また高い給料、高い退職金がもらえる。またその後も高い給料、高い退職金がもらえる。六回渡り歩いて、
退職金だけで三億円を超えた人もおりました。
 まさに、天下りをなくし、わたりをなくしていくという国民の声に全くこたえない麻生政権は、不信任に値します。
」云々(下線は引用者)
・植草氏は「これを、繰り返し野田佳彦氏に突き付けることが不可欠だ」と書いている。かつて麻生内閣に突きつけた不信任案の刃は、自分に跳ね
返って来る。
自民党が「与党」なら、やはり財政再建のためには消費税引き上げは避けて通れない。その意味では、民主党の引き上げ案を公約違反として
追求するのは、単なる形式的議論で話にならない。問題の根本にあるのは、まず「身を切る覚悟」、特殊法人やあるいは独立行政法人のみならず
肥大化した政府組織そのもの&立法組織を簡素化し、財政の圧縮と透明化を図り、その上で過去の借金削減計画を提案するのが、話の本筋だ
ということ。民間・個人を問わず、破産した会計又は家計の再建計画とは、すべてそれが常識だ。

ミラボーの至言;桁が全然違うけれど、最左翼のジャコバン党から総裁政府の警察長官に就任したフーシェを称して「大臣となったジャコバン党は
もはやジャコバン党の大臣ではない」という言葉は記憶に値する(ツヴァイク【フーシェ】130p)

《12/01/07》から
小さな政府、大きな政府
・昨日書き忘れたことを足しておく。野田総理の「不退転の決意」で、即座に頭に浮かんだのはライオン宰相と呼ばれた濱口雄幸だ。
方法は間違ったけれど、実行力も決断力もあった。小手先の駆け引きに終始する「料亭政治」を拒絶し、国民に直接訴える術を心得ていた。
日本の首相で初めて当時最新のメディアであったラジオを通じて国民に直接自身の政策を訴えた首相」(Wiki「濱口雄幸」参照)になりえた
所以だ。
・野田首相は、高校の同期会で「四方八方から弾が飛んでくる。最近は背後からも飛んできた」と語ったそうだ。こんな状況で正面突破する
には「国民に直接訴え、国民を動員する」しかない。6日の日経「大機小機」に「国民が固唾を飲んで議論に注目し、一喜一憂し、笑いさざめ
きながら落ち着くところに落ち着かせるようにすべきだ
」とある、同感だ。
・それには、増税の不可避を訴えるなら、自ら身を切る覚悟を示さなければならない。例えば、在任中、自ら給与を五割返上する、高級公務
員は二割返上するが、率先して二割五分返上、一般公務員は一割返上。五年で省庁再編を進め、公務員の二割削減する。地方公務員も
これに準ずる措置を自主的に実行する。国会議員定数は三分の二に削減する等々を実現の上、消費税引き上げと低所得者対策・社会保障
政策・医療保険の一体的改革を提案する。一方、デフレを考慮し、震災復興と今後の大震災に備えた大都市再編計画に国内外を問わず
資本参加を呼びかける。そのため大胆に規制を緩和し、道州制の導入と共に地方に大幅に権限を委譲する。それでこそ「国民が固唾を飲ん
で議論に注目」する。この程度の提案が出来てこそ「不退転」も実態を備えるが、現状は単なる空文句にすぎない。
・二年半ほど前、民主党政権はある種の「国民総動員」を求める必要がある、と書いた。
・民主党は、自民党の「負の遺産」を背負い込むことになる。民主党の特徴を、一言で言えばポピュリズムということになるか。
・そのほかの具体的政策ではバラバラで一体性がない。要するに明確な綱領を持たない寄り合い世帯。
ポピュリズムの最初の試練は「財源」だが、いまや借金財政の重みが、すべて民主党政権に被さってくる。
・この苦難を乗り切る唯一の方策は、ある種の「国民総動員」、国が国民のために何が出来るかではなく、国民が「国」のために
何が出来るかが問われているという明確なメッセージを打ち出せるリーダーが必要だが、鳩山にはその資質はない。
(09/07/19、参照
下線は今回改めて付けた。)
・鳩山も菅も、正反対の無能をさらけ出した。さて、野田総理はどう出る??
・ついでに云えば、こうした提案が出来れば、それは「小さな政府」への第一歩になる。極論すれば、これからは国(ないし中央政府)は金融
と外交と軍事及び各地方間の整合性を図る調整機能だけに権限を特化し、他の権限はすべて地方に移譲するが良い。

