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農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2007年 11月 07日

食の「安全」と「安心」

昨日から、耐火建材や不燃材の偽装とか、血液がさらさらになるといって高額のブレスレット
を売りつけて24億円の売り上げとか、ニュースで流している。
食品・食材の品質表示偽装とか、「安全・安心」を売り物にした有機野菜のJAS法違反とか、
「安全・安心」を逆手に取った偽装事件が相次いでいる。

こんなニュースを横目に見ながら、今朝は二つのことを考えた、メモ程度の覚書。
1.自分は、なぜ有機農法(という表現は如何にも狭隘で、僕の思いはこの概念には収まり
切らないが)に関心を持っているか?
食の安全・安心からか、はっきり言って違う。これは明言できる。安全・安心の見地からは
一般に言われてるような有機農法にこだわる理由はいささかもない。
地球環境からか、これも違う。地球環境の立場で有機農法などはっきり言って、チャンチャラ
可笑しい。個人的領域のどんな行為が、地球環境にとって良いか悪いかなどは、屁をするの
が地球環境にプラスかマイナスかと考えるのと同じくらい阿呆臭い行為だ。化学肥料の施用
が地球環境にマイナスだというなら、化学肥料の製造そのものを制限すればよいので、個人
レベルでそんなことをあれこれ言うのはお門違いだ。
では、なぜ僕は関心を持っているか?
多分、(まだはっきり文章化するほど明確ではないが、というよりいつかはっきりと概念化で
きるようにと書いているのだが)作物栽培として、何が本質的行為か、ということではないか。

2.食の安全・安心については、もっとも重要な論点を忘れていた。安全と安心は、まったく
異なる概念で、安全は客観的な指標だが、安心は逆に主観的な心象風景だ。
偽物のブレスレットだって、それで血液がさらさらになると信じ込んでいれば、血液はともかく
当人の免疫的機能は高まる可能性はないではない。「笑いがナチュラルキラー細胞の働きに
プラス」だとは、多くの実証実験が重ねられている。その点、宗教的救済が「安心」を与えられ
るかどうかは、国家が介入すべき領域とは、一般的には(今日では)みなされていない。
その点、農水省や厚生労働省が、「食の安全」を云々することは許されるとしても、「食の安心」
に関わることは許してよいのか?

by agsanissi | 2007-11-07 08:16 | ミミズの寝言


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