2011年 01月 25日
・「じゃがいもが世界を救った」の原題は、ただ「POTATO」というものだ。 副題に「How the humble spud Rescued the wetern world」 とある。the humble spud、16世紀に南米大陸からもたらされて以来 数百年以上にわたってヨーロッパ社会で受けてきた冷遇からすれば 「ありふれた芋」というより「卑しい芋」といったほうが良いだろうか? それはともかく、「聖書」に記載されない珍奇で、無様な、時に悪魔の植物 と忌み嫌われたが、18世紀末以降、確かにジャガイモは西欧世界に根を 張り小麦と並んで、時に小麦に代わって、ヨーロッパの農民、とりわけ貧し い農民の腹を満たしてきた。 ジャガイモはフランス人の生活にスープ鍋を介して入ってきた。パンは「食」 の精神的中心だった。一方、スープは空腹を満たすもの、あるいは空腹を 満たすはずのものだった。大抵の家庭にはこれ以外の料理に必要な用具 の備えがない。230.p(じゃがいも料理には、粉ひきも、パン焼き窯もいら ないし、薪にしても、少量で足りる) ・西欧社会にジャガイモが受け容れられた後も、ジャガイモに接する感情は 決して同じではなかった。フランス人は、素直に、あっさりと受け入れたが イングランドやアイルランドの貧困層にとっては、ある種の罪悪感を伴った。 「両国の貧困層は貧困を悪とする道徳観念の下でもがいていた....(彼らは)他のものを食べる余裕がないために、ジャガイモを食べた。 ジャガイモは下層階級の食べ物である。それは本当の食べ物、健全な食べ物の代替品だった。しかし、こんな区別は19世紀フランス には存在しない。いったんジャガイモが食に適していると認知されると、誰がこれを食べようと関係ない。「ものぐさ根菜」であるはずが ない。....ジャガイモは本物を代替したわけじゃない。無論、パンの代替でもない。貧しい人間にとって、食べ物は全て尊敬に値した」 228.p(豊かさとともに、我々はこの気持を忘れてしまったな。そのしっぺ返しはどういう形で受けるかな?) ・そのくせ、アイルランドにとって(19世紀の半ば、国の人口の四割の人々がジャガイモを唯一の食べ物にしていた)、ジャガイモは 食べ物以上の存在だった。「1845年以前からジャガイモは資本であり、賃金であり、生計の基本であり、小作農が地代を支払う原資 だった。ジャガイモは、土地の保有権や婚姻による不動産継承権などの諸問題を解決する社会的「通貨」でもあった。つまり、ジャガイモは、 いかに頼りなくとも、生活を継続する上での保証だった」249.p(下線部は、原書にはただmarriage settlemennt と書かれており、単に 婚姻契約保証ないし結納金のようなもんじゃないのかな?貧困層の結婚に「不動産継承権」云々は相応しくないような感じ。) ・その結果、1845-51年に疫病が蔓延し、ジャガイモが壊滅的被害をうけるとともにアイルランド国民も壊滅的打撃を受けざるを得なかった。 「大飢饉の前、アイルランドの推定人口は820万だった。病死ではなく飢饉による餓死者がどれほどの数にのぼるか、よくわかっていない。 ....この時期の餓死者を100万とする点では(ほとんどの歴史家が)一致している。これには、この数年間にアイルランドを出国した移民 130万のうち途中で死亡した人数は含まれていない。....この時期と、約500万人がアイルランドから移民として出て行ったその後の 60年の間に、アイルランドの人口は1911年時点で440万に激減している。」254.p
by agsanissi
| 2011-01-25 18:34
| 日々雑纂
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