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農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2007年 11月 10日

余談

昨日から今にも泣き出しそうな空模様が続いていた。9時過ぎ雨、これから三日間ほど
雨模様、東14のダイズ刈り取りは一昨日完了、来週は人参掘り取りの予定、備えて暫し
休養。

最近、鉄屑・解体業者などが顔を出すようになった。宮古の鉄屑業者が最初に来たのが
二年前。当時は、ロータリの交換後の刃だの、壊れたPTOなど処分に困るものがゴロゴロ
していた。それが走りで、各地で銅線が盗まれた、半鐘が盗まれた等のニュースが飛び交
う頃には、田野畑、大野、盛岡などの業者もやって来た。田野畑や大野には酪農家が多く、
大型機械を使っている者が多く、それが狙い目のようだ。こんな人里離れた畑地にも、そん
な形で国際的な原料・資材インフレの余波が押し寄せてきている。

昨日、盛岡の業者が来て、なんだかんだと一時間ほど雑談をしていった。
「旦那さんは都会の方ですか」という話から、生まれは満州、育ちは東京・埼玉。満州と
云っても最近は分からない人が多い。
が、即座に反応して、実は「俺の親父も満州で特務機関にいて、終戦から二年目に佐世保
に帰って来たんですよ」との話。
「シベリアに抑留されていたの?」
「終戦のとき、黒龍江省でロシアにつかまって列車に乗せられてロシアに向かう途中、自分
は特務機関にいたからロシアで裁判になれば、確実に死刑だと思って、途中で飛び降りて
逃げ出し、現地語は自在に喋れたので現地人の振りをして、中国人女性とも結婚して、
それから二年かけて奥地から牡丹港まで逃れてきて、そこで帰還船に乗って帰って来た
そうです」「偽名を使っていたため、最初は軍人恩給も貰えなくて...」
と、まるで帚木蓬生の「逃亡」を地で行くような話しを聞かされた。
尤も「逃亡」の場合は、軍人恩給を貰えなかったどころか、もっと酷薄な人生が待っていた
のだが...。

「軍人恩給が貰えなくて」という話で、以前、NHKFMの日曜喫茶室で話題になっていた
「蟻の兵隊」という映画のことを思い出した。
敗戦当時、中国山西省にいた陸軍第一軍の将兵59000人のうち2600名が、「軍の命令」
で残留兵として居残り、当時共産軍とたたかっていた国民党系の軍閥に合流して戦い続け、
その後、人民解放軍の捕虜になり、抑留生活を終えて昭和29年に帰国。軍人恩給を求め
て現在も裁判で係争中、国側は「残留兵はみずからの意志で(すなわち軍の命令でなく)
残り、勝手に戦い続けた」と主張し、一審二審とも原告敗訴というものである。
特務機関の「残地任務」(敗戦後、敵地に残留して諜報活動を続ける)や米軍の要請で創設
されたばかりの警察予備隊が極秘裏に朝鮮戦争に派遣されたことなどは知っていた。しかし
関東軍の一部が残地任務を命じられたとは、全く知らなかった。僕の想像を超える話だと、
異様な衝撃を覚えたことがある。この話の簡単な内容は、福岡弁護士会「弁護士会の読書」
07/09/20(参照)に紹介されている。

かつては従軍慰安婦問題、現在は敗戦時の沖縄の「集団自決」に関して軍の命令があった
かどうか巡って裁判および教科書検定が係争になっている。裁判については「沖縄タイムス」
07/11/09(参照)に載っている。

「逃亡」や「蟻の兵隊」に、その一端を窺えるように「軍の命令」は絶対であると同時に敗戦の
どさくさに紛れて、さまざまな偽装、膨大な証拠の隠滅、罪の擦り合いなどが行われたであろ
う事は想像に難くない。60余年間、平和な社会に住み慣れた我々には到底想像も及ばない
生き残るための苦闘が繰り広げられたはずだ。
現在の我々の常識に訴えて、「証拠」をあげつらって、そんな無茶苦茶なことをやるはずが
ないと思わせようとする論調が、最近、大手を振って罷り通っているようだ。

by agsanissi | 2007-11-10 12:04 | ミミズの寝言


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