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農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2006年 02月 13日

符丁としての言葉


今朝、ふと「さあ、注目を一身に集めて最終ジャンプ!!」てなことを実況ニュースか
なにかで喋っているのを聞いた。
「注目を一身に集めて」と云うが、誰の注目を集めてるいるのだ?注目するものは
注目するし、注目しないものは見もしない。その点、幼稚園の運動会だろうと、オリン
ピックだろうと変わるところは何もない。注目は一点に集めるからこそ注目で、分散し
ていては注目にならない。要するに「注目を一身に集めて」という形容は、全く情緒的
な・気分だけの言葉で中味がない。
ところが、その場の雰囲気に呑まれて、一体になって応援している人らには、この
無内容な情緒的形容が、独特の雰囲気を盛り上げる役割を果たすのかもしれない。
これは、その場の雰囲気と共感を共有するある種の「仲間社会」の符丁だ。
しかし、ここで実況に相当するのは「最終ジャンプ」だけで、ほかは実況ではない。
仲間社会にしか通用しない情緒的形容を乱発するアナウンサーは三流でしかない。

しかし「なんとなくムードで動く」仲間社会には、曖昧で無内容な符丁こそが、曖昧模
糊としたムードを包み込むには相応しい。かくて民主党という曖昧模糊とした政党は、
規約や倫理規定は持つけれど綱領を持たず、一方、言葉が鴻毛の軽さに扱われる
仲間社会では憲法や綱領を持ったにしても、時代と共にいかようにも変容しうる柔軟
さを発揮する。

科学では、記号としての符丁は厳密で、誤解の余地のないものでなければならない。
認識の深まりと共に、符丁の意味が変わる場合がある。例えば光は、粒子か波動か
という問題は、符丁の曖昧さが問題なのではなく、対象そのものの二面性が問題
なのである。記号なり、言葉なりが、鴻毛の軽さに扱われれば、科学は成り立たない。

一方、曖昧に包み込む言葉で成り立っているのが「なんとなくムードで動く」仲間社会
だ。例えば「地球」という言葉も解るし、「やさしい」も解る。しかし「地球にやさしい」
とつなげると、いったい何が「地球にやさしい」行為なのかサッパリ解らないし、時に
全く正反対の行為を「地球にやさしい」という言葉の下に包摂している。
頭から疑いもなく信じている場合もあろうし、ただ営業的に吹聴している場合もあろう
し、情緒的につぶやいている場合もあろうし、なんとなく異議申し立てしにくいムード
だけが際立っている。こんな無内容な言葉でさえ、ただ繰り返すことで、なにか意味の
あることを語っているかに錯覚し、地球にやさしい行為をやっているかに錯覚し、安易
な自己満足に陥っているのではないかと危惧する。

例えば「自然から学べばよいだけだ」(参照:「自然から学ぶ」ということ)というにしても、
一見、深遠な哲学を語っているかに錯覚し情緒的に捉えれば解った気になるが、深く
考えれば考えるほど、何をすればよいかが曖昧になり、不明確になるだけの無内容
な符丁でしかない。

夏目漱石じゃないが、
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。
意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

◆◆ 畑を耕し、自分を耕し、世間を耕す、【耕す生活 ◆◆

by agsanissi | 2006-02-13 12:42 | ミミズの寝言


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