2008年 02月 13日
大雑把に言えば、日本はアメリカの文化的植民地従属国だと心得ている。まあ、政治的・軍事 的従属国だからこそ文化的従属国なのだが、前者は体制の問題だが、後者は国民の精神的 有りようにも関わることだから、必ずしも前者の必然的結果だとして済ますわけにもいかない。 昔は、20-30年のタイムラグを置いてアメリカ社会の後追いをやっていたけれど、最近は、IT 革命のお蔭もあって、5-10年或いはそれ以下に短縮してきたのかもしれない。単に、これは 僕の感覚で云っているだけで、厳密な話ではない。感覚は鋭いはずだけれど最新の情報には 疎いから、さっぱり見当違いの可能性も捨てきらない。 最近、格差社会が問題になっている。小泉さんじゃないが、格差は昔からあるし、そもそも格差 をなくそうとすれば、社会は間違いなく停滞する。能力のある人間が、能力を最大限に発揮でき る条件を整えれば、格差が広がるのは避けられない。それを法的・外的強制によって規制する とすれば、能力ある人間にとっては桎梏以外のなんでもない。 早い話が、ネットに自由にアクセスできるかどうかで情報に接する機会に「格差」は出来るし、 外国語を駆使できるかどうかでもネット内での情報格差は生ずる。尤も、情報を現実世界で どう活用するかは、自ずから別問題で、ここでも格差は広がる。 尤も、最近の格差は社会的な活力が失われ(二世三世の台頭もその証左だ)、経済成長に伴う 一般的な機会そのものが狭められる一方、情報革命に伴う新たな創造的機会は拡張している が、それに適用出来たものと出来ないものとの新たな格差が広がっているのか。どんな社会 でも格差は生まれるもんで、問題は格差を無くすことではなく、様々な能力を活かせる社会的 多様性の追求と格差に伴う疎外からの救済ではないか。 しかし問題はそれだけではない。今朝のNBonline(08/02/13)、 【「負け組」の拡大再生産を防げ!】の中で伊藤乾氏が「新自由主義」はわざと負け組を作って いないか?(参照)と題して、 21世紀の「新自由主義」すなわち「ネオリベラリズム」という言葉が、どういう現象を指すように なってしまったか。考えさせられる問題です。実際に「新自由主義」は勝つべくして勝つ者=「勝 ち組」と、負けるべくして負ける者=「負け組」とを生産している側面があります。 この「勝つべくして勝つ」「負けるべくして負ける」現象を「インサイダー情報の有無」などで考察 すれば「情報経済」という枠組みが可能になるでしょう。 と書いている。これだけでは分かりにくいが、詳しくは本文を読んで頂くのが良い。 「情報」に限定して云えば、情報に接する機会は平等に与えられているかに見えながら、 実は最初から「格差」があり、それによって格差が拡大再生産される構造になっている。 格差をなくせという要求と、格差を再生産する構造を変えろという要求とは、別のものだ。最近 の格差は、格差を再生産する構造と相俟って社会的活力の喪失=底辺から這い上がっていく 機会喪失+情報革命に伴う新た創造的機会への適応性に伴う格差ではないか。こんな風に 単純化してよいかどうか、僕は格差の実態を知らないから、ただ社会的な観察をする場合の 方法論を書いているだけだ。 問題は、この中で、社会的になし得ること、またなすべきことは何なのか。これをしっかり見極 める議論が必要であり、情動的な格差是正論では、ただ足の引張り合いに陥るほかない。 文化的植民地の話からわき道に逸れたが、アメリカの格差は日本の比ではないようだから、 後追いして更に格差が広がるだろうと話をつなげたかった。 しかし同じく格差の再生産構造と云っても、日米には違いがあるような気がする。次の大統領が 女性または若い黒人のどっちかに決まりそうな勢いを見れば分かるように、アメリカには活力が ある。その活力を生み出す外部的エネルギーを吸収し活用するシステムが、半面で猛烈な 格差を生み出している。 一方、日本は同質的な社会構造の中で、異分子を受け入れ自己のエネルギーに変えていく ような体質を持っていない。社会全体が自己膨張を遂げて肥大化している限りは、みんなが 中流意識を共有できたが、デフレ経済とグローバル化の進展によって自己膨張の活力を失う とともに、全体的膨張によって後景に隠されていた格差が前景に押し出されてきた。そんな感じ で、最近の格差問題を受け取っている。社会的「格差」の後追いが続くとすれば、5-10年後、 どんな姿になるのか? NBonline に載った【本当の“底”から見上げる日本~『アメリカ下層教育現場』】という書評 (08/02/12、参照)を読んで、そんなことを感じた。 興味深い指摘を、つまみ食いしておく。 ・「格差社会」とさんざん言われてるが、それはだいたい所得の話で、教育格差、学力格差には マスコミもあまり触れない。しかし、所得格差、地域間格差などと同じくらい、教育格差も深刻な 問題だ。私立と公立、首都圏と地方など、授業や教員の質の差が、大学進学率などにおける 差となって現れている。 ・米国における学力格差は日本の比ではない。 ・実際に教壇に立ってみて、著者はあぜんとする。始業から3分もしないうちに机の上でUNOを 始める者、音楽を聞き始める者、小さな布ボールを蹴り始める者など、授業どころではない。 トイレに行った者は二度と戻ってこない。 ・米国ではアイビーリーグと呼ばれる一流大学を出て、ウォール街などで働く投資銀行マンの ような、人口の5%にあたる富裕層が全体の富の95%を占める。一方、人口の13%が仕事の ない貧困層だという。 ・授業料がかからないチャーター・ハイスクールでは、生徒たちは高校で学ぶことの尊さ、意義 を感じない。卒業後、大学に進学する者はなく、ファーストフード店やガソリンスタンドの店員な どになるしかない。生徒は将来の希望を持てず、授業は崩壊する。著者の前任者はわずか 1カ月で絶望して教壇を去った。 ・米国の下層教育の現場で著者が体験したことは、貧困や家庭崩壊が教育の崩壊につなが り、普通の家庭で育つ子供のように、大人から正しい言葉で社会性を学ぶことができないという 現実だった。 ・日本の教育現場をみれば、公立の中学や高校には、モンスターペアレントに手厚く保護されて いる、教師の理解を超えた子供たちがいる。これをもって、「教育格差」というのなら、まだまだ 日本は恵まれていると思う。
by agsanissi
| 2008-02-13 10:43
| ミミズの寝言
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