《12/01/06》から
小さな政府、大きな政府
・今年は世界各地で重要な選挙がある。一回一回の選挙などは大した意味があるとは思っていないけれど、また所謂”民意”などにも
重きを置かないけれど、数十年~百年というスパンで見れば重要な、時に決定的な意味があると考えている。
・僕の「国家」についての考え方は、マキャベリの「君主論」、ホッブスの「リヴァイアサン」、レーニンの「国家と革命」などが根底にある
から、何よりもまず「権力機構」だと考えている。とりわけ中学2年生の時に読み耽った「国家と革命」の強烈な印象、世界観を根底から
ひっくり返されるような衝撃は今でも忘れない。言葉通りではないが、国家は階級闘争の非和解性の産物であり、社会から生まれ、
社会の上に立ち、披支配階級を支配し、抑圧する道具である。共産主義社会では国家は廃止されるのではない。階級支配は止揚され、
それと共に抑圧機関としての国家は不要となり、国家は廃止されるのではなく、「死滅」するのだ。等々の内容は社会=国家と単純に
思っていた僕にとっては衝撃だった。その後、人間は社会的動物であり、社会なくして「人間」としての存在はありえないけれど、「国家」
、とりわけ近代国家は歴史的産物、すなわち戦争と革命の産物だと知るに及んでレーニンの国家論は最も歴史的現実に沿った国家論
だと考えるようになった。
・もち論、現在ではロシアの10月革命の前夜(8~9月)に書かれたこの本が、単なるユートピアに過ぎなかった、否、それどころかナチス
に並ぶ怪物国家、剥き出しの抑圧機構としての性格をさらけ出す原動力にさえなったと考えているけれど(このような矛盾は、隣人愛を
根底に持つキリスト教が、異端迫害でむき出しにする残虐さ・悲惨さに通じるものがある)、国家の性格の一側面、依然として権力機関・
抑圧機関としての一側面を備えている現代国家を理解する助けにはなると考えている。
・19世紀後半以降、社会主義思想や労働運動の影響もあって、その対抗上、福祉政策や社会保障政策等の社会的な所得再分配が
重要な機能となり、また30年代の世界大恐慌を境にパイの再分配のみならず、パイそのものを拡大する経済政策がますます重要な
意義を持つようになり、経済活動に占める国家の比率は曲折を経ながらも拡張を続けてきた。大局的に云えば、この百数十年、多少の
変動や政策的色合いの違いはあっても「大きな政府」の道を只管歩んできた。その程度に応じて、国家の抑圧的性格は後景に退いた
・いまや潮目は変わったのではないかと感じる。リーマン・ショックを機会に、金融危機の救済のために国家の財政支出は一挙に拡大し、
国家財政そのものが破綻の危機に直面している。各国通貨と国債の信用が問われている。現在はまだ最も弱い鎖が腐り始めているに
過ぎないが、一端が切れれば信用不安の連鎖がどこまで広がるか、グローバル化が進めば進むほど、各国経済の緊密度が深いほど、
その破壊力は肥大化する。一方、国家の裏書してきた約束手形の債務は国債のみならず年金・医療など加速度的に肥大化するのみ。
現在の「税と社会保障の一体改革」など百%実現した所で、将来的に直面する課題に比べれば児戯に等しい。それ故、潮目は変わった
し、変わらざるを得ないと見ている。具体的に、どういう曲折をたどるのか、それは分からない。数十年、百年というスパンで見れば潮目は
変わって、「小さな政府」が大きな潮流になるだろうと見ている。
・”民意”は、当然、「大きな政府」の恩恵に浴しながら、そのための負担には拒絶反応を深めるだろう。そのバランスとアンバランスとの
微妙な兼ね合いで「大きな政府」を目指す党派と「小さな政府」を目指す党派との実際的争いは紆余曲折は免れないとしても、結局は
大きな潮目の変化には逆らえない、というのが僕の見通しだ。尤も、その行方を最終的に見据えられるほど生きてはいないけれど。
・また「大きな政府」を目指す党派と「小さな政府」を目指す党派との対立は、すっきり二分しておらず、民主・自民夫々に内部対立の温床
を残したまま、また過去の対立軸の残滓(外交・軍事・所得政策等で)を引きずりつつ、将来的な政界再編の可能性に向かって(当面は
議員個人の再選可能性が彼らの最大関心事で、長期的展望など考える余裕もない)ジグザグの混乱をたどるだろう。
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by agsanissi | 2012-02-24 04:29 | ミミズの寝言
2012年 02月 23日

この国の”行く末”/30年代のアナロジー

・昨日、引用だけして書きかけにしたままの続き
政党政治の腐敗
・【断腸亭日乗】昭和六年十一月十日に次のような一節、
銀座の飲屋で「数名の壮士有り卓を囲んで大声に時事を論ず、窃かに聞くに、頃日陸軍将校の一団首相若槻某を脅迫し、ナポレオンの顰に倣い
クーデタを断行せんとして果たさず、来春紀元節を期して再挙を謀るという、今秋満州事変起りて以来この如き不穏の風説至る所に盛也、真相の
如何は固より知り難し、然れどもつらつら思うに、今日我が国政党政治の腐敗を一掃し、社会の機運を新たにするものは蓋し武断政治を措きて他
に道なし、今の世において武断専制の政治は永続すべきものにあらず、されど旧弊を一掃し人心を覚醒せしむるには大いに効果あるべし」
云々
荷風は、決して政治的人間ではない。どちらかと言えば最も俗的なものに溺れながら、超俗的たらんとした高踏的な人間かな。
まあ、その辺の評価は適当だが、軍人嫌いで、高圧的強権政治を忌み嫌っていることは確かだ。その荷風にして”武断政治”への
微かな期待を滲ませているのだから、政党政治の腐敗の惨たるや思うべし!!
では、荷風がここで指摘する「政党政治の腐敗」、一掃すべき「旧弊」とは一体何だったのか??荷風のような非政治的人間の目
にも余るような歴然たる腐敗とはどんなものだったか?(通読した限りでは、これ以前に特別の言及はない。再読して見る必要)

・升味準之助【日本政党史論】第6巻から拾ってみると、国民の窮状をよそに「党利党略にのみ狂奔している政情」、あるいは政策・政綱を棚上げ
して政権にありつこうと離合集散を繰り返す政党分派・脚の引っ張り合い、果ては軍部・右翼の政党攻撃に便乗して与党を追及して自ら政党政治
の基盤を掘り崩す主張
に同調する浅ましさ等だろうか。
ちなみに、1930年4月25日衆議院で民政党浜口内閣のロンドン軍縮条約締結を、政府の「統帥権干犯」問題として攻撃し、
政府の軍事問題への「容喙」への手を縛り、逆に軍部が縦に政治・外交問題に容喙し、政府の鼻面を引っ掴んで引きずり回す
発端となった歴史的議会演説をやったのは鳩山一郎(つい最近、首相を辞任した鳩山のお祖父ちゃん)だ
12/02/24追記)。
・今日、日経ビジネスの記事(【首相ブレーン機関の起源と運命の近衛文麿】、12/02/20、参照)を読んでいたら、こんなことが書いてあった。
首相ブレーン機関は、明治国家における意思決定システムの漂流に起源を持つ。明治憲法によって分立的となっていた国家の諸機関を
統合する元老は、西園寺公望1人となった。次なる統合主体の政党は、意思決定システムに大衆を組み込むことに失敗して自滅した。かくて
1930年代は、矛盾が噴出し漂流の時代となった。

この記述自体、ちょっと解析しなければならないが、今日のところは引用だけに留めておく
・橋本新党や石原新党への期待の高まりは、ここに云う武断政治とは距離がある。しかし内閣にしても、国会にしても”意思決定ないし遂行機関”
としての機能を衰退させ、自ら掲げた政策を反故にする朝令暮改・次元の低い政争・揚げ足取り・党内の政争をも制御できない無規律&造反ぶり
に対する国民的な苛立ちを反映していることだけは確かだ。
・鈴木氏の指摘する《「維新」という看板の胡散臭さ》(22日「日誌」参照)の根底にあるのは、現在の膠着状態の影に隠れている政治的・社会的
問題点を明確にしないまま、「維新」という空文句を掲げて国民的苛立ちを吸収しようとする、その政治的姿勢ではないか。
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by agsanissi | 2012-02-23 18:17 | ミミズの寝言
2012年 02月 23日

日々雑纂

・明け方から雨、前線を伴った低気圧の中心は今夜三陸沖40度線付近迄北上の見込み、日中いっぱいは雨か
・前線は、予想より東寄りに進んだのか、昼過ぎには晴れ間も現れる。
・新たに逆立ちと竹踏みを入れる。逆立ちは、何年ぶりか。昔は、時々やっていたが、いつしかやらなくなった。数日前、眠気がして横になる
代わりに、ふと思い立って逆立ちをやってみた。ちょっとスッキリ。起きがけのヨガポーズに取り入れることに。今はユックリ百数えるまで。
・今は日々雑纂に何でも突っ込んでいる。「雑纂」だからそれで良い。ちょっと困ることもある。最近は、自分が前に書いたことも忘れてしまう
ことがある。一々検索して確認するのも煩わしい。「雑纂」とカテゴリー分けの両方に書いておけば良い。昔々、所謂「京大カード」なんぞを
使っていたときは、分類に困ったときはすサブカードを作ってメインカードを参照できるようにしておいた。その方式だ。今ならコピペで簡単に
何枚でもカードを作れるようなもんだ。
・雨で、散歩はなし。いろいろ思案し、思案しながら書く(というより書きながら思案する)時間が、雨で誘われる。
◆以下は、そんな事で書き始めた。
・当面、農作業関係、糖尿病・心臓病(もう少し広く医学関連かな)、これが二大テーマだな。新たに政治的問題・これは「ミミズの寝言」の
中に一括して入れるつもりだが、ちょっと真面目にというか真剣に考えてみようかと思案している。所詮は「ミミズの寝言」だけれどな。
・語学;今年は漢文・漢詩を本格的にやることにした。中国語とも考えたが、中国語より漢文のほうが、当面の僕にとっては実用的。漢詩は
まるでやったことがない。唐詩選、杜甫くらいは通読したことがあるけれど、それくらい。片言隻句は頭に浮かぶが、この歳になって初めて
漢詩がしみじみと分かるようになったかな。加えて【史記】、特に列伝を読み込む。これは武田泰淳の【司馬遷伝】を改めて読み返してみて
司馬遷が心血を注いだ”歴史”ないし記録から、何を汲み取れるか、一度は真剣に対してみる必要があるかなと思った次第。尤も、そういう
意味では、歴史に残る傑作は多かれ少なかれ、その一面がある。
・この歳になると、残る生涯に読んでおくべき本は何かが一番の問題。「速読」なんぞは以ての外!そんなものに使っている時間はない!
・歴史は、ギボンとモムゼンのローマ史、史記、それにブローデルとウォーラーステイン、少なくとも今年一杯、これと真剣に格闘する。
・マルクスのいわゆる「発展段階論」=スターリンの云うところの史的唯物論は、四十年近く前に”卒業”した。卒業した後、それに代わる
何らかの史観を持ったかというと、史観よりも諦観のほうが先にたってしまって、人間に向きあうより自然と向き合う道を選んでしまった。
今になって、それを些かも悔いてはいないけれど、改めて考えることは自然観を根底に持たない歴史観なり・人間観なりは危うい、という
こと。その意味では、この歳になって【華厳経】は初めて読んだけれど、これは凄い!!
・いままで僕は、経典なんぞ読んだことはなかったけれど、三國連太郎の【白い道】をキッカケに歎異抄、教行信条、華厳経と正法眼蔵の
所々を拾い読みしたけれど、余計な夾雑物を取り去ってみれば、これはライプニッツ、ヘーゲル、カント、ロックなどの西洋哲学に匹敵する
世界観だと認識した。そんなことから歴史を、乃至歴史を通して自然と人間を見直し、自分なりの世界観を改めて見直す気になった。
・「世界観」という言葉を、僕が初めて聞いたのは、今でもはっきり覚えているが十歳の時だ。トルストイの【人生論】を読んでいたら、六歳
上の兄貴が「人生観なんて狭い了見じゃ駄目だ。世界観をもって生きなきゃ駄目だ」と決め付けるように言い放った、それが最初だ。
・以来、いつもこの言葉が頭のどこかにあって、折に触れて考えてきた。「世界観をもって生きる」とはどういうことか、ほんとうの意味で
腑に落ちたのが何歳の時かは覚えてないけれど、12歳から30歳頃までの約20年間は明確な世界観を以て生きていたことだけは確かだ。
その「世界観」がガラガラと音を立てて崩れてしまって(その時は、何かの啓示を受けたような夢を見た。残念ながら、それに代わる世界観
の啓示は受けなかった)、諦観だけがあとに残った。
・諦観を諦観のままに放置し、安易に自然と向き合うことで済ましてきたところが、凡の凡たる由縁だろうな。
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2011年2月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-02-23 06:23 | 日々雑纂
2012年 02月 23日

この国の”行く末”/その1

◆まとめて「ミミズの寝言」⇒以下何回かに分けて、収載しておく(もっぱら自分の参照用のため)。
・去年の暮れから書き残した中で「この国の行く末」に関係のありそうな記述を、ここにまとめて拾っておく(その前のものも「日々雑纂」の中に
混在しているかも知れないが、今は無視する)。あと何年観察できるか、30年は無理かもしれないが、20年は、充分に観察出来るだろう。
・僕は、明治維新以降の歴史を、特に政治的・社会的変容を概ね「40年周期」の波動として捉えている。あるいは登りと降りをまとめて80年
を一周期とすれば、現在は1985年頃を転換期とする第ニ周期の下り坂の後半期と見ている。その意味では民主党政権の誕生を、戦後の
日本の政治体制の画期的転換期とは見なしていない。むしろ、いわゆる「55年体制」の崩壊に伴う政治的転換の過渡期、あるいは自民党の
長期安定政権の崩壊に伴う混迷期と見なしている。仮に次の転換期が2025年頃とすれば、その帰趨が見えてくるまで十数年はかかるから
自分の観察が10年後、20年後に顧みてどうなのか、今から書きためておけば、息子や孫への遺産にはならぬまでも、冥途への土産話の
タネくらいにはなるだろうと、ちょっと真面目に考えてみようかと思案した。(*)
・前々から云うように、僕にとって”政治”は天気と一緒で、如何に観察しようとどうなるもんでもないが(だから所詮は「ミミズの寝言」だ!!)、
これまた天気と一緒で、だからと言って「観察」を止めるわけにはいかないし、その行く末も見据えておきたい。
・12歳から30歳頃までの約20年間、政治は実践的にも理論的にも、僕の第一の関心事だった。というより第一があって、第二、第三以下の
ない関心事だった。次の十数年は、次第に諦観を深めながらも、依然としてそれまでの残滓を曳きずりながら、自分の前半生を反省し超克
するのに必要な(と今から思えば)時間だった。
・自分自身の信条として政治に真正面から向き合うとすれば、それが如何に危険で、詮無いことと知りつつも、理想主義的にしか向き合え
ないだろうと予想するがゆえに、現実の政治を忌避し軽蔑しているにもかかわらず、完全に無視し切ることのできない”政治的人間”の業か。
(*)ついでに書いておけば、世界史的変容の影響は免れ難く、「55年体制」や日米安保体制は、米ソの二大覇権国家の対立を
中軸に据えた副次的余波のようなもんで、いわゆる冷戦体制の中の小規模構造(下部構造あるいは二次的構造)に過ぎない。
冷戦体制の崩壊後、米国の独り勝ち、いわゆる一極化が盛んに喧伝されたけれど、現実には多極化が進んでおり、その帰趨も
(多極化の本質上)見えてこない。

《12/01/02》
人口減少社会
・昨日の日経の記事に《人口自然減、過去最大の20万人超》とある。10月までの速報値を使った年間推計値で出生数は105.7万人
(前年比1.4万人)と戦後最低、また婚姻件数も67万組みと戦後最少。一方、死亡数は126.1万人(前年比+6.4万人、内東日本
大震災の死者1.6万人、他に行方不明者有り)。
・歴史的スパンで見れば、人口の停滞ないし減少時代は三回ある(「三回しかない」といったほうが良いか)。縄文時代末期、平安時代、
江戸時代中期・後期。世界人口は70億人を超えたが、今後も増え続けるかどうかは分からないし、過去には停滞ないし減少時代が
あった。超長期的推移の波動の中で見れば、ナチスやスターリン時代の数千万に登る大量殺戮も、ほんのエピソード・さざなみ程度の
ゆらぎに過ぎないとも見える。この停滞ないし減少の原因は、社会現象と自然現象の複合的要因と考えるのが適当だろうか。
・歴史人口学が専門の鬼頭宏教授は「文明システムの転換期に人口は停滞・減少する」と指摘する。「縄文時代の後半の場合は、
「狩猟採集経済」の文明システムから、「水稲農耕かシステム」に移行する時期にあたる。平安期は、律令国家が水田を管理する
システムから荘園などによって私有化が進行した時期にあたる。江戸時代後半は、鎖国をしていたために完全に自給自足であり、
当時の農業生産技術で支えられる限界の3500万人に接近したことが人口停滞の原因だったと考えられる
」(参照
・日本は、これから長期にわたって人口減少期に入ると予測されているが、グローバルな世界的な開放システムの下で、一国的な
「文明システムの転換期」ということがありうるだろうか?それとも一国的な文明的衰退の予兆?ともあれ、若年人口と婚姻数の絶対
的減少・少子化傾向及び人口構成の老齢化が社会の活力を失わせることだけは間違いない。
・日本の人口減少が始まったのは2005年のことだが、その年1月1日の日経は「古代ローマ帝国でも豊かになると少子化に懸念が
持たれた。初代皇帝アウグストゥスは、未婚の女性に『独身税』を課すなどの手を打ち、少子化の抑止力として相当な効果をあげた

との塩野七生さんの話を載せている(参照)。

《12/01/01》
増税問題
・同じく十一月六日の条に「増税問題起こりてより人心恟々、前途暗澹として方針定めがたしと云う。余窃かに思うに、今回の増税は
天保改革の時幕府が蔵宿及び用達の富商に上納金を命じ、また江戸近郊にありし幕府旗本の采地を返上せしめんとしたる政策に似たり。
天保の改革はその半ばにして挫折したり。今回(*)、軍部の為すところ果たして能く成功すべきや否や。
」とある。
・奇しくも今朝の日経に《首相、迫る勝負の時、消費増税へ退路断つ》との記事が載っている。中に「消費増税に挑んだ歴代首相」の一覧表
がある。すなわち79年大平、87年中曽根、88年竹下、94年細川、94年村山、97年橋本と、32年間に6人、このうち能く増税を成し得たの
は盤石の党内基盤を固めた竹下内閣と変則的挙国一致内閣に近い村山内閣のみ。現在の財政状況から見て「何れは増税やむなし」との
国民的合意を得られる一般的可能性はないではないが、その前に「やるべきことに粉骨砕身の努力を重ねた」との身を切る覚悟が見えぬ。
*「この間約九字抹消、また行間補」の注有り。
アーネスト・サトウ
・昭和十年六月十六日の条に「英国外交官アーネスト・サトウの維新外交史は幕末維新のことを知らむとするもの必ず一読せざるべからざる
良書なり。日本人の著述には見ること能わざる秘事多きのみならず、その観察あくまで公平にしてその記事極めて率直なれば、読み行く中
に時代の変遷するさま、さながら大河の騎士に立ちて流れいく水を見るが如き思いをなさしむ.....維新の変革を記述したる邦人の著書には
必ず悲憤慷慨の文字多く挿入せられ、薩長志士の行動を無理無体に称揚し
....云々」(下線は引用者)
⇒「傍観者」としての面目躍如たるもの有り。傍観者とは、すなわち透徹した観察者の意也。我また、傍観者を自認するの所以也。
・岩手を出るときに、たまたま書棚から引っ張り出してきたメレジュコフスキー【神々の復活】の一節に、ダ・ヴィンチの言葉として
もし芸術家になりたいなら、芸術以外一切の悲しみや、煩いを捨てておしまいなさい。芸術家の心はちょうど鏡のように、自分自身はじっと
不動を守って、明らかに輝きながら、一切の事物、一切の運動、一切の色を映さなければならぬ
」。⇒相通じるものを感じる。

1930年代
・G.Hosking【The First Socialist Society】の第七章「Stalin's Terror」を読む。この本はゴルバチョフが書記長に選出された85年に
初版が出された。次いでソ連が解体された翌年、新たに公開された史料をも踏まえて92年拡大改訂版が出された。第七章「Stalin's Terror」
は、いわば周知の事実の要約に過ぎぬ。とはいえ階級支配の廃絶のみならず、支配そのものの揚棄を目指した革命が、かくも醜悪な対極物に
転化してしまった歴史的現実は、いかなる分析を以てしても解き得ぬ「人間性の謎」が中核部分に残るようなもどかしさが僕には感じられる。
・「30年代」というキーワードは、スターリンと並ぶ世界史的怪物ヒトラーを生み出した点で、彼らが活躍する歴史的環境を理解する助けになる
かも知れぬ。この二人に比べれば同じく全体主義の旗手とはいえ、ムッソリーニにはどこかラテン的な陽気さが垣間見える。
・まして日本の30年代となると、確かに日本近代史上稀に見る粗暴な暴力的振る舞いが横行したものの、その多くは荷風の云う”悲憤慷慨”に
類するどこか大人気ない幼稚さを漂わせており、ソ連やドイツの周到・緻密にして組織的な、水も漏らさぬ暴力的支配に比較すべくもない。
・荷風の日記、1931年正月から35年12月まで読了する(1963年版全集第21巻)。「乱世の状況」「思想上の鎖国」「満州戦争起こりてより世
の有様一変し」など、戦争と共に次第に窮屈になる世情を反映する記述や軍部に対する批判的言辞の削除の跡は見られるものの、かかる日記
が公然出版された事実を忘れるべきではない。

《11/12/31》
荷風の日記、【断腸亭日乗】
・荷風の個人的生活はもちろん、作品にも全く関心はないけれど、【断腸亭日乗】だけは、以前、岩波文庫の摘録で読んで面白かった。
何が面白いのか?【日記に見る近代日本】の紹介に「荷風は、世間と隔絶していても時代や社会に対し全く無関心なのではなく、社会と
一定距離を保つ傍観者であった
」(第四巻134.p)とある。この距離の置き方に僕と共通する所があって、日記の中に時折、垣間見せる
時代や社会の観察が興味深いのだと気づいた。尤も、僕は都会人から百姓に転身したというと云うと、時折、自給自足の生活に憧れて
百姓の道を選んだかに誤解されるが、世間とやや隔絶した環境にいるものの世間と隔絶しているわけではない。一方、荷風は都心の
ど真ん中で、毎夜のごとく銀座辺を徘徊しながら、しかも世間と隔絶していた。これは多分、心の置き所と有り様の違いに拠るか。
・昨日落手して、早速、第21巻「昭和六年正月」から読み始める。日記は大正時代から始まっているが、一番関心があるのは、いわゆる、
「十五年戦争」の時代と総括されている1931~45年を同時代人の荷風がどのように見ていたかという点。この日記は、【日記に見る】に
荷風個人の日常記録という叙述形式を採りながら、作品であることを意識し、遠くない将来に不特定多数の読者を獲得する商品となる
ことを想定して書かれていた
」と指摘されている点を割引しなければならないが、それでも世間をはばかって書かれないことはあっても世間
に媚びるような態度は見当たらない。
・昭和八年十月十八日に「震災後二三年間は世の中の景気も随分よかりし故、私窩子の値段も一夜二三十円なりしが追々下落して唯今
は十五円位がまづ高い方にて、並は六七円より十円なり。但しこれはお客様の払う金高にて女の手に入るはその半額なり
」とある。
震災とは、関東大震災のことだろうが、直後の景気はむしろ良くて、次第に下り坂に入ったとの記述に、やや意外の感を受ける。遊興窟
の特殊事例なのか、復興景気の波及効果の減退のせいなのか?いずれにせよ、通常の歴史書にはこういう記述は到底見られない。


内閣支持率
・今朝の日経に《「蜜月百日」ジンクス続く 世論調査うらおもて》の記事が載っている。「内閣支持率が10ポイント以上落ちた例」として
古い方から、安倍(07/05)支持率41、下落幅12;福田(07/12)以下同じく43、12;麻生(08/11)31、17;麻生(08/12)21、10;鳩山
(09/12)50、18;鳩山(10/04)2、12;菅(10/06)50、18;菅(10/10)40、31;野田(11/12)36、15、この数字はこれだけで特筆に
値する。55年体制と云われた自民党の一党支配の時代が終わって、それに代わる新たな政治支配体制の「模索」の時代、要するに過渡
期暫定政権の時代と総括される。個々の政治家の右往左往は、次の総選挙を意識した単なる自己の就職活動に過ぎない場合もあれば、
政治理念をめぐる駆け引きの場合もあろうが、政党間の離合集散や小政党の乱立は、今後も続く「過渡期暫定」時代の象徴だ。やがて機が
熟する時季を待つほかはない。
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by agsanissi | 2012-02-23 04:31 | ミミズの寝言
2012年 02月 22日

日々雑纂

・昨日の朝は氷点下まで下がるが、日中気温は13度まで上がり、すっかり春めいた陽気。いつものスタイルで散歩に出かける(薄いセーターの
上にやや厚手のセーターとベストを着てリュックを背負って、手袋をして)が、途中から手袋を取り、厚手のセーターをリュックに仕舞い、それでも
汗ばむ陽気。日当日当と、選んで歩いていたが、日陰日陰と選んで歩く有様。このまま一気に温かくなるはずもなく、朝の冷え込みは緩んだが
陽射しは弱く、天気は下り坂。それでも昼間では陽射し有り、日照はほぼ一時間、午後になって、すっかり曇り空。10分程度に。
・昼過ぎから散歩、東岩槻方面に・東部図書館は返却だけ。Lanケーブル、ノート、踏み竹など購入。
・つかの間の読書三昧の生活モードを、そろそろ転換し、農業労働モードに切り替えねば。この読書三昧で何を得た??



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2011年2月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-02-22 06:23 | 日々雑纂
2012年 02月 22日

アナロジー

「維新」という看板の胡散臭さ
・昨日の日経コラム(鈴木幸一氏の経営者ブログ)に、表題のような記事が載っている。ここ暫く、橋本氏をめぐる政界再編の動向は、台風の目
になりそう。鈴木氏は、「胡散臭さ」の由縁を、次のように書いて居られる。
あらゆる政策が、グローバル化する経済、それが要求する法則を不可避なものとして回らざるを得ない時代にあること、政治的な選択肢が経済
政策のみという民主主義国家にとって、「維新」という言葉はいかにもふさわしくないのである。

ほとんどの人々の視点は、自分たちの暮らしや利害だけの視点であり、それが不満の政治、ポピュリズム的ルサンチマンの政治を招いている
ことだと考えると、その解は、日本のケースなら、「行きつくところまで行きつく」、つまり財政破綻によって、過大な公的サービスを削減し、税負担
を重くするほか策がなくなるという誰もが予測できる暗い将来を、どう回避するかという難題である。それは「維新」といった言葉で掲げる大風呂敷
の政治目標ではなくて、事実を冷徹に直視し、その事実を、経済的な視点のみの国民と共有していくことである。


政党政治の腐敗
・【断腸亭日乗】昭和六年十一月十日に次のような一節、
銀座の飲屋で「数名の壮士有り卓を囲んで大声に時事を論ず、窃かに聞くに、頃日陸軍将校の一団首相若槻某を脅迫し、ナポレオンの顰に倣い
クーデタを断行せんとして果たさず、来春紀元節を期して再挙を謀るという、今秋満州事変起りて以来この如き不穏の風説至る所に盛也、真相の
如何は固より知り難し、然れどもつらつら思うに、今日我が国政党政治の腐敗を一掃し、社会の機運を新たにするものは蓋し武断政治を措きて他
に道なし、今の世において武断専制の政治は永続すべきものにあらず、されど旧弊を一掃し人心を覚醒せしむるには大いに効果あるべし」
云々

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2011年2月は何をやってた??
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by agsanissi | 2012-02-22 05:05 | ミミズの寝言