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農のある風景/作業日誌/ようこそ!!荒木農場へ

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2008年 01月 17日

食料自給を考える/農業の工業化または工業的農業/7


次に、google で「工業的農業」と検索すると、三日前は約38.3万件、今日は56万件ヒット
した。何故か、僕の書いた記事が二番目と三番目に出てくる。三番目の記事は三年前に書い
たもので遺伝子組換え作物と農業の工業化との関係を指摘して、
GM作物の導入は、その単純化された機械化体系とも結びついて、農業の工業化を一段と
促進した。そしてまたこのような工業化された農業が、都市資本なり工業資本なりにとって、
農業を魅力的な投資対象に変質させたからこそ、アルゼンチンの例に見られるような爆発的
なGM大豆の拡張となったのだ。

と書いてある。
二番目には12日の記事が早速、検索対象になっている。余談はこれくらいで...。

「The New Farmer」のサイトに「農業経済 一般教書演説」と題するミズーリ大学名誉教授
ジョン・イカードの02年11-12月のレポートが載っている。そのうち第一部「工業的な農業
の論理的帰結」の部分の要点を摘記すると、

・現在、アメリカの農業は「大きな転換期」を迎えています。私たちが知っている家族農業
や自立した地域社会を基盤とする農業は、農場の機械化による運営と地域社会の衰退に伴っ
て工業的な農業へと急速に変化していっています。このような変化により、大きな危険が
生ずると共に、大きなチャンスも与えてくれます。

・第2次世界大戦後、化学技術――特に商業用化学肥料と農薬――は工業化を促進させました。
そして最近まで、農業の工業化が進む過程で引き起こされたもっとも顕著な結果は、農場の
大規模化、農場の減少そして農家世帯数の減少でした。それでも生産者や家族経営農家、また
農業の重要性を理解している人達は、何をどのように、誰のために生産するのか、それが農地
や周囲の人々にどのような影響を与えるのか、ということに配慮し意思決定を下していました。

・現在進行中の農業の「企業化」はまさしく工業化の最終段階といえます。新技術は常に事業
を拡大し、その都度新規投資を必要としてきたため、最大規模の農家を除く一般の農家は皆、
必要な額の資金をうけることができなくなるという状態に陥っています。農家の多くは、これ
まで投資資本を強化するために同族会社を形成してきましたが、加速する農業の工業化に
必要な資本提供を受けることができるのは公営企業だけとなってきており、その数は増えて
います。...農地や基礎的な生産施設のほとんどは、まだ農家や同族会社により所有されて
いますが、生産は次第に巨大な農業関連企業による管理下へと移行してきています。

・食料システムへの企業の支配力が増すにつれ、契約農家よりも低コストで生産している独立
した農家でさえ、競争に打ち勝つのは困難だと認識するようになってきています。現在企業は、
新技術、特にバイオテクノロジー関連の大部分を掌握しており、農家は契約協定を通してしか
それらを入手できません。

・株式上場の大企業のように株主の数が増え、基本的に所有権から経営が離れてしまうと、
意思決定は企業の利益や発展に影響されます。こうした企業の資本のほとんどは投資信託と
年金基金によって運用され、株主は、すべてではないとしても、投資の価値が上がることに
最大の関心を持つ傾向があります。このように企業に管理された農業はこれまでの農業とは
根本的に異なるものとなります。

・アメリカ人は自国の農業をコントロールできなくなっています。何を、どれだけ、どこで、どの
ように、誰が生産するかは、アメリカ人によってではなく、ますます多国籍企業によって決定
される傾向にあります。...契約協定では誰に決定権が与えられるかが決められますが、
大部分において、農家は地主やトラクターの運転手や養豚場の管理人と同じように見なされ
ており、本来の役割をもつ「農家」として見なされていないことは確かです。

