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農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2007年 01月 04日

情報過多/知られすぎた現実

「対談」のどこに惹かれたか??
ザウパー監督は、「対談」でこんなことを云ってる。
結局、私にとっては、ドキュメンタリーとして現実を見せるということは、自分
の仕事の一部だとは思っていません。私の映画を通して現実を見せようと
は思っていない
んです。アフリカで飢餓があり、そして戦争があり、社会的な
崩壊があり、不正義があるということは、人びとはみんな知識として知ってい
ます。ある意味で知り過ぎていると言ってもいいと思います。
たとえば一つ例にとれば、アフリカでエイズが蔓延して、アフリカの人びと
がエイズで死につつあるということは、誰もがうんざりするほど聞かされてい
ます。ですから、またそれを聞かされると、人びとは、あ、それはもう知って
るよ、また同じことだ、もういいよ、となります。情報過多の状態にあるわけ
です。
そうではなくて、その状況の中で一人を取り出し、その人を映画的なコンテ
クストに置いて、顔と名前を与えた上で、その人がどういう経緯でエイズに
罹ってしまったのかということ見せたいと私は思うんです。その関係性を見せ
ていきたい
わけです。つまり映画を通して、既に知られていることを、「知ら
れていること」としてではなく、「知りたいこと」に変えたいのです。
脳は、「何をすべき」というオーダーを受けることを嫌います。逆に、「何
をすべきか考えろ」という形で挑発されたがっているのではないでしょうか。


これを僕の言葉でまとめると、次のようになる。
・情報過多の状態だ(本当に知りたいことは見えない)。
・現実は、程度の差はあれ、知っている。ある意味で知りすぎている。
・だから現実(環境破壊、飢餓、エイズなど)を見せることが目的ではない。
・個々の具体的な経緯(顔、名前、どういう経緯)を知りたい。
・一般的事実と個々の具体的事実との関係性(見えない鎖)を見せたい。

更に云えば、飢餓、戦争、社会的崩壊、不正義などを「知識として知る」こと
によって、遠い世界の現実・自分とは切り離された・かけ離れた社会の現実と
しての認識に客体化される。
そういう意味での「知識」について、対談相手の村上龍はこう云ってる。 
元国連難民高等弁務官事務所の緒方貞子さんがおっしゃったことで、僕もまっ
たく同感なのは、「人道問題に人道的解決なし」ということです。すごく政治
的な問題が多いし、経済の問題も多い。そうしたときに、たとえばアフリカの
タンザニアのそういう悲惨な状況を描くドキュメンタリーを観た人たちが、
「あ、可哀相な人たちだねえ」「これはひどいなあ。何とかしなきゃな」なん
て言って、映画館から出てくると、もう忘れているということが多いんですよ
ね。それが、監督が言った情報過多ということなんですけど。


僕はこの対談を読みながら、10年ほど前に世界的に広く読まれた「ソフィーの世界」の
中の、ソクラテスの言葉の一節を繰り返し考えてみた。
いつの世にも、疑問を投げかける人は最も危険な人なのだ。答えるのは危険
ではない。いくつかの問いのほうが、千の答えよりも多くの起爆剤をふくんで
いる。

現代社会は、アフリカ問題に対して国連をはじめとした先進各国の人道的支援という
「回答」を与えている。

by agsanissi | 2007-01-04 18:24 | ミミズの寝言


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