2012年 03月 03日

中国古代文化

・08/12/10の日誌を読み返したら、
最近、さっぱり読み書きしなくなって錆付いてしまったロシア語・フランス語をリフレッシュするか、それとも今後
の世の中の変化を考えて新たに中国語をやろうか迷った。結果、大して役立たずのフランス語をはずして、依然
として魅力的なロシア語と中国語と両方ともやろうと決めた
」等と書いてある。
・その後、何がどう変わったのか(その経緯を書いているのか)覚えてないが、中国語は止めて(止めた原因は
比較的読めるわりには発音が難しくて、音声入りの辞書が必需品で、そこまでやるかどうかちょっと考えてから)
09年に一年かけてロシア語を、10~11年とフランス語(これは一年ではちょっと無理だった。後は語彙数だけ)
を、それで今年は漢文&漢詩文を本格的にやろうときめた。
・今年は何語をやろうかなと考えているときに、偶々、右手を自在に使える練習を年末から始めて、人体解剖図
のイラストやら漢字練習を右手でやっているうちに、改めて漢字の成り立ちに深く興味を覚え、「そうだ!漢文&
漢詩文を本格的にやろう」と思い立ったわけ。
・高校時代に漢文を習っているが、「いまさら何で漢文だ」等と嘯いて、まじめに勉強しなかった。その後、折に
触れて、史記、三国志、論語、荘子、老子、唐詩選、陶淵明くらいは拾い読み程度はしたけれど、到底、本腰
入れて読んだとは言えない。
・前に「この国の”行く末”」を本格的に考えるには、望遠鏡と顕微鏡が不可欠だと書いたけれど、その望遠鏡
の一つとして史記や漢字文化の基礎を勉強し直しておこうと考えた。ちょいと迂遠な気がしないでもない...。

夏王朝
・Wikiには「夏(か、紀元前2070年頃 - 紀元前1600年頃)は、中国最古と伝承される王朝」「従来、伝説と
されてきたが、近年、考古学資料の発掘により実在可能性が見直されてきている
」とある。
・更に「炭素14年代測定法により、河南省偃師の二里頭村の二里頭遺跡や河南省新密市の新砦遺跡などに
痕跡を持つ二里頭文化が夏の時代に相当する年代のものと略確定するなど、文献史料のいう「夏」は二里頭
文化に比定される。しかし二里頭文化が文献史料が示す「夏王朝」と同じである訳ではなく、文献史料のいう
「夏王朝」には戦国時代以降の思想が多分に紛れ込んでおり、二里頭文化が構成した「夏」が、王朝・初期
国家としての実質を持ったものであるかという意味では疑問が多い
」云々と記している。
・【中国の歴史】第一巻(陳舜臣、平凡社)92pには、実在も非実在も証明されていないが、時期的に云えば
「竜山文化が夏王朝の時代にあたります」とある。
・102pに、竜山文化遺跡に「すでに鑽灼を行った獣骨が発見されています」「悲しいことに文字が刻まれて
いません」「獣骨といっても、大部分が牛の骨なので、亀骨牛骨とも称されています。...現在まで出土した
甲骨はほぼ10万片と推定
」云々とある。まだ漢字文化はなかったと推定してほぼ間違いないか。
・Wikiによると、「龍山文化(りゅうざんぶんか、龙山文化、拼音: Lóngshān wénhuà : ロンシャン・ウェン
フア, 紀元前3000年頃-紀元前2000年頃)は、中国北部(華北)の黄河中流から下流にかけて広がる
新石器時代後期の文化である」「中原龍山文化(河南龍山文化と陝西龍山文化)および山東龍山文化に分か
れている。山東龍山文化は黄河下流を中心に存在した大汶口文化に続いて現れており、河南龍山文化は
黄河中流に存在した仰韶文化に続いて登場している」「陶器のほか、石包丁など石器や骨器などの武器や
道具、ヒスイなどの玉なども出土している。龍山文化の後期には青銅器も出現」「龍山文化の社会に現れた
大きな変化は、都市の出現である。初期の住居は竪穴式住居であったが、やがて柱や壁を建てた家屋が
出現した」「農業や手工業の発達も特徴である。陝西省の渭河周辺では農業と牧畜業が仰韶文化の時期に
比べ大きく発展している。コメの栽培も始まっており、カイコを育てる養蚕業の存在と小規模な絹織物の生産
の開始も確認されている
」とのこと。
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# by agsanissi | 2012-03-03 05:45 | 考える&学ぶ
2012年 03月 03日

日々雑纂

・レーダーアメダスを雪雲の流れを見ると、昨日の15時過ぎから今夜1時ころまで断続的に降っている。
アメダスの記録では昨夜20時に0.5ミリだけ、車の屋根に10ミリ程度は積もってるかな。国道455号線の外山・
早坂付近を見ると気温は△6-7度(3:57)、新しい車の通った跡は見えないが、積雪は10ミリ内外に見える。
既に止んでいるようだ。
・明るくなってから、改めて見ると20~30ミリはあるな。向かいの屋根は真っ白だし、くっきり見えていた猫だか
の足跡がすっかり見えなくなっている。
・種イモの搬送は盛岡から、多分、支障なし。
・この後の天候は、今日明日が気温の底、天気は良し。月-水と雪・雨・曇と変わり、週後半が気温・天気共に
登り気味。ハウス・ビニールは8~10日に張替え&補修、第三週に種イモの展開完了(の予定)で良いか?
・今日は、三日八日の久慈の「市日」にあたる。
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# by agsanissi | 2012-03-03 04:03 | 日々雑纂
2012年 03月 02日

日々雑纂

・農繁期の生活パターンは、大体、3~4時に起きて、21時頃に寝るのが普通。今朝は3時50分に目覚めた。
身体が覚えているのだろうか、これがちょっと不思議な気がしないこともない。
・明日、種イモ搬入。受け入れ準備のために午前中ニ時間程度作業場に。倉庫内の整理と去年から保管
してあったカボチャ(コンテナに入れて三段重ねにして毛布を被せて、ネズミが入れないように簡単に板囲い)
を点検。それでもネズミが入った形跡があるのは驚き!!カボチャは、全く異常のないもの・腐れたもの・食害
を受けたもの(当然、ネズミの仕業)など、いろいろ。2/3は無傷、特に白爵系が強い(もっぱら水分の影響か)
・15時半過ぎ、小雪が舞い始める。関東北部から東北南部にかけて雨又は雪になっている。低気圧は東海
沖と四国沖付近を北東に進んでいる。普代の気温は午前中、9時頃には4度程度あったが、午後は2~3度
以下に下がってきた。予報では明日の明け方に雪。


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・昨日の「かんべえの不規則発言」(参照)に、民主党前原氏の「言うだけ番長」に事寄せて、こんなことが書い
てある。これが、現在の政治家の質をよく表しているように思える。
先日も某政治記者がしみじみ言っておりましたが、「民主党議員の”愛されたい症候群”は何とかなりません
かねえ」。・・・ポピュリストというのか、それともナルシストというべきなのか、ちょっとでも批判されるとすぐに
方針を撤回したり、逆切れしたりする人が多いのです。この世の中は、「悪名は無名に勝る」というくらい
なんで、権力者は批難されるのが当たり前。若い政治家が、いつも周囲にチヤホヤされていないと落ち着か
ないというのは、まことに困ったものであります。
日本政治の古きよき時代には、ベテラン政治家が好んで嫌われ役を買って出て、「泣いた赤鬼」における青鬼
さんのような振る舞いをしてくれました。トップが「悪いのは全部俺だ、文句あるか」と居直ったり、「この通り
土下座するから許してくれい」と悪者になってくれるからこそ、
」....云々
⇒28日に「現在は、内閣成立を差配できるような力は、どこにもない。敢えて云えば国民の人気取りを狙った
ポピュリズム(あるいはマニフェスト)がそれに当たるが、決定的な力はない」と書いたけれど、政治家気質が
上記引用のように変わっているとすれば(要するに、リーダーとしての資質を失い、小粒化している)、それが
思わぬ結果(瓢箪から駒のような)を引き起こさぬとも限らない。その典型的な歴史的事例が衆愚政治だな。

・この点は、2/27に書いた「◆思案の前提条件」の中の「民主主義の試練」に直に関わる。というのは「苦薬」
を飲み干さなければならないと、率直に語る度胸があるかどうか。「苦薬」の件は、1/30、1/31、2/16に
書いた。特に、1/31には「ポピュリズムへの警鐘」で「日本も一度は苦薬を飲み干さなければ、次のステップに
進めない」と書いた。
・問題は二つの側面がある。一つは新たな債務発生の圧縮&過去の債務の償却。または財政赤字の圧縮&
過去の借金の返済(返済するか切り捨てるか、事実上切り捨てるか)。二つ目は社会的給付(年金、医療保険、
失業保険、生活保護などの福祉政策)の削減

・28日の「日誌」(この国の”行く末”/超長期的推移で考えると)の最後に「政党及び国会の機能喪失」と小見
出しだけ書いて、そのままにしてある。戦前(特に20~30年代以降)と戦後のそれを比較する意図だが、
政党及び国会の「本来の機能」とは何か?と考えると、これがそう簡単ではない。



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# by agsanissi | 2012-03-02 06:16 | ミミズの寝言
2012年 03月 01日

作業場に行く

・快晴、朝から日差しが眩しい。昨日の最高気温は2~3度だったようだが、今日は4~5度まで上がる。
昼過ぎ、種イモの受け入れ準備と軽トラを持ってくるために作業場に向かう。「車じゃいけない」と聞いていたが、
道路に雪は殆ど残っていない。
・黒崎部落の民家の外れから一キロほど歩くと道路は南向きから西向きに、ほぼ直角に曲がり、網干し場と
ファームポンドの分かれ道(google地図)に差し掛かる。例年、このあたりから積雪量はグッと深くなるが、
今年は道路上の雪はすっかり消えている。震災関係の瓦礫処理の車の通行もあって、今年は丁寧にラッセル
をやったのかしら?除雪の跡をみれば、雪量も、例年よりは少ないようだ。
・一方、畑には雪がしっかり積もっている。出来れば3月の早い時期にロータリーをかけて、ジャガ芋畑の準備
を終わらせてしまおうとの思惑は、当てが外れる。

c0048643_19411683.jpgc0048643_19431072.jpg












c0048643_204511.jpg
・今週中にも、種イモの受け入れを
できるよう、作業場前の通路の雪
かき(Google地図)。

・この二ヶ月間の作業場内の最低・
最高気温は、入り口付近が△9/
10.5度、奥の方の部屋が△5.8/
10.5度で、いずれも今日が最高
気温のようだ。
・一時間余で作業を終え、今日は
これでお仕舞い。




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# by agsanissi | 2012-03-01 18:10 | 和野山点描
2012年 03月 01日

日々雑纂

・夕べは17時前に岩手に到着する。疲労困憊、昨年12月末に埼玉に戻った際にはこんなに疲労しなかったが、
多分、仙台までの雪道走行の緊張が自分で自覚する以上に疲労を招いた原因か。走行中は意識的に深呼吸
を繰り返す。帰宅後、首から肩にかけて軽い凝りを覚える。
・走行中の雪は宇都宮付近までと予想するが、仙台まで続く。福島まで雪道、郡山付近は一部凍結し、時折、
ややスリップ気味。事故のためか郡山インター付近で渋滞し、一時は完全にストップ。やがて何事もなかったか
のように走りだす。狐に摘まれた気分。国見インターの通過は10時(朝6時に出発)、ここまでで約2時間遅れ。
・福島付近から比較的道路は乾き始めるが、雪は舞う。仙台から一関まで曇、一関トンネルを越えると、天候が
急変する場合が多いが、今年は良い方に変わり晴れ間が広がり、急に明るくなる。後は順調。宮古で買物。
・車を降りるや凛冽な空気、一瞬にして岩手に戻ったという実感。気温差にすれば、せいぜい2~3度の違い
でしかないけれど、身体を包み込む空気はまるで違う。凛冽というにふさわしい、この引き締まるような空気が
好きだ。
・宮古から国道45号線、沿線の雪は例年よりやや多い印象。主要道の雪は心配ないとして、自宅前に入る
道路の積雪をちょっと心配するが、帰宅を知らせておいた近所の方が、家の前まで除雪しておいてくれる。
帰宅後、直ぐに水道の開栓、後はナッツと凍り豆腐入の味噌汁だけを啜って、他は何もせずにぐったり。
・20時前に寝て、今朝は1時に起きる。室温5度、比較的温か。いつも通り乾布摩擦とヨガポーズ、首の周りの
凝りをほぐすために念入りに首の旋回・左右・上下運動など(1時半~1時40分)。外気温は△7度前後。
・今朝の体重52.8㌔、去年、埼玉に戻った日の夕刻52.9㌔
・昨日は運転後半に腰痛を覚えるが、今朝は全くヨガポーズに支障なし。もっぱら緊張感が原因か。
・2時過ぎから室内整理。この機会に机その他を整理し、PCセット位置も変更、大幅に簡素化する。理想とし
ては、死に臨んで身一つ以外には後に何も残さぬこと。4時までに、外形的整理はほぼ終了。後はボチボチ
・平常の生活パターンに戻る。6時25分から準備体操&ラジオ体操。

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# by agsanissi | 2012-03-01 06:25 | 日々雑纂
2012年 02月 28日

この国の”行く末”/超長期的推移で考えると

・貴族の支配・武士の支配(ここまでは土地支配が富の根源)・下級武士の支配(土地から資本への移行期)、資本の支配と見てくると、
この大きな流れの変化の中で、明治期以降の流れ及び明治期以降の戦前と戦後の変化を、どのように位置づけるか?
・国の政治&経済を支配する階級ないし階層を安定的に供給するシステム:このシステムの安定性と安定性の喪失ないし崩壊の変遷
として「歴史的推移」を捉えると、次のような経過をたどる。
イ.実質的に支配する能力・実力を備えた階層ないし階級の支配
ロ.やがて支配の代行が起こり、形骸化・寄生化と実質的支配権の移転が並行的に進行
ニ.過去の支配階級の機能喪失、
例えば江戸幕府の場合、二つの側面がある。商業経済の発達で土地支配だけでは経済支配を包摂しきれなくなったにもかかわらず、
土地支配(年貢の徴収)にのみ依存し続けたため、大名の領国支配は実質的に破綻していた。また武装勢力としての武士階級の役割
は鎖国及び国内平和の安定で、一部の実務官僚を除いて名目化・寄生化する一方、領国経済の破綻で彼らを養う能力を失っていた。
他方、外国の「開国」要求(世界史的動向)には積極的に対応出来なかった。
明治政府の場合(1945年)、江戸幕府に比べれば経済的支配の転換(土地及び産業支配と前者から後者への比重の転換)は、比較
的スムーズに進行した。新たな支配階級は、維新の主役となった薩長(及び土佐・肥後)の下級武士を中心とする維新の功労者および
一部の公家勢力によって形成された(彼らは皇室の”藩屏”として新たな貴族階級となった)。やがて新たな地主勢力や新興産業勢力の
台頭と共に、権力を独占してきた藩閥勢力との軋轢・対立は一時的に激化するが、国会開設=政党結成とともに彼らを政党政治の中に
比較的スムーズに吸収するのに成功した。政党政治への違和感ないし不信感を捨てきれなかった旧藩閥勢力は、天皇の統帥権を盾に
軍部勢力として独自の足場を保持し続けた。この事実上の二重権力は、明治の元老の実質的権威が続いている限り顕在化しなかった
が、その後退・消失(寿命)とともに顕在化し、事実上、政治支配を排除し・あるいは政治支配を取り込み・一元化(東条内閣)した。
一方、世界史的動向への対応という点では明治の元老勢力なり、政党勢力の実質的権威が持続している限りは、英米協調主義という
比較的健全・穏健な外交政策が主軸だったが、元老政治の後退・政党政治の形骸化・協調外交の破綻(内外の要因)に伴い、一方的に
「大陸制覇」=大日本主義路線に露骨に傾き、米英(露中)の新たな覇権国家の利益と真向から敵対し破綻した。
既存の政治システムが機能喪失に陥る中での、類似点&相違点は何か?
・以上のような前提条件のもとで、20~30年代と現在との類似点&相違点を考えてみると、経済的・社会的閉塞感及び政党政治の
頽廃が類似しているくらいで、相違点のほうが目に付く。20年代には憲政会ないし民政党と政友会の二大政党が交代で内閣を組織
する形だけの政党内閣が登場するが元老西園寺の掌に載せられていたし、軍部や貴族院・枢密院の相次ぐ容喙を免れ得なかった。
これが勢い、政策をそっちのけにして元老や軍部・枢密院などの力を借りて政権にありつこうとする野合政治に堕落して「政党政治の
頽廃・腐敗」と指弾されるに至った。現在は、内閣成立を差配できるような力は、どこにもない。敢えて云えば国民の人気取りを狙った
ポピュリズム(あるいはマニフェスト)がそれに当たるが、決定的な力はない。
・政党に代わって政権を組織できるような力を持った勢力(軍部のように事実上の二重権力を組織できる勢力)はない。新たに登場する
可能性もない。三島由紀夫は自衛隊にそれを期待したけれど、単なるピエロ的試みに終わった。官僚組織・財界・労働組合・宗教団体
などの利益団体・圧力団体の動向は?
・戦前の二大政党の基盤は、地方の地主勢力や新興産業及び財閥勢力で、多少の色合いの違いがあるだけで基本的な対立点は
ない。従って流動的で、与党の座=利権をめぐる離合集散や軍部・枢密院・財界の利害を後ろ盾にした醜い政権争いが激しい。
・戦後の自民党の長期安定性権の基盤は、米ソの冷戦体制を基盤にした日米安保体制(世界史的動向への対応)と高度経済成長に
特化した政治支配。日米安保体制にも高度成長にも反対する野党は、完全に政権の埒外に置かれ、高度経済成長の利益配分をめぐ
る争いは、自民党内の派閥間争いに吸収された。高度経済成長に取り残され、あるいはその歪や矛盾に対する不満は、地方的・一時
的に「革新」勢力を押し上げたが、単なる不満の”はけ口”にしかならなかった。
・冷戦体制の崩壊と高度経済成長路線の終焉=自民党長期安定政権を支持してきた二大基盤の喪失は、同時に自民党単独政権の
崩壊の契機になった。これに代わる世界的・国内的な新たな枠組みは何か?
政党及び国会の機能喪失について
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# by agsanissi | 2012-02-28 05:48 | ミミズの寝言
2012年 02月 27日

この国の”行く末”/前提条件

・埼玉は3日ぶりに晴天、一方、普代は23日から昨日まで断続的に雪で約40㍉。朝の冷え込みは緩んできたが日中気温が上がらないようだ。
明日まで気温が低く、29日頃から温かさが戻る気配。29日、岩手に戻ることにする。気持ちは、はや農作業モードに転換。

思案の前提条件
いろいろ”思案”の材料・資料・素材を集めておくために....
・これからの観察対象期間は20~30年、これは僕自身の絶対的・生理的制限時間でもある
・過去の歴史的推移を含めた考察対象期間、これはスパンのとり方によって「見方」そのものが変化する可能性を考慮していろいろ
イ.比較対象期間として、戦後60余年は短すぎる:政党政治の停滞ないし頽廃、国会の機能喪失、民主主義の試練
ロ.戦前戦後の連続性と不連続性:一見不連続的に見えて連続的な要素&その逆の場合がありうるかどうか?
ハ.政治的無党派層を、どのように捉えるか?
ニ.自民党の政治支配の安定的基盤であった「地方」の喪失・解体・崩壊⇒戦前の構造の解体及び連続性
ホ.都市の政治的「支配の構造」、そもそも「ある」のか?

・以上は(全部かどうかは別)構造的なもの、課題としては
イ.異常な国債残高(11/02/15から)
債務残高のGDP比、日本の国債残高のGDP比の推移を見て直ぐに気付くことは、過去三回の山は戦争に伴う異常な突出だ。最初は西南
戦争、二度目は日露戦争、三度目は満州事変から太平洋戦争に至る一連の総力戦。それでも、ある時期まではGDP比で50-70%に留まって
おり、歯止めを失ったかの急膨張を遂げるのは1936年以降、特に2.26事件以降だ。英国は、第一次大戦から第二次大戦にかけて、特に対独
全面戦争が開始されて以降だ。こうしてみると、90年代以降の日本の債務残高の急膨張の異常さが浮かび上がってくる。
・国の総力を挙げた消耗戦に匹敵するような、一体、どんな消耗戦がこの間に実施されてきたのか?
対GNP比の長期推移のグラフを探す。
参考:日銀の国債購入で財政問題は解決か?

ロ.小さな政府の選択
ハ.国会の機能回復、これは政界ないし政党再編と表裏の関係
ニ.行政府=官僚組織の再編
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# by agsanissi | 2012-02-27 09:00 | ミミズの寝言
2012年 02月 25日

この国の”行く末”/その3

《12/01/11》
考え方はいまだ”高度成長時代”?
・10日付の日経コラム「鈴木幸一氏の経営者ブログ」で【生活様式はいまだ高度成長時代】ト題して、こんなことを書いておられる(参照)。
・「時間に対する感覚、生活様式、国に対する受益者としての要望、企業活動他、あらゆることの前提にあった経済の右肩上がりの終焉
という厳しい現実
を認識していかないと、思いもかけなかった崩壊を招きかねないと思うのだが。もちろん、グローバルベースで、新しい
技術や産業を切り拓き、そのけん引者として日本が再生していく道をさぐり続けていくことがもっとも重要なことは言うまでもない。「失われ
た20年」といったぼんやりしたとらえ方ではなく、「製造業による右肩上がりの経済」という時代が終わったのだという明確な認識を持つ
ことから始めない限り、未来は見えてこないだろう
」(下線は引用者)
・昨日、パラダイムシフトの兆候と書いた。「兆候」の段階は過ぎているのかも知れない。「製造業による右肩上がりの経済」という時代が
終わった
という認識は、それを示している。しかし転換期には、逸早く、その転換を捉え今までの考え方をきっぱりと捨てて、新たな潮流の
動向を嗅ぎとり、流れを泳ぎ切っていくものと、従来の考え方にいつまでもしがみつき、浮きつ沈みつしながら、やがて時流に押し流され、
沈んでいくものとに別れていく。何もこれは、経済・経営という分野には限らない。社会・文化・思想・生活様式・そして政治システムをも
巻き込んだ大きな歴史的転換へとつながっていく。それでこそ、まさにパラダイム転換というにふさわしい。
・自分の議員生活の去就にとらわれ、右往左往の離合集散を重ね、日替わりメニューのごとくに総理総裁の首の挿げ替えに憂き身を
やつす(これこそ今までの行動様式の延長では対応できなくなった証左かな)政治家こそが、最も時流に遅れているのかも知れない。
小日本主義と大日本主義
・たとえその転換が世界的なものではなくとも、一国的な環境の激変であっても、必要に応じて考え方・生き方を質的に転換することもまた
ある種のパラダイム転換に相当するだろうか。内村鑑三の紹介するデンマークの工兵士官ダルガスの発想は、戦いに敗れ、領土を失い、
荒れ果てた国土を肥沃な大地に変えた彼の発想は、その見事な実証に当たるか。
・明治の開国以来、欧米諸国に門戸を開き、欧米諸国に見習いつつその過密な人口を養うには広大な領土と豊富な資源が不可欠である
として帝国主義的・大国主義的政策を掲げ、やがて英米と決定的に対立するに至った立場に対して、産業主義・自由主義・個人主義を3つ
の柱とする「小日本主義」を主唱した石橋湛山らの「満州放棄論」「移民不要論」は、まさに戦前の日本にパラダイムの転換を求める思潮で
はなかっただろうか(参照)。


《12/01/10》

人口減少時代のパラダイム転換
・1/02の「人口減少社会」で紹介したように、・歴史人口学が専門の鬼頭宏教授は「文明システムの転換期に人口は停滞・減少する」と
指摘している。世界全体としては、これからも増加を続ける見通しだから世界的な文明システムの転換期と考えるのは早計かも知れぬ。
・しかし地球的規模での様々なパラダイムシフトが起きている兆候はある。
・ソ連が崩壊し、社会主義圏が崩壊すると共に、一時はアメリカの一極支配時代が云々されたが、現実には多極化し、新たな世界システム
を模索する時代に入った。
・今日のWSJに「米国の著名投資家ジョージ・ソロス氏は9日、ユーロ圏の国々が財政赤字抑制のため支出を大幅に削減していることなど
から需要の低迷や価格の下落が世界規模で起こり、世界経済は「悪性」のデフレ循環入りしつつあると警告した」「たとえ現在の債務危機を
乗り越えられたとしても、国家債務削減のための諸策で、ユーロ圏は「過酷なまでの緊縮財政」の時代が当分続くことになる、と予想した

云々との記事が載っている(参照)。
・長期の世界的なデフレ時代は、これまでも何度かあった。19世紀後半(特に1873-1896年の24年間)、1930年代(1929-1939年頃)
を世界経済史ではGreat Depressionの時代と読んでいる。長期的デフレ時代は、停滞の時代と暗いイメージで捉えられがちだが、実際
にはこの時代に次の時代への新たな転換・飛躍への胎動が生まれ、パラダイムシフトが起きている。
・仮に欧州経済を中心に広がるデフレ経済が、新たな世界的なパラダイム転換の予兆だとすれば、日本にとってのパラダイム転換とは何
だろうか?(そんなこと一介の農民に分かるわけがない!しかし考えることは出来る)
・1/07付け「日経」の「大機小機」に【人口本位時代の「三国一」とは】という記事が載っている。18世紀までは「各国のGDPは人口にほぼ
比例していた
」「ところが英国の産業革命、アヘン戦争での清の敗北、20世紀の世界大戦などの曲折を経て、欧米が世界経済の覇者に
躍り出た
」。それから数十年、中国・インドが飛躍的な発展期に入り、「世界は再び”人口本位”の時代を迎えようとしている
・「人口減社会に入った日本は今年を新たな”三国一”を目指す元年にして欲しい。それにはどうしたら良いか。内村鑑三が1911年の講演を
本にした【デンマルク国の話】が参考になるかもしれない
」云々。早速、「青空文庫」で読んでみた(参照)。
実際には、人口過密で国土が狭く、天然資源の貧弱な日本は「海外」に新天地を広げなければ国民を養えないと帝国主義的「大国主義」
への道へと踏み込んでいった。誤りを繰り返さないためには、目先の小事に捕われず、内村のような意見を参考にじっくり考える必要がある

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# by agsanissi | 2012-02-25 13:58 | ミミズの寝言
2012年 02月 24日

日々雑纂

・低気圧は東海上に抜け、冬型気圧配置に、気象衛星で見ると雲は全般に薄く、厚い・大きな雪雲はない。寒気も後退し、上空5千㍍の△30度の
寒気団も北海道と青森の一部にかかるだけ。昨日の夕方4時頃から快晴、風がやや強く、午前中の雨と午後からの風に空気は一洗、オリオン座
が一際映える。風は一段と強い。但し気温は7-8度と高い。4時過ぎにやや下がってきた。
・今朝、武田泰淳の【司馬遷-史記の世界-】と福田良治【英雄詩伝】を相次いで拾い読みする。ここに登場する人物と現在の日本の政治舞台に
活躍する人物を同じレベルで、というか同一のレベルの歴史的舞台で考えると何が見えてくるだろうか?あるいは古代ローマや古代中国の歴史
に引き移してみると、どのような時期に遭遇しているのか?と、ふと途方もない事を考えてみた。というより、そういうことを考える素材としてギボン
やモムゼン、司馬遷をジックリ読み込んでみようと考えた。
⇒この本の1960/12の序文で武田泰淳は、こんなことを書いている。
一本筋に、縦に連なる歴史を、大切にすることが、日本人の習慣であった。この習慣は、日本人の道義心をたいへん狭い、きゅうくつ
なものとした。...しかし、戦後のわれわれは、もう少し空間的に、思案をひろげて、ねばり強くせねばならなくなった。人間世界を全体的
にとらえ、すべてを知りつくして後、決断する必要に迫られることになった。...貧血した国内史にしがみつくことなしに、筋骨たくましい
世界史へ大胆に結びついて行かなければならない

結果として考えてみれば、鎖国・開国・大陸進出・敗戦・戦後体制及び55年体制の崩壊など、多かれ少なかれ世界史の大きな変容の
うねりの中の小波動と見られないこともない。”萬世一系”などの神話を自らつくり出した「明治元勲」の世代は、遅まきながら世界史的な
視野を持ち神話を利用する術を心得ていたが、次の世代は受け継いだ神話の呪縛に自ら絡め取られ、世界史的・空間的視野を失い
「国体護持」の名のもとに”一億総玉砕”などの暴論を口走るまでに理性を失ってしまった。
・果たして、戦後のわれわれは、「人間世界を全体的にとらえ」空間的に思索をひろげて考えられる習慣をみにつけただろうか?そんな事
を考えてみる素材として、迂遠なようでも、古典的文献をジックリ読み込んでみるのも良いだろうか
(12/02/25追記)

・僕は、1975-85年以降の日本の政治・社会を、1919-28年頃に比定して考えている。現在は、ほぼ30年代の政治的アナロジーで考えると
何かが見えてくるかと見なしている。しかしこのサイクルでは、なにせ期間が短すぎる。明治維新から、たかだか150-160年程度。人口衰退期
という一文明の浮沈に関わる重大な歴史的変容期
を考えるには、虫眼鏡のみならず望遠鏡が不可欠だ。その素材としてギボン、モムゼン、司馬
遷、ちょっと最近のものでブローデルとウォーラーステインを選んだわけだ。虫眼鏡として【西園寺公と政局】はまず第一候補、後は?升味さんの
【日本政党史論】第5~7巻に掲載されている参考資料の中から選定。

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2011年2月は何をやってた??
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# by agsanissi | 2012-02-24 05:46 | ミミズの寝言
2012年 02月 24日

この国の”行く末”/その2

・時々、コラム「溜池通信」を読んでいる。特に、この通信のアメリカ大統領選挙の観察が鋭い。今日の「かんべえの不規則発言」(2/22)に
こんな言葉が載っている。産経新聞の第12回正論新風賞の授賞式での井上寿一教授の挨拶の引用だそうだ。
歴史観には大きく2つの流れがある。ひとつは戦後を肯定して戦前を否定するもの。もうひとつは戦前を肯定して戦後を否定するもの。私は
少数派かもしれないが、戦前も戦後も肯定したい

自分の考えを書いておけば、歴史は「否定も肯定もしない。ただ坦々と、淡々と観察するのみ」、翻って当事者としての立場に自らおいて
考えると、どうか?天気と同様、与えられた諸条件のもとでの選択肢は限られている。問題は自分一己の思いを「空」にできるかにある。


《12/01/08》から
ねばねば天下り利権付消費増税
・今日のBLOGOSの植草一秀氏のコラム(参照)に、二年半前の「衆議院本会議での野田佳彦氏の発言抄録」が載っている。
・該当部分を、衆議院本会議「議事録」(参照、第171国会・常会・第46号)から引用しておくと、
私どもの調査によって、ことしの五月に、平成十九年度のお金の使い方でわかったことがあります。二万五千人の国家公務員OBが四千五百の
法人に天下りをし、その四千五百法人に十二兆一千億円の血税が流れていることがわかりました。その前の年には、十二兆六千億円の血税が
流れていることがわかりました。消費税五%分のお金です。さきの首都決戦の東京都政の予算は、一般会計、特別会計合わせて十二兆八千億
円でございました。
  これだけの税金に、一言で言えば、シロアリが群がっている構図があるんです。そのシロアリを退治して、働きアリの政治を実現しなければなら
ないのです。残念ながら、自民党・公明党政権には、この意欲が全くないと言わざるを得ないわけであります。
 わたりも同様であります。年金が消えたり消されたりする組織の社会保険庁の長官、トップは、やめれば多額の退職金をもらいます。六千万、
七千万かもしれません。その後にはまた、特殊法人やあるいは独立行政法人が用意されて、天下りすることができる。そこでまた高い給料、高い
退職金がもらえる。また一定期間行けば、また高い給料、高い退職金がもらえる。またその後も高い給料、高い退職金がもらえる。六回渡り歩いて、
退職金だけで三億円を超えた人もおりました。
 まさに、天下りをなくし、わたりをなくしていくという国民の声に全くこたえない麻生政権は、不信任に値します。
」云々(下線は引用者)
・植草氏は「これを、繰り返し野田佳彦氏に突き付けることが不可欠だ」と書いている。かつて麻生内閣に突きつけた不信任案の刃は、自分に跳ね
返って来る。
自民党が「与党」なら、やはり財政再建のためには消費税引き上げは避けて通れない。その意味では、民主党の引き上げ案を公約違反として
追求するのは、単なる形式的議論で話にならない。問題の根本にあるのは、まず「身を切る覚悟」、特殊法人やあるいは独立行政法人のみならず
肥大化した政府組織そのもの&立法組織を簡素化し、財政の圧縮と透明化を図り、その上で過去の借金削減計画を提案するのが、話の本筋だ
ということ。民間・個人を問わず、破産した会計又は家計の再建計画とは、すべてそれが常識だ。

ミラボーの至言;桁が全然違うけれど、最左翼のジャコバン党から総裁政府の警察長官に就任したフーシェを称して「大臣となったジャコバン党は
もはやジャコバン党の大臣ではない」という言葉は記憶に値する(ツヴァイク【フーシェ】130p)

《12/01/07》から
小さな政府、大きな政府
・昨日書き忘れたことを足しておく。野田総理の「不退転の決意」で、即座に頭に浮かんだのはライオン宰相と呼ばれた濱口雄幸だ。
方法は間違ったけれど、実行力も決断力もあった。小手先の駆け引きに終始する「料亭政治」を拒絶し、国民に直接訴える術を心得ていた。
日本の首相で初めて当時最新のメディアであったラジオを通じて国民に直接自身の政策を訴えた首相」(Wiki「濱口雄幸」参照)になりえた
所以だ。
・野田首相は、高校の同期会で「四方八方から弾が飛んでくる。最近は背後からも飛んできた」と語ったそうだ。こんな状況で正面突破する
には「国民に直接訴え、国民を動員する」しかない。6日の日経「大機小機」に「国民が固唾を飲んで議論に注目し、一喜一憂し、笑いさざめ
きながら落ち着くところに落ち着かせるようにすべきだ
」とある、同感だ。
・それには、増税の不可避を訴えるなら、自ら身を切る覚悟を示さなければならない。例えば、在任中、自ら給与を五割返上する、高級公務
員は二割返上するが、率先して二割五分返上、一般公務員は一割返上。五年で省庁再編を進め、公務員の二割削減する。地方公務員も
これに準ずる措置を自主的に実行する。国会議員定数は三分の二に削減する等々を実現の上、消費税引き上げと低所得者対策・社会保障
政策・医療保険の一体的改革を提案する。一方、デフレを考慮し、震災復興と今後の大震災に備えた大都市再編計画に国内外を問わず
資本参加を呼びかける。そのため大胆に規制を緩和し、道州制の導入と共に地方に大幅に権限を委譲する。それでこそ「国民が固唾を飲ん
で議論に注目」する。この程度の提案が出来てこそ「不退転」も実態を備えるが、現状は単なる空文句にすぎない。
・二年半ほど前、民主党政権はある種の「国民総動員」を求める必要がある、と書いた。
・民主党は、自民党の「負の遺産」を背負い込むことになる。民主党の特徴を、一言で言えばポピュリズムということになるか。
・そのほかの具体的政策ではバラバラで一体性がない。要するに明確な綱領を持たない寄り合い世帯。
ポピュリズムの最初の試練は「財源」だが、いまや借金財政の重みが、すべて民主党政権に被さってくる。
・この苦難を乗り切る唯一の方策は、ある種の「国民総動員」、国が国民のために何が出来るかではなく、国民が「国」のために
何が出来るかが問われているという明確なメッセージを打ち出せるリーダーが必要だが、鳩山にはその資質はない。
(09/07/19、参照
下線は今回改めて付けた。)
・鳩山も菅も、正反対の無能をさらけ出した。さて、野田総理はどう出る??
・ついでに云えば、こうした提案が出来れば、それは「小さな政府」への第一歩になる。極論すれば、これからは国(ないし中央政府)は金融
と外交と軍事及び各地方間の整合性を図る調整機能だけに権限を特化し、他の権限はすべて地方に移譲するが良い。

《12/01/06》から
小さな政府、大きな政府
・今年は世界各地で重要な選挙がある。一回一回の選挙などは大した意味があるとは思っていないけれど、また所謂”民意”などにも
重きを置かないけれど、数十年~百年というスパンで見れば重要な、時に決定的な意味があると考えている。
・僕の「国家」についての考え方は、マキャベリの「君主論」、ホッブスの「リヴァイアサン」、レーニンの「国家と革命」などが根底にある
から、何よりもまず「権力機構」だと考えている。とりわけ中学2年生の時に読み耽った「国家と革命」の強烈な印象、世界観を根底から
ひっくり返されるような衝撃は今でも忘れない。言葉通りではないが、国家は階級闘争の非和解性の産物であり、社会から生まれ、
社会の上に立ち、披支配階級を支配し、抑圧する道具である。共産主義社会では国家は廃止されるのではない。階級支配は止揚され、
それと共に抑圧機関としての国家は不要となり、国家は廃止されるのではなく、「死滅」するのだ。等々の内容は社会=国家と単純に
思っていた僕にとっては衝撃だった。その後、人間は社会的動物であり、社会なくして「人間」としての存在はありえないけれど、「国家」
、とりわけ近代国家は歴史的産物、すなわち戦争と革命の産物だと知るに及んでレーニンの国家論は最も歴史的現実に沿った国家論
だと考えるようになった。
・もち論、現在ではロシアの10月革命の前夜(8~9月)に書かれたこの本が、単なるユートピアに過ぎなかった、否、それどころかナチス
に並ぶ怪物国家、剥き出しの抑圧機構としての性格をさらけ出す原動力にさえなったと考えているけれど(このような矛盾は、隣人愛を
根底に持つキリスト教が、異端迫害でむき出しにする残虐さ・悲惨さに通じるものがある)、国家の性格の一側面、依然として権力機関・
抑圧機関としての一側面を備えている現代国家を理解する助けにはなると考えている。
・19世紀後半以降、社会主義思想や労働運動の影響もあって、その対抗上、福祉政策や社会保障政策等の社会的な所得再分配が
重要な機能となり、また30年代の世界大恐慌を境にパイの再分配のみならず、パイそのものを拡大する経済政策がますます重要な
意義を持つようになり、経済活動に占める国家の比率は曲折を経ながらも拡張を続けてきた。大局的に云えば、この百数十年、多少の
変動や政策的色合いの違いはあっても「大きな政府」の道を只管歩んできた。その程度に応じて、国家の抑圧的性格は後景に退いた
・いまや潮目は変わったのではないかと感じる。リーマン・ショックを機会に、金融危機の救済のために国家の財政支出は一挙に拡大し、
国家財政そのものが破綻の危機に直面している。各国通貨と国債の信用が問われている。現在はまだ最も弱い鎖が腐り始めているに
過ぎないが、一端が切れれば信用不安の連鎖がどこまで広がるか、グローバル化が進めば進むほど、各国経済の緊密度が深いほど、
その破壊力は肥大化する。一方、国家の裏書してきた約束手形の債務は国債のみならず年金・医療など加速度的に肥大化するのみ。
現在の「税と社会保障の一体改革」など百%実現した所で、将来的に直面する課題に比べれば児戯に等しい。それ故、潮目は変わった
し、変わらざるを得ないと見ている。具体的に、どういう曲折をたどるのか、それは分からない。数十年、百年というスパンで見れば潮目は
変わって、「小さな政府」が大きな潮流になるだろうと見ている。
・”民意”は、当然、「大きな政府」の恩恵に浴しながら、そのための負担には拒絶反応を深めるだろう。そのバランスとアンバランスとの
微妙な兼ね合いで「大きな政府」を目指す党派と「小さな政府」を目指す党派との実際的争いは紆余曲折は免れないとしても、結局は
大きな潮目の変化には逆らえない、というのが僕の見通しだ。尤も、その行方を最終的に見据えられるほど生きてはいないけれど。
・また「大きな政府」を目指す党派と「小さな政府」を目指す党派との対立は、すっきり二分しておらず、民主・自民夫々に内部対立の温床
を残したまま、また過去の対立軸の残滓(外交・軍事・所得政策等で)を引きずりつつ、将来的な政界再編の可能性に向かって(当面は
議員個人の再選可能性が彼らの最大関心事で、長期的展望など考える余裕もない)ジグザグの混乱をたどるだろう。
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# by agsanissi | 2012-02-24 04:29 | ミミズの寝言