・多国籍農業関連企業はアメリカ農業への支配力をますます強化し、無国籍で世界の至る所
に株主を持っているのです。今後さらに多国籍企業は、アメリカ国外で生産する方がより儲かる
と認識するでしょう。トウモロコシ、大豆、豚肉、牛肉、綿、米などの主要農産物を生産する
場合、南アメリカ、オーストラリア、南アフリカ、中国のような地域と競争するには、アメリカの
農地や労働コストは高すぎるのです。

・世界市場での生存競争に生き残るためには、アメリカの生産者は、土地と人間の両方を搾取
する契約協定を受け入れざるを得なくなるでしょう。大規模な飼育場での養鶏や養豚の工業化
は、大企業による搾取の代表例と言えます。

・大企業がアメリカでの農業を撤退する前に、アメリカの農村地域の多くは"第3世界"に見ら
れる不毛の地へと化してしまっているでしょう。河川や地下水は汚染され、小さな沼に廃棄物
は捨てられ、表土は破壊され疲弊し、帯水層は枯渇し、農村地域の犯罪、未熟な労働者、農村
地域の消滅――これらは、農業の企業化による負の遺産となるでしょう。

・食料の海外依存に対して懸念の必要はないと主張する経済学者は数多くいます。世界的
経済発展の新時代において、アメリカが農業そのものを超えて進化するのは必然であり、食料
は世界各地で安く生産され、もっと低価格で購入できるようになっている今日、アメリカ国内の
土地と労働力に対してもっと高い使用価値をあたえるべきだと助言しています。しかしながら、
もし危機がやって来た時に、食料自給のできない国家は、自衛力のない国家と同じくらい安全
ではないのです。(引用は以上)

食料自給との関係で、このレポートで興味深いのは、農業が多国籍企業の支配下に置かれ
意思決定権を失うとともに、農業もまた工業と同様に「空洞化」し、やがては「食料を自給でき
ない国家」に転落する可能性があるという指摘である。
農産物輸出大国で、食料自給率120-30%のアメリカが、やがて「食料を自給できない国家」
に転落する可能性があるという、一見、逆説的指摘が奇異でも何でもないところに、国家の
意思決定権をも部分的に超えてしまった多国籍企業の支配する現代の産業社会の逆説的
現実がある。

第二部は「消費者の関心が高まる持続可能な農業
第三部は「新しいタイプの農業者
関心ある方は、同サイトで読んで頂きたい。

第二部で、次のように書いている。
農業の根本的な目的は、太陽エネルギーを(植物光合成の働きを用いて)人間に有用な形に
変換することであるにもかかわらず、その農業に様々な機械が導入され、再生不可能な化石
燃料を燃焼して使うことによって、太陽から取り出すエネルギーより大きいエネルギーを
消費するようになってしまったのです。
...
産業の時代は過ぎ去り、目の前にはなにか全く別のものが私たちを待っています。農業は
いまだ工業化の支配から逃れられないでいますが、企業化は工業化の発展過程の最終段階です。すでに先進国世界の他の多くの国々では、工業化を超えた方向へと進もうとしています。

この思想は、11/29に再引用した、「耕す生活」の冒頭の僕自身の考え方と完全に一致する。
そこで僕は「農業は、工業から独立して自分の足で立てばよい」と書いた。しかし「自分の足」
で立つとはどういうことか、発酵学や微生物学との結びつきがその基礎を築くのではないかと
の感じを持っているが、僕にはまだ漠然としか見えていない。
イカード氏は、第三部で「新しい農業」の特徴を三点指摘した上で、「最後に、この新しい
農業者にとって、農業とは生計を立てる一手段であるだけではなく一つの生き方を表明する
ものです」と述べている。
この思想も、奇しくも「耕す生活」の冒頭で
人生の後半生に入って、あえて百姓という生き方を選んだのは、戦後社会を支えてきた、こう
いう考え方に対するアンチテーゼだ。もう、そんな生き方は行き詰ったという、僕自身の生き
方を賭けたささやかな狼煙だ。

と書いた考え方と、完全に一致する。それでもなお、抽象的に留まっているのは否めない。

by agsanissi | 2008-01-17 08:19 | 考える&学ぶ